辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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 第十一章:歯車:休息-3

 

 レックハルド=ハールシャーの最期については異論が多い。実はあれは邪神の化身で、封印されただけだとまことしやかに語るものもいる。伝説のようにザナファルとカルナマクが倒したのだと、多くの子供達は信じている。
 しかし、スティルフの歴史書のハールシャーの最期は余りにもあっけない。正確さという点では、少し問題があるかもしれないが、それにしても、処刑前に絶望の余り狂乱した挙句、崖から身を躍らせて死んだというのは、悪の権化のような彼の存在にはふさわしくないのだった。もしかしたら、歴史学者のスティルフにとっては、ハールシャーはそれだけの存在で、あまり脅威を感じなかったのかもしれない。

 しかし、実際に彼とあった事のあるサライの記憶の中のハールシャーは、ある意味では恐ろしい男だった。ただの人間であり、力もない。威厳に満ちているわけでもなく、どちらかというと小悪党風の風貌。長身痩躯とその風貌は、彼に「風采の上がらない男」というレッテルを貼っていた。それでも、彼は恐ろしい男だった。確かに頭の切れる男ではあったし、口もうまかった。しかし、彼の恐ろしさはそこにあるのではない。
 あの、身の程を知らない程、野心にあふれた目だ。いわば、彼の魅力はそこにあるのかもしれない。どこか冷めているくせに、彼の目は世界の果ての輝きを見つめている。そういう目をしている。身の程を知らない…そういわれればそれでおしまいかもしれない。ただ、あの目を見ていると、この男ならやるかもしれない、と思わせるような力をそこに秘めていた。
 この若さであの国の宰相になったのも、きっとその目のせいだ。と、サライは思うのである。


「そこにいて死を待つ気持ちというものを訊きたい」
 サライは、処刑前のハールシャーに訊いた事がある。そういわれても、ハールシャーは、あからさまに顔をしかめる事はなかった。ただ、皮肉っぽく笑っただけだ。
「敗北者に追い討ちとは、あなたも性格がお悪い」
 そういうハールシャーの顔には、敗北の色はない。だからこそ、サライも平気でそんな事が訊けるのである。
「そなたがいやに落ち着いているのでな、興味を持ったまでだ」
 サライが答えると、ハールシャーはひざを立てていたのを直した。
「そりゃ私があなたに聞きたいですな。私のような三十ちょいの小僧っ子じゃなく、何十、いや何百年、生きてるという噂をお持ちのあなたの考えを。…私のような若造を陥れるとき、どういう感情をお持ちですか?」
「噂は噂だ」
 サライは薄く笑った。答えない様子に、ハールシャーは肩をすくめる。
「私に聞くよりは、いい相手がいるでしょう? さしずめ、今の私は負け犬ですからな。…情にほだされた奴は、いつの世の中も負け犬ですよ」
「ほう」
 サライは興味深げにつぶやいた。
「…馬鹿な事をしたもんですよ。ですが、…後悔したって始まりませんがね」
 とらわれのハールシャーは、不羈に微笑んでみせた。
「私は馬鹿馬鹿しい義理に絡められ、おまけに冗談じゃないような情けなんてもんに結局とらわれて死ぬんですよ。…馬鹿馬鹿しくて笑うしかありません。一番嫌いだったんですがね、そんなものは…」
「その割には楽しそうだな、ハールシャー」
 サライは残酷に微笑んで言った。ハールシャーは多少腹を立てたのか、眉を少し動かしたが、しかし次の瞬間には妙な笑みが口に乗っていた。
「冗談はよしていただきたい。…ただね、…私ァ、自分が満足しねえってのは一番嫌いなんですよ。…あのままだと、オレはどっかで後悔する事になるでしょう」
 いくらか言葉を崩しながら、レックハルド=ハールシャーは胡坐の上で頬杖をついた。彼は話し込むと、徐々に喋り方が本来の彼の乱暴な喋り方に戻る。だが、だからといって話す内容が変わるわけではない。この喋り方のほうが、相手を弄しやすいし、それに周りのものが飾らない口調に引き込まれてしまったりする。当の彼が、それを計算してやっているのかどうなのかは、今のところサライには判別がつかなかった。
「そりゃァねェ、どうせなら長生きしたほうがいいですよ。すべての財産をなくしたって生きてるほうがオレはいい。他の連中はオレを守銭奴だと思っているでしょうね。でも、命のほうが大切ですよ。…金なんかなくしても、オレはすべて取り返す自信がありますからね」
 サライに挑発的な目を向けて、ハールシャーは嘲笑うような笑みをみせた。
「…でも、…時には、こういう善行もいいかもしれませんね…。どん底から這い上がってきたオレは、どうせ悪事しかしてませんから。地獄で門番に言い訳ができるってえもんですよ」
 言いながら、サライはレックハルド=ハールシャーの目を見た。茶色だが、光をすかすと碧が瞳の外側に宿って見える。そういう目が、ぎらぎらした光を放っているのを、サライは見た。
 言葉とは裏腹に、レックハルド=ハールシャーには、死ぬ気などこれっぽっちもない。彼の目がそう語っていた。

