辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2004
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エピローグ
 
 レックハルドが、あくる日、仕立て屋のベーゼルを訪れたのは、昼になってからだった。待ってましたとばかりに現れたベーゼルは、メガネの奥からやや狂気じみた光をきらきらさせながら、鼻息荒くレックハルドを迎えた。
「レックハルド! 約束の日は明日だったよなあ! 見ろ! オレとその弟子達と、その辺の仕立て屋呼びかけて仕立て屋連合作って明日までに仕上げてやるぜ! 見たか! オレを尊敬しろ!」
 すでに狂気の世界に入ったような笑い声を立てながらベーゼルは言った。
 後ろで数人の仕立て屋風の連中がせっせと縫い物をしているのを見ると、どうやらベーゼルは、年甲斐もなくあの時の彼の言葉に本気で腹を立てたようだ。いつもなら、苦笑して「おっさん、あんたも仕方がねえな」と言うところだが、今日のレックハルドはそんな気分にはなれなかった。
 彼の顔にいつものような活気はなく、暗く沈んでいた。
「今、できてる分はあるのか?」
 レックハルドは話をきいていないかのように訊いた。ベーゼルは面食らって、ああと答える。
「えーと、あの大男のは上着とお前の上のチュニックは完成してるぜ。だがなあレックよ。三日だったら、オレは全部…」
「それだけくれ。…いますぐいるんだ」
 そういって、レックハルドは迷いもせずに札束と金貨を机に置いた。
「お、おい…!」
 その多さと、レックハルドの態度に、ベーゼルは半ば呆然とした。仕方なく、服を差し出す。自分のを荷物入れに突っ込み、レックハルドはファルケンの着るはずだった長いコートを見やった。くっと、奥歯を噛み締める。少しだけ下の布でつくったそれが、思い出されて辛くなる。
 どうして、あの時、一番高い布にしてやらなかったのか。こんなことになるのなら、一番上等なもので送ってやりたかったのに。
 あの時、たった数枚の紙幣を渋った自分が、レックハルドには今は呪わしかった。
「おい、レックハルド…どうしたんだよ?」
「なんでもねえ。…明日、ここにマリスっていうあのお嬢さんが来る。…そのときに、頼んだものの残りを渡してくれ」
 後ろを向いたまま、レックハルドはそういう。ベーゼルは変な顔をした。
「おい、どうしたんだ? なんか、いつものお前らしくないな」
「……別に」
 ベーゼルは金を数えて、それがあまりにも多いので、半分釣りに返さなければいけないな、と彼にしては律義なことを考えた。 
「面倒なことしやがって。多めに出してもつり銭が面倒なだけ…」
「釣りはいらねえ」
 ええっとベーゼルは大げさに声をあげた。
「お、お前大丈夫か? なんかふらふらしてるし、飯食ってないんじゃ…」
「おっさん」
 それを無視して、レックハルドはいった。
「…店の前に、布積んでるから。…オレが持ってた在庫だけど、いらなくなったからあんたにやるよ」
「お、おい!」
 あの守銭奴で有名なレックハルドが、まさか自分にそんなことを…。ベーゼルは本気で心配になってきて、足早に去るレックハルドを追いかけた。
「あの相棒のでかい奴どうしたんだよ!」
 レックハルドは応えない。ベーゼルは、ぱちんと指をはじいた。
「そうか! お前、やっぱりあいつに辛く当ったんだろ! あのなあ、ああいう馬鹿正直なのは大切にしてやらねえと、お前、本気で友達無くすぞ! 大体なあ、お前、あの娘さんに妙に優しかったけどなあ、女だけいりゃ人生潤うと思ってたら大間違いだぞ!」
 ベーゼルの見当はずれな忠告が聞こえてきた。
「女に捨てられたら、誰も頼れねえじゃねえか。そういう時、酒飲んで愚痴って悲しみを分かち合おうと思っても、誰もいなかったらむなしいぜ〜!」
 ベーゼルは親切心なのか、なんなのか、そんなことを言って得意げに笑った。レックハルドがなにも言わないのを、肯定と取ったようだった。
「ははん、やっぱそうだな。今すぐ謝ってこいよ! あれなら、きっと許してくれるって!」
 そう言い放ち、ベーゼルは一人満足したようだった。そのまま、得意顔で店に帰っていく。彼としては、若者の悩みにすばらしい忠告をしてやったというつもりらしかった。
(…そうじゃねえ、オヤジ。)
 レックハルドは、心の中で呟いた。
(あいつは……もうこの世にいねえんだよ。)
 レックハルドは、わずかに空を仰いだ。すがすがしすぎるほどの青空だった。
 ――あんたのせいよ!
