第十章:風裂きのシャザーン-2
「仕方ねえな」
レックハルドは、自分の長いコートを脱ぐとロゥレンの頭からばさりと引っ掛けた。いきなり、視界が闇に閉ざされたので、ロゥレンは、急に暴れだした。
「何するの!ちょっと!!人さらいっ!妖精さらい!!馬鹿!はなしてってばあ!」
罵声を浴びせながら暴れるロゥレンを、頭から押さえつけながらレックハルドは大声で言った。
「ああ、もう!暴れるなって!火の粉が恐いんだろ?これなら、生地が厚いから多少は大丈夫だ。それに、大体、こんなところであんたをさらってどうするんだよ!」
「ホント?ゆ、誘拐するんじゃないでしょうね!」
「何馬鹿なこといってんだよ、あんたは」
レックハルドはあきれ気味にため息をつく。
「あんた、市場であたしを売りそうだもん!珍しい妖精とかいって!」
「ば、馬鹿にするなよ!オレは、そこまで身を落としちゃいねえぜ!」
レックハルドは、少し言葉を荒げた。
「ホントでしょーね!」
「ふん、辺境の森の中でそんなことできる余裕あるかよ」
ロゥレンは、ぶつぶついった末、納得したらしくうなずいた。
「わかったわよ。あんたのこと、信用するわよ」
「最初から信用してほしいところだがね」
レックハルドは、肩を軽くすくめた。
「…じゃ、そのまま進みますよ、お姫様〜」
「その言い方やめてよ!馬鹿にしてるの!」
ロゥレンが、そのいかにも子ども扱いした口調に腹を立てるが、レックハルドは、知ったこっちゃないといったような風情である。
「口答えすると、このまま置いてってもいいんだぜえ?」
ロゥレンが、うっと詰まる。それを横目に、レックハルドは勝ち誇った笑みを浮かべる。
「そうそう、静かにしてればいいんだよ」
早くこの娘を安全な場所につれていって、それから戻ってきて何とかあの火柱を消す方法を見つけなければ……。レナルが来るぐらいに戻れたらよいのだが。それに、ソルに任せたファルケンも気になる。イェームがああいっていたのだから、多分大丈夫だとは思うが…それにしても。
レックハルドは首を振る。思いをはせている時間はない。
今日はどうにも忙しい。なんにせよ、急がなくては…。
ふと、背後から赤い光が走った。同時に何かが弾けるような音がする。レックハルドは反射的に、ロゥレンを引っ張りながら横に逃げた。
「…なんだ!」
振り返ったレックハルドは、思わず絶句する。先ほどまで彼らがいた場所は、いつの間にかすさまじい炎が立ち上っている。燃え移ったのではない。今、爆発でもするように突如として燃え上がった、といったほうが正しいだろう。そして、それは一箇所ではなかった。周りにも、いくつか紅蓮の炎が、彼をあざ笑うように広がっている。そして、徐々に進行方向にも……。
まさか、先ほどまでちろちろとくすぶっていただけの場所だったはずが…。
「…な、何だよ。これ!何で…!」
常識的には考えられない速さで、火が侵食している。さすがのレックハルドも、背筋がぞっとするのを禁じえなかった。
まるで、狙われているみたいじゃないか。
「どうしたの?」
ロゥレンが、熱気とレックハルドの様子におびえたのか、細い声で聞いた。レックハルドは首を振り、額に浮かぶ汗をぬぐった。
「い、いや、なんでもない」
大騒ぎするのがわかっているので、ロゥレンには言わない。
「先を急ごう」
そういって、レックハルドはロゥレンの手を引いた。何かに見られている気がして、いやに気分がはやる。右手に短剣を握っている自分に気づき、レックハルドは苦笑いした。
(なんだよ、これじゃ…)
目の前をちらりと火花が走る。
(…オレが怯えてるみたいじゃねえか。)
レックハルドは自嘲的に笑った。その通り、まさに今彼は怯えている。
また、後ろで何かが燃え上がる音がする。足が無意識に速まる。
――急げ!
急かされるようにレックハルドは歩き出す。このまま、何もなく向こうに抜けられればよいのだが……。
周りは大変なはずなのだが、そこは静まり返っていた。ただ、緑の森の中に、動物がいる気配がしないのは、やはり騒動のせいだろうか?鳥の鳴き声も聞こえない。まるで息を潜めているように、何の気配もしない。水の音だけが、さらさらといつものように音を立てていた。
泉の水を手で掬い、ファルケンはそれを口に入れた。冷たい水がのどを通っていくのが気持ちよい。口をぬぐってため息をつくと、ファルケンはぼんやりとあたりを見回す。
妙に静まり返っていた。何か、不気味な雰囲気が肌を突いて身近に感じられる。
(オレ…、さっきまで、何やってたんだ?)
