第十一章:歯車:休息-2
お互いの手に布をかぶせ、他の者には見えなくした状態で、示された指で出された値段を交渉する。それが、商品の交渉の方法である。
レックハルドは、新しい布を仕入れに来ていた。周りには、同じように交渉中の商人がたむろしている。レックハルドと同じマゼルダ系の商人もいれば、商売上手と名の高いシェレスタ商人もいる。シレッキは、交易をするには、それなりにいい位置にある。そのせいか、色んな商人の姿が見えていた。
「ちょっと、それは高いだろ?」
レックハルドは、指で示された値段に渋い顔で言った。
「もちっと無欲になりなよ、旦那。同郷の
好
じゃねえか」
「ダメダメ。オレだってぎりぎりなんだよ。同郷なだけにわかるだろ?」
交渉相手のオヤジは、どうやらレックハルドと同じマゼルダ系らしかったが、それだけに何かと渋るようだ。レックハルドは頭を悩ませる。ここ二日商売していなかった分を取り戻すには、もう少し安くないといけない。だが、妥協も必要だ。
「じゃあ、こんなもんでどうだい? 旦那」
「おいおい、ちょっとしか変わってないぜ?」
「まぁ、ほら、そういわずに。ちょっと張り込んでくれよ。同族の…おまけに人生の後輩へのプレゼントって事で」
レックハルドは愛想笑いを浮かべて、猫なで声でいった。それをきいて、オヤジは小さく唸る。
「若ぇくせにうまいこというな。…その口のうまさに敬意を表してこんなもんでどうだ?」
新たに示された値段は、先ほどよりはちょっとは安い。レックハルドは、ふうむとうなった。もう少し下げてもらいたいところだが、ここで手を打つのも悪くない。何にしろ、交渉はまとまりそうだった。
交渉がまとまりかけて、余裕が出ると余計な事が頭に浮かぶ。
たとえば、…マリスの事だ。
自分からファルケンの介抱を勝手でてくれて、商売に出られ、レックハルドは彼女に感謝していてはいるのだが、どうにもすっきりしないのだった。
マリスとファルケンが二人きりという環境が気に食わないのである。
(マリスさん、ファルケンのことが好きなんじゃねえだろうな。)
レックハルドは、その疑惑を出してみて、すこしぞっとした。今まで余り考えなかったことである。
ファルケンはマリスに好意を抱いている節は無い。そこは安心していい。だが、マリスはどうなのだろうと考える。マリスは、誰にでも優しい。だからよくわからない。
でも、そういえば、ファルケンに対しては、自分より先に気づいたり、親切だったりしないだろうか。ありえる事でもないが、ありえない事ではない。
(この期に及んで…あいつに嫉妬か?)
レックハルドは、自分の考えている事に気づいて、自己嫌悪に陥った。
(…オレは何を考えてんだよ。あいつは、怪我して寝てるんだぞ…。)
ため息と共に、頭を下げる。だが、頭の中から考えはなかなか去ってくれない。
今頃、ファルケンはマリスの手厚い看護を受けたりしているのだろう。自分が街の埃に吹かれ、こうやって一進一退の交渉をしている時にである。
(うらやましい…ファルケンの癖しやがって、なんてうらやましい…。)
ふつふつ湧き上がる苛立ちと羨望に、レックハルドの思いは、突然彼の口を自然とつかせて飛び出した。
「あ〜! あいつ絶対治ったらゆるさねえ〜〜! 一人だけいい目見やがってええ! 覚えてやがれ!」
ひとしきり叫んだため、取引先の相手がぎょっとして彼を見た。
「ど、どうした?」
「あ、悪い。いやあ、ちょっとこっちも取り込んでてさ。…ええっと、それからもうちょい負けてくれないかい?」
「ちぇ、意外と手ごわいな。…若造、大物になるぜ?」
「そりゃどうも」
レックハルドは、ははは、とごまかして笑った。とにかく、ファルケンとは一回話をつけなければならない。
(…ちくしょ〜…。あとであいつをダシにマリスさんと絶対にデートしてやる!)
