第十章:風裂きのシャザーン
狼人には大食漢が多い。とにかく、よく食べるし、酒も飲み始めたら相当量飲んでしまう。おそらく、体格のいい彼らのこと、そうでもなければ体がもたないのだろう。狼人には見目麗しげなタイプが多いのであるが、そんな男たちががつがつと上品さのかけらもなく、ものを食べるさまは、外の人間からすれば衝撃的かもしれない。だが、狼人というのは大体にしてそういうものだ。見た目と性格が裏腹なのである。
マリスは、目の前で自分の持ってきた昼飯が次々と平らげられているのは、ほほえましく見ていた。シャザーンは、マリスの持ってきた昼ごはんを、本当においしそうに食べている。
(まあ、そんなにおなかがすいていたのね。)
マリスは、のんきにそんなことを思うが、空腹だったからというよりは、それが狼人にとっては普通の食事の仕方なのである。
「好評みたいでうれしいわ」
マリスはのほほんと微笑んだ。シャザーンは、答える間もなく、それを食べ終え、ようやく彼女の方を向いた。
「…ありがとう。とてもおいしかったよ」
「いいえ、困っている人を助けるのは、当然だわ。それに、あなたはレックハルドさんとファルケンさんのお知り合いだし」
にこりと笑ってそういうが、シャザーンは少し複雑そうな顔をした。それはそうだろう。シャザーンは、彼らと確かに知り合いだが、別に味方ではない。
好んで敵対したいとは思わない。だが、どちらかというと――敵になる可能性の方が高かった。彼らはきっと、自分の考えをわかってくれないだろう。それを思うと、シャザーンは申し訳なくなる。
「どうなさいました?」
きょとん、とマリスはこちらを見た。シャザーンは、困ったような顔をして彼女のほうを見る。それから、首を横に振った。
「いや、なんでも」
「そうでしたの。あ、あたしったら、水筒を持ってくるのを忘れたわ」
マリスは気づいて、残念そうな顔をする。
「あなたに、水も差し出せばよかったのに、気づかなくてごめんなさい」
「い、いや、そんなに僕に気遣うことないんだ」
シャザーンは、首を振った。マリスは立ち上がる。しゃらん、とファルケンからもらったものらしい守護輪が彼女の剣の柄に当たって鳴った。
「あたし、そのあたりで汲んでくるわ」
「え?」
シャザーンはあわてて立ち上がった。
「そんな、悪いよ。僕が取ってくるよ」
「でも、あたしが忘れたんだし」
シャザーンはにっと微笑んだ。
「先ほど、ご馳走になったんだから、今度は僕が…。辺境の中のことも少しは知っているから、おいしい水が見つかると思う」
「まあ、そうですか?」
マリスは、にこにこと答える。
「じゃあ、お願いしますね」
シャザーンはうなずいて、走り出す。その足がひどく速いのをみて、マリスは、彼も辺境の住人だろうかと考える。
「レックハルドさんやファルケンさんや、ダルシュさんはどうしているかしら?今はお仕事がお忙しいのかしらね…」
マリスは、空をみながら、ふと思い出した。
「ロゥレンちゃんとみんなとで一緒に、みんなでピクニックでもできればいいのに」
彼女は、ぽつりといった。まだ、ロゥレンが現れる気配すらない。シャザーンが去ってしまって、マリスは、少し暇になり、ぽつんと切り株にすわった。
かなり、火柱の近くまで来てしまった。禍々しい赤い色をして、炎はまっすぐに立ち上っている。とまる気配すらない。さすがのロゥレンも、少しだけ恐くなった。熱い。それに、下では、気に燃え移った朱色の炎が蛇の舌のようにちろちろと光っている。
「…ちょ、ちょっと近すぎたかな」
ロゥレンは、ぽつりとつぶやき、仕方なく空中で立ち往生した。レナルなどの狼人が消しにくると思ったのに、そんな気配すらないのだ。
「ど、どうしよう」
迷っているロゥレンの目に、突然赤い光がいっそう強く飛び込んできた。
「きゃあっ!」
突然火が燃え上がり、危うくロゥレンの髪の毛を焦がしそうになる。ロゥレンは、反射的に体をそらしたが、羽の一部が木の枝に引っかかり、はじかれた。
「ちょっ!いやっ!」
ロゥレンはバランスを崩し、あっという間に宙に投げ出されてしまった。そのまま、声も上げる暇もなく、垂直に落下する。下には、炎と、まだ燃えていない緑の草が生い茂っている。どこに落ちるのかわからず、ロゥレンは目を閉じていた。
だが、どすん!とロゥレンが落ちた先は、草よりも少し固めで地面よりもやわらかいものだった。おまけに、うめき声と文句が同時に下からする。
「い、いてて…、どこから降りてくるんだよ」
頭に巻かれたしろい布と、濃紺のコートがちらりと見える。細い目があきれたように彼女の方を見ていた。見覚えがある。確かレックハルドとかいう、ファルケンと一緒にいる商人である。
「妖精ってもっと軽いのかと思ったら、案外重いのな〜。ダイエットしたらどうだ?」
