辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2004
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 第十一章:歯車:歯車-4

 前で、何かどよりとよどんだような気がした。熱帯性の大きな葉っぱをもつ植物が、妙な揺らぎ方をする。地面がたわんだ気がしたのも気のせいだろうか。
「…な、なんだ?」
 レックハルドは、反射的に短剣の柄を握って立ち止まった。左手にはランタンを持っているが、その光だけでは周りは見渡せない。
「なんだよ!」
 レックハルドは自分をおさえるためもあって声をあげた。
 気分が悪い。空間が歪んだまま見えているような気がする。がしゃんと音がして、レックハルドのランタンが壊れた。
 どこからも攻撃された気配がない。それなのに、ランタンはガラスを割られ、火もついでに消されていた。火が消えただけで、暗闇の空の威力は増す。森の中に取り残され、レックハルドは、いくらか心細くなった。
「よ、妖魔か?」
 レックハルドは、無理やり突っ切ろうと走り始める。だが、歪んだ空間の真ん中に壁があるようで、突然、その見えないなにかにぶつかって彼は足をとめた。
「な、なんだよ!」
 恐怖に顔を引きつらせ、レックハルドは周りをうかがう。じわじわと、何かが迫る気配がした。
 音が聞こえる。なにか、ききとれない呪いのような、恐ろしい声が周りを取り囲んできた。意味がわからない。だが、一つだけわかる。自分の周りにいる、見えないなにか。それが、自分にいい感情を抱いていないということが。
「……畜生! オレはここでこんなことしてる暇はないんだ!」
 だが、駆け出そうとしてレックハルドは気づいた。足が動かない。恐怖で動かないわけではない。ただ、足が徐々に石になっていたのである。
「そんな…!」
 声は徐々に彼に近寄ってくる。いや、それだけでない。なにか、それにしたがって、意味のある言葉が、徐々に彼に聞こえてきたのだった。
 ――あんな奴見捨ててしまえ。
「誰だ!」
 レックハルドは、恐怖と怒りを込めて叫んだ。だが、誰だといいながら、レックハルドはその声の持ち主が誰なのか、よく知っていた。ほかならぬ、自分の声だったからだ。
 ――あのまま生きてても、どうせ、板ばさみになって苦労するだけだろ? だったら、すっぱりとあの世に行って幸せになってもらおうぜ。
「そうじゃねえ! オレは、そんなこと…」
 自分の声で聞こえてくる言葉に、レックハルドは恐怖した。一瞬、自分が本当はそう考えているのではないかと思ってしまう。違う、と意識をしっかりもっていないと、その声に流されてしまいそうだった。
 ――本当は厄介払いしたがってたんじゃねえのかよ? あいつがいると商売しづらくって仕方がないんじゃないのか? そうだろ、レックハルド。
「違うっていってるじゃねえか!」
 背筋に悪寒が走る。何か、自分の心に邪悪なものが干渉してきているような気がする。
(なんだ、この感覚は…)
 自分の心の暗い部分が、何かに引きずられているようだった。そのまま奈落の底に落ちてしまいそうな、そういう感覚である。そして、その奈落の底が、異様に魅力的に思えてくる。
 ――あいつがいると、マリスとも全然しゃべれねえじゃねえか。この期に及んで、もしマリスがあいつに惚れてたらどうするつもりだ? お前はかわいそうに結果的には……
「うるせえ! オレの頭の中でしゃべるんじゃねえ!」
 一番言われたくないところに触れられ、レックハルドは叫び返した。
「どうせ、オレは、鏡の中のやつがいったような最低の屑だ! だけどな、そうなったらそうなったらで、オレはあいつを恨んだりしねえ!! きっとそうだ! そうする!」
 あざ笑うような声が回りにいくつも重なって聞こえてきた。レックハルドは、そこに釘付けにされたまま、延々とその笑い声を聞いていた。
 ――邪魔だと思ったのは何度あった?
 ――かかわり合いにならなきゃよかったって何回か思っただろう?
 ――あいつのせいでいくら損したんだ?
 声は徐々に増えていく。レックハルドは、顔を覆った。
 ――お前がこんな辛い思いをしているのも、全部あいつのせいじゃねえのか!