ぶつぶつ心の中でいいながら、そのままレックハルドは交渉をすすめるのだった。
そこはどろりとした世界だった。
(まただ…)
ファルケンは、また地下牢にいる自分ではない自分をみた。
今回は前回と違って、彼は一人だった。暗い顔をして、何か重い足取りで彼は囚人の方に向かった。
牢の中の囚人は、相変わらずの様子で、そこに座っていた。彼が来たのがわかると、黒服の男は、にやりとわらい、懐からカードを取り出してぱらぱらとそれをめくってみせる。見事な手並みで、いつでも如何様ができそうな手つきだった。
「お、来たな? 今日はどうする? カードゲームはオレの連戦連勝だが、たまには如何様の使い方でもおしえてやろうか?」
あれ? とファルケンは思った。前回は、わからなかったが、そこにいる男は、黒い服を着て、三十台ぐらいではあったが、レックハルドと同じ顔と声をしていたのである。
(…名前は…レックハルド=ハールシャー…)
記憶をたどり、彼は男の名前を思い出した。
レックハルド=ハールシャーは、笑っていたが、とうとう彼の様子がおかしいのに気づいたようだった。
「どうした?」
彼が答えないのを見て、少し考え込んだあと、ハールシャーは深くため息をついた。
「なるほどな…」
それから、ハールシャーは明るい口調にかわった。無理に明るくしているようだったが、違和感を見せない見事な演技だった。
「いつかはこうなるとは予想してたぜ。…お前が、来るとは思わなかったけどな」
ハールシャーは、それでもまだ笑っていた。
「説客として来た以上、失敗した時のその後の運命も、オレは承知の上だ。誰が悪いわけでもないさ。失敗したオレが馬鹿だっただけの話だぜ。恨んだりしないから、殺すなら一撃で殺せ」
ハールシャーは背を向けた。いつものように彼はからっとした口調で言った。
「…あんまり苦しませるなよ。ま、お前なら上手くやれるだろうな。実戦で何度もやってんだろうし」
彼は黙ってしまった。迷うように視線を宙にさまよわせ、それからハールシャーを見る。
「どうした?」
「どうしても、降伏しないのか?」
ハールシャーは、後ろを向いたまま鼻で笑った。
「なんだ、オレを引き抜こうって算段か? お前みたいな口下手がどういおうが無理だぜ? オレはそんな事じゃ、簡単に…」
「そうじゃない」
彼は再び、苦々しい声で言った。
「これは…オレの役目だ…。あんたが降伏してくれないと、オレはあんたを殺すほか無い」
彼は、苦しげに言った。
「あんたはいい奴だ…。オレはあんたを殺したくない。だが、オレはあんたを殺すか降伏させるかしないと、カルナマクの疑いを晴らす事ができない。今は、大事な時なんだ。オレが幽閉されでもしたら、この戦争に負ける。…何が何でも、オレは前線に立たなければならないんだ」
「だろうな」
ハールシャーは、くすりと笑った。
「…だから忠告しただろう? オレと喋りすぎるとあんたが疑われるぜってな。おっと、誤解すんなよ。別にオレは、策略にはめたってわけじゃあない。まさか、命がけであの陛下に尽くすほど、オレァ忠誠心ってヤツにあふれてねえんだ」
だったら! と彼はいらだったように言った。
「あんた、死にたくないって! 嫁さんに会いたいって言ってたじゃないか! …それでも、降伏しないのか? 死んだら会えないんだぞ! それに、あんたは…あんた自身は、アレに反対なんだろう? どうして、反対意見の、しかも嫌いな王の肩を持つんだ!」
責めるように言う彼に、ハールシャーは静かに返す。
「オレは、腐ってもあの国の宰相だ。…オレには立場があるんだよ。前にも言ったな。お前に立場があるように、オレにも立場がある…。オレ個人がどう思おうが、関係ねえんだ。オレの口から出た言葉は、そのまま国の言葉になる。だから、オレの口からは、口が裂けても自分の意見はいえねえ」
それに…、とハールシャーは続けた。
「裏切った事がわかったら、オレの妻子とおせっかいなくそ爺と馬鹿な部下が危ないわけよ。ま、オレのメアリズは強いから、心配ないだろうがな。爺と部下のほうが心配だ。あいつらだけはどうにもならねぇ。遠慮するなよ。さっきもいったが、お前を恨んだりはしねえ。…オレはまぁ、文官もいいところだが、それでも多少戦場の習いは知ってるつもりだ」
ハールシャーは、目を一度閉じた。
「斬れよ…。……オレは覚悟の上でここに来た。死にたくはないが、だからといって特に未練たらしく騒ぐつもりはない」
