辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2004
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 ソルは、群れに戻り、レナルはレックハルドを辺境の入り口近くまで送っていった。
「あんたのせいじゃねえよ」
 レナルはそっと慰めるように言った。
「あいつだって、あんたがそんな顔してると安心できねえよ。きっと」
「ああ、…でもな…」
 レックハルドは、口をつぐんでしまった。レナルはため息をつく。予想以上に、レックハルドの心の傷は深いようだった。それはそうかもしれないとも思う。あの地獄絵図のような光景を、レックハルドは一人で何をすることも出来ず、ただ黙ってみているだけしかなかったのだから。
「あ、…あんた…」
 レナルがふと足をとめたので、レックハルドは顔をあげた。
「サライ爺さんじゃねえか。久しぶりだな」
 レナルが、声をかける。爺さんといわれながら、そこにいるのは、彼よりも若く見えるほどの優男風の青年である。
「久方ぶりだな。レナル」
 そういい、サライはうっすらと笑いを含んだ。
「それから、ゲルシックの…」
 レックハルドは静かに頭を下げた。レナルと知り合いとは知らなかったが、この謎の多いサライのことだし、何か裏があるのだろうとは思う。今は、取り立てて知りたくもなかった。ただ、レナルの態度から、辺境でもサライがそれだけ尊敬されているらしいことがわかった。ただの人間に対する扱いとはまったく違う。
「今回は大変だったようだな」
 サライは、少し同情するように声をかけた。
「え、ええ」
 レックハルドは静かに答え、地面に視線をさまよわせた。
「……オレは、あいつに罪を背負わせちまったのかもしれませんね。あいつはオレのことを恨んでいるのかもしれません」
 それを聞きとがめたかのように、レナルが話に入ってきた。
「恨むだなんて、そんな。あんた、あいつに魔幻灯もらったんだよな」
 レックハルドの荷物入れに入っている、壊れたランタンを指差しながらそう言った。無言でレックハルドは頷いたが、あの壊れた魔幻灯を見ると、あのときの情景が思い浮かびそうで、それを眺めることはしなかった。
「狼人が、そのシェンタールを渡すってのはさ」
 レナルは、そんなレックハルドを励ますように言った。
「相手に感謝してもし尽くせないときに渡すんだ。だから、ファルケンはあんたを恨んだりしてねえよ」
 肩を軽く叩き、レナルは微笑む。レックハルドは、それを愛想笑いで返しただけだった。
「…そこまで自分を責めるのならば」
 サライが厳かな口調で、突然発言した。
「…マザーに会えるかも知れんな」
「マザー?」
 レックハルドの死んだような瞳が、わずかな光を得て、サライの方に向けられた。サライはにやりと微笑んだ。
「マザー…、聖グランカラン、狼人の言葉でムーシュエン」
 それからレックハルドの方に近寄り、サライは意味ありげな顔をしていった。
「そなたは、あのファルケンを殺した毒について何も知らぬようだな。知っていれば、そんな顔をせずにすんだかもしれぬのだが……」
「何だって!」
 レックハルドはふらふらと前進した。
「ど、どういうことですか?」
「レナル、…そなたは知っていような」
 ちらとサライに見られ、レナルははっと息を呑んだ。その顔色が変わり、突然慌て出す。
「誠意の水のこと、そして、それが与える罰も……」
「レナル! てめえ何か知ってるな!」
 レックハルドは逃げようとするレナルの胸倉をつかんだ。
「…何を隠してるんだ! 教えてくれよ!」 
「オレにいえるわけないだろ! あ、あんなむごいこと! それに、それを言ったら、あんた…絶対行動を起こす!」
 レナルは首を振って叫んだ。
「そんな馬鹿やったら、あんただって死んでしまう! そんなことになったら、ファルケンが浮かばれねえだろうが!」
「オレは死なねえから! 教えろ!」
 レックハルドの死んだような目は、突然、光を取り戻し、いつもの迫力を取り戻していた。
「教えてくれ! 何を隠してるんだ!」 
「レナル」
 サライが静かに言う。
「説明してやれ」
 うっとレナルは詰まった。そして、必死の様子のレックハルドを見る。少し沈黙し、何か考えていたが、やがて彼はため息を大きくついて、レックハルドの手をはがした。
「わかった。ただ、これは…伝説だ。これはあくまで伝説だからな!」
 レナルはそう前置いた。
「誠意の水って…知ってるな。ファルケンが、血を吐きながら苦しんで死んだといっただろ?」
「あ、ああ」
 あのときの光景を思い出したのか、レックハルドは不意に顔を曇らせた。レナルはそれをいたわるようにしながらも、仕方なく話を続ける。
「あれは、前もって誓いをするものが、絶対に裏切らないことを示すために、術者がつくった毒の水を一息に飲む。破れば術者が、それに対し報復する」
