辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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 第九章:危機感:謎の訪問者−5

 司祭 ( スーシャー ) とイェームが何を話しているのかは、レックハルドには聞こえなかったが、彼らの緊迫した雰囲気はわかっていた。そして、その凄まじい力を持つとか言う司祭 ( スーシャー ) がどれほど怯えているかという事もである。危うく相手をイェームが斬ってしまうのではないかと心配もしたが、彼の怯えている様は、レックハルドから見ればこっけいで、少し「ざまあみろ!」という気持ちがわかないでもない。
 先程、レックハルドは危うく死ぬところだったのだから。操られたファルケンの分も考えて、それなりに怯えていてもらわないと気が済まない。さすがに血を見るのは気が引けるが、多少、怯えていてもらわないと割に合わない。レックハルドは、別に親切なつもりも慈悲深いつもりもないので、多少、相手が怯えていたところで平気だ。
「ん?」
 不意に空をふらふらと引き寄せられるの様に飛ぶ蝶が見えた。
 いや、蝶ではない。人間だ。
(なんだ、妖精か?)
 そう思いながら、レックハルドはしばらくそれを目で追っていた。だが、妙に気になった。その妖精の姿に、どうも見覚えがあるのだ。
「あれ?…あれは…」
 いつぞや、レックハルドがからかうだけからかった、ファルケンと知り合いの妖精ではなかっただろうか。綺麗な羽と少し勝気な顔が、ここからでもわかる。向かう方向は、森の奥から届くオレンジの光の中心、つまり火柱が立っている、まさにその場所だ。
「どこ行ってるんだよ、あいつ…」
 レックハルドは急に心配になる。まだ、向こうではイェームとアヴィトがにらみ合っている。そちらにちらりと目を向け、更にレックハルドは上空を見上げる。イェームとアヴィトの勝敗はとっくについている。だが、あのロゥレンとかいう小娘の場合は……。
「ちっ!面倒な…」
 レックハルドは、そう吐き捨てきびすを返した。炎が苦手なのは、妖精も狼人も同じはずだが、どうしてあの娘はそちらに行こうとするのだろう。あんな危険な場所に彼女を一人で行かせるのは、さすがに気になった。
 走りながら、一度だけ、レックハルドはイェームのほうを振り向いた。思ったとおり、イェームは大丈夫そうだ。それに、彼なら自分の後を追ってきてくれるだろう。まずは、あのはねっかえりを助けてやらないと…。
 レックハルドは、どこか湿った森の中の土を蹴飛ばしながら、赤い色に染まる森の中心へと向かっていった。
 イェームが、刀をおさめながらゆっくりと戻ってきた頃には、すでに彼の姿は森の陰に隠れていた。レックハルドの姿がその辺りに見当たらない事に気づき、彼は慌てて周りを探る。
「レックハルド?」
 イェームは、彼の姿を探しながら呼ばわる。
「…どこいったんだ?」
 気配はない。だが、何かが連れ去ったとか、猛獣が襲った気配はない。イェームは、すっと辺りに目を配るが、何もわからない。彼は、飛びあがって高い木の枝に足をかけた。この木はグランカランの一種らしく、随分と高い。すでにかなりの樹齢を重ねていると思われる木は、その森の中でも突き抜けて高いと思われた。グランカランが敬われるのは、その長寿とその高さ故なのかもしれない。
 イェームは、とんとんと、軽々とその枝を飛び移り、あっという間に天辺まで駆け上った。
 目を覆いたくなるほどに鮮やかな赤い色が飛びこんでくる。火柱はまだ凄まじい勢いで立ち上り続けていた。そして、それから飛び火した火が、森の一部を焼きつつある。そこから飛んでくる火の粉が、この木の上空まで飛んできていた。
「おお!あちぃっ!」
 首の後ろの布と布の間にどうやら火の粉が入ったようだ。イェームは飛び跳ねてしまい、危うく枝から足を踏み外しそうにさえなる。何とかバランスをとりつつ、彼は慌ててそれをもみ消し、上空を見上げた。
「ちぇっ!まだ衰えてないとは、結構しつこいな…!」
 消えていないどころか、火の勢いは益々盛んになるばかりである。イェームは、焦げた布の辺りをさすった。火傷というほどではないにしろ、熱い事は熱い。油断しないようにしないといかん、とばかり、イェームは苦笑いした。
 ふと、火柱の方に向かう影の様なものが空にあるのに彼は気付く。イェームは、目を細めた。それは人の形をしているように見える。更に目を凝らしてみて、彼ははっとしてぼそりと思わず呟いた。
「あれは…ロゥレン?」
 全てがわかったような気がする。レックハルドは、ロゥレンを見かけて、彼女に気をとられて飛び出したのだろう。ロゥレンがどうして、嫌いな炎に近づいているのかはわからないが、とにかく、何かが起こっているのは確かだ。
 さて、どうしたものか?
 イェームは、不意に考え込んだ。このまま、レックハルドとロゥレンをほうっておくのは危ないが、同時に彼らを助けるのは、さすがのイェームにも困難である。元凶であるあの火柱を消す事ができれば、レックハルドもロゥレンも同時に助けられるのだが。炎を消す方法は…。イェームは目を細めた。
「……あれを消す方法は、そういやあ、オレ…知らねえな…」
 どうしたもんか…?
 イェームは、腰に下げていた麻袋から銀色の金属をあしらった煙管を取り出した。それに、同じく袋から出した小瓶に入った刻んだ葉をそれに詰める。煙草ではないらしく、匂いが明らかに違った。それが、辺境の狼人が古来好んだという嗜好品であり、『辺境ラキシャ』という薬草だということは、おそらくレックハルドを代表とする人間は知らないだろう。それに、何かを混ぜた水をかけると、葉は煙というより湯気に近いものを立て始めた。茶のような爽やかな香りが、そこからたち始める。イェームは、一旦、それを口から外し、立ち上る火柱を睨みつけるように見た。碧の瞳に炎が映って、朱色の光がちらちら点滅するように見える。
(こういうとき、あんた、オレにどうしろって言った?)
 イェームは、顎を撫でる。不意に、聞き覚えのある声が頭の中によみがえった。
 ――まずは、落ち着いて、周りをよく見ることだ。急がば回れってな。どんな絶望的な状況にも活路はある。少なくともだがな、オレはそう信じて生きてきたんだ。
 それを言った人間は、彼が尊敬する男だった。酒の席で、時に彼は説教じみた口調でそんなことを言ったりしていたが、それは別に彼の大言壮語 ( たいげんそうご ) ではなかった。実際、その男はそうやって乱世を生き延びてきたという。勿論、イェームは彼の言葉を信じていた。
「落ち着いて、考えて、みろ、ってことか…」
 ふうと息を吐き出す。この場に似つかわしくない香りが、さっと鼻を撫でていった。それは、そして場違いなほどの落ち着きを彼に与えてくれる。
「あんたの言う言葉は、確かにいつも正しい…。今までもずーっとそうだったなあ」
 独り言を言いながら、イェームは鋭い目を少し懐かしげに細める。
「…オレはあんたを信じることにしよう。…今までもそうだったように、な」
 イェームは独り言のように呟き、煙管を口にくわえなおす。薄くあがる煙の向こうから火柱を眺め、イェームは背伸びするように体を伸ばす。肩の刀の柄を飾っている紅い宝玉が、一瞬日の光を浴びて、眩しく妖しい光を放った。

