辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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 第十章:風裂きのシャザーン-7

 間一髪、敵の来襲をかわし、レックハルドは炎と炎の間に身を潜める。頭上では蛇のような体に、でたらめに爪の生えた腕が生えた炎の妖魔が、見失った獲物を惜しむようにまだ探している。
「くそあっついな! 何でオレばかりこんな目に! 何のとばっちりだ、こん畜生!」
 レックハルドは吐き捨て、ちらりと周りを見る。そろそろ、逃げ出さないとここも危ない感じである。
「…ちくしょー、ファルケンの奴、絶対あとで責任取らしてやっからな! 覚えてやがれ!」
 とりあえず恨み言を吐き捨てると、突然冷静になるのがレックハルドの長所である。周りを見回し、更に燃える炎を見上げる。
(ちんたらしてると逃げ道がなくなるな、こりゃ。)
 レックハルドは起き上がり、見つからないように姿勢を低くしたまま、そこを駆ける。妖魔らしい影は上のほうで彼を探しているようだった。
(へっ! 違う場所を永遠に探してやがれ!)
 レックハルドは、心の中で吐き捨てると、見つからないように気をつけながら燃えていない木の後ろまでたどり着いた。そこでとりあえず、木の幹に身をもたれさせてため息をついた。
 疲れた。
 とにかく、疲れ果てた。だが、まだ休む事は許されない。
「冗ッ談じゃあねえ」
 レックハルドは小声でつぶやいて、目を薄く開いた。
「…ホント、…オレってついてねえな」
 そういったとき、遠くから炎の音にまじって、何かの声が聞こえた。妖魔の声ではない。だが、あのロゥレンのような高い女の子の声でもない。それよりは低いが、誰かを必死で探しているといったような男の声だ。
 レックハルドは、少しだけ幹から身を乗り出した。
「レックハルドーー! どこだ!」
 続けて、今度ははっきり聞こえた。叫び声に近い必死の様相を表す声だった。
「どこにいるんだ!? 返事してくれ! どこにいるんだ!!」
「ファル…じゃねえな…イェームか?」
 最初、ファルケンと聞き間違えたが、レックハルドは名の呼び方でそれがイェームだと気づいた。ここで声を立てるのは危険だが、発見されないほうが危険だ。レックハルドは、すばやく声をあげた。
「オレはここだ! はっきりいってやばいから、とっとと助けてくれ!」
「わかった! そこだな!」
 イェームの安心したような声とともに、レックハルドのもたれかかっていた木が、みし、と音を立てた。
 嫌な予感がし、レックハルドはそうっと身を幹から離し、後ろを見る。こちらをのぞきこんでいた妖魔のどす黒い目と、ちょうど目が合った。
「は、反応がはやすぎるだろ! てめえ!」
 レックハルドは叫びざま、慌てて身をそらした。妖魔の大きな口が、木の幹をえぐるのが見える。ホントに冗談じゃない。レックハルドは、とっさに叫んだ。
「イェーム! とっとと助けろ! オレを見殺しにする気か!!」
 向こうで金属の打ち合う音と同時に少し情けない声が上がった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! オレも、ちょっとからまれてるんだよ…! わっと!!」
「なんだと〜〜?」
 レックハルドは、ひくっと頬を引きつらせた。
「ど、どういう意味だ!」
 叫びながら、突っ込んでくる妖魔の攻撃を避ける。短い上着の端が妖魔の爪に引っかかって、少しだけ鉤裂き状に裂ける。跳びあがった拍子に、炎の壁の向こうでイェームらしき人影が、半透明に見える妙な化け物と戦っているのが見えた。
(こんなときに絡まれやがって! 役立たずが!)
 レックハルドがそう思ったとき、更にどうしようもない一言がイェームのほうから発せられた。
「あー、もうしばらく自力で逃げてくれ!」
「こんの大馬鹿! 無理だから無理っていってるんだ!」
 後ろからは妖魔が迫ってくる。レックハルドはとびずさりざま、腰につけていた道具入れの中から、短剣を三本抜き取ると、目に――妖魔の目がどこだかよくわからないのだが、とにかく目らしいものに――向けて力一杯投げつける。
(果たして実体の半分無いような奴にこんな攻撃きくのか?)
