辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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 第十章:風裂きのシャザーン-6

 部下からの報告を聞き、レナル=ロン=タナリーは思わず持っていたたらいを取り落とすほど驚いた。
「なに! センティーカのグループが人間を襲ってるって!」
 本来は繊細なつくりの顔を、彼はわずかにしかめる。前には、乾いた青い花を頭に挿したベニシッドが立っている。
「どういうことだ。詳しく話せ!」
「オレ、さっきあちらこちらに走り回ってたんですが」
 ベニシッドは、やや自分を落ち着かせながら話した。
「センティーカとそのチューレーンの連中が、人間を襲ってたんですよ。それで怪しいと思ったから、オレ…センティーカの根城にこっそり忍び込んだんですが」
 ベニシッドは、少し話しづらそうにした。
「そこには、あいつらの食事が置かれたまんまで、まるで食べた直後にいなくなったみたいな状態だったんです。でも、なんかヘンな匂いがすると思って、オレ、ちょっと。そしたら…」
 レナルが、ぴくと眉を動かした。
「ザメデュケ草だな! 食事に混ぜてあったのか!」
「はいそうです」
 ベニシッドは、悄然と頷いた。レナルは、少し歯噛みした。それだけ聞けば、長としては冷静なレナルには、すべての予想がついた。
「……司祭 ( スーシャー ) だな! ザメデュケ草は、戦のときに噛むもんだ。センティーカみたいなのんきな奴が、あんなもんを噛むわけがない。ましてや、火柱がたって集団 ( チューレーン ) が混乱してたんだから、リャンティールが周りを混乱させるわけがないからな!」
司祭 ( スーシャー ) が? …でも、リャンティール、どうして司祭 ( スーシャー ) が、そんなこと」
 ベニシッドの横にいた、木の実のペンダントをつけた狼人が不思議そうに訊いて来た。レナルはいらだったように吐き捨てた。
「人間を排除するためだろ。辺境が不安定になっている時、司祭 ( スーシャー ) の連中がこぞって口にするのは、『人を辺境に入れるな』『火を使うな』だろ。辺境がここまで荒れてきてるんだ。そもそも、食事にザメデュケ草を加えるなんて、同族じゃなきゃできねえぜ」
 ふと、レナルはベニシッドを見た。少々感情的に話したが、よく考えれば、証拠はない。
「ちょっと調べたほうがいいな。直接司祭に聞いたところで相手にしちゃくれないだろうから、ベニシッド、近衛 ( チィーレ ) のラディッセスにちょっと情報くれるように頼んできてくれないか」
「チィーレの?」
 辺境に住まうものには、三つの階級がある。精霊と直接接し、話を聞く「司祭 ( スーシャー ) 」。そして、最下階級で有事の際には、真っ先に戦いに出る辺境の外郭を守る「 兵隊 ( ビーティア ) 」。その中間に位置するのが、辺境の奥側を守る戦士である「 近衛 ( チィーレ ) 」である。これら三つの階級は、生れ落ちた時の才能や魔力の強さなどで割り振られるが、成長の度合いや年齢によって変更される事が多々ある。
 すべてから十二人だけ選出される司祭 ( スーシャー ) はともかく、生まれつき近衛 ( チィーレ ) に割り振られたものの他、兵隊 ( ビーティア ) 階級のものが一人前になって力をつけて、そのまま出世している事もある。そのため、個人差やグループに差はあるものの、基本的には兵隊 ( ビーティア ) 階級の彼らと意識の上では、著しい差はない。そのために、比較的とっつきやすく、しかも司祭 ( スーシャー ) に近い分、兵隊 ( ビーティア ) 階級の彼らよりは、内部の事情にも詳しい。
「ラディッセスは、オレのちょっとした知り合いだから、オレの名前を出せば協力してくれるぜ。場所は、ここから北東にいったとこだ。ある程度いくと、向こうから接触してくるだろうぜ」
「ラディッセスですね。いってきます!」
 ベニシッドは、たっと地面を蹴った。レナルは、それを見送り、再び作業に戻る。妖精は魔法を狼人よりうまく使える。それを使って火柱に水をぶつけるという手があるのだが、そのためには水をなるべく火柱の近くに持っていかないといけない。そうして、彼らは、バケツリレー方式で、水を火柱の近くの池に集めているのである。