 
 突然、何か絡み付いていたものが外れるように、軽くなる。重くて動かなかったまぶたが、自然と開くと、目の前に新緑の葉が広がっている。葉からもれる木漏れ日が、優しく彼の目の中に飛び込んできた。懐かしい緑の匂いが立ちこめ、まるでベッドに寝かされているかのように地面はやわらかい。どこからか、綺麗な鳥の声が聞こえる。
 あれは、なんという鳥だったか?どこにいるのか、姿を見ないとわからないな…。
 起き上がろうとして、ファルケンは軽く額を押さえた。
「い、いて…」
 何だか頭痛がするし、体が重い。すぐに起き上がるのをやめて、ファルケンはその場に体を横たえた。
「兄貴、目が覚めましたか?」
 不意にソルの声がする。ファルケンは、目をそちらに向けた。狼のソルが不安そうに彼を見つめているのがわかったが、ファルケンは彼の言う「目が覚める」の意味がわからなかった。まだ、半分夢の世界といった感じで現状把握は出来ていないらしい。ファルケンは、瞬きをして呆然と目をそちらに向けている。
「しっかりしてください!今まで、司祭 ( スーシャー ) の魔術にかかっていたんですよ!」
 ソルは少し鋭い声で言った。司祭 ( スーシャー ) という言葉で、ファルケンはようやく我に返る。
「スーシャー!」
 びくっと体を起こし、ファルケンは頭を押さえながら立ち上がる。少し立ちくらみがするが、大したことはないようだ。
「…そうだ…オレは、司祭 ( スーシャー ) にやられて…」
 あの辺りの記憶はあまりはっきりしない。おそらく、気絶したんだろうな、というぐらいであり、曖昧なものだ。何か、大変な事があったような気もするが、どうにもその辺りを思い出そうとしてもはっきりしないのである。
「…レックは?レックはどうしたんだ?」
 ファルケンは、不意に訊いた。
「ああ、…その…旦那は…」
 ソルは言いにくそうに答える。どうやら、ファルケンは操られている間の記憶が無いらしい。
「レナルと一緒なのか?」
「え、ああ、そうです」
 さすがに、『あなたを助けるためにいったんですよ』、などとはいえない。何も知らないファルケンは、安心したように微笑んで頷く。
「そうか、レナルと一緒なら安心だよな」
「ええ」
「あの、火は?」
 ファルケンは、訊いて上空を望もうとする。
「火は消えていませんが……」
 今、ファルケンを奥に行かせるのは危険である。一度操られたという事は、あのスーシャーは、彼をいつでも何度でも操る事が出来るということだ。彼らのエリアにもう一度足を踏み入れさせるのは危険な賭けだ。ソルは嘘をつく。
「…どうやら、レナルの旦那が、消しに行っているようです」
「レナルが?じゃあ、レックも?」
「ええ」
 ファルケンは心配そうに言った。
「じゃあ、助けに行かなきゃ…。レナルは火が苦手なんだし、それに…レックは人間だから危ないよ」
「いえ、兄貴は今、ちょっと疲れているみたいですし、奴にやられたダメージもあるでしょう。…レナルの旦那だけで、しばらくは良いのではないかと」
「…そうか…そうだな、…オレが今行っても余計危なくなるし」
 ファルケンは、少し落ち込んだように見えた。足手まといといわれたことになるのだから、それは仕方がないかもしれない。ソルは、いい方がまずかったかと自省しながら、優しく声をかけた。
「大丈夫ですよ。少し休憩してから合流すれば…。きっと、レナルの旦那も喜びますよ」
「そうか、じゃあ、そうしよう」
 少しだけファルケンは、落ち着いたような笑みを漏らす。ソルは少しだけホッとする。どうやら、納得してくれたようだ。
「少し、水を飲みたいな…」
 喉が渇いていることに気付き、ファルケンは、歩き出しながらいった。
「この先の泉に寄っていったらどうです?」
 ソルに言われファルケンは、それもそうだな、と答えた。あまり気分は優れない。少し、冷たい水でも飲んで休息することが必要そうである。





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©akihiko wataragi