辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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 第十一章:歯車:休息-1

   『生き残りたいと願うなら、
  お前の優しいその心を
  一番最初に殺すがいい… 』
      レックハルド=ハールシャー

                             
 
 タオルを絞ると、桶に落ちる水滴の音が耳につき、レックハルドはふうとため息をつく。
「……オレ何やってんだろな…」
 シレッキの町に逗留して、二日目の朝だった。ベッドの上のファルケンはまだ目を覚ましていない。レナルが言ったとおり、熱まで上がってしまい、時折苦しそうに息を吐いている。 
「…早く目ぇ覚ませとも言い辛ぇなあ。こんな状況じゃ…」
 レックハルドは丁寧に額にタオルを置いてやったあと、どっかり椅子に座った。彼は、疲れたら寝ているので、あまり疲れてはいないがそれでも昼間は商売に出られない。逆に、昼間部屋の中に閉じこもりっきりという環境が、レックハルドにはあわない環境だった。まだ蓄えはあるが、先が読めない以上、路銀の心配もしなくてはならない。
 これで当のファルケンが普通に眠っていれば、腹も立って文句のいいようもあるのだが、熱がかなり上がっていて少し苦しげな相手にそこまではいえない。
「頼むぜ。…早く治ってくれないと…、宿代使い果たしちまう…」
 ソルの話によると、ファルケンは、操られていたときの記憶がないという。レックハルドにとっても、そんなことをファルケンが覚えていない方がいいので、安心だった。
「…いくらオレでも、そこまで言えねえよ。どうせ、こいつは必要以上に気に病むんだから」
 深いため息をついて、レックハルドは椅子にもたれかかった。そのままでレックハルドは天井に向けて手を突き上げて背伸びした。
 なんとなく、調子の出ない朝だった。ファルケンがいつまでこんな状態なのかはわからない。レナルは大した事はないとはいったが、それでもすぐには動けないといっていた。このまま、ずっとこの調子だったら、と考えてレックハルドは首を振る。
(そんな、不景気な事を考えるのはよそう。)
 ため息をもう一度ついて、レックハルドは眠り続けるファルケンを見る。
「…ホント、また馬鹿やって騒いでくれたら気が楽なのに」
 いきなり、ドアがノックされ、レックハルドは我にかえった。
(そういえば、朝飯を宿のの女将に頼んだっけ?)
 もうすでに、太陽が昇ってずいぶんになる。ちょうど空腹なのを思い出し、レックハルドはふらりと立ち上がる。ドアを開けて、レックハルドはいつものようにそっけなくこういう。
「ああ、朝飯はそこにおいといて…」
 言いかけて、レックハルドは、思わず固まった。そこに佇んでいた女性は、宿の女将どころか、忘れるはずのないある女性だったからだ。いつものように巻き毛の髪に、かわいらしく微笑んだその顔。その手には、宿の女将に託されたのか、朝食ののった盆があった。
「マリスさん…」
 呆然としてつぶやいたレックハルドに、マリスは屈託のない笑みを見せる。
「おはようございます。レックハルドさん」
 それからマリスは不安な顔をして、中をうかがった。
「あの、ファルケンさんが、お怪我なさったってさっきダルシュさんとシェイザスさんにきいたんです。それで、宿を探してたら、こちらだというのでお見舞いに。お昼だといらっしゃらないかと思って…」
「あ、ああ。ありがとうございます!」
 慌てて、どうぞ、と案内しながら、レックハルドはぎこちなく微笑んだ。
 マリスは、これは朝食です。と前置いて、お盆を近くのテーブルに置いた。それから、ファルケンのもとへと歩み寄る。
 先ほど置いたばかりのタオルも、もう少しぬるくなっている。レックハルドは、それをとってもう一度絞り直した。レナルからもらった薬を飲ましても、なかなかよくならない。医者も呼んだが、レナルと同じような事を言っていたので、どうにもならない。
「ファルケンさん…」
 マリスは。少し息の荒いファルケンを覗き込み、不安そうにつぶやいた。
「おとついからずっとこのまんまなんですよ」
 レックハルドは、タオルを額に戻してやりながら、少し不安そうに言ったが、急に明るく続ける。
「あ、でも、大した事無いらしいんですけどね。目さえ覚めれば…」
 その目が覚めないのだ。レックハルドは言いながら、やはり語調を落とした。
「…目さえ覚めれば、すぐに元のこいつに戻るんですが……」
「…そうですか…。でも、きっと大丈夫ですよ」
 振り返り、マリスはにっこり微笑んだ。
「ファルケンさんですもの」
「そ、そうですね」
 レックハルドはつられて笑みを返す。マリスは、もう一度微笑み返し、それから思いついたようにじっとレックハルドを見上げた。
 大きな目に見つめられて、少なからずレックハルドのほうは動揺する。
「レックハルドさん、お仕事がおありなんでしょう?」
 マリスは急にそんな事を聞いた。
「あ。まあ。…そうですね」
 レックハルドは、少し首を振った。
「でも、こいつがこんなんで…しばらく商売に出るのは…。目が覚めてればいいんですが、こんな状態で一人でほったらかすわけにも行きませんから…」
 マリスは、意を得たりとばかりにうなずいた。
「でしたら、昼間はあたしがファルケンさんについていますから、レックハルドさんはお商売に出られたらどうですか?」
 意外な申し出に、レックハルドは戸惑う。
「え、でも…」
「あたし、ずーっと暇ですし、レックハルドさんもお疲れだと思うし」
 そうならば、本来は願ったり叶ったりだった。しかし、マリスに迷惑をかけるのは、少し気が引けたのだ。
「…し、しかし、ですよ」
「大丈夫ですよ。あたしもレックハルドさんのお役に立ちたいわ」
 その言葉とマリスの笑みが、レックハルドの頬を上気させた。ぱっと明るくなる自分の顔を隠すように、レックハルドは慌てて笑った。
「そ、そうですか! じゃあ、お、お頼みしてもいいでしょうか?」
「はい。任せてください」
 マリスの純粋な笑みが見られるだけで、レックハルドはそれこそ天に昇るほど嬉しかったのだが、当の本人はそんな事を気づかず、ただ笑っているばかりである。
(あぁ、いい人だなあ。マリスさん…。天使ってのはこういうのをいうんだなあ。)
 わけのわからない事を思いながら、レックハルドは、どうしたんですか? とマリスに訊かれて、ようやく姿勢を正すのだった。