 声が蘇ってくる。昨日いわれた言葉が、もう一度彼の耳に蘇り、レックハルドは微かに眉をひそめた。

「あんたのせいよ!」
 ロゥレンが叫ぶように言った。
「あんたのせいなんだから! ファルケンは「誠意の水」を飲んでたのよ! それは、司祭 ( スーシャー ) に逆らえば死ぬことを意味してたのよ。それを承知であいつは辺境に火をつけたのよ!」
 ロゥレンが駆けつけたときには、肝心のファルケンはそこにはいなかった。司祭 ( スーシャー ) が現れて連れて行ってしまったのだ。
 頼むから、そっとしておいてやってくれと頼むレックハルドに、司祭の一人がこういった。
『辺境に火を放った者は、特別な罪人として裁かれた。普通の狼人の死と一緒にはできない。それに、お前は人間だ。人がこれ以上関わるのは気に食わぬ。特に、この魔幻灯は、お前を助けようとして我々の命令にそむいて火を放ったのでな。』
 その言葉は少なくともレックハルドには衝撃だった。ファルケンはそんなことを一言も言わなかった。
「オ、オレを助けようとして?」
 レックハルドは、何度か口の中で反芻した。そして、不意に思い出す。
「あの時、オレが…」
あの、白昼夢だと思っていた、不思議な声に囲まれて危うくファルケンを呪いそうになったあの時、レックハルドは大きな声で叫んだのだ。「ファルケン助けてくれ」と。
 そのせいだったのか、確信はもてない。だが、あれがもしファルケンに聞こえていたとしたら――。
 司祭 ( スーシャー ) 、おそらくそれは十一番目の司祭、アヴィトだったのだろうが、軽く舌打ちして言った。
『これ以上辺境に関わるようなら、お前も消さねばならぬ。…今回は魔幻灯の死で許してやるが、今度関われば――』
「何だよ、偉そうに! あいつの死で許してやる?」
 レックハルドは、叫ぶように言って相手を睨んだ。
「あいつの、あいつが死んだことを、そんな軽い口で言うな!」
「レックハルド、落ち着け!」
 司祭につかみかかろうとしたレックハルドをレナルが慌てて止めに入る。広げられた布の上にのせられたファルケンは、何人もの司祭によって運ばれていく。
「オレは、あいつを弔っちゃいけねえのか! オレが人間だからダメなのか! じゃあ、一体、狼人だの妖精だの人間だのってなんなんだよ! 死んだ奴に礼儀を尽くしちゃいけねえって何なんだよ!」
 叫ぶレックハルドの目にはわずかに涙が光っていた。
「オレが嫌ならてめえがオレを直接殺せばよかったんだ! あいつを利用しようだなんて、どうして!」
 だが、どんなに叫んでも、それ以上司祭は応えようとしなかった。そのまま、レックハルドがレナルに止められている間に、ファルケンの遺体は彼らによって持ちされてしまった。そして、ロゥレンが現れたのだ。
 レックハルドは、何も答えず、黙って地面を見ていた。
「あんたが戻ってきたから、あいつはあんたを助けるために、辺境に火をつけたのよ! それであいつは死んだんだわ! あんたがあいつを殺したも同然なんだから!」
「よせ! ロゥレン!」
 レナルが見かねて止めに入る。
「何よ! ホントのことでしょ!」
「黙ってろ! 大体、お前がレックハルドを呼びにいったんだろ! おい! 誰か、ロゥレンを連れてけ!」
 レナルが呼ぶと、彼によって呼び出されていたらしい、数人の狼人がおっかなびっくりやってきて、それでもロゥレンをつかんで引き離そうとし始めた。いきなり引っ張られて、ロゥレンは暴れる。
「痛いわよ! 離してってば!」
「しばらく頭を冷やせ!」
 レナルは、少しきつい口調で言った。ロゥレンはしばらくもがいていたが、狼人の力には勝てない。そのまま、引きずられていった。
「あたし、許さないから!」
 ロゥレンの碧の可憐な目に、涙と一緒に憎悪と敵意が浮かんでいる。それが自分に向いていることは十分に承知していた。
「あんたなんか、許さないから!」