 頭が痛くなりそうだ。目の前がますます揺らいでいく。
「た、…助けてくれ!」
 レックハルドは思わず叫んだ。
「…ファルケン! 助けてくれよ!」
 自分が助けにいってるんじゃねえかと心の中で思いながら、レックハルドは叫んでいた。
「オレは、お前のことをそこまでひどく思っちゃいねえはずなんだ! オレは、もうちょっとましな奴な筈なんだ!」
 汗が額から滝のように流れ落ちる。このままじゃいけないとレックハルドは直感した。このままでは、声に負けてファルケンを呪いそうだった。
「助けてくれ! …ファルケン、助けてくれ! オレをいつも助けてくれたように、助けてくれよ!!」
 ほとんど悲鳴だった。
(オレは何を言っているんだ?)
 もはや、誰に何を言っているのかも分からなくなってきた。


「助けてくれ! …ファルケン、助けてくれよ!」
 レックハルドの声が近くから聞こえた、というよりは、おそらく、シャザーンが風を使って声を引っ張らせたのだろう。そもそも、シャザーンは、空気の流れを扱うことが得意だった。それを使って、遠くの彼の悲鳴を拾ったに違いなかった。
 びく、とファルケンの肩が揺らいだのに、シャザーンは気づいた。もう一度声は聞こえた。
「お前を呪うだなんて…、オレはそんなことは…! やめてくれ! 全部嘘だ――!」
「『ファルケン…。この声はわかるな?』」
 妖魔は勝ち誇った声で言った。ファルケンの顔つきが明らかに変わってきていた。わずかに青ざめ、充血していた目が冷静さを帯びてくる。
「…レ、…レック…?」
 はっと、ファルケンは構えていた剣をおろした。正気に戻ったと見て、シャザーンはゆっくりと彼に近づく。
「『状況はわかるだろうな?』」
 ファルケンは、少しふらつく足取りで、彼のほうに手を伸ばした。すっかり、いつもの彼に戻っているのは、その顔色一つでも、目の色でもわかる。
「や、やめさせろ! レックに何を!」
 シャザーンは、というよりも、妖魔は、得意げに笑った。
『お前の友達は、特に我々が取り付きやすい性質を持っている。憎悪、孤独、嫉妬、そして、世の中に対する激しい怒り。…お前自身、わかっていたはずだ。…友人の暗い感情を。』」
「…うるさい! レックのことをそんな風に言うな!」
 ファルケンは怒りに任せてシャザーンを睨んだ。
「妖魔を、レックに取り憑かせようとしてるのか! そんなひどいことを!」
「『ひどいこと?』」
 シャザーンはにやりとした。
「『殺すよりはましだろう? そうじゃないのか? このままいけば、このクレーティスみたいに、我々の虜になるか。』」
 クレーティス自身の感情が出たのか、シャザーンの顔が歪んで悲しげに見えた。
「『それとも、あのまま堪えて発狂するかのどちらかだが…』」
 ファルケンの顔が、わずかに険しくなる。それを期待通りとばかりに眺めながら、妖魔はいった。
「『……お前が条件を飲むなら、彼を解放しよう。』」
「解放? …本当だな」
 シャザーンは微笑み、二本のグランカランの中央に刺さっている剣に近寄った。それに手をかける。ファルケンが、あっと叫ぶ間に、彼はそれを地面から引き抜いた。ファルケンは、何が起こるかと身構えたが、その前にシャザーンの笑い声が響いてきた。
「『封印はこれだけでは解けん。』」
 その剣を持ったまま、彼はゆっくりと歩いてきた。
「『そのためにお前に協力してもらいたいのだ。』」
「協力? それが条件か!」
 うっすらと彼は微笑む。ファルケンは息を呑んだ。
「オ、オレはなにをすればいい。何をすれば、レックを助けてくれるんだ?」
 シャザーンは、ファルケンの方を指差した。正確には、彼の腰に下がっているランタンをである。
「『その魔幻灯に火をつけて、ここに打ち捨てろ…。そうして、火を放て。』」
「何だって!」
 ファルケンは、驚いたような顔をした。
「火なら自分でつけられるはずだ! どうでもいいから、レックを巻き込むのはやめてくれ!」
「『そうはいかん。クレーティスも所詮は辺境の狼人の血を引く。…お前ほどには火になれておらず、辺境の森に火をつけるなど、この男にはとても無理だ。私の支配が揺るぐほどに、それに対する恐怖は強い。…だが、貴様は違う、な?』」