 洞窟の中、サライは珍しく今日は昼前からここにいる。しとしとと、水滴が落ちてきては、ある一定のリズムを刻んでいる。ギレスは、相変わらず正体を見せず、サライは洞窟の少し奥で何か本を読んでいた。
 彼がここに来るという事は、何かを話に来たという事だ。
『今日は何用だ?』
 ギレスは、とうとう訊いた。
『私に何の用がある?』
 訊かれて、サライはくすくすと笑い出した。
「なぁに、大した用でもない。ただ、少し思い出話をしたくてな」
 サライはそういうと、面白そうに口をゆがめる。
「ギレス。…レックハルド=ハールシャーという男を覚えているか?」
 サライが言うと、ギレスは途端、おどおどし始めた。
『よ、よ、止せ! ハ、ハールシャーのことを思い出すと、私は震えが…』
 ギレスの怯えた声が、洞窟の中に反響した。それを面白そうに見ながら、サライはからかった。
「何をそんなに怯えておる。相手は所詮は人間。お前の敵ではあるまい?」
『あ、あいつは特別だ。私を売ろうとしたのだぞ! この私をだ! 太古の昔より、神になぞらえられるほど敬われていたこの私をだぞ!』
「お前がいい商品にみえたのだろう?」
 サライは、平然としながら言った。
『いい商品に見えたなら二束三文で売るなどと言わぬだろう! あぁぁ、あれは鬼だ! 悪魔だ! 人の皮を被った悪魔だ!』
「すさまじい言われようだな。まるでこの本のようだ」
 サライはにやりとして、読んでいる本をかざした。興味をもったのか、ギレスが頭をもたげる気配がする。
『なんだ。その本は?』
「ザナファルとカルナマクの伝説をまとめたものだ」
 なんだ、とばかりにギレスは興味をなくす。
『馬鹿馬鹿しい。そのようなデタラメを述べた本など。』
「そう断定するのはまだ早い。…確かにデタラメは述べているが、断片的には彼らの真実を告げていることがあるのだよ。たとえ、人為的に曲げられた伝説でもな」
 サライはそういうと、本を広げた。
「読んでやろうか? なかなか興味深いぞ」
『ふむ、そうだな…。では聞くだけきこう。』
 ギレスも少し興味が出たらしい。サライは、開いているページを朗々と読み始めた。