狼人の男は悲しそうな顔をした。だが、ハールシャーの気持ちが変えられないことを知り、少しうつむく。
「カルナマクは…オレを信じなかった。…あんたを責めるつもりはない。…ただ…」
ふっとハールシャーは笑った。
「気にするな。オレの評判の悪さが導いた結果だ。自業自得だよ」
目を開け、あっけらかんとした口調でハールシャーはいった。
「お互い上司にゃ恵まれないな。オレもあんたも」
しかたなく、彼は刃を抜いた。地下牢の篝火に照らされて、赤い光が不気味に映る。さすがに、ハールシャーの背がびくりとしたのがわかった。だが、彼はまだ笑っていた。
「最後まで役目に縛られっぱなしってわけか」
輝く冷たい刃の光を感じながら、ハールシャーは皮肉っぽく言った。冷や汗をかきながら、彼は全く顔色と表情を変えなかった。意識的にやっているのか、そうではないのか、見ているほうからはわからない。
「オレもあんたもくだらねぇ生き方だ」
ハールシャーの言葉に諦めたのか、彼は目を閉じ、それから意を決したように顔をあげた。緑がかった金髪に混じる赤い髪が、りんとゆれた。刀を握る手に力がこもる。
さすがに殺気を感じ取り、ハールシャーの顔つきは険しくなった。冷や汗が、額から流れ落ち、笑んだ口元がわずかに歪む。喉が軽く鳴った。だが、目は閉じなかった。
「やめろ!」
ファルケンは叫んだつもりだったが、声にはならない。ここの自分は、冷徹に自分の行動を遂行しようとしている。昼間の夢と自分ではどうにもならないのは同じだ。だが、こちらは自分の意思で、相手を殺そうとしている。
「やめろ! それは!!」
わからないのか! とファルケンは叫んだ。
彼は、そのまま刀を振り上げる。冷酷な刃が、ハールシャーの首元を狙っていた。制止の声もきかず、彼はそのまま刀を振り下ろす。
――そこにいるのは、レックだ!!
ちゃりん、ちゃりん…
甲高い音がリズムよく聞こえていた。聞きなれた音に、ファルケンは少し目を開いた。ランプの優しい炎の光が、部屋をぼんやり照らしている。
身を起こそうとして動いたとき、胸のほうに痛みが走る。わずかに唸ったのが聞こえたのか、レックハルドの声が聞こえた。
「よ、目ぇ覚めたか」
レックハルドは、商売から帰ってきたばかりらしく、今日の稼ぎらしい金貨を麻袋の中に戻していたが、ファルケンがこちらを向いたのをみて作業をやめて近づいてきた。
安堵したように息をつき、それから笑いながらレックハルドは言った。
「心配したぜ。お前、二日間目え覚まさないんだもんな。…マリスさんに一回起きたってきいてたから安心してたんだけどさ」
ファルケンはきょとんとして、レックハルドを目の端で見た。
「オレ…二日も寝てたのか?」
「まぁな」
レックハルドはファルケンのほうをのぞきこみ、不安そうに言った。
「…お前、まだちょっとぼーっとしてるんじゃないのか?」
「…い、いや、大丈夫……」
話しているうちに、少しはっきりしてきたのか、ファルケンは軽く上半身を起こした。
「そうか? まだ寝てていいぞ。まだ熱があるみたいだからな」
そういうと、レックハルドはまた元の場所にもどって作業を続ける。きょろきょろと辺りを見回し、ファルケンは訊いた。少し、声がかすれているのが自分でもわかる。
「こ、ここは?」
「シレッキの街の宿だ」
「宿?」
ファルケンは、少し不安そうな顔をした。
「…お金かかったんじゃないのか?」
「ん、…ま、そこそこな」
さすがのレックハルドも、今のファルケンを金銭の事で責めるほど悪どくはなかった。ほんの少し複雑な顔はしたが、レックハルドは軽く笑った。
「まぁ、気にすんなよ。たまには、オレものんびりしたかったし…。たまにはちょっと贅沢もいいかなって」
「…レック…。オレ…」
「気にすんなって、まだ本調子じゃねえんだろ?へたに動き回られて倒れられたら厄介だしさ」
遠慮深いファルケンのことなので、レックハルドは、そういうと、また硬貨と紙幣を数え始めた。
「……レックは、…オレの事を許してくれるのかい?」
ファルケンは突然落ち込んだように訊いた。
「何いってんだ? おまえ」
レックハルドは怪訝そうに首をかしげた。今日の売り上げを計算していた彼は、首だけをファルケンのほうに向けた。
「仕方がねえだろ。ま、お前が全快したあとで、この倍、儲けてくれたらオレはいうことねえんだよ」
「そうじゃないんだ…」
ファルケンは、首を振った。レックハルドは、肩をすくめて計算に戻った。