 ロゥレンの姿は、草むらの中に消えた。レックハルドはただ黙って、言い訳すらせずにややうつむきながら立ち尽くしていた。
「気にするな。…あんたのせいじゃ…」
「いいや…」
 レックハルドは首を振った。
「オレのせいだ」
 そう答え、レックハルドは空を仰いでいた。あれから日蝕は起こっていない。それが一体何を意味するのか、レックハルドにはどうでもいいようなことだった。
 
 シレッキを出てそれから森へ急ぐ。ファルケンがどこに連れて行かれたのかはわからなかった。ただ、この服を届ける先は辺境にしかないと、レックハルドは確信していたのである。
 辺境に入りこんでいくと、道の傍にタクシス狼のソルが座っていた。
「旦那、お久しぶりです」
「ああ…」
 ソルは事情を知っているのか、それ以上は何も言おうとしなかった。
「…連れて行きましょうか?」
「どこへだい?」
 レックハルドは、薄く笑った。魂の抜けたような笑みだった。常の彼なら、もっと癖のある、自信に満ちた笑みを浮かべる筈である。
「兄貴のところです…。司祭 ( スーシャー ) が運んでいった先を、部下が見つけてきました」
「ファルケンの?」
 ふらっとレックハルドは、彼のほうに歩いていった。
「それは、本当か?」
「本当だよ、レックハルド」
 そういって、脇から出てきたのは、レナルだった。さすがに少し沈んで、疲れたような顔をしている。
「オレだけは同行させてもらうが、…他の連中はたぶん来ないだろう。いや、来れないんだ」
「どういうことだ?」
 うつむくレナルに代わり、そるが応えた。
司祭 ( スーシャー ) がいるんですよ。ファルケンの兄貴は、反逆者として死にましたね。だから、そこに近寄ると、司祭 ( スーシャー ) から疑いを受けるかもしれないんです。レナルの旦那はそれでもいいとおっしゃってますが」
「オレは、そこそこ力に自信があるほうなんだ。だから、奴らもそうそう手出しできねえ筈だが、普通の連中はな」
 ふうと彼はため息をつく。レックハルドは、黙ってそれを見ていた。
「…いいよ。連れて行ってくれ」
 ようやくそれだけを答え、彼は歩き出した。ソルとレナルが先導する。静かな森の中を、彼らは延々と歩き続けた。まるで平和で、昨日あんなことが起こったとはにわかに信じがたかった。特に、もう、辺境を先導して歩いてくれていたファルケンがそこにいないということも。
 レックハルドはため息をつく。これからは一人だ。ファルケンと旅をしてきたこの世界を、レックハルドは一人でやっていかなければならないのである。もう多くの荷物も運べないし、何かの時に彼を守ってくれる人もない。
 もしかしたら、こうして辺境に入ることもなくなるのかもしれない。
「ついた」
 と、レナルの声が聞こえた。レックハルドは顔をあげる。それは、十抱えほどもある大きな木の前だった。いや、もう半分枯れているような木だった。中央に大きな洞があり、人が何人も入れそうだった。その前に、何者かが立っていた。司祭らしいことは確かである。
 気づいた司祭 ( スーシャー ) が、フードの下で顔色を変えたようだった。
『な、何をしに来た!』
「弔いに来ることはいけないのか?」
 レナルが強い語調で言う。それに少し押されたように、司祭は少しだけ困惑したようである。
『…悪いとは言わない。ただ、そこにいる人間が入るのは、少し待って欲しい。』
 比較的気の弱い司祭だったのか、彼はやわらかい口ぶりだった。
『私の一存では決められないのだ。少し、相談しなければ……』
 そうしてレナルとソルに目をやった。険しい表情のレナルに、司祭は静かに言った。
『その狼と銅鈴については、いますぐ認めよう。先に入られるがいい。』
 思ったよりも柔軟な姿勢に、レナルは少しだけ安心したような顔をする。だが、肝心のレックハルドが入れないことを気にしているようだった。
「オレはいいから」
 それに気づき、レックハルドは言った。
「オレはいいから、先に行っててくれよ」