 ――隙があればいつだって逃げてやる。それに、なにもまだ殺されたわけじゃない。だから、機会はいつ巡るともわからない。そして未来も決まっちゃいない。まだ可能性がある限り、別に絶望する事はない。オレは自分の力を信じているからな!
 少なくとも、オレは、あんたが思うほど潔い男じゃねえんだよ。
 

 彼の目は、もとよりよく動く口よりもそう雄弁に語っていた。
 サライは、口の端に笑みを浮かべた。
「そうか…」
 立ち上がり、その場から離れようとした。それから、サライはふらりと彼のほうを見た。親友に向けるような優しい微笑を浮かべ、彼は言った。
「私はおぬしのそういう不敵なところが嫌いではない。いいや、気に入ってるよ」
 サライにハールシャーは微笑み返した。どこか抑えたような微笑を浮かべ、彼ははっきりといった。
「オレは、あんたのそういう嫌味なところが大嫌いですよ」
 この狸爺…。
 そう彼の態度が語っていた。サライは小気味よく思った。
 

「どうかなさったんですか?」
 サライは追憶から現実に戻った。傍にはリレシアが佇んでいる。
「いや」
 と断り、サライは思い出したように微笑んだ。
「あの男…、相変わらずだなと思ってな。あの男の傍には、常に運命の女神がはべっているようだ。あの自信が強運を呼び寄せているのかもしれない」
 怪訝そうなリレシアの視線を受け、目を細め、サライは窓の外を見る。
「…あの男は、結局、何でもかんでも自分の力で何とかしてしまうのだろうか、と思ったのだよ。…たとえ無理なことだとわかっていても、…きっとそうしようとする。どんな無理でも…おそらくは――」
 サライは目を閉じた。
「世の理も木の正体も知らない。それだというのに、人間はいつも無茶をするのだ。あの男を思い出すと、つくづくそう思うのだよ」
 そして、何を思ったのか、彼は妻に向けて複雑そうな笑みを浮かべた。
「もっとも、……あれにとって世の理などどうでもいいことなのかもしれないが…な」
 