 レックハルドは不安だったが、見えているということは今は実体があるということであり、おまけにこちらに攻撃を仕掛けてくるということは、こちらも触れることが可能だったようだ。レックハルドが投げつけた短剣は、それぞれ時間的にわずかにずれながら三本とも、黒い目のような場所に突き刺さった。金属をすりおろすような、嫌な甲高い音とともに、そこから黒い煙のようなものが立ち上る。
 それが妖魔の悲鳴だと気づくには、少し時間がかかった。レックハルドはその様子にぞっとして身を引いた。怒りの様相を全身で表して、妖魔は彼に向けて何か声を発した。
「この野郎…」
 恐怖心に支配されていたレックハルドだったが、逆に威嚇された事で相手に対する闘争心に火がついたようだった。全身の血が沸騰するような感覚がして、一度ひいていた熱い血潮が、顔に一斉に戻ってきたようだった。
「なめてんじゃねえぜ! この化け物野郎が!」
 なんとも言いようの無い絶叫をあげて飛び掛ってくる妖魔に向けて、もう一度道具袋に手を入れたレックハルドは、容赦なくつかみ出した短剣をたたきつけた。相手の爪がひっかかって、重ね着していた一番上の刺繍の入った上着が半分裂かれる。普段ならそれだけで、震え上がるところだが、高揚していたレックハルドはそのことにすら気づかない。
 自分の身を守るための防御本能なのか、それとも、この炎に狂気を駆り立てられたのか。レックハルドは自分でもわからないまま、相手と戦い始めていた。
「いい加減に消えろ! うんざりするんだよ!!」
 短剣を投げるが、相手もさるものである。今度は避けて、短剣は後ろの木の幹に突き刺さる。鞭のようにしなりながら伸びてくる爪を的確に避ける。。
 更に横のほうに避けて走りながら、レックハルドはその背後にいるものを見つけにやりとした。
 ふっと、足元に妖魔の手が伸びてくる。レックハルドは、舌打ちしてそのまま前にすべりこだ。熱い地面から素早く身を起こし、攻撃の第二弾をかわす。だが、そこまでだ。彼の後ろには、大きな木がいくつも立っていて逃げ場をふさいでいる。
 妖魔は、にやりとしたらしい。吐き気がするほど醜悪だとレックハルドは思ったが、彼の口元には、わずかに笑みが残っていた。
「…それで勝ったつもりか? えぇ? 蛇野郎」
 追い詰めた獲物を苦しめて遊ぼうとするもののように、妖魔はじりじりとレックハルドに迫ってくる。レックハルドは、もう逃げるそぶりを見せない。ただ、薄く笑っているだけだ。
「…気をつけろよ。なんだか、…単純すぎやしねえかい? 罠があるかもしれないぜ?」
 妖魔に意味は通じていないかもしれない。レックハルドは、小気味よくそれを眺めた。妖魔は、ただ自分の勝利を信じて疑わないようだった。そのまま、止めを刺そうとわざとゆっくりと爪を振り上げる。その瞬間、笑いを消して、レックハルドは叫んだ。
「後ろを見ろ!! オレの勝ちだ!」
 言葉がわかったのかどうかはわからない。だが、妖魔は確かに後ろを見た。そこには刀を振りかぶったイェームが佇んでいたのだ。妖魔は防御の体制を見せたが、すでに遅い。
「でやあああ!!」
 イェームは気合の声とともに、刀を前に払った。赤い光を受けた刃が、冷たい弧を描く。
一喝とともに、炎と妖魔の胴体が彼の一閃によって同時に切り離された。それが地面に落ちたのを確認もせず、イェームは、刀を下に下ろすと、そのままレックハルドに駆け寄った。背後で、妖魔の姿が消え、黒い霧が広がる。
 レックハルドは、大きく安堵のため息をついて、疲れ果てたような苦笑を浮かべた。
「はは、…正直言って助かった。礼をいわなきゃならねえようだな」
「思ったより、戦えるんだな。ちょっと見直した」
 イェームは、なにかデ・ジャヴを起こさせるような、以前に見たことのある尊敬のまなざしを彼に向けた。
「…案外やってみるとやれるもんだな」
 レックハルドは、驚き半分で苦笑した。今まで逃げ惑うことしかできなかった自分が、ああいったことをやれるとは思っていなかった。
「追い詰められると、わかんねえもんだな。人間って……」
 どこか他人事のようにつぶやいた。
「あ、これ、あんたのだろ」