「しかし…」
 レナルは言ったが、レックハルドは首を横に振った。
「いいんだよ。後でいけるかもしれねえんだから」
 レナルは、目を閉じ、少しだけ唸った。考えてみて、それからレックハルドのほうを向く。
「わかったよ。じゃあ、先に行かせてもらうぜ」
「旦那、失礼します」
 ソルが便乗する形で応えた。ああ、とレックハルドは答え、洞の中に去っていく二人を眺める。そして、もしかしたら、自分はあの中に入りたくないのかもしれないとも思う。あの中に入れば、ファルケンが死んだことを事実として突きつけられてしまうからだ。それはとても辛い。
『少し、待ってもらいたい。』
 司祭はそういうと、ふっと姿を消す。何か木の裏のほうで、話し合っている声が聞こえた。司祭とはいえ、何となくその優しい司祭を恨む気にはなれず、レックハルドは特に恨み言を言うこともなく、ただ待っていた。
「あなた…」
 ふと、女の声が聞こえた。まるで鈴を振るようなかわいらしい声である。レックハルドは、そちらのほうをゆっくりと見た。
 先ほどの司祭の前に、フードをかぶってもいない、妖精の姿があった。繊細なつくりの、まるでガラス細工のような容貌をしていた。
「あなたが、…彼が助けようとした人ですか?」
 妖精が、やわらかい声で訊いた。その声色に慰めの色がある。レックハルドはただ黙って彼女を見ていた。司祭としては珍しく、肉声で話している。
「ここは、彼の墓といっても差し支えありません。もうすぐ、入り口はふさがれ、永久に閉ざされます」
 妖精は、悲しみを帯びた声で言った。
「それで……」
 レックハルドは、静かに訊く。
「オレは最後の別れをしてもいいのかい?」
 妖精は、少し目を伏せた。
「本来ならば、あなたと彼を対面させることについて、司祭の中からも反対の意見が多いのですが……。彼もあなたに会いたがっているでしょう」
『エアギア様。よろしいのですか?』
 後ろの司祭が尋ねると、妖精は静かにうなずいた。
「私の独断ですが、…少しだけ時間をあなたに」
 レックハルドは驚いたような顔をして、彼女を見た。どことなく、つらそうな表情のその妖精を見ると、何故彼女がそこまで辛い顔をするのだろうと思ってしまう。レックハルドの思いにも気づくことはなく、妖精は近くの木の影をゆびさした。
「あの影が、ここに傾くまで。最後のお別れを……」
 それはわずかな時間だったかもしれない。だが、レックハルドは頭を下げた。
「すまねえ。恩に着る」
 レックハルドは、ふと思い立ち、周りにある花畑に走った。そこに生えている小さな薄紅色の花を一抱え分折り取って抱え、そのまま洞穴に向かった。
 レナルとソルがちょうど出てくる。レックハルドに何か言おうとしたが、彼にはそれを聞く余裕は無かった。レナルは口を閉ざし、ただ、レックハルドが最後の別れをすることを許されたことに、少しだけ安堵していた。
 洞の中には、緑のコケが生えていた。地面もやわらかく、すこしだけひんやりとしている。上から少しだけ光が降ってきていて、そう暗くはない。こんな場でなければ、少し昼寝でもしたくなるような、そういう優しい場所だった。
 その奥に、まるで眠っているかのようにファルケンが寝かされていた。それが昼寝と違うのは、おそらく地面に何か魔法陣のような図形が何重にも描かれていることだった。知識の無いレックハルドにはわからないが、おそらく封印か何かの一種なのだろう。
「すまねえな。…なかなか来れなくてさ」
 レックハルドは、そういいながら奥に寝かされているファルケンを見た。まだ血の付いたマントや服のままで、相変わらず口許は微笑んでいるようだった。両手は組まされていたが、指先がぼろぼろで見ていて痛々しくレックハルドは目を伏せた。
 メルヤーをしていない素顔のファルケンというのは、あまり見たことがなかった。彼を少し強そうに見せているのは、おそらく半分はそれのせいなのだろう、とレックハルドは漠然と思った。