「『剣を持ち、カルナマクはザナファルと共に、宮殿の奥へと進む。
 飛び掛る兵士を斬り倒し、また邪悪なる者をはね除けて…
 やがて、彼らは宮殿の奥へとたどり着く。
 そこには、諸悪の根源たる彼の宰相が立っていた。
 玉座の前で勇者達と宰相は対峙した。
 王を操り、国を乱した男は、武器も持たずに彼らを見下ろしていた。
 時の宰相レックハルド=ハールシャーはいきまくカルナマクに言った。
「お前はまだ若い。この世の事を知らぬ。一体われわれは何のために戦うというのだ?」
 カルナマクは叫んだ。
 「貴様がこの国を乱したからだ」
 「それは違う」
 静かにハールシャーは答えた。
 「私が乱したのではない。…勝手にこの国が乱れたのだ。
  まさか汝は私を成敗しにきたというのではあるまいな、若き王よ。
  汝が正義だというものは、本当に正義なのか、私にすべての原因をかぶせるのか?
  果たして私が悪だというのか? その理由を述べてみよ」
 続けて彼は問うた。
 「果たして汝は何のために戦っているのか。もう一度私に言ってみるがいい」
 カルナマクの動揺を見抜いたように、ハールシャーは静かに笑った。
 「薄っぺらな正義などの為などとは言わさぬぞ」』」 
 
 
 サライが読み終えると、ギレスは「ほう」とつぶやいた。
『台詞だけはそのままハールシャーだな。悪辣なところなど実に見事に再現しておる。』
「急に威勢がよくなったな」
 サライはくすくすと笑い、頬杖をついた。
「あの男なら言いかねないことではある」
『大体、奴は悪の親玉が似合う男だからな。だが、カルナマクの小僧とザナファルはイメージが違いすぎる。』
 本人がいないせいか、ギレスはここぞとばかりにそういった。
「だろうな。カルナマクはもっと穏やかでかわいらしい坊ちゃんだったし、逆にザナファルのほうが無理をしていたな。ハールシャーが一番近いかもしれん」
 ギレスは、興味深げに訊いた。
『その伝説では、その後どうなるのだ? たしか、歴史書ではハールシャーは自殺。巷の噂では、カルナマクの部下に殺された、となっていたな。』
「カルナマクに殺される。と、なってはいるな」
 サライはからく笑んだ。そして、続けて、ページをめくると、別の箇所を読み始める。


「『彼の宰相は、突きつけられた剣の冷たさに冷笑しながら言った。
 「若き王、カルナマクよ。
  お前はどうにも優しすぎるらしい。
  気をつけるがよい。お前の優しさは命取りになるだろう。
  私を殺す前に、お前は肝心なものを殺していない」
  彼の宰相は冷酷に微笑んだ。
  「生き残りたいと願うなら、
   お前の優しいその心を一番最初に殺すがいい」』」