「…しかし、人間が襲われてるって…」
 レナルは、少し表情を暗くする。横にいる狼人が、怪訝そうに覗き込んできた。
「どうしたんだい? リャンティール」
「…いや、レックハルドが目をつけられてねえかなって心配してな…。ファルケンとも連絡がとれねえし…」
 レナルは心配そうに目を細めた。
「…なにも起こってなきゃいいんだが…」
 無事でいてくれよ。と、小さくつぶやき、レナルは声をはげました。
「お前達! すぐに水を集めろ! 火事は広がってきているぞ!」
 なるべく早く、あの火柱の近くにいかなくては……。レナルは、焦る心をなるべく鎮めようと必死だった。
 
 
 光が飛び込んできて、しばらく彼の思考は停止していた。全身を光の矢に射られたような感覚があったが、その痛みも今はもうない。ただ、空中を漂っているような感覚が下だけだ。

 しろい光の中に、不意に映像が、目の前に広がった。それは対照的に暗い映像だった。石畳の引かれた地下の廊下といったところである。ちょうど彼は数人の部下をひきつれて、その廊下を歩いていた。

 石畳の床は音がよく響く。目の前の兵士が、彼の姿を見ると、深くお辞儀をして引き下がる。大きな刀を背負ったまま、彼は地下牢への扉の前に立つ。兵士の一人が、お待ちください、といいながらこういった。
「リャンティール、お気をつけを。なにしろ、奴はとんでもなく口がうまいですからな」
 兵士は困った顔で言った。
「うっかり、うちの部下が二人、昨日、奴に買収されそうになりまして…。危ないところでした」
「ああ、気をつけるよ。ありがとう」
 彼はそう返して、そのまま地下牢へと足を進める。どうやら、新しい捕虜はとんでもない曲者のようだ。
 リャンティール…狼人の長を意味する言葉で呼ばれる彼は、この都市で知らぬもののいない戦士である。激しい戦闘で知られ、あるものは英雄といい、あるものは恐ろしい怪物だという。彼自身は、そんな評価などどうでもよかった。
 牢屋の中には、一人の男がいた。彼は、視線を送って、後ろの部下を追い返してから、牢屋の中に入った。
 鉄格子の向こうで、男は思ったよりもゆったりと座っていたが、彼が入ってくるのがわかると、目だけをそちらに向けた。それから、にやりと皮肉っぽく笑う。黒い服が、ゆらりと揺れた。
「へぇ、あんたが死刑執行人かい?」
 細い目が皮肉っぽくこちらを見ている。彼は、首を振り、そうじゃない、と答えた。
 少なくとも、聞いていた宰相の印象とは違う感じがした。聞いているほど、悪辣なイメージはない。ひょろりと痩せていて、立てひざを立てたまま座っている。その態度は、大胆不敵で、どちらかというと親しみすら持てる印象である。
 彼が戸惑っている様子を見て、男は、ふいっと顔を前に向けた。彼が「リャンティール」と呼ばれているものだということは、男は気づいていないらしい。部下が一緒だった場所は、男からは見えない位置にあるし、彼はかなり若いので、そんな重要な役職についている様にはみられなかったのだろう。
「へぇ、それじゃ、オレの様子を見て来いとでも命令されたのか? やっぱり、看守を金で丸め込んで逃がしてもらおうだなんていうのは、ちと軽率な行動だったかな〜。…まぁいい。昨日の飯は最悪だったぜ。今度は、もう少しうまいものがほしいな」
 彼は少し面食らった。生殺与奪をすべて握られているのに、こんな態度でどうしていられるのだろうか。
「め、…飯がまずいのか?」
 聞き返すと男はいらだったようにこちらをむいた。
「なんだ、聞こえなかったのか? 三下! 飯がまずいっていったんだよ! オレは、大事な捕虜なんだろ! もし、何かあったときに人質にするために、今のうちに厚遇しとけよ! 損はないはずだけどな!」
 三下呼ばわりをされて、彼は再び驚いた。宰相ときいていたのに、目の前の男は想像以上に口が悪い。だが、彼は、食事が悪いという男の言葉を聞いて不意に考え直した。
 確かに、食事が悪いとしたら、これは問題である。彼は常々、「カルナマク」に捕虜は大切にするように言ってきたのだから。それに、この男はいつ殺されてもおかしくない立場だ。その前の食事ぐらいおいしいものを食べさせてやっても、罰は当たらないだろう。