 あれから二日たった。とりあえずファルケンは復活の兆しを見せているし、レックハルドも相変わらずのようである。それで少し安心してしまったのか、今日はマリスは少し寝坊してしまったのだった。
「困ったわ…。レックハルドさん、もうお仕事に出てしまったでしょうね」
 思いながら、扉を開ける。 
「あ、おはようマリスさん」
 マリスが部屋に入ると、ファルケンがにっこりわらって挨拶してきた。今日は、服を着替えていて窓際で外を眺めている。
「ファルケンさん、今日はもう起きていていいんですか?」
 マリスが心配そうな顔をする。
「あ。それは大丈夫。ちょっと動くと、痛いところもあるけど、そんなに寝てばっかりいられないし…。レックにもマリスさんにも悪いよ。昨日には熱も下がってたし」
「そう、よかった」
 マリスが微笑むので、ファルケンも同じように微笑み返す。それからファルケンは「でも」といった。
「…オレも今日は出るって行ったんだけど、レックに止められたんだ。迷惑だから、寝てろとかいって…」
「それは、きっと、レックハルドさんがファルケンさんの事を心配されてるからですよ。レックハルドさんはとても優しい人ですもの」
 そうだな、とファルケンは返し、思い出したように訊いた。
「マリスさんは…、レックのことは好きかい?」
「ええ。とても」
 マリスはにこりと笑った。
「レックハルドさんは、とても優しい方ですもの」
「そうか、よかった」
 ほっとしたような顔をして、ファルケンは窓の外を見ている。ここで、もし嫌いだなどと言われたら、レックハルドに申し訳がたたないどころではなくなる。その答えに多少調子に乗ったのか、ファルケンはうっかりと口を滑らせた。
「レックもマリスさんの事が好きだよ。そういってた!」
「そうなんですか! よかった!」
 マリスが純粋な笑みを浮かべてさらりと返す。ファルケンはよくわかっていないながらにキューピッド役を務めているつもりらしく、成功したとばかりに得意げな顔をする。
(今日はいい事したなあ! あとでレックに言ってあげよう。)
 だが、マリスが「好き」の意味を恋愛の意味で捉えたのかどうかははなはだ怪しかった。そもそも、ファルケン自身がよくわかっていないのだから、彼には判断のしようもないし、マリスの態度もよくわからない。が、そんな重いものとして受け取ったという事はないということはいえた。
 二人が何となくぼんやりと外を眺めていると、急にすたすたという早い足音が近づいてくる。それから、聞き覚えのある声が、少し乱暴な様子で向こうから飛んできた。
「おい、ファルケン、今日は大丈夫なら、ちょっと…」
 レックハルドは、言いかけ、マリスがいたのをみて部屋の前で思わず立ち止まる。マリスと目が合った。レックハルドは、少しだけ動揺した様子で、慌てて態度を取り繕った。
「あ、マ、マリスさん。いらっしゃってたんですか?」
「はい。今日はでも、ファルケンさんも大丈夫みたいでよかったです。でもあたし、今日は遅れてしまって…ご迷惑じゃありませんでしたか?」
 慌ててレックハルドは首を振った。
「そんなとんでもない! こいつがもう大丈夫なら、別に置いてっても平気ですし、そんな気に病むようなことじゃあ…」
 レックハルドが慌ててそんな事を言っていると、後ろからぬっとファルケンが現れる。
「あれ? 忘れ物か?」
 怪訝そうな顔つきでそう訊いた。その余りにものんびりした様子に、レックハルドは半ばあきれる。昨日まで寝ていたけが人が、今日はけろっとしていて「忘れ物か?」などとのんきにきいたり、マリスと笑いあったり。確かに昨日までは元気がなかった。今日の朝から、いきなり元に戻っているなどと、全く、心配したかいがない。
「チッ! うろつきやがって! 無理して長引いても、今度は宿なんかとらねえからな!」
 レックハルドはマリスの手前か、つっけんどんに言った。慣れているファルケンは、レックハルドがどういう気持ちでそんな事を言うのか、十分把握している。彼がそういう冷たい言葉を言うときは、十中八九、心配しているときなのである。特にマリスなど、人がいると意地を張ってしまうらしい。
「大丈夫だよ。もう、ちょっと痛いだけだし…。寝てるほうがかえって調子が悪いし…」
 ファルケンは、首を軽くかしげた。
「それに、…レックとマリスさんには散々世話になったから、そろそろ何か返さないと」
「半人前が生意気いってんじゃねえの」
 レックハルドは冷たく返す。
「あ、そうだ!」
 ファルケンが急に明るい声で言った。それから何か言いかけたが、ふと思い出してレックハルドを部屋の隅に手招きする。
「な、何だよ」
「いいから」
 その様子をマリスは怪訝そうに見ていたが、何か音がしたのか、窓の外を見る。鳥が飛び立ったらしい。
「何だよ…。マリスさんの前じゃ出来ない話なのか」
 そっとレックハルドが訊くと、ファルケンも珍しく小声で返す。
「オレはやってもいいけど、レックが怒るから」
「…わかったよ、言ってみろ」
 レックハルドが鬱陶しそうに言うと、ファルケンはこくりと頷き、彼にしてはずいぶん努力した小声で言った。
