辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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 第十章:風裂きのシャザーン-4

 黒い鎌を持つそれが、イェームの上からのしかかるように跳んでくる。鎌が彼を狙って真下に振り下げられるが、先ほどまでそこにいたイェームはすばやくそれをかわしていた。
「詰めが甘いんだよ!」
 鋭く足払いをかける。それの何本もある足のうち、三本をすくわれ、急に黒いものはバランスを崩す。悲鳴のような音が聞こえた。
 その間に、イェームは後ろに飛び下がって、別の木の枝にうつり、それから距離をとった。
(さて、こいつは、本物の妖魔 ( ヤールンマール ) かどうか。)
 イェームは、まだくわえていた煙管を思い出したように指に取った。それから、中身をぽんと外に出す。まだ湯気を立てていた乾燥させた干草のようなものは、地面にたどり着く前に、急に燃え上がり、そのまま黒い粉になった。煙管を元の麻袋の中に戻し、イェームは何食わぬ顔で前を見た。
 体勢を立て直したカマキリもどきは、苛立ちの声を上げた。そのまま、怒りに任せてイェームのほうに突っ込んでくる。
 怒りに任せた攻撃は、底が浅い。難なくかわし、隣の枝に飛びうつる。
(やっぱり、本物の妖魔 ( ヤールンマール ) だな。)
 その動き、容姿、行動。それらを総合的に見て、彼はそう判断した。稀に、辺境の中の動物で、似たようなものがいるので、紛らわしい。だが、あの笑いといい、先ほどの反応といい、間違いないだろう。
 妖魔とは、辺境の中に凝り固まった邪気が、そのまま意思を持ち、周りに害を及ぼし始めたものの事を言う。妖魔や邪気というものが、様々なモノ達の悪意や負の感情の残留思念の塊だとイェームは、何度もかかわるうちに身にしみて分かってきていた。それらが、周りを破壊しようとする衝動は、おそらく、その思念の中の憎悪が暴走した結果なのだろう。
 憎しみと怒りの塊。それが、この黒いものの正体だ。
「おっと!」
 次に懐を狙ってきた一撃を、軽く斜め上に飛んでかわす。上の枝をつかみ、くるりと一回転すると、その反動をつかって更に高い枝の上に足をかける。背後で、ぎゃああという叫びにも似た咆哮が聞こえた。
 空気を裂いて、黒い鎌が背後から、イェームを襲う。顔の傍の布が、それに掠ってわずかに千切れた。足元の枝を、彼の足が蹴った。そのまま、空中でとんぼ返りをしたイェームは、右手に持っていた剣に両手を添えて思いっきり振りかぶっていた。そのちょうど下に、妖魔の胴体があった。
 かまきりの妖魔は、それに気づいてあわてた。イェームは、妖魔が真下に来る瞬間を狙っていたのである。妖魔は、何か声らしいものをあげた。だが、イェームは躊躇しなかった。
「だぁあああ!」
 力任せに振り下ろす。切るというより、叩き落すといったほうがいい。切れることを前提にしていない強引な戦法だった。かまきりのような「それ」は、彼の一撃に直撃され、高い枝の上から真下に飛ばされる。そのまま、地面にたたきつけられ、妖魔は軽くもがいた。
「急いでるっていったろ!悪いが、とっとと失せてもらうぜ!!」
 その上に葉を鳴らしながら、ザーッと降りてきたイェームはすばやく身を翻した。それから、それの胴体の真ん中めがけて、振りかざした刀を今度は切れるようにたたきつけた。
 一瞬、妖魔は動きを止める。イェームはさっと身を翻した。直後、その得体の知れない妖魔の姿は著しく崩れ始めた。黒い塵のようなものがざっと舞い上がる。一瞬にして、それの姿は消えうせた。風に吹かれたのか、そこから黒い煙が空気中を覆い視界を奪った。
「…ふう、…油断ならねえな」
 イェームは安心し、刀を納めようとしたが。ふと、自分に飛び込んでくる黒い影が、黒煙の向こうに透けて見えた。
「何!」
 それは、黒煙を割り彼の方に飛び込んでくる。そのごつごつとした肌が、視界いっぱいに広がった。
 あわてて体をそらせる。その上を、何か黒いものが通り過ぎていった。イェームは、思わず口笛を吹く。さすがに顔面に直撃を受けるのは、ダメージが大きい。
「…ちぇ。まだ、他にも仲間がいたのかい?」
 イェームは、向き直りうっとうしそうに刀を振った。先ほど彼の頭上を通り過ぎたのは、黒い竜のような姿をしたものの尻尾だった。改めてみると、その尻尾だけでなく、全身にとげが付いている。妖魔だ。間違いない。
「本気で急いでるのに…、妖魔どもが今日に限ってどうして…」
 イェームは、不満そうにつぶやいた。封印が解けたのもあるだろうが、こんなに集中して突っかかってくる事はないだろう。
「まさか、妖魔の祭りでもあるんじゃないだろうな」
 訝しげにイェームはつぶやいた。目の前には、先ほどの竜の小型のような妖魔と、それから黒い大きな鳥のような妖魔が立っていた。増えている。上空にも何匹かいる気配がした。集まってきているようだった。
 どうする?まとめて倒すか?
 イェームは、軽くあごをなでた。それら妖魔の背後では、黒い煙が森の中から立ち昇っている。
 それを見ていたイェームの目が、不意に大きく見開かれた。
「しまった!」
 イェームの顔が青ざめたのが、布のわずかな隙間からでも分かった。 
「あいつらの目的は…!」
 そのとき、彼の前を何か鋭いものが走った。反射的に後ろに避けたが、顔を覆っていた布がずたずたに千切れた。先ほどのカマキリの一撃で、顔を覆っていた布の一部がはがれていたのもあり、今度は完全に彼の顔があらわになった。二十台ぐらいの青年らしい顔立ちも、そのメルヤーの形まではっきりと見える。
「ちっ!」
 イェームは、顔を少し隠すように手を添えた。
「お前らに誰が知恵を貸してるのか知らねえが!」
 イェームはいきなり後ろに刃を振るった。彼のすぐ後ろに忍びよってきていた鳥の妖魔は、突然の事にそれを避ける暇も無く、そのまま両断された。声もなく、妖魔は黒い塵になって空気中に広がる。直後、その真ん中からきらりと光る虹色の光球が、一瞬だけ輝いてすぐに消えてゆく。それを目の端で認めると、イェームは刀を一度振った。刃に張り付いていた黒い物が、ぱっと空中に飛んで溶けて消えた。
「…オレも容赦しねえからな!」
 