「わ、わかった。あんたの言うとおり、オレが上に言っておくよ。それだったら、文句はないよな?」
 彼が優しくそういうと、男はにやりと笑い、それから突然笑い出した。それがあんまりあからさまな大笑いなので、彼は三度驚いた。この捕虜は、今までの王国からの使者とあまりにも違いすぎる。今までは、つかまったらもっと悄然としていたものだった。目の前にいる男の、悲壮感のなさは少々問題である。だが、男はそんな彼の思惑などどうでもいいというように、げたげたと笑い続けた。
「はははははっ! まーさか、間に受けるとはなあ! お前みたいな三下に、そんな権限あるのか!? おい、何、間抜け面してるんだ!?」
 間抜け面と言われて、彼はどきりとして慌てて表情を引き締めた。いつもは、リャンティールとして振舞っているが、本来、彼はどちらかというと穏やかなほうである。その素が出てしまうのは、どうしようもないことであった。
 男はようやく笑いを納め、ちらりと彼を見た。射るような目つきだが、その中には多少の親しみが込められている。どうやら、好印象は持ってくれたようである。
「まぁいい、気に入ったぜ。オレは用済みになるまで、しばらくここにいることになるしな、暇だったら仕事サボって時々しゃべりに来いよ。どうせ、オレの様子を定期的に見にくるよう言われてんだろ? 兵士がオレの口車に乗って寝返らないようにさ。任務ついででちょうどいいぜ?」
 捕虜にしゃべりに来いといわれたのは初めてだ。彼は苦笑したが、何となくこの男を憎む気にはなれなかった。無下に断るのが、悪いようで、彼は困ったように笑った。
「そうだな、じゃあ、時々…」
 彼は曖昧に答えると、男は面白そうに笑った。
「いい暇つぶしができそうだ。ありがとよ…。にしても、あんたちょっと、いい奴過ぎるな。…騙されないように、周りに注意しなよ」
 きょとん、として、彼は再び、男を見た。今のは、彼への忠告だろうか。
「さぁ、もう戻ったほうがいいんじゃねえの。…上役にしかられると辛いぜ?」
 男は、親切なのか、そういいながらあくびをした。足を組んだまま、そのまま両手を頭の後ろに持って行き、そのまま昼寝でもしそうな雰囲気である。
(これが、レックハルド=ハールシャー?)
 聞いている話と余りにも違う。
 彼は、鉄格子の向こうで警戒心もなくうとうととし始めた男をもう一度眺めていた。

 視界が大きく歪み、突然目の前が再びしろくなる。何か、真夏の太陽のような、日差しがまっすぐに降りてくるが、それは不思議と翳っている。
 ――日蝕?
 気がつくと、牢屋も男も何もない事がわかった。視界がぐるりと回り、落ち込むようにして、それが急に目に入る。
 部分食だ。彼が見上げた場所からは、ちょうど虫が食ったように太陽の下半分がわずかに欠けている。見慣れたせいか、ファルケンはそれを不気味とは思わなかった。ただ、妙な違和感を感じただけだった。
(夢だったのか?さっきのは。)
 夢というより、映像のようだった。気になったが、すぐにファルケンは、もう先ほどみた映像の断片すら思い出せなくなっていた。それよりも、光がまぶしい。今の彼には、その日蝕で落ちた光でも眩しかった。手をあげて、光をさえぎろうとしたとき、全身に焼け付くような激痛が走る。
 ファルケンはようやくそれで、先ほど、光に包まれた後の一瞬の記憶がないことに気づく。あの光に包まれたとき、確か自分はその衝撃で飛ばされたようだった。先ほどの光の影響で、その一帯の細い木々がなぎ倒されているようだった。小さな爆発が起こった、といった感じである。
「…まさか…」
 怯えるような声が聞こえた。ファルケンは、我に返って声のほうに目を走らせた。そこには、シャザーンが立ち尽くしていた。彼がまだ、自分に止めをさしていないことから考えて、気絶していた時間は本当に一瞬らしい。
「こんな、ひどい事を…どうして!」
 シャザーンの目は、なぜか悲しげで、下に転がっている自分に止めを刺そうとはしなかった。彼はまるで別の場所を見ている。それも不思議だったが、ファルケンにはシャザーンのうつろで辛そうな目がどうしても気にかかった。
「…殺してしまうつもりだったのか!」
(誰に?)
 ファルケンは、喉の奥から漏れそうになる呻きを押し殺すようにしながら、それを見上げていた。
(誰に、話しかけてるんだ?)