 それのないファルケンは、彼の人格どおり、穏やかで大人しい性質の、少し二枚目の青年といった感じで、レックハルドが一緒に旅をしていた彼と比べて、ずいぶんと特徴がなかった。どこかの村にでもいれば、そこで平和に暮らしている農夫の若者にも見えたかもしれない。そののどかな印象は、ファルケンの持っていた少し暗い部分を全部消してしまっていて、まるで別人に思えた。
(別人なら良かった。)
 レックハルドはしみじみと思った。薄紅色の花をその体の上にかける。狼人の弔い方など知らないが、花ぐらい構わないだろうと思った。
「ふん、お前にしちゃ、いい場所じゃねえか」
 ゆっくりと周りを見回して、レックハルドは笑いながら言った。そうでもしないと、この空気に堪えられそうになかったからだ。
「話は聞いたよ…。お前が死んだのは、オレのせいなんだな。また、お前、オレに遠慮して黙ってたのか。オレが、…妖魔にとりつかれねえように…、お前、シャザーンの言うこと聞いて、あいつら裏切ったんだ。そうだな?」
 レックハルドは、答えるはずもない彼に向かってそうきいた。
「…あの時、やっぱりお前が助けてくれたんだな。……ありがとうな」
 ――普段のお前らしい決着をつけてくれ。
(これが、あんたの望んだ決着かい?)
 レックハルドは鏡の中の男にそうきいてみたかった。 鏡の男は、こうなることも想定してああいったのか。自分に聞いてみて、その答えはすぐに出る。そんなことは思いもよらなかった。ただ、あの時何もしないのはいけないと判断しただけのことだ。
 どちらがよかったのかわからない。彼が来なければ、ファルケンは一人で死んだかもしれない。
『でも、良かった…。オレ、きっと一人で死ぬと思ってたから…。』
 本当は、最期ぐらい誰かが傍にいてほしかった。そういったファルケンの言葉だけが、レックハルドの救いだった。
「昔な…」
 レックハルドは語りかけるように、静かに言った。
「ゲルシックの話を聞いたとき、正直、馬鹿だと思ったよ。てめえでてめえの友達を殺したようなもんなのに、そんな財産払ってまで生き返らせたいのかよってさ。そんなに大切なら、嫁も相棒も、最初からちゃんと守れって。だから、昔、オレはあの話が大嫌いだった。…だけど、今ならわかるかもしれねえ」
そういいながら、レックハルドはいつもファルケンが持ち歩いていた木の入れ物を取り出した。それには赤い顔料が入っている。それを指先に塗り、ファルケンの顔に紋様を描いていく。やったことはなかったが、いつもみていた通り、見よう見まねでそれを描く。
「…だけど、すまねえ。オレはゲルシックじゃない。…女神の助けは来ないし、それに、金貨は命の水には変わらない」
 レックハルドは寂しげに笑った。
「そうだよな…。オレは英雄じゃないし、…ましてや正義の味方からは程遠い」
 何とかいつも彼がしていたようなメルヤーの形になった。レックハルドはため息をつき、いつも見ていたファルケンの顔に目を落とした。
「…やっぱり、お前にはそれが似合ってるよ」
 だが、メルヤーをしていると、やはりファルケンがそこにいるのがわかって、レックハルドの心は痛んだ。目を伏せ、静かに彼は言う。
「…本当は…、お前の為にちゃんとした葬式でも何でもあげてやりたかったんだが…、そうはいかなくって…。結局、オレがしてやれるのは…これだけなんだ。…すまねえ、ファルケン…」
 もちろんファルケンが答えるはずもなかった。沈黙が痛かったが、レックハルドはあえて微笑んだ。 
「金貨はなくしちまったが、…はなむけに服をやるよ。そっちは寒いだろうから、これでも着て温かくしてくれよな」
 そういって、レックハルドはファルケンの上から例の長いコートをかぶせた。裾に、文字のようなものが縫い取りされている。レックハルドには、それが旅の安全を願うおまじないの言葉であることがわかっていた。黒っぽい紺の、縁が金色で彩られたそれは、レックハルドが予測していたより、ファルケンに良く似合った。