 サライは本を閉じた。
「果たしてこれは、カルナマクに向けられた言葉だったかな?」
『意地の悪い事を…。監視人よ、貴様、あの時カルナマクの客分だっただろう? ならば、貴様はすべてを知っていたはずだ。カルナマクがハールシャーを殺せるような人格ではない事も。ハールシャーがどうなったのかも。』
 ギレスは、静かに言った。
「すべてではない」
 サライは目を伏せる。
「だが、優しすぎたのは、カルナマクというよりはザナファルであり、本当は…もしかしたら、ハールシャー本人だったのかもしれない」
 サライは目を上げ、苦笑した。
「ハールシャーという男、時々とんでもなく馬鹿な事をしでかす。しかも、それが自分に不利であるとわかっていても。頭の切れる男なのだがな。わかっていてもやらずにいられんのだろう。そういうところが私は憎めなくて、嫌いになれなんだよ」
『自分を陥れた男がこんな事を言っているのがわかるとハールシャーは怒るだろうな。』
 忍び笑いをもらしているサライにギレスはあきれたようにため息をついた。
『そもそも、あの男が失脚したのは、貴様があの男の策を見破って論破したからだろう。貴様がいなければ、あのままハールシャーはカルナマクを口先で丸め込んでいたはずだ。若造いじめも大概にしろ。』
「そういうこともあったかな」
 サライは、岩にもたせかけていた背を離す。
『その後、あの男がどうなったかを思えば、ハールシャーは貴様を怨んでいるとみてよいのではないのか?』
「ふふ、それはどうだろうな? あの男は、そう執念深いほうではなかったようだが? それに…だ」
 サライはちらりとギレスのほうを見た。
「蛇の王よ、貴様は、生まれ変わりを信じるか?」





ずっと走っていた。誰かを追っている。狩りの時のように、彼は何かを追っている。
 ――やめろ!
 ファルケンは叫んでいた。
 レックハルドとソルが、怯えながら逃げているのがわかる。
 そして、それを追っていたのが自分である事も……。
 ――やめてくれ!
 だが、自分ではどうにもならない。体を包む司祭 ( スーシャー ) の魔力が、自分を突き動かしている。
 ――レックは関係ない! 聞いてるんだろ! やめてくれ!
 司祭は耳を貸さない。そのまま、剣を振り上げる。
 レックハルドの怯えた顔が、目に飛び込んできた。


「わぁあああああ!」
 絶叫と共に、いきなりファルケンが起き上がったので、マリスはびっくりして読んでいた本を取り落とした。
「ファ、ファルケンさん。どうしたの?」
「レック、レックは?」
 慌てたようにマリスの服をつかんで、ファルケンは急き込んで訊いた。
「レックは…、大丈夫なのか?」
 マリスは怪訝そうに首を傾げたが、すぐににっこりと笑った。
「大丈夫ですよ。レックハルドさんは、今、お仕事に出られてます。夕方には帰ってくるっていってましたよ」
「仕事…?」
 聞き返し、ファルケンは意味がわかったのか、熱いため息をつき、マリスから手を離す。
「…そっか…。よかった…。誰か…オレを止めてくれたんだ…。よかった…」
 そういうと、ふっとファルケンは目を閉じ、そのままばたりとベッドに倒れこむ。
「ファルケンさん?」
 マリスが声をかけるが、ファルケンは目を閉じたまま、また眠りについてしまったらしく、答えを返さなかった。
「ファルケンさん…」
 マリスは、不安げに彼を見た。だが、顔色が少しよいらしいことを見て取り、マリスは安堵のため息をつく。
「でも、目を覚ましたという事は、きっとよくなるに違いないわ。…よかった」
 そういうと、マリスは毛布をかけなおした。
「…レックハルドさんも、きっと、喜ぶわね。よかった」
 マリスはそういうと、窓を開けた。新鮮な空気が入り、光が差す。
「早く帰ってこないかしら。レックハルドさん」
 外を眺めながら、マリスは今、どこかで店を広げているだろうレックハルドの事を考えた。
「いますぐ教えてあげたいけれど、どこにいるかわからないわね」
 少なくとも、この事を報告すれば、彼は安心して仕事ができるだろうに。とマリスは思った。





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©akihiko wataragi