第九章:危機感:謎の訪問者−3
速いペースで歩く二人の頭上で、熱い火花を散らしながら、まだ火柱が立っているのが見える。近い場所だが、まだ熱風を感じるほどではなかった。
「あの火柱は、封印が解けた証拠だ。一つ解けるたびに、その場所にああやって火柱が立つんだよ」
レックハルドが、空をみているのに気づいたらしく、イェームは言った。
「封印?」
「ああ。この辺境の森には、七つの封印が成されている。昔、とある、そうだな、あんたにわかるように言ったら、『悪魔』みたいなもんかな。それが、大昔に暴れ出して、必死で封じ込めた時期があったんだ。その扉を開くための七つの封印だよ」
「悪魔だと?」
レックハルドは、軽く腕組みをする。
「そう、名前ぐらいは知ってるだろうけど、ゼンクなんてのもその一人として数えられてるんだな」
イェームは、いくらかくだけた口調で喋りだした。その声としゃべり方は、何となく聞き覚えがあったが、レックハルドはそれが誰に似ているのか、妙に思い出せなかった。
「ゼンクの名前は知ってるぜ。で、封印ってのが解けたら、そいつらがあふれ出してくるのか?」
「まぁ、そう言うことかな。今は七つの封印の内の五つまでが解かれてしまった。辺境の森にあるのは、あと二つ。それを解いて初めて、ムーシュエン…あんたには、マザーと言った方がわかりやすいかな。そのグランカランの木の根本にある『扉』を解放することができる。他の七つは、言ってみれば予備の鍵みたいな役割を果たしてるんだ」
レックハルドは、ふむと唸った。そう言う話は初めて聞く。いや、正確には、今まで辺境の異変に積極的に関わろうとしなかった彼には、それをきく機会もあまりなかったわけであるが。
「あんたはみてないかもしれないが、ファルケンは見てるはずだけどな。四つ目の封印が解けた直後、草が魔法陣の形を描いて丸く燃え尽きてたのを」
「話はきいてたが……」
「火柱はな、一度封印が解けるたびに、どんどん大きくなる。四つ目までは、一瞬だけ立ち上って消えるから、あまり気づかないんだが。今回は五つ目だからな。五つ目からは、突然大きくなり、燃焼時間も長くなる。そうすることで、危険を周りに知らせるんだ。そういう仕掛けがされていたんだよ」
「なるほどねえ、でもよ、封印を解くってのは、相当力もいるんだろ?それに、悪魔なんてのが出てきたら、当然やばいだろうし」
レックハルドは、疑問に駆られた。
「誰がそんな事をしてるんだ?司祭
って奴か?」
「まさか!」
イェームは、肩をすくめた。
「逆だよ。あいつらはそれを止めようとしてるんだ。ちょっとやりすぎの感はあるけどな」
「なんだって?」
「今言った七つの封印の内、最後の封印が解けるのは人間だけだからな。最後の封印が破られる前に辺境の領域から、人間を駆逐してしまえばいいってのが、あいつらの考え方でね。特に、あんたは辺境に関わりすぎている。他の人間には、ザメデュケ草を食事に混ぜ込まれておかしくなった狼人が襲っているが、それは主に追い払うだけ。殺すには至らない。だけど、あんたは危険だと思ったんだろうな。ファルケンを使ったのは、確実にあんたを殺すためだよ」
レックハルドは、顎を撫でた。
「でも、辺境の封印なんて、狼人や妖精が作ったんじゃねえのか?どうして人間が?」
「一つは」
イェームは指を立てて数え立てながら言った。
「辺境の者達の力だけ、あるいは人間の力だけで、封印を解くことがないようにするための保険だよ。両方の協力がいる場合、どちらかが間違いに気づくかもしれないって事」
「なるほど、まだあるのか?」
「ああ。二つ目は、封印を作るにあたって、人間が積極的に力を貸してたってことさ。最後の封印には、人間達が作った『武器』が使われたんだそうだ。もちろん、それは金属でできていた」
「何?そんな大事なもんを作るのにか?」
驚くレックハルドに、イェームはうなずいて、続けた。
「昔は、人間も辺境の連中もみんな一緒に暮らしてた頃があるんだって。大昔のことだけどな。狼人ってのは、そういう技術はないから、人間と協力しあって初めてそれが達成できたんだっていうぜ」
「なるほど、それで人間が必要なのか」