 イェームは途中で拾ってきたらしいコートをレックハルドに示しながら言った。
「ああ、すまねえな。…そういえば…」
 長いコートを受け取り羽織ったあと、レックハルドは思い出したように聞いた。
「あ、ロゥレンは。その辺に妖精がいただろ?あの子は?」
 思い出してレックハルドは、立ち上がりながら矢継ぎ早にきいた。イェームが布の後ろで笑ったのがわかる。
「大丈夫。先に避難させといた」
「そうか。じゃ、よかったよ」
 レックハルドはそういうと、額の汗をぬぐった。
「あんのお転婆馬鹿妖精は、どうも無茶するからなあ」
 レックハルドはほっと安堵のため息をついて、前を向く。
「あんたがいなくなってたんで、ちょっと焦ったぜ」
 イェームは困ったような顔をした。
「…あいつを助けてくれたのはありがたかったんだけどな」
「悪いな。待ってると見失うと思ったんだぜ」
「危ないから、ほんとに気をつけてくれな。どうやら、あいつらは、あんたを消したがってるみたいだから」
 イェームが心底心配そうな声で言った。初対面のイェームが、ここまで自分を心配してくれるのは、普段のレックハルドなら訝しがるところであるが、イェームも狼人である。狼人の性質を知っているレックハルドは、特に疑問に思わなかった。狼人というのは、レナルもそうだったように、初対面でも気に入った者に対しては旧来の友人のように接するようだ。だから、特別おかしくおもわなかった。
「ああ、すまん。…これから気をつけ…」
 ふと顔を上げたレックハルドは、イェームの肩越しに見える後ろの風景に違和感を覚えた。炎のせいで揺らいで見える空間だが、何か影のようなものが見えた。それが、空間の揺らぎとは違うリズムで揺らいでいるのがわかったのだ。なぜか、鳥肌が立つような気持ち悪さをそれに感じる。レックハルドの中の危険を感知する部分が、それに警鐘を鳴らした。
「後ろだ!」
 レックハルドは叫びざま、帯に挟んでいた短剣を抜き、投げつけた。
 イェームの左頬の傍を通って、それは彼の背後に飛んだ。ぎゃああっという、悲鳴のようなすさまじい声が聞こえ、イェームは振り返った。レックハルドの投げた装飾品のついた柄の短剣が妖魔の体に突き刺さっていた。
妖魔 ( ヤールンマール ) !!」
 暴れる妖魔がさらに彼に、鋭い爪のついた手を振り下ろそうとしている。イェームは、振り返りざまに抜いていた剣を握ったまま、反射的に妖魔の左側に回った。振り下ろされる爪をかわし、そのまま刃を妖魔にたたきつけた。
 一瞬にして妖魔が細かい黒い粉にかわるのが、レックハルドの目にもはっきりとみえた。ぼろぼろになった粉は、やがて形をとどめる事ができず、そのまま崩れてゆく。
 イェームは、それを見届けると、刃を抜いた。ざあっと音が鳴り、粉の塊はそのまま足元に散った。その塵もやがてぐずぐずと消えてゆく。
 ふーっとため息をつき、炎の中であるせいか、それとも冷や汗だったのか、かいていた汗をぬぐうように、彼は額に手をやった。それから、レックハルドのほうをむき、どうやら少し微笑んだらしかった。
「ありがとう。助かったよ」
「案外、油断してるんだな」
 レックハルドはあきれた口調でいいながら、傍まで近寄ると妖魔が崩れたことで、同じく地面に落ちた短剣を拾い上げて帯の鞘に差した。
 ふとみると、ちょうど黒い粉の真ん中に、何か光るものがある。レックハルドは怪訝な顔をした。
「…それは、…妖魔の核の残骸だ」
 上からイェームの声がする。レックハルドは振り返る。覆面をつけたイェームの碧の目が、炎のせいで真っ赤に染まって見えた。
「…妖魔ってのは邪気の塊。それをやっつけるのは、『殺す』ことじゃない。汚れたまま残ってしまった思念がごっちゃごちゃに固まったやつを、もう一度分解して、それから祓ってやらなきゃ、永遠にいたちごっこが続くんだって言うぜ」
 核の残骸だ、とイェームが言うその光の玉は、やがて細やかな光の粒子に変わった。それが、徐々に分解しながら上に上り、一つ一つ消えていく。
「それぞれ、一つ一つは小さいが、ああやって集まると、強いエネルギーになっちまうだろ。残留思念ってやつをうまく昇華させてやれば、もう一度集まる事は無いんだっていうぜ」