 彼が不思議に思ったのも当然である。そこには、ファルケンとシャザーン以外に誰もいなかったからだ。
「…なにも、ここまですることはないだろう?」
 シャザーンは怯えたような口調で言った。だが、相手はここにはいない。
「…死んでしまったらどうするんだ!」
 何を誰としゃべっているつもりなのか、少なくともファルケンには、シャザーン以外の人影は見えない。
「…もう、…これでいいだろう! やめてくれ!」
 ふと、シャザーンの口元が、引きつり、邪悪な笑みを浮かべた。ファルケンは、はっと目を見開く。
「お前はまだそんな事を言っているのか、クレーティス!」
 表情の変化だけではない。まるで、口調も、その語調のきつさも、すべてが別人のように変わる。それにファルケンは、ひとつの事を思い出した。妖魔に心の隙を突かれたものの話である。その状態は、このシャザーンのものとほとんど同じであった。
「お、お前は!」
 反射的にファルケンは、片肘をついて痛みをこらえながら半身を立ち上げた。
「わかった! お前、 妖魔 ( ヤールンマール ) だな! シャザーンにとりついているのか?」
「やかましい!」
 シャザーンならぬものは、ファルケンの問いに答えもせず、突然彼を蹴り倒した。蹴られて再び地面に叩きつけられた彼の腹部を、さらに蹴り上げる。うつぶせに地面にはいつくばったファルケンの口から、赤い血が流れた。当たり所が悪かったのか、ひどく痛んで息ができない。妖魔の声が聞こえた。
「お前の望む世界にするためには、すべて私の言うとおりにしなければならないと教えたはずだ!…ほら!見ろ! お前が邪魔をしたせいで、これを始末する事ができなかったじゃないか!」
 きっと、狂気じみた目が、ファルケンのほうに向いた。ぞくりとするような視線だった。
「や、やめろ!」
 直後、真っ青になったまま、シャザーンの声がその口から発せられたが、表情だけは変わらない。直後、暗い妖魔の声がそれに続いた。
「…死に損ないには死んでもらったほうがいいだろう? 違うか?」
 ファルケンは、右手で身体を支えるようにしながら、軽く咳き込んだ。唇についた赤い痕を左手でぬぐい、何とか立ち上がろうともがく。戦おうと思っても、彼の持っていた剣は、光の衝撃で遠くに飛んでしまったらしく、近くに確認する事ができない。
 シャザーンは剣を抜いた。
「……苦しそうだな…」
 その声は妖魔のものだ。ファルケンは、悔しさをこめて相手をしたから睨みあげた。シャザーンの表情は複雑だった。悲しそうな表情と、愉悦の表情が同時に表に出ている。普通ならありえない表情だった。
「…楽にしてやろうか? 魔幻灯の…。どうせ、お前はどこに行っても、はぐれ者だ。こんな世の中に未練はないんだろう?」
「…だ、だま…黙れ!」
 一番痛いところを突かれ、ファルケンは、少しカッとする。それを面白そうに見やり、シャザーンの中の妖魔は、ファルケンに切っ先を向けた。
 ふと、シャザーンが動いた。ファルケンに向けた切っ先を下げ、逆の方向へと飛び下がる。近くの地面に剣が突き立っていた。
「てめえ! 何してんだ!」
 叫ぶ声には聞き覚えがあった。ファルケンは顔を上げ、予想通りの人物が、森の陰から現れるのを見た。赤いマントが翻り、鼻っ柱の強そうな威勢のいい顔が、すでに闘志を感じさせていた。
「ダルシュ…」
 ファルケンは、呆然とつぶやいた。ダルシュがどうしてここに来たのか、ファルケンにはわからない。彼が、火柱へ向かう途中、たまたまここを通りすがったということも、想像できなかっただろう。
「その狼野郎は、オレと知り合いなんだぞ! てめえ、何しようとした! 殺そうとしてたな!」
 ダルシュは、腰にある別の剣を抜いた。
「……」
 シャザーンは突然無言に落ちる。ふと、唇がぞくりとするような笑みを作り出す。妖魔の方が強く出ているのだ。
「だんまりかよ! オレは気が短いんだ! 実力行使に出させてもらうぜ!」
 ダルシュは、マントをさあっと翻すとだっと走り出す。シャザーンは、真っ青になっていたが、その口元には不気味な笑みが浮かんでいた。
「…だめだ…、ダルシュ…。こいつは…」
 ファルケンの声は小さくて、とてもダルシュには届かない。せめて、レックハルドでもいてくれたら、きっと彼を止めてくれるに違いないのに。
「…ダメだ…。……こいつは……」
 ファルケンは、精一杯の声を上げたが、それでもまだささやき声程度だった。
「…そいつは…、……まともじゃない……」
 どこかでダルシュの気合の声が聞こえる。ファルケンは、自分の無力さを呪った。
(…レック…)
 ファルケンは、おそらく初めてレックハルドに本当に助けを求めた。
(…オレじゃ無理だ……。助けて……助けてくれ…)

 
 どこか遠くから、声が聞こえた。最初、夢だと思ったが、どうもそうでもないらしい。
「…ロゥレン!…ロ…レン…!」
レックハルド?…いいや、違う。レックハルドよりは、もう少しやわらかい声で、もっと聞き知った声である。
 目を開けると、そこには誰かが立っていた。
「誰?」
 ロゥレンはそう口にしたと思ったが、実際に声にはならなかったらしい。相手は心配そうにこちらをのぞきこんでいるようだった。緑の目が、赤い光に射られて不思議な色をたたえている。見覚えが限りなくあるようなのに、それはまるで別人のようにすら見える。
(誰?いったい、だれ?)