レックハルドが、ぽつりといった。
「正確には、人間だけ、というより…」
イェームの顔は少しだけ険しくなった。
「炎と武器を怖がらないものだけが、と言った方がいいかもしれない」
レックハルドはハッと息をのんだ。
「ちょ、ちょっと待て!じゃあ、あいつらが異様にファルケンを辺境の外に出したがったのは、それか!?」
「理由の一端はそうかもしれないな」
イェームは軽く目を閉じた。
レックハルドは、黙って地面を見ながら考えた。
「だ、誰が、封印をとこうだなんて言い出したんだよ?」
「シャザーン=ロン=フォンリア、つまり、風裂きのシャザーンと言われている狼人だ」
イェームは、す、と目を細めた。
「ええ!あいつ?」
レックハルドは、いつぞやの美形の少しぼうっとした感じの男を思いだした。
「あいつが?何をするって言うんだよ?」
「目的は、オレもまだわからないんだが。ただ、あいつが封印を解こうとしていることだけはわかる。実際、五つまでの封印を順々に解いていったのは、あいつの仕業だ」
「だが、狼人にとっちゃ、辺境の森は命よりも大切なんだろ?確か、そうきいたぜ?」
イェームは首を振った。
「それは、辺境に属している者の話だ。シャザーンてのは、狼人と人間のハーフで、自分から辺境を捨てたらしい」
「混血児だって?どういう事情だよ?」
レックハルドは、興味津々と言ったように話に食いついてくる。イェームは、頭をかるくかきやった。彼も十分事情はわからないようだ。
「それについてはオレも詳しいことは知らないんだが、元々はクレーティスって名前だったとか。人間界の世界で暮らしてきたが、ある年頃になり、辺境に入った。だが、途中で辺境のどこにも属さず、辺境を捨てた、らしいな」
「捨てた?って、追放のほうじゃなく?」
「あぁ、自分から辺境を捨てた狼人、妖精っていうのは、名前が変わるんだよ。元々、辺境の者の名前ってのは、マザーや司祭
(
が占って与えるもので、自分から辺境の掟に従わないことを決めた者は、名前を変えるんだ。だから、「風裂き
(
」ってのは、シェンタールというよりは、あだ名だな」
「だけど、そんなやつ、司祭
(
って連中が、一気につぶしちまえばいいじゃないか。だって、魔力の差が…」
レックハルドは、やや憮然として言う。
「それが無理なんだよ」
イェームは困ったような口調で言った。
「いわゆる、辺境のものと人間の混血児ってのは、普通の狼人や妖精より、魔力から体力が格段に高いんだ」
「強いって事か?」
「そう、特に、シャザーンは天才的に強いらしいんで、司祭
(
の連中も手が出せないんだ」
「なるほど、要するに、勝てねえからこそ、強硬手段に出るわけだ」
レックハルドは、ようやく納得して腕を頭の後ろに回した。
「さて、しゃべるのはこれぐらいかな。そろそろ、司祭のとこについたみたいだ」
ぴたりと、イェームは歩くのをやめた。レックハルドも、そこで止まる。
ずいぶんと辺境の深いところに来たのがわかった。ファルケンに、あちこち連れ回されていたが、こういう場所まではこなかった。生えている植物の種類が少し違っている。巨大なシダが、先の方でぐるぐると巻いていた。横では、すでに開いているものもある。
「一つだけ、頼みがあるんだが……」
イェームは言いづらそうに、そうっとレックハルドにきいてきた。大体、その様子をみれば、レックハルドには何を言われるか見当が付いている。
「あぁ、邪魔するな、ってことだろ?それは十分分かってるぜ。あんたの邪魔にならないようにはしてるよ」
案外、レックハルドがあっさりと聞き分けてくれたので、イェームは、ほっとしたようである。
「ありがとな。じゃあ、オレが合図をしたらその場にとどまっててくれ」
「わかった。気を付けろよ」
すでに歩きかけていたイェームは、レックハルドにそう声を掛けられて、ふっと振り返った。なにか、彼は懐かしそうにこちらを見て言った。
「あぁ。わかってるよ」
それからイェームは、肩の刀を一気に抜いた。何となく誰かに似ているような気がした目は、急に鋭くなり、精悍さを帯びてくる。レックハルド本人やファルケンにはあまり備わっていない、戦士としての表情だった。