どうやら、受け止めてくれていたらしいが、重さに耐え切れず後ろに倒れたらしい。それは、感謝すべきことなのだが、ロゥレンはレックハルドの手が背に触れているのに気づいてあわてて、立ち上がり、あとずさった。
「きゃああ!変態!」
「変態だあ?人の上に落ちてきて、何だ!その言い草は!オレがせっかく無料でたすけてやったんだぞ!感謝しやがれ、感謝を!」
さすがにむかっとしてレックハルドも言い返す。命がけで助けてやったのに、変態呼ばわりなどされるいわれはない。
ロゥレンは、少し赤面しながら、きつい口調で応酬する。
「あたし、助けてくれなんて頼んでないわよ!」
「はーん、じゃあ、オレの上に落ちてくるなよ」
レックハルドは、軽く肩をすくめる。それから、彼独特の皮肉の利いた口調でしゃべりだす。
「そんなにいやなら、炎の上に落ちればよかったんじゃないのか?ちょうど、いいんじゃないの?刀も曲がったら、火にくべて打ち直すだろ?あんたの性格も直るんじゃないのか?」
にやり、とレックハルドは笑う。
「その前に、まあ、妖精の丸焼きができあがるだろうけどよ」
「なによ!その言い方!」
ロゥレンがカッとして怒鳴りつける。レックハルドは身を起こしながらさらに面白そうに笑う。
「へへえ、怒ったのかい?思ったより、繊細なんだなァ?」
「なんですって!どういう意味よ!あたしが鈍感に見えるって言うの?」
精一杯むくれながら、ロゥレンはレックハルドに怒鳴りつける。だが、レックハルドは平気の平左といった顔をしている。
「なんてえかなあ。そんなに繊細な神経してるように見えなかったからよお」
「それは鈍感ってことでしょ!大体、曲がってるってなによ!」
レックハルドは、にやりとする。
「あれぇ?…まさか、自分の性格が曲がってるのをしらねえとでも?」
あまりに強いレックハルドに、ロゥレンは、つまりながら懸命に言い返す。そのさまが、また面白くて、レックハルドには痛快なのだが…、当のロゥレンにしてみれば、必死そのものなのだった。
「な、なによ!なによ!あたしの性格が曲がってるなら、あんたも相当まがってるじゃない!」
「ふん、オレは生まれつきだからいいんだよ。もとよりこーゆー風になる運命だったのさ。だから、曲がってても平気だね。なおそうったって、なおらねえからな」
レックハルドの言葉は詭弁に近かったが、なぜかロゥレンは反論ができない。完全に、ペースにのせられているのだった。
「あんたなんか知らない!」
つん、とロゥレンはそっぽを向く。
「知らなくって結構。別にお嬢さんに知ってもらったところで金が儲かるわけじゃねえからな…。ん?」
レックハルドは、そう言い放ち、不意に冷静になって周りをみた。言い合いに一生懸命になってしまって気づかなかったが、あたりの熱気はすさまじい。すでに五メートル向こうの木がくすぶりだしていた。ここも危険だ。
「ちぇっ!無駄な時間をとっちまった。おい、妖精の嬢さんよ!とっとと逃げるぜ!」
「え?」
ロゥレンは、はた、と気づいて急に体をこわばらせた。すでに歩き出そうとしていたレックハルドが、ロゥレンの変化に気づき、足を止める。
「どうした?」
「ひ、火…火が、火が…」
ロゥレンの顔色は心なしか青ざめているようだった。だが、火の反射を受けて、オレンジ色に見えるので、はっきりとはわからない。
「さっきから燃えてるだろ?ほら、煙に巻かれたらまずいからはやく。今は風向きがいいからぐずぐずしてられねえぜ」
レックハルドが、ロゥレンの手をつかんだとき、ちょうど、ロゥレンのほうに火花が飛んできた。
「いやああ!熱い熱い熱い!!」
急にロゥレンは暴れだした。あわててどこかに飛んでいきそうだったので、危険に思ったレックハルドは、彼女の手をつかみ、必死でそれを止める。
「ちょ、落ち着けー!落ち着けってばよ!あぶねえ!冷静になれ!冷静に!大丈夫、やけどしてねえよ!火花ぐらいじゃなんともならねえ!」
「火は嫌いなのよ!どっか違うところ!違うところに連れて行ってよ!」
ほとんど半泣き状態で、ロゥレンは騒ぎ立てる。
「わかった、わかったから!」
また火花がこちらに向かって飛んでくる。ロゥレンは悲鳴を上げて、レックハルドの背後に隠れた。レックハルドはしがみつかれて、危うく後ろに転倒しそうになる。
この炎嫌いの娘をどうやって外に連れ出すか…。今、レックハルドが頭を悩ませるのはそこである。一人なら余裕で帰れるが、さすがにこの妖精がいると…。ルートすら変わりそうだ。
(くそ、ファルケンのやつ…。)
困難に出会うと、いつものように、レックハルドはファルケンに責任を向ける。
(…お前がしっかりしてりゃあ、こーゆーことにはならなかったんだぞ。後で、絶対代償は払ってもらうからな!)
炎は燃え上がっている。炎を消そうといっていたレナルたちの姿もまだ、見えていない。 そして、イェームも、まだこない。
(まったく、どうしてオレはこう、ついてねえんだ。)
いろいろと嫌気がさして、不意にため息が出る。