辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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 第十章:風裂きのシャザーン-3

 洞窟はじめっとしていた。しとしとと水滴が、地面に落ちる音が甲高い。独特のひんやりした空気が、ある種の神聖さを感じさせる。神殿のようにすら思える場所だ。
 サライは、洞窟の中に入っていった。足音としずくの音以外は、聞こえない。手にした炎がゆらゆらと彼自身の影を揺らす。息を詰めなければならないような、厳粛な雰囲気がそこを支配していた。
 やがて、前方で何かが動いた気配がした。サライは立ち止まり、前をうかがう。前はまったくの闇で、何がいるのかもわからない。その闇の中心、もっとも暗い方に向けて、サライは口を開き、重い声でこう告げた。
「蛇の王、ギレスよ。久しぶりだな」
 洞窟の奥からいびきのような低い唸りが聞こえてきた。何かが起きだした気配がする。
『私を起こす無作法ものは誰かと思ったら…ほほう、『監視人』か。なんだ、百五十年ぶりだったかな?』
「短い期間だ」
 サライは答えて少しだけ笑う。ギレスと呼ばれた「もの」は、そんなサライの笑いには気を留めず話を続けた。
『…何用だ?監視人。…そなたがここに直接来るとは、ただ事ではないな。』
「理由は聞かずとわかっていよう。…ギレス。あまりからかうものではない」
 サライが答えると、低く響く笑い声が聞こえた。
『ふふふ、私はここから動けぬ。こうして話をするのも久方ぶりだからな。多少の戯れは許せ。』
「だろうな。だが、状況はわかっていよう?」
 サライは試すような口調で言う。少しからかってやろうという悪戯心が湧いたようだ。
「そなたが苔むしていようが、錆付いていようが、それなりの力は備えていてもらわぬとな?それでも、その昔は、この世を治めていたのだからな?それとも、もう、それも人から聞かねばわからぬほど耄碌 ( もうろく ) したのか?」
 そして、にやりとする。ギレスが不機嫌になったのは、気配だけでも十分分かる。
『何を言う。苔むしているのも錆付いているのもお互いではないのか?私のほうが古株なのは当然だが!だが、耄碌はしておらぬぞ!』
 サライがにやついているのを悟り、ギレスは不機嫌そうに続けた。
『私とて、この不穏な空気がわからぬではない。自由に動くことができなくとも、私はここにいても遠くの事がわかる。今、何が起こっているかということもすべてだ。』
 サライはとうとう吹き出した。
「はっはっは。冗談に決まっているだろうが。おぬしは、そうそうまともに取るところがかわいいな」
『何だと!監視人!年上をからかうな!』
「いや、悪い悪い。では本題に入ろうか」
 サライは笑いを収め、表情を引き締めた。その様子に気づいて、ギレスは渋々不平を抑える。
「で、率直に聞くが、この状況、どう思う?」
『どうか?だと?…ふっ…グランカラン・ムーシュエンの状況か?この空を見ればよくわかるわ。』
 ギレスは、分かりきった事をきくなとでも言いたげな口調だった。
『日蝕が起きているのは、あの精霊が悲鳴を上げているからにほかならぬ。それに気づかぬほど私が愚かなわけが無いだろう。…この回数からすると相当まずいようだな。』
「封印が五つ解けた」
 サライは、ちらりと目を向ける。
『なるほど、だが、秩序を守りし狼がいれば、そう問題は無かろう。』
「”シールコルスチェーン”か」
 サライは視線を厳しくする。
「…だが、あの男はそう簡単にこちらに出てくる事はできない」
『何?どういうことだ?』
 ギレスは、訝しげに訊いた。
『シールコルスチェーンが世界の危機を見逃すはずが無い。』
「そうだが、あの男の場合は複雑な事情がある」
 サライはきっぱりといった。
「…それゆえに、すぐにはこちらに出て来る事は不可能だ」
『なるほど…』
 ギレスは納得したといったような声を低く立てる。
『…思い出したぞ。あの男は、そういえば…。…しかし、それはそれで困るではないか。シールコルスチェーンでもなければ、本気で相手が暴走したときに止める者がおらんぞ。』
「…それを危惧している」
 サライがそう答えたとき、ギレスは不意に声を高めた。
『…なに?…どういうことだ?』
 それから、ギレスはサライを疑るような口調になった。
『…監視人…。また、私をたばかったのか!…いるではないか。』
「なにがだ?」
 サライは首をかしげた。
「何のことを言っている?私にはさっぱりわからん」
 サライの様子を見ると、彼にしては珍しく別に裏の無い表情をしている。ギレスは困ってしまい、少し狼狽する。芸達者のサライのこと。嘘をついていたとしても、このくらいの演技はやってのける男である。だが、どうも今回はそうでもないらしかった。
『…何…。本当に知らぬというのか?…シールコルスチェーンの狼が近くに来ておる。』
「何?それはないはずだ。…第一あの男は…」
『気配がするのだ。』
 サライの言葉をさえぎる形で、ギレスは言った。
『…あの魔剣の気配がする。あれから発散される魔力の飛沫が、私にはわかるのだ。』
 ギレスの言っていることは嘘ではないだろう。ギレスは分かりきった嘘をつくようなものではない。しかし、本当だとしても、謎ばかりが残る。サライは、目を細めた。
「…おぬしの言っている事が本当だったとして、ではいったい誰が?」
 洞窟の奥からは、火柱はおろか、それの発する赤い光すら見えない。ただ、静かに、ある決められた感覚どおりにしずくが落ちるだけである。
 入り口のほうを眺めながら、サライは複雑な思いに駆られていた。