「オレが、それを値引いたこと、お前なら怒らないだろうな」
 レックハルドは、寂しげに微笑んだ。
「すまねえ、…全部オレが悪いんだ。許してくれとはいわないぜ…」
 レックハルドは、ファルケンの前髪を払い、冷たくなった額に触れた。それはあまりにも冷たくて、まるで氷のようだった。レックハルドは、目を伏せる。
「…オレがあの時、お前をすぐに楽にしてやればよかったよな。…すまねえ、オレには、そんな力もなかったんだ。お前があんなに苦しそうだったのにさ。…恨むなら存分に恨んでくれよ。そのほうが、オレは気が楽なんだ。……なあ、…気にするなとか言わないでくれよ。…お前のせいだって、オレに一言言ってくれ」
 レックハルドは、せがむような口調で言った。
「お前が一言、あの時、恨み言の一言でもいって死んでくれたら、……オレはずいぶん気が楽だったんだ。所詮、他人なんてそんなもんだと思えたよ…。お前の事なんか気にせず、とっとと水に流してやったさ。そうして、オレはいつもどおり生きていけたんだ。だけど……」
 目を閉じた。その目から涙が静かに流れて伝い落ち、ファルケンの冷たい体にかけられたあのコートをぬらした。
「……お前、…謝ってばかりで…、笑ったまま死にやがって! だ、だから…だから……オレは…」
 レックハルドは声を詰まらせ、感情を押し殺すように奥歯をかんだ。それから目の周りを袖口でぬぐう。
「ごめんな、ファルケン」
 彼が使うばかりでレックハルド自身は、一度も「ごめん」とは言ったことがなかった。謝罪の言葉を口にしながら、そっとファルケンの頭を軽くなでてやった。自分まで凍りつきそうな、この冷たさはなんだろうとレックハルドは思ったが、それを追求する気にはならなかった。この洞の中が冷たいからかもしれない。
 だが、この空間なら、きっと静かに眠れるだろうとレックハルドは思った。苔むしたふるい大木の洞の中。そこなら、彼には似合いすぎている空間だった。
「ゆっくり休め。もう、無理に戦う必要なんてないんだから。お前には、平穏無事な世の中が似合ってる。ちょっと臆病なぐらいで十分だよ。顔に血を塗るのは、今回で終わりにしようぜ、な。…もう、二度と戦士なんかになるなよ」
 自分ではなくファルケンを慰めるように、彼の言葉は続いた。
「お前は悪党なんかじゃないよ。…オレからすれば、お前はまるで英雄みたいだ」
 ファルケンの表情が、少し明るくなったような気がして、レックハルドは少しだけ微笑んだ。
「…魔幻灯は、オレがもっていく。……あばよ、ファルケン」
 ファルケンの周りの花を整えて、彼はもう一度いった。
「今まで、ありがとうな。…本当に……」
「時間です」
 冷たい義務的な声が聞こえた。レックハルドは、ああと答えると、思い出したようにファルケンのコートをつかんだ。そうして、今度は顔の上にかけてやる。
「本当にさよならだ」
 レックハルドは立ち上がり、そのままきびすを返した。振り返りたくはなかった。おそらく、ファルケンもそれを望んでいないはずだ。レックハルドは、口を固く結んだまま、足早に外に出た。
 二人の司祭がそこにたたずんで、彼が出てくるのを待っていた。彼らには、おそらくファルケンのあの墓を完全に封じるという仕事があるのだろう。
「行こうぜ」
 レックハルドは待っていたレナルとソルに言った。レックハルドの思いはわかっている。彼らは、歩き出したレックハルドにしたがってゆっくりと歩き始めた。
 後ろで司祭達が動く気配がする。レックハルドは、それが閉められる様子を見たくなかったのだろう。
「ありがとな、レナル。…ソル」
 レックハルドは、それだけをいい、固い表情のままその場を離れた。
 





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©akihiko wataragi