 ファルケンは黙ってシャザーンの顔を見ている。
「『お前は気づかなかったのだな。…その『魔幻灯』がただのシェンタールではないということを。』」
 ファルケンは、腰にあるランタンを見つめた。それをはずして手にとる。
「『…なぜ、お前が怖がられていたのか、辺境で避けられたのか、それにも気づかないのか?』」
「精霊が火を、怖がるからだろ? …違うのか?」
 恐る恐る、ファルケンはたずねてみる。シャザーンは、笑みを強めた。
「『お前のシェンタールは、七つ目の封印を解く為のキーワードになっている。司祭 ( スーシャー ) は、だから、お前に戦場に越させ、逆に管理しようとしたのだろうな。七番目の封印を解くには、油と火が必要なのだ。それは、それを同時に併せ持つ。』」
「そんな…! オ、オレはそんなこと聞いてない!」
「『人間がこの中に入るのを連中が嫌がるのもそれだ。奴らはランタンを使う。それだな。』」
 いくらか、動揺したファルケンに、シャザーンの中の妖魔は勝ち誇ったように言った。
「『さあ、どうする。…こうしている間に、お前の友人は、命を縮めていくぞ。』」
「ま、待ってくれ!」
 ファルケンは咄嗟に言った。
「嘘はつかないな! 本当に、レックを助けるんだろうな!」
 彼が正気に戻ったとわかったのか、いきなり司祭の声が聞こえた。
『よせ! 貴様、裏切る気か!』
 その声が頭一杯に響く。
『裏切ったら、貴様は死ぬということを覚えているんだろうな!』
「うるさいっ! 黙れ!」
 それを一喝して静める。だが、それも一時だけだ。もうすぐ、司祭の魔術が身に及ぶ。自分の自由でいられるのは、あとほんのわずかだ。その間に決断しなければならなかった。
(オレはいい…。)
 ファルケンは思った。
(オレは、レックより長く生きてるじゃないか。)
 それに、どうせ、ここに来たときから覚悟はできている。ただ、シャザーンに殺されて死ぬか、誓いを破って制裁を下されて死ぬかの違いだった。すでに反逆者扱いだし、名誉などはどうでもいい。
 だが、封印が解けるということと、それに第一、辺境に火をつけることが気にかかった。火事になってこの前みたいなことになれば、どうしようもない。
(どうしよう…)
 向こうで火柱も上がっているのに、ここでもう一度火を起こすと、どのようなことになるのか、ファルケンはわかっているつもりだった。
(火をつければ…きっと大変なことになる…)
 それを思うと、踏ん切りがつかなかった。自分が責められることには覚悟ができていたが、周りに被害が及ぶのは――。 
『精霊の子供…』
『その点は任せるがよい…』
 どこかでささやくような声が聞こえ、ファルケンは顔をあげた。男性の声とも女性の声ともつかない。ただ、声という感じだった。
 目で盗み見ると、封印の剣が抜かれたそこに、二本のグランカランがたたずんでいる。
『あの青年を見殺しにしてはならない…。今は、人を見殺しにすれば、おそらく彼らとお前達の間柄はもっと悪化してしまう……どちらかというと、精神的に、な…。』
『七つ目の封印が解ければ、確かに危険だ。だが、まだ、すぐに最後までいけるはずもないのだから……。その間に食い止めればいい。今は、ただ、あの人を見殺しにしてはいけない。』
「グランカラン?」
 今の声は、あの二本のグランカランに宿る精の声だったのだろうか。
『お前は今までよくやった。…お前の戦いぶりを我々は見ていた。』
『我々はお前に敬意を表する。そして、あの人の子が、くずれかけた人との関係に何か進展をもたらしてくれることを願う。』
『さあ、精霊の子…。炎は我々が最小限に緩和しよう。』
『さあ、お前に判断を任せよう。』
 声はそれで終った。
「『どうするファルケン?』」
 シャザーンの声でファルケンはハッと顔をあげた。
「『お前次第だ。』」
 ファルケンは黙って魔幻灯を取り上げた。それに、剣で石をこすって得た火花を使って着火する。頭の中で、司祭が何かいったような気がしたが、傷の痛みとこの状況でファルケンは彼が何をいったのか判断できなかった。そもそも、聞く気すらなかった。