「は? じゃあ、何を許すって? オレをあれこれ出し抜いたことか? マリスさん関連以外だったら許してやってもいいけどよ…。まさか、昼間なにかやったんじゃねえだろうな?」
「レック…」
ファルケンは、まだ熱っぽい声で言った。
「オレは…覚えてるんだよ…。オレがあんたを殺そうとしたこと…」
甲高い音を立てて、レックハルドの指から金貨が漏れた。
「スーシャーに操られたとはいえ、オレはあんたを殺そうとしたんだろ? あの時やられたショックで思い出したんだよ、全部…」
「はっ、ば、バカじゃねえのか?」
レックハルドは、わざとらしく嘲笑って、こぼした金貨を慌てて拾い集める。
「悪い夢でもみたんだろ? わけわかんねえこと言ってるんじゃない」
ファルケンは目を閉じた。レックハルドの動揺からも、言葉からも、レックハルドが自分をかばっていることはよくわかった。だから余計に辛く、自分が情けなかった。
「ごめんよ…」
「前に言っただろ! 謝るのも謝られるのもオレは嫌いだってな。いい加減にしろよ!」
レックハルドは少し強い口調で言ったが、さすがに言い過ぎたと思ったのか、金貨を数えるのをやめて、こっちに歩いてきた。それから、少し笑って水差しを手に取った。
「まあ、どうでもいいけど、飯食わないか? 喉も渇いてるだろ? …なんか食いたいもんあったらいえよ」
ファルケンが、黙っているのを見て、レックハルドはやや困惑したような顔をした。
「遠慮するなって…。こういうときじゃないと、絶対オレはおごらねえんだし…。今のうちだぞ。今のうち…」
「レック…」
「ほら、早く言えよ。…粥か? なんでも持ってこさせるって言ってるだろう?」
レックハルドはイライラと答えを急かす。と、いうよりは、彼はそうするほか、この状況を脱する道を知らなかった。
「…ありがとう。…じゃあ、それでいいよ」
ファルケンは息をついて、そう言った。
「なんだぁ? 遠慮するなっていっただろ?」
レックハルドは不満そうに言った。
「なあ、なんでもいいからさ。たまにゃ、自己主張してみろ」
「…でも…」
「言ってみろって言ってるだろ? いい加減にしねえと、二度とおごってやらねえぜ?」
普段ならいらないといえば、それで喜んで引き下がる。レックハルドはそういう男だ。そのレックハルドがしつこく食い下がるのは、何とか自分を元気付けようとしているためだ。それはわかっている。
ファルケンは、困ったような顔をしたあと、少し控えめに笑っていった。
「じゃあ、果物が食べたい」
「そうか? じゃあ、女将に言ってもらってきてやるよ」
レックハルドはようやく舟を得たとばかりに安心したような笑みを見せた。それから、右手で少し髪の毛をいじって考えたあと、彼は言った。
「なあ、ファルケン」
ファルケンは首をかしげる。
「…気にするなって言ってる事は気にしないでいいんだよ。オレはどうもしねえんだし、お前が責任を感じる事じゃねえ」
レックハルドは、穏やかに笑った。
「な、オレが心置きなく商売に出るためにもだ。お前にゃとっとと回復してもらわなきゃあ、困るんだよ。昼間マリスさんと二人っきりってのもひたすら癪だしな。だから、お前は早く体治してだな、オレの手伝いをするんだ。いいな?」
ファルケンは、黙ってそれをきいていたが、しばらくして少しうつむいて頷いた。
「わかった…。ありがとう」
「あぁ、いちいち礼言うな。オレは湿っぽいのは嫌いなんだよ。…いいか。もう忘れろ。オレの前でその話題は二度と出すなよ」
「ああ、わかった」
ファルケンが頷いたのを確認し、レックハルドは無理に明るく笑った。
「わかったな? じゃあ、オレはちょっと行ってくる。あぁ、そう! あとでマリスさんに礼いっとけよ!」
駆け出しながら言うレックハルドに、ファルケンは、ああ、と答えた。
「わかった」
「そうか! じゃあ、すぐ戻るからな!」
そういうと、レックハルドは扉を開けて姿を消した。慌しく去る彼を見ながら、ファルケンは大きくため息をついた。
「ごめんよ…。情けないなぁ、オレ……」
あんなことがあったのに、レックハルドが自分をかばってくれて、ファルケンは正直嬉しかった。それと同時に、何だか弱い自分が申し訳ないとも思う。
ただ、今は、気にするなというレックハルドの言葉が、とてもありがたかった。
「ありがとう。…レック…」
もう一度礼をいい、ファルケンは窓の外を眺める。もう、すっかり夜になっていた。