「よーっしゃ、ここはこれでよし」
 ぎゅっと、何かを詰め込んだ袋を木の枝に結びつけ、イェームは満足げに手をはたいた。
火柱から少し離れた木々に、そんなものを巻きつけながらイェームはしばらく飛び回っていた。これが最後のひとつである。
「…結構時間かかったな〜…。大丈夫かな〜あの二人」
 そんな事をいい、ちらりと火柱の方をうかがったのもつかの間、自分がまきつけた小汚い麻袋を見るや、不意にイェームは不安になった。ひょいと、上着のポケットから何か冊子を取り出して、小難しい顔でそれを眺めたりする。一通り読んで、彼は疑るように、かかった袋を凝視した。ちゃんと結ばれていない袋の口からは、時々ススキの穂みたいなものが、ひょいと飛び出している。
 確かに、うまく調合した。だが、ひとつ、何か忘れているような気がするのだ。
「…どうだっけ?」
 もう一度、手帳の上から下までを読んでみて、彼は軽くため息をついた。それから、おもむろにその手帳を閉じた。
「まぁ、いいや。ちょっとぐらい足りなくても大丈夫だろう」
 案外アバウトである。けろりとした顔をして、彼は手帳を直した。
「さてと、仕掛けるものは仕掛けたし、後はちょっと動いて、何とかして…あの二人をまず助けに行かないとなぁ」
 そんなのんきなことを言いながら、なんだかそのまま昼寝でもしてしまいそうな風情である。くわえ煙管をしたまま、ぶらぶらっと歩き始めた彼は、軽く背伸びした。背後の火柱と赤い空が、そんな彼にあまりにも似つかわしくない。煙管をくわえたまま、彼は大あくびをし、落ちそうになるそれをあわててくわえなおす。
「ん?」
 ちらりとイェームは無気力な目を、足元に落とす。そして、何気なく足を横にずらした。彼が足をどかした後に、しゅっと何か黒いものが走った。直後、イェームはそれを踏みつけた。奇妙な音を立てて、その黒いものはどろどろと溶けていく。
 イェームはそのまま斜め上の中空に視線を上げた。 
「まーた、お前らか」
 イェームはあきれたようにいって、煙管を指の間に挟んで一旦口からはずした。空に、なにか黒いものが浮かんでいるのが見える。といっても、彼以外、特に人間には何も見えないかもしれない。しかし、狼人であり、絶大な魔力を持つ彼にはその細やかな姿がはっきりと見えていた。
 それは異形のものであった。動物でもなく植物でもない。「いきもの」、という概念を当てはめて考える事はできなさそうである。ただ、昆虫と爬虫類とそれからそのあたりの猛獣のパーツを適当にくっつけて真っ黒に塗りつぶしたようなものであった。あちこち、ごつごつしているが、全体的なシルエットはかまきりに似ているかもしれない。ちょうど鎌のような手をしていた。見るからに醜悪で、気の弱いものが見たら卒倒しそうである。見ただけでなく、それから感じる雰囲気すら吐き気がするほど気持ちの悪いものだった。
 だが、イェームは慣れていたようである。彼はその醜悪なものを一瞥して、布の下でひきつった笑みを浮かべた気配がしたが、それだけだった。過剰な嫌悪を示す事は無い。彼にとっては「いつものこと」なのである。
「…へっ、こんなところまで湧いて出るとは思わなかったぜ。お前らも相当暇なんだな。言っておくが、今日はオレは忙しいんだ。…用ならさっさと済ませようぜ」
 イェームは、軽く舌打ちし、肩の剣の柄に手をかけた。目の前にいる異形のものは、あざ笑うように 得体の知れない声を立てた。金属をすり合わせたような、耳に響く音だ。
「なるほどな。道理で、おかしいと思ったら、お前らが手え加えてたのか。それで、あんなに燃え上がっちまったってことかい?」
 相変わらず聞き取りにくい金属質の音に似た声がする。ぎいぎいという、耳に障るような音だ。到底そうは思えないが、笑っているらしい。それの顔が、ゆがむのがわかった。まるで人間とは似ても似つかないのに、そういった表情だけは人とそっくりである。
 イェームは目を細めた。それから、軽く笑う。だが、その笑みが暗く沈んだものだというのは、口が見えなくても、静かな殺気に満ちた目を見ればわかる。
「へへへへへ、あんまり笑うなよ…。聞くに堪えねえし、それに…ちょっと、馬鹿っぽく見えるぜ?」
 柄を握った手に軽く力が入る。相手の笑い声がやんだ。今の一言に腹を立てたのだろうか。…それはそれでお互い様だ、とイェームは思う。こっちもこっちで、忙しい時に相手をしなければいけないのだから。
「今日は本当に急いでるんだ。だから、オレもあんまりやさしく相手できないぜ。手荒い歓迎になっても、マァ勘弁してくれよ」
 ふっと右足を浮かせる。それを合図にしたように、不意に相手が動いたのが、イェームの目に映った。





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©akihiko wataragi