どうも思い出せない。そのあたりだけ、記憶がふっつりと切れている。
「…みんな大丈夫だといいけど」
がさり、と音がした。傍にいたソルが、何かに気づいたようにピンと耳を立てる。ファルケンは、振り返ると同時に立ち上がる。そして、そこに立っている人物を見た。
「あんた…!」
そこにいた人物は、彼本人に負けず劣らず驚いているようだった。すらりとした、狼人にしては少し小柄な青年は、きょとんとした様子で彼を見ていた。
「シャザーン=ロン=フォンリア?」
ファルケンは、戸惑いの入り混じった声で相手に尋ねた。横ではソルが唸り声を上げている。
「あんたが、そうなんだよな?」
シャザーンは、少し困ったようにうつむいた。こうしてみると、言われているほどの無茶をしそうな気配は無い。自分も自慢できた身の上ではないのだから、ファルケンとしては、別に強いて相手を問い詰めるほどのことは無いのだが…。だが。
ファルケンは、妙な悪寒を覚えていた。最初に会ったときもそうだったが、このシャザーンの身辺には、嫌な予感のようなものが付きまとっている。その正体がわかるほど、知識も直感も優れていないファルケンだったが、それが「味方」でないことだけはわかる。
「兄貴!昨日、封印を解いたのはあいつですよ!」
ソルがうなりながら声を上げた。ファルケンはちらりとソルに目を向ける。
「…うちの部下がそう報告して来ましたよ」
「それはホントなのか?」
ファルケンは、問い詰めるような口調になっていた。シャザーンは何も答えない。また、うつむいているだけである。
「どうなんだ?…オレは一度、あんたが、向かっていった先でどんなことが起きていたか、知ってるんだぞ!あんたの噂は色々聞いてるよ…。だけど、本当に封印を解いてるなんて知らなかった!」
ファルケンは、剣を抜いた。
「…封印云々てのは、オレは、正直よくわからない。…オレは兵隊
だからな。だが、それを解いてはいけないってことだけはわかる。…あんたが、本当にこんなことを引き起こしたのなら、オレはあんたを止めなければいけない!それが、辺境に住むものの義務だ」
不意に、シャザーンをめぐる空間が歪んだような気がした。眩暈
(
か?と、目をこするが、そうではない。確かに、疲れているが、そうではなく。
「知らなければよかったのに…」
ぼそり、とシャザーンはつぶやいた。不意に顔を上げる。どこか歪んだ微笑を浮かべたその顔は、もはや先ほどの繊細そうな青年のものではない。そして、彼は言った。
「…なるほど、まだ小童とはいえ、『狼』は所詮『狼』。…やはり侮れないな」
全身の毛が逆立ちそうな、冷たさが、その声には感じられた。そして、シャザーン本人の声でありながら、それは彼自身の声でないとはっきりとわかるものだった。
「だ、誰だ!」
ファルケンは、戦慄していった。
「…あんた!シャザーンじゃないな!」
「では、誰だと思う?」
ファルケンは、相手をにらみつけた。まったく平気そうな顔で、それはこちらを涼しげに見ている。
「あんたが誰であっても、同じことだ。オレは、あんたを止めなければならない!」
ファルケンは、冷や汗を隠すように強い語調で言った。
「行くぞ!」
足を踏み切り、走り出す。シャザーンは、動かない。笑っているだけだ。
ファルケンは構えた剣を思いっきりシャザーンに向けて振り下ろそうとした。ふと、彼の表情から笑みが消えた。同時に、周りの空気が変質したような感覚がした。
時が止まったかのように、ゆっくりとシャザーンの手がこちらに向くのがわかった。
『やはり、お前は落ちこぼれだな。』
冷たい声は、本当に彼の口から発せられたのかどうなのかわからない。唇が動いていないからだ。
『司祭に操られて、友人を殺めようとしたことすら忘れているなんて…』
「え?」
ファルケンは一瞬意味を把握しかねた。嘲笑うような声が、ふと途切れた。
直後、目にまばゆい光が飛び込んできた。ファルケンは、それから目をかばう暇もなく、光の洪水に飲まれていった。