 煙が多くなってきた。レックハルドは、軽く咳き込み、左右を見回す。燃え移るのが速すぎる。どういうことだろう。
「…くそ…。風向きを読んだはずなのに!」
 レックハルドは忌々しげに吐き捨てた。風向きまで読んで、炎がこっちにはこない事を確認したにもかかわらず、すでに煙がこちらに回ってきている。風も少し変わったようだ。
 自然が起こす偶然だったら別にかまわない。恐いのは、この現象に人為的な何かを感じる事だった。
「ど、どうしたの!ねえってば!」
 ただならぬ気配に気づいてロゥレンが騒ぎ出す。レックハルドは、彼女を急かして前に進ませながら答えた。
「なんでもねえよ…。煙が流れてきただけだ」
「嘘!あんた、あたしに嘘ついているでしょ!感覚で分かるのよ!」
 ロゥレンは、コートの中で少し暴れる。それを軽くおさえながらレックハルドは、困ったような顔をした。あの鈍いファルケンでも、生半可な嘘ならすぐに見破る。辺境の連中は、多少の嘘は簡単に見破るらしい。だから、あれよりも鋭そうなこの娘を、簡単にだませるわけがなかった。見通しが甘かったのだとレックハルドはため息をついた。
「……もういいから、あんたは心配せずにオレについてくればいいんだよ」
「信用できないっていってるでしょ!」
(だって、あんたにホントの事いったら暴れるだろが。)
 レックハルドは心の中で、そっと吐き捨てた。
「とにかく、話はここを乗り切ってからだ。あんただって、ここで煙にまかれるのはいやだろ?すすがつけば、顔だって真っ黒になるし」
 それを聞いて、ロゥレンは考え直す。
「そ、そうね…。わかったわ」
 続けて、ロゥレンが少し震える声で、レックハルドに告げた。
「でも、でもよ!…ホントにホントに危ないときは、あたしに本当のことを話してよ」
 足元で、ぱちぱち音が鳴っている。もしかしたら、この子も本当は感づいているのかもしれない。レックハルドは、なんとなく居た堪れない気分になった。
「あぁ、わかってるよ」
 ぶっきらぼうに答えながら、レックハルドは、炎の周りを計算しつつ、早足で、ロゥレンを誘導する。
 何か、草ずれの音がした。今までとは違う音に、レックハルドは、不意に嫌な予感に襲われた。
「こっちは駄目だ!」
 ロゥレンの肩をつかみ、レックハルドはそのまま後ろに下がらせようとした。瞬間、突然、目の前から赤い光が飛び出した。それとともに、風が巻き起こり、背を向けかけていたレックハルドの体を突風が襲った。





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©akihiko wataragi