「マリスさんは、レックの事が好きなんだって!」
「はっ?」
 意味のわからないレックハルドにファルケンはにこにこ笑いながら言った。
「さっき、訊いてみたらそういってた」
「き、訊いた!」
 理性が声を小声にとどめたが、レックハルドは、ひどく慌てふためき、真っ青になってファルケンにつかみかかった。
「お前、そんな事訊いたのか! なんでダイレクトに本人に聞いちまうんだ!」
 急き込んで訊くレックハルドに、ファルケンは首をかしげる。果たしてあれは、そんなにいけないことだっただろうか?
「だってそのほうが答えが出るのが早いから」
「あほか! なんでそんなにお前はストレートなんだ! そんな事訊いたら、オレの気持ちがーー! ダメだ! もう終りだ!」
 レックハルドは、ファルケンを突き放すと、部屋の陰で頭を抱えた。ファルケンは、意味がわからないという顔をして、続けて言う。
「レックがマリスさん好きってのもいっといたけど…ダメだったのか?」
「ば、ば、馬鹿か! オ、オレが大切に温め育んできた感情をそんな一言で!」
 レックハルドは、絶望を色濃く滲ませた顔で、暗く彼を見上げた。ファルケンは、ふと振り返る。不穏さに気づいて慌ててレックハルドが止めようとしたが、間に合わない。
「でも、マリスさんはレックが好きだよな?」
「はい!」
 少しだけ首をかしげて、マリスははっきりという。
「レックハルドさんの事は好きですよ。ご迷惑ですか?」
「い、いやいやとんでもないです!」
 レックハルドはファルケンを突き飛ばしながら、慌てて前進した。
「そ、そうですか! よかったなあ、オレもマリスさんのことが好きですよ! あはは! 嫌われてたらどうしようかなあ、なんて…」
「そんな事ありませんよ。だって、レックハルドさんは、とてもいい人じゃないですか!」
「そうですかあ? あははは、よかったです!」
 乾いた笑みを無理やり浮かべながら、レックハルドは思った。
(この子の好きって「猫好き!」とか「この花好き〜!」と同じレベルだよなあ…。)
 到底、恋愛レベルには届かない。とりあえず嫌われていない事はよかったが、かといって手放しには喜べない。
(…嬉しいのか嬉しくないのか…。なんか複雑だ…)
 深くため息をついているレックハルドに、ファルケンは訝しげな顔をする。どうして複雑な顔をしているのか理解できない。マリスに至っては気づきもしていなかった。
「あ! さっき、言いかけたのって何だったんだ?」
 ファルケンが思い出したように言った。レックハルドは、少し不機嫌にファルケンを見た。腹が立つのでもう何も言いたくなかったのだが、仕方なくレックハルドは言う。
「…服を買いに行かなきゃいけねえから、今日、加減がいいならどうだ。といおうとしたんだ。なんか、お前、思いのほか、元気そうだし、…暇そうだし…」
「服?」
 今着ているのは、予備に持っていたもので、普段着ているいい方の服ではない。あれは、この前の一件でぼろぼろになってしまったのだった。だが、実はレックハルドの本来の目的は、そのぼろぼろの服を買い換える事ではない。ただ、近頃、何かとふさぎこんでいる様子のファルケンを元気付けるために外に連れ出す口実が欲しかったのである。だが、このすっかり元気な様子を見て、レックハルドはその目的を頭から消した。
「あぁ、この前、派手に破けてただろ? 特に上着な。オレも買わなきゃいけねえからな」
 そういうレックハルドは、妖魔に襲われたとき、刺繍の入った上着を破かれていた。上等なものだったので、ずいぶんと惜しい事をしたものだ。
「予定外の出費は痛いが、あんまり変な格好してたら、布商人としておかしいからな」
「それもそうか」
「お買い物ですか?」
 マリスが、急に話しに入ってきた。
「ええ。そうしようかと。…マリスさんもどうですか?」
 レックハルドは、ここぞとばかりに誘った。本来の目的が失われた以上、この際、ファルケンを連れ出す口実を応用して、マリスに転用することにする。街を歩くのには、やはり花があったほうが楽しいし、点数が稼げるかもしれない。
「いいんですか!」
 買い物好きのマリスは、思いがけない誘いにすでに乗り気だった。
「はい。この馬鹿がお世話になった礼もありますし!」
 ファルケンを軽く小突きながらレックハルドは、さらに言う。
「じゃあ、ご一緒させていただきます!」
 嬉しそうにマリスが答える。
「それじゃ、行きますか!」
 レックハルドはいい、少し浮かれた様子でマリスを先に部屋の外に出した。理由はどうあれ、マリスと街を歩く機会は余りなかった。
「お前も来いよ」
 いきなり上機嫌になって言うレックハルドを見て、ファルケンは頷いた。それを確認し、レックハルドは足取り軽く部屋から出て行く。
(よかった。…レックも嬉しそうだし…)
 先にレックハルドが部屋から出て行くのを見て、ファルケンはそれを追いかけながら、ふと嬉しそうに目を細めた。
 
 





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©akihiko wataragi