 緑色がかった金色の髪が、かけた布の間からゆれるのが分かった。半分以上あらわになった顔は、狼人に多い線の細い細工のような顔ではなく、どちらかというと精悍なほうに入るだろうか。若いのは、すぐにわかる。そして、赤いメルヤーは、大胆だが、少し特徴的である。陽気そうだが、ふと寂しげな翳りを同時に感じさせる顔であった。
 その面影には見覚えがあった。いや、見覚えがありすぎて間違いようが無かった。
(ファルケン?)
 不意に男は、鷹のように視線をふと鋭く背後にやった。なにか、妖魔の影でもみつけたのだろうか。その顔は、ファルケンとはまるで違った。
(でも、ファルケンじゃない。)
 ファルケンなら、こんな厳しい目はしない。彼は狩人で、そうした目はするが、こうした戦に臨むものがするような、こんな冷徹で何かを見通すような目を、ファルケンは知らない。彼はもっと穏やかだ。
 目の前にいるものは、ファルケンに似ているのだが、まるで彼とは似ても似つかない性質を持っていた。
「誰?」
 ロゥレンがつぶやいた言葉は、男に通じたようだった。彼は気づいたように、にこりと笑った。
「…あぁ、よかった。大丈夫みたいだな」
 狼人は、安堵したように言うと、今更気づいて、慌てて顔を布でぐるりと巻いた。それから、彼女を抱きかかえたまま、木の上に飛び上がる。狼人特有のとてつもない速さで、木の上を飛び回り、あっという間に炎の放つ熱が消える場所まで行くと、彼はロゥレンを木の枝に下ろした。
「ここからは、自分で帰れるな?」
 覆面の狼人は、穏やかな口調で言った。ロゥレンは呆然として、こくりと頷いた。何となく、妙な胸騒ぎがした。
「じゃ、オレはあっちを助けに行かないといけないから。危ないから、もう、アレに近づくんじゃないぜ」
 彼はそういうと、きびすを返した。再び去ろうとする狼人に向かい、ロゥレンは慌てて声をかける。
「ま、待って!」
 狼人は、少しだけ彼女を振り向く。ロゥレンは口を開いたが、言いたい事をうまくまとめる事はできなかった。彼女は、首を振った。
「…ごめん、…なんでもないわ」
「そうか…。じゃあ気をつけて」
「あ、あんたも気をつけてね」
 ロゥレンは慌てていった。それから、小声でぼそりと付け足す。
「そ、それから、ありがとう…」
 男が笑ったのは、目を見ればすぐにわかる。ロゥレンは少しだけ赤面した。狼人の目は、先ほどとは対照的に優しく、ひどく穏やかだった。そう、誰かのように――。
「じゃあな」
「う、うん」
 ロゥレンは、反射的に答える。狼人は、もう振り返る事もなく、そのまま走り出した。すぐに彼の姿は見えなくなり、ロゥレンはぽつんとそこに取り残される。
(…どうして…)
 ロゥレンは、困惑気味にその見えない後姿を追った。
「…どうして、ファルケンと同じ顔してるのよ……」
 彼女はぽつりとつぶやいた。風がざわざわと、上の木の葉を揺らしている。答えをくれるものは誰もいない。





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©akihiko wataragi