 レナルは、少しだけ言いにくそうに続けた。
「あれの中にはな、…ある毒の花からとった毒薬が使われている。術者はそれを自分の魔力を含ませた水で包んで、普段はその効力が出ないようにしている。それを発動させると、まるで体の中から切り刻まれるようになって、ズタズタにされて…それで、術者が止めなければ死に至る。毒が発動したものには、胸に刺青でも入れられたような模様みたいなのができるんだ。黒い…」
「あ、ああ。あいつには確かにそんな…」
 レックハルドは、あの時、ファルケンの破れた服から見えた胸の刺青のような黒い紋様を思い出す。さして気にとめなかったが、あのまがまがしいような、妙な感じの黒い紋様がたしかにあった。
「それは、…毒の効力が残ってるって事なんだ」
 レナルは、眉を少しひそめた。
「…あの毒は、例えば死ななかった場合でも、体内から出ることも、無毒化されることもないんだ。術者の命令一つで、いつでもその効力を発揮させることができる。もちろん、それは死んでいても同じだ。胸にあの模様が浮かんでいる限り、術者の呪縛から逃れることはできねえ」
 レックハルドは恐る恐る訊いた。
「ど、どういうことだい? 術者の呪縛って……」
「普通、誠意の水ってのは、辺境に反逆する可能性のある狼人に飲ませるものだ。だから、それで反逆したと認められた場合は、…それで死にいたった場合は……完全に死んで滅ぶことが許されない。そういう目的で作られたんだ、あの毒薬は――。ほとんど見せしめのために。あの毒じゃ完全に死ぬことができねえんだよ」
「ど、どういうことだよ!」
 レックハルドの口調が鋭くなる。
「あいつは、脈も息も止まってたんだ。体だって冷たくなって…」
「冷たく? …氷のように冷たくではなかったか?」
 サライが口をはさんだ。ふとレックハルドは思い出す。そういえば、あの時のファルケンは、あまりにも冷たすぎたように思う。まるで、本当に凍っているような…。
「ま、まさか…そういうことなのか?」
「ああ。毒の効力の他に術者の呪いがそこにはかかる。それで死んだ奴らの体は、凍りついて永遠に朽ち果てることがない。永遠に母なる大地に帰ることは出来ない」
 レナルは、仕方なくぽつりぽつりと続ける。
「それで、朽ち果てずに置かれた彼らは、辺境に最大級の災厄が襲ってきたときに、生きていたときの罪のあがないに、司祭によってその凍結を解かれる。そして、命なき戦士として、戦いに参加してもう一度戦うことになる。…司祭の完全な操り人形の状態でな」
「そんな!」
 レックハルドは真っ青になった。今ごろになって、ようやくわかった。あの時、ファルケンが、「永遠に辺境に還れない」といったのは、そういう意味だったのだ。
「そんな、あいつは…また無理やり戦わされるのか! せめて、あいつを安らかに眠らせてやるとかできねえのかよ! どうなんだ!」
 レックハルドの目を見ながら、レナルは口を閉ざした。
「おい! 知ってるんだろ!」
「…人間には無理だ。いいや、オレでもたぶんダメなんだ」
「答えろ!」
 首を振るレナルに迫る。
「教えてやるがいい。…そうでなければ、引き下がらんぞ」
 サライが静かに言った。
「し、しかし…!」
 レックハルドの目には、必死の色が浮かんでいた。
「教えてくれ! レナル!」
 懇願する様に、レナルはやや戸惑いながらもため息をつく。
「わかった…」
 レナルは仕方なく口にした。
「これは伝説だぞ」
 そう前置いて、少し迷ったような顔をしながら、レナルはさらに言った。
「あの毒によって制裁を下されて死んだものは、マザーに許しを請うことができれば、生き返ることが出来るといわれているんだ。そのとき、マザーが与えるのが、その涙の器という花と朝露だといわれている。それは、マザー・グランカランの木の根元にしか生えていない。その中には、グランカランの葉から落ちた朝露が落ちてたまるんだ。それを死者の口に含ませれば、すべての呪縛が解けて、罪が許されるという話だ」
「生き返る…?」
 レックハルドは反芻し、レナルを見上げた。
「あいつが、もしかしたら、生き返るかもしれないのか?」
「これは伝説だって言っただろ! 真に受けるなよ!」
 レナルは、強く言った。
「そもそも、マザーに許しを得ないといけなんいんだ! それまでに、どんな試練があるやら…」
「そのマザーに許しを得さえすればいいんだな? そうだよ、あれはあいつだけの罪じゃないじゃないか。あいつに火をつけさせたオレも同罪だ。それを伝えて、許してもらえるかもしれねえんだな!」
 レックハルドの目は、何かにとり憑かれた様だった。もはや、核心に触れること以外は耳に入らないのだろう。
「それが無理だっていってるじゃねえか! 絶対そんなことをしたら、お前死ぬぞ! やめてくれ! これ以上、知ってる奴が死ぬのは嫌なんだよ!」
 レナルはレックハルドの肩をつかんだ。