「なるほど、浄化って奴か? なんていうか、つまりはその悪い部分を消し去ればいいわけだよな」
 レックハルドが、見上げたときには、光の粒は一つも見えなくなっていた。アレが、昔、人間やなんかの感情だったかと思うと、何となくぞっとするような気がした。自分の憎しみや怒りも、いずれ、ああいった化け物に変わってしまうことがあるのだろうか。
「さあ、そろそろここから脱出しないと…」
 イェームが急かす声で、レックハルドはハッと我に帰った。
「あ、ああ、そうだったな。…すまねえ」
「いや、じゃあ、オレについてきてくれ」
 イェームは、速度を少し落として走り始めた。ちょうど炎と炎の間を縫うように走るイェームについていくのは、普通の人間にとっては少しきついものがあるが、この状態でかなり火に対する恐怖心が麻痺して消えているレックハルドにとっては、そんなに問題はなかった。火の粉が飛んできた程度では、彼は別に恐怖を覚えなくなってきていた。
「…さっき、本当にありがとな」
 イェームは、振り返りながら言った。
「ちょっと油断してたんだ。あんたがアレ投げてくれなきゃ、オレもちょっと危なかったんだ。…ありがとう」
 何度も礼を言われて、少しばつが悪くなったレックハルドは、ぶっきらぼうに答える。
「べ、別に。…ぼけっとして、助けてもらえなくなったらまずいだろ? 余計な気遣いは無用だぜ。オレはオレの為にやってるんだから」
「ああ、そうだよな」
 そういいながら、イェームは少し笑ったらしかった。それから、ぽつりともらす
「……その台詞がきけて、何だかオレは安心したよ」
「な、何だ? 何って言った?」
 炎の音にかき消されたらしく、レックハルドはその言葉を聞き取れない。イェームは、首を振った。
「いいや、なんでもないんだ」
「…そ、そうか…」
 レックハルドは答えながら、何となく不思議そうな顔をしてイェームの背を見た。
(なんだ、こいつ…。)
 レックハルドは、不意に疑問がとけたような気がした。ずっと誰かに似てるとは思っていた。てんで思い出せなかったのだが、後姿を見てはっきりとわかった。
(…やっぱり、…声だけじゃなく、体格までファルケンに似てるじゃねえか。)
 おそらく、最初、ファルケンと一緒にいたから気づかなかったのだろう。こうして個別でみると、はっきりとわかった。後ろから見た背格好は、いつも見慣れたあれとよく似ていた。
「このまま、走ればすぐに抜けられるはずだ」
(そう、この声だ。)
 レックハルドは、思った。
(抑えちゃいるが…あいつと同じような声質だな。)
 ファルケンの声は特別クセのあるような声ではない。だが、この男は、少ししゃべり方も似ているようである。
(身内? いや、狼人には身内は…)
 レックハルドは、イェームのあとを追いながら考える。
(それとも…、同じマザーから生まれる狼人には、似たような奴が多いのか?)
 そうかもしれない。と、レックハルドは思う。レナルやロゥレンなどは別として、他の狼人も妖精も、顔や声の似通ったものが多い。体格にいたってはファルケンぐらい者が圧倒的に多いのだ。彼が、自分の背丈が「標準」だといったのもそこからなのだろう。
 もしかしたらそうなのかもしれない。彼らには、似たものが多いのかもしれない。
「どうしたんだ?」
 イェームの心配そうな声が聞こえ、レックハルドは顔をあげた。
「ボーっとしてると、危ないぜ。それとも、どこか怪我でもしてるのか?」
「あぁ、大丈夫だ。なんでもない」
 答えると、イェームはほっとしたようだった。
「そうか、…じゃあ、このまま早く抜けてしまおう」
「ああ」
 レックハルドは答え、そういえばファルケンは、そろそろ目が覚めただろうか、と思った。スーシャーとやらの魔術も解けたはずだし、目が覚めていたら、ストレス解消に恨み言をつらつら述べてやってもいい。
(…あいつが、オレの恨み言に付き合えるぐらい回復してればいいんだが…)
 ふと心配になり、レックハルドは暗い気持ちになった。せめて、無事だけでも確認したいと思った。





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©akihiko wataragi