第十一章:歯車-5
火は広がらなかった。グランカランの二本の木も少しこげた程度で、あとはその周りのコケや草を焼いたばかりだった。あの勢いが突如として、どうしておさまったのかはよくわからない。ファルケンが目を覚ました頃には、すでに火は消えていた。それだけではなく、いつのまにか日蝕が終わり、まばゆい太陽の光が一日ぶりに地上を照らし始めていた。
その光で見ると、焦げ後が不思議な図形の形に地面に残っているのがわかった。封印が解けた証拠だろうと思いながら、ファルケンはそこにあぐらをかいて座っていた。
『確かに友人を助けようという気持ちはわかるし、認めよう。』
三番目の司祭がとりなすように言った。
『だが、辺境に火をかけるなど、何があってもゆるされぬことだ!』
他のものが言う。
周りを司祭達が取り囲んでいる。先ほどからずっと、彼の処遇をどうするかで話し合っているのだった。あるものは殺せといい、あるものはそれはやりすぎだといい、どうやらかなり揉めているようだった。それをどこか、自分とは関係のない場所での出来事であるかのように、ファルケンは半ば目を閉じて、黙って聞いていた。
最終的に、彼らは一番目であるギルベイスに、判断をゆだねたようだった。ファルケンは、顔をあげて、彼の端正すぎて冷たい顔を見上げた。
「魔幻灯…」
ギルベイスは、裁判官のような声で言った。
「あの水を飲んで裏切っても、普通ならば温情もかけよう。少し苦しい思いをする程度で、命まではとらない」
ギルベイスの声が冷たく響く。
「他のものから命乞いの言葉がかかるだろうからな。…魔幻灯」
ファルケンは、何も言わず、彼らを見上げているだけだった。そういい、ギルベイスは右手を差し上げた。その手にきらりと光るものがある。ファルケンはその時は、別段目にとめなかった。
「だが、お前の裏切りは、最高の裏切りだったな。…まさか、辺境に火を放つとは」
ギルベイスは、刺すような視線でファルケンを見下ろした。
『お前には二つの罪がある。』
別の司祭が高い声で告げた。
『一つは、誓いに反したこと。そして、もう一つは、母なる辺境を破壊したこと。』
「誠意の水は、よほどのことがないと発動を許さぬよう、我々は決めている。だが、お前はその該当に入ったようだ。……辺境を壊したお前は、立派な反逆者だ。ゼンクと同じだな…。だから、同じく、お前には誓いを破ったことに対する報いが返ってくる」
ファルケンは、真摯な眼差しを彼に向けた。それは澄んだ瞳だった。彼の真っ直ぐな視線に、ギルベイスはやや嫌悪の情を抱いたのか、ふと眉をひそめる。
「申し開きをするなら、今のうちに言え…。あれが発動したら、お前はまともにしゃべることもできないだろうからな」
「言い訳はしない…。すべて承知の上だった。…だから…」
言いかけて、ファルケンはふと、ギルベイスがつかんでいるものに気づいた。それは、金貨だったのだ。慌ててファルケンは金貨をしまっていたはずの袋に手をやった。その袋自体がなくなっている。おそらく、戦いの最中に落としたのだ。
「そ、それは返してくれ!」
ファルケンは、顔色を変えた。
「それだけは、返してくれ! それは、…それだけは…!」
ギルベイスは、ファルケンを冷たく一瞥する。
「お前には必要のないものだ」
そういって、ギルベイスはそれを手の中に収める。ファルケンは立ち上がった。
「返してくれ!」
ファルケンはギルベイスに飛び掛ろうとした。
ちょうど、 ギルベイスが手をあげた。オレンジ色の稲妻のようなものが手の先に現れる。駆け寄ってくるファルケンめがけて、それは真っ直ぐに放たれた。
一瞬、ぱっと光が散った。ファルケンは、のけぞり、そのまま弾き飛ばされる。ギルベイスの手にあった、光がまっすぐにファルケンの胸を貫いていったのだった。
不意に声が掻き消え、レックハルドは閉じていた目を開けた。おそるおそる足を動かす。足はちゃんと前に出た。先ほどのように石のような色にもなっていない。
「な、なんだよ」
レックハルドはふうとため息をついた。額の汗をぬぐい、辺りを見回す。あの感覚も、あの声も、すべて幻のように消え去っていた。
(夢か? オレは白昼夢でも見てたのか?)