「ファルケンだって、お前が死んだら絶対辛がるんだ! これ以上あいつを苦しめたくないってのはわかる。だけど、あんたがそんなことして、もし、取り返しのつかねえことになったら、一番悲しむのはあいつなんだぜ?」
 レナルは嘆願するように言った。
「レックハルド、あんたの気持ちはわかるよ。友達が先に死んじまうのは辛いよな…。オレだって、わかるよ、それは。でも、そんなことして、あんたまで死んだら、あんたのほかの友達が辛がるんだ。オレだって…!」
「やってみないとわからないだろ? それともそんなに危険な場所に行かなきゃいけねえのかい?」
「ああ、危険も危険だ。絶対に死ぬ! だからやめてくれ!」
 レナルの必死の言葉には嘘はなさそうだった。しかし、レックハルドは退かない。まっすぐにレナルを見たままだ。
「だったら、オレにどう危険なのか教えてくれよ」
「…そうすれば、諦めるよな。…いいだろう」
 レナルは、少しだけそれに希望をもちため息をついた。
「マザーのもと、つまり、聖域といわれる場所なんだが、そこの森に行くためには、普通の辺境を通ってはいけないんだ。行こうとしても森の中の見えない壁によってふさがれている」
 そして、レナルは指を立てた。
「聖域に入る方法はただ一つだけ、死の砂漠を越えていくことだけなんだ」
「死の砂漠!!」
 レックハルドの顔に、驚愕と恐怖がひきつるのがわかった。マジェンダ生まれの彼にとって、その砂漠の恐ろしさは身近なものだったのだろう。少し青ざめた顔に、冷や汗が流れ落ちていく。
「…それを越える時点で、たいていの人間は死んでしまうだろう。もし助かったとしても、聖域までたどり着けるかどうか」
「そ、それからどうすればいいんだ」
 青ざめながらレックハルドは訊いた。
「聖域にはいれば、まず司祭が現れる。奴らだけは砂漠を介せずに聖域にいくことができるんだ。あんたは司祭に命を狙われているから、そこに危険がある。その司祭の手をかいくぐって、深くて危険な森をずっとまっすぐに抜けるんだ。そうして抜けていけば、想像を絶するほど大きい、大木が見えるはずだ。そこにたどり着きさえすればあんたの勝ちだ」
 だが、とレナルは顔を曇らせた。
「マザー自身は、時々侵入者を試すといわれている。善良なものは認められ、マザーの近くに行くことができる。だが、認められなければ、その場で消え去るといわれている。オレもよくわからないんだが……」
 レックハルドは、人知れず冷や汗をかいた。マザーに善良だと認められる自信は、普段から自分の素行を十分に知っている、彼にはなかったのである。
「折りよく、花を手に入れたとして、それから、また砂漠を越えて、あんたはここに戻ってこなければならない。そんなこと、あんたには無理だろう?」
 レックハルドの顔が失望に満ちたのがわかった。それを気の毒に思ったのか、レナルは、励ますようにレックハルドにいった。
「あんたのせいじゃないよ。…ファルケンはそんなことであんたを責めるような、嫌な男じゃない。許してくれるさ」
 レックハルドは何も言わずに地面を見ていた。青ざめた顔から、一筋汗が流れ落ちた。ちょうど地面では、蟻が昆虫の死骸をひたすら運んでいる。レックハルドは、見ていられなくなり、目をそらした。
 ただ、一つだけ変化があった。死んだようだったレックハルドの目が、わずかに光を得ていたことである。
 それに気づいていたのは、サライだけだった。その様子をみながら、彼はふっとため息をついた。
「じゃあ、また何かあったら辺境に来いよ。しばらく、シレッキにいるんだろう? オレもまた会いに行くからさ」
 レナルはレックハルドがすっかり諦めたものだと思い込み、ほっと安堵の表情を浮かべた。肩を軽く叩いてやりながら、少しだけ微笑む。レックハルドは、ああとだけ応えた。
(歯車の片方が欠けたなら――)
 レナルになにかいい、そのまま去っていくレックハルドを眺めながら、サライはひそかに思う。
(もう一つの歯車も止まってしまう。それが当たり前のことだ。)
 レックハルド自身、前に進むためには、まだファルケンの力が必要なのだろうとサライは読んだ。
 ――変わらん男だ。
 サライは、心の中で思う。歩き出したレックハルドの背には、ある決意のようなものが滲み出している。
(相変わらず、自分の力ですべて何とかできると思っているのだな、お前は。)
 『オレは元から諦め半分でやっていますから。』と、口にしながら絶対に諦めていないあのハールシャーの口ぶりが、思い出される。
『もし、失敗すればですか? そのときは、失敗して死んだことをありがたく思いますよ。生き恥をこれ以上さらさなくってすんだんですからね。』
 あれは、彼にしてみれば一世一代の強がりだったのかもしれない。もしかしたら、同じ強がりを、レックハルドは口にするのかもしれないと思った。
(変わらん男だな。)
 サライはもう一度思った。

 





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©akihiko wataragi