 火をつけた魔幻灯を持ち上げ、ゆっくりと、まるでこの場所を名残惜しむように、周りをまわる。そうしてから、ファルケンは、ようやく二つのグランカランの真ん中に立った。木の周りはコケにおおわれているが、そのまわりは短い草がびっしりとはえている。
「…シャザーン…、というよりは、あんたの中の 妖魔 ( ヤールンマール ) に…」
 ファルケンは、静かに言った。
「最後に言っておきたいことがあるんだ」
「『何だ?』」
 すでに勝ちを得たも同然の妖魔は、うっすらと微笑んだ。ファルケンは首を振り、軽い笑みを返す。
「…あんた、すこしは気をつけたほうがいいかもしれない。…あんたの中のクレーティスは、多分、もうちょっと慎重だと思うから」
 妖魔がわずかに顔をしかめた。ファルケンが、口の端をあげて笑ったのは、そのときだった。
 ファルケンは、シャザーンの足元に魔幻灯を投げた。がしゃんとガラスが割れ、なかから油とそれに燃え移る火がすばやく流れ出てきた。
「うっ!」
 明らかに彼は動揺した。燃え移りかける火から逃れようと、シャザーンは足を引いた。妖魔が言うとおり、クレーティス自身は火が得意でない。案の定、クレーティスの目には明らかな恐怖が映っていた。
「周りを見ろ!」
 ファルケンの声が聞こえた。はっとシャザーンは、周りを見回した。
 そしてようやくわかった。ファルケンが先ほどゆっくり周りをまわってあの中心に行ったのは、ただの気まぐれでも、名残を惜しむためでもなかった。ファルケンは、こっそり油をこぼしながら歩いていたのだ。すぐにその草に燃え移り、火が広がっていく。水を含んだコケすらも、燃やしていくのは、おそらくその場所に何か火の力を強める作用のあるものが含まれていたからかもしれない。
 シャザーンは、火の色に立ちすくんでいた。
「この風向きが分かるか? そもそも、あんたは空気や風を操るのが得意だったよな?」
 それは、寒気がするような冷酷な笑みだった。
「…今更風を変えても手遅れだ」
 炎の中、その狂気にあおられたように、ファルケンは暗い笑みを浮かべた。
 すでに回りは炎に取り囲まれている。ファルケンは、わざと風を読み、シャザーンを取り巻くように火を放った。それは図に当った。
「オレは多分死ぬ。…でも、あんたも終わりだ」
 もしかしたら、それはファルケンが浮かべた、最初で最後の嘲笑だったかもしれない。ぎこちない、彼らしくもない、どこか哀しそうな笑みだった。
「これで全部終わりだ。…すべて炎が…消して…くれるさ」
 そういいおわると、ファルケンは目を閉じた。当に限界がきていたのかも知れない。そのまま、ファルケンは仰向けに倒れた。
 ごうごうと火が迫ってくる。シャザーンは、目を泳がせ、左右を見た。
「ど、どうすれば!」
 混乱状態になっているらしいシャザーンの前にも赤い炎が舌をのぞかせる。そのまま、でたらめな方向に走り始めた。妖魔がなにかいったような気がしたが、彼自身、その声に耳を傾ける暇もない。
 だが、ダメだ。逃げた先にも炎の壁が迫っている。
(ダメだ…。もうだめだ…)
 シャザーンはそう思い、目を閉じる。やがて、身に炎が迫ってくるだろう。そうしていたとき、突然、何かに手を引かれたような気がした。シャザーンはそちらに引っ張られ、危うく転びそうになる。目を開けて、シャザーンは少しだけ驚愕した。
「君は……」
 手を引く人物はそのまま彼をつれて炎を避けていく。向こう側に、まだ火の燃えていない場所がぽつんとあった。どうやらそこまで逃げるつもりらしかった。
(ああ、そうだ…。ファルケンは?)
 シャザーンは思い出したように後ろを振り返る。ファルケンの姿は火に隠れて見えなかった。ただ、あの周辺から黒いものがばっと空に駆け上がるのが、彼の目に映った。煙かもしれない。しかし、煙ではないと、彼は確信していた。





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©akihiko wataragi