さっと頭上から光がさした。レックハルドは、光のまばゆさに目を細める。
「太陽が…」
闇をわけるように、まばゆい円形がすがたを見せる。昨日からずっと出ていなかった太陽が、今になって出現してきていた。あっという間に、空はいつもの空の青さを取り戻す。そうして、森のほうを見ると、あれほど立ち上っていた火柱も嘘のように掻き消えていた。
「なんだ?」
レックハルドは不審そうに眉をしかめた。今までの現象は一体なんだったのだろうか。考えてみても、まったく納得のいく説明ができそうになかった。
「ま、まあいいや。助かったことは助かったんだから」
レックハルドはため息をついて、背を伸ばした。
「レックハルド!」
ふいに声が聞こえ、彼はそちらをむいた。奥のほうから、レナルと、どういうわけかダルシュが走ってきている。
「なんだ、無事じゃねえかよ」
ダルシュが、少し突っ張った声で言った。とはいえ、心配していたのか、彼の顔はほっとしていた。
「何でお前が先に来てるんだよ?」
「お前がなんで遅れたんだ? どこか寄り道してたんじゃねえのか?」
ダルシュは、むっとしてそういい返す。
「オレの方が遅く出てきたのに、火柱まで行き着いたらレナルが来てないっていうもんだから…」
「まあまあ、とにかく無事でよかった」
レナルがため息をつきながら二人の間に割って入った。それから、少し緊張した顔で、左右を見回す。レナルには、そこに何かの妙な気配の残りが感じられるようだった。
「でも、なんか、ここ嫌な気配がするな。レックハルド、あんた、大丈夫だったのか?」
「あ、ああ。別に」
あれはおそらく白昼夢だ。そういうことにして、レックハルドは首を振った。
「それだったらいいが」
レナルはそういい、不意に顔をあげる。そして、びくりとした。
「煙が…」
辺境の入り口の方角から、煙が一筋あがっていた。レックハルドも、ダルシュもそれに習って顔をあげる。
「あっちは、湖の方だ」
「ええっ!」
レックハルドは、慌ててレナルに訊いた。
「そ、そうなのか! あそこにファルケンがいるんじゃねえのか?」
「お、落ち着けって!」
ダルシュが、レックハルドの肩をつかんだ。その手を払い、彼はもう一度レナルに訊いた。
「あそこにいるんだよな? そうだよな?」
「オレにも、はっきりとしたことは…ただ、その可能性が高いんじゃねえかと思う」
レナルは、レックハルドを落ち着かせるように、ゆっくりと言った。
「じゃあ、行かなきゃ!」
レックハルドは、すぐに駆け出した。
「ちょっと待ってくれ! オレはすぐにはいけねんだ!」
レナルが心配そうに声をかけてきた。
「大丈夫だ。用心棒代わりにこいつを連れてくから!」
勝手に用心棒扱いされてダルシュはむっとしたが、この状況では文句もいいがたい。レックハルドは、焦っているようで、ろくに彼の話すらきいていないのである。
「くそ! 好き勝手言いやがって!」
それだけをはき捨て、仕方なく走り始めたレックハルドについて走る。
「オレも後で行く!」
レナルの声がおってきた。
「火柱が消えたんだ。あっちを確かめなきゃならねえ」
「ああ!」
レックハルドは、後ろに向かってそれだけを叫んだ。
「おい、もっとゆっくり走れねえのか!」
後ろでダルシュがその後を追いかけながら、何か文句をいっている。
「オレはお前と違って、持ってる道具がいちいち重いんだぞ!」
だが、レックハルドはきかなかった。
(なにか…嫌な予感がする。)
レックハルドは、悪寒のようなものが走るのを感じていた。
「ファルケン…!」
レックハルドはつぶやく。
「頼む。無事でいてくれよ!」
奥歯をかみ締めるように、何かに堪えるようにそういって、レックハルドは少し目を閉じた。自分の嫌な予感をかき消すように、また、先ほどの白昼夢だと彼が思っているあの感覚を思い出さないようにするために、レックハルドはもう一度つぶやいた。
「無事でいろ。ファルケン!」
不安な気持ちを消すように、まるでまじないのようにレックハルドはそれを心の中で繰り返した。