辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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第九章:危機感:謎の訪問者-1


 
「ロゥレンちゃん〜!どこ〜?」
 一人辺境にやってきたマリスは、バスケットを抱えて小首を傾げた。
「変ねえ、辺境に来たらいつでも会えるっていってたのに」
 バスケットの中には、街で調達してきた昼ご飯が詰まっていた。
「せっかくお昼のお弁当も持ってきたのになあ」
 この前、ロゥレンをすっかり気に入ったマリスは、また彼女と遊ぼうとおもって辺境までやってきたのだが、今日は何となく様子が変だった。ロゥレンは、辺境で呼べば気が向いたら遊んであげる。と言い捨てていったのだが、何度呼んでも彼女が来る気配はない。
「気が向かなかったのかしら」
 それはそれで仕方がないとマリスは思った。ロゥレンにも都合があるに違いない、勝手に押し掛けてきた自分なので、仕方がない。
「どうしようかしら。レックハルドさんやファルケンさんもいらっしゃりそうにないし」
 ふうと、ため息をつきつつマリスはそこにあった切り株に座る。心なしか、今日は天気もおかしい。晴天の筈なのに、なぜか曇っているように見える。
(また、日蝕でも起こるのかしら。)
 マリスは事の重大さにも気づくことなく、のんきに軽くあくびする。
 ふと、緑ばかりの目の前にしろい布が風に揺られながら通り過ぎた。マリスは、はっと立ち上がる。
「あの!」
「え?」
 そこには、青年が驚いた顔で立ちすくんでいた。いかにも通りすがりの所に、いきなり声をかけられて固まったといった形だった。青年はすっかり困惑していたが、マリスには見覚えがある。
 にっこりとほほえみマリスは、「こんにちは!」と元気よく挨拶をした。慌てて、相手の青年も頭を下げる。
「あなた、以前、辺境の森の中で会いましたよね?」
「え?」
 青年はとまどいながら、小首を傾げた。色素の薄い金色の髪の毛は、長くのばされている。そこに立っているのは、紛れもなくシャザーン=ロン=フォンリアと呼ばれていた青年に違いなかった。
「ええ。一度会ったことがあります。ファルケンさんと一緒にいたときに」
 マリスに微笑まれ、シャザーンはとまどいながらもこくりとうなずいた。彼自身は、あまり覚えていないが、そういえば会ったのかもしれない。あの炎を持つ狼人は、確かファルケンという名前だったし、だとすれば、あの商人の知り合いなのかもしれない。
「あたしは、マリスといいます。あなたは?」
 無邪気に名前を訊かれて、シャザーンは慌てた。
「ええ、ぼ、僕はクレー…いいや、シャザーンと言います」
「まぁ、シャザーンさんね。どうぞよろしくお願いします!」
「こ、こちらこそ、どうぞ」
 やはりマリスはにっこり微笑んでいる。シャザーンは反射的に同じように応えながら、ふと怪訝に思う。
 一体、どうしてこんな事をしているんだっけ。
 だが、マリスは、彼のとまどいには気づいていないらしかった。続けて質問する。
「あ、そうだ。今から、どこに行かれるんですか?」
「あ、実は…」
 シャザーンは言われてハッとした。今日は、朝ご飯を食べ損ねたので、今から何か調達してこようと思っていたところだった。シャザーンがどう応えたものか困っていると、マリスはちょこんと彼をのぞき込みながら、
「もしかして、お腹がすいていたりしませんか?」
 図星を指され、シャザーンはどきりとする。その様子に、マリスは、手を叩いた。何か思いついたらしい。
「まぁ、じゃあちょうどいいわ。ちょうど、お昼ご飯用に持ってきたパンが余っていたの。いくつか、一緒に食べません?」
「え、いや…」
 突然の申し出にシャザーンは困るが、マリスは、すでにバスケットを開けていた。その中には、肉や野菜を挟み込んだパンが、きっちりと詰められている。シャザーンは、思わず喉を鳴らした。
「どうですか?」
「い、いや、僕は……」
 遠慮はしていたが、シャザーンは空腹だったし、目の前のパンはとてもおいしそうに見える。我慢しようとしたが、結局シャザーンは、本能の言葉に従った。
「じゃあ、もらってもいいかな?」
「ええ!どうぞどうぞ!」
 マリスが、満面の笑みでバスケットを差し出したので、シャザーンは危うくパンに飛びつきそうになってしまった。
 
 
 辺境の狼人の集団に遭ったのは初めてだが、それにしても彼らがこんなに速いとは思わなかった。ダルシュは馬をとばしていたが、ただでさえ、狼人は速いのに、二人乗りのせいでスピードが思うようにあがらない。
「やっぱり、ザメデュケ草を噛んでるわよ、連中!」
 シェイザスが、後ろを向いて理性を失っている集団を観察して叫んだ。
「あの草は、気分を高揚させて、大人しい人を好戦的にさせる効果があるわ!狼人は普段大人しいから、戦う時はああやって、戦意を高揚させてから戦うのよ!ただし、まともな状態じゃないから、必要以上に荒っぽくなるの!追いつかれたら、怪我じゃすまないわよ!」
「ちょ、ちょっと待て!それじゃ、説明しても無理って事だよな?」
「あったり前でしょ!何、馬鹿な事言っているのよ?見ればわかるでしょ!」
 シェイザスは、きつい口調でダルシュに言った。
「逃げ切れなければ、あたしたちの人生も終わりってわけ!」
「うるさいな!そんな事ぐらいわかってらぁ!」
 ダルシュは叫び返したが、実際、このままでは追いつかれるのも時間の問題である。狼人はすぐそこまで来ているのだ。
「そこで、止まれ!」
 突然、上の方から声が聞こえた。あわてて仰ぐと、枝の上を走る人影が見える。再び声が降ってきた。
「何とかするから、そこで止まれ!この先は、馬は入れない!」
 何者かはわからない。もしかしたら、罠かもしれない。
 ダルシュが逡巡していると、シェイザスがささやいてきた。
「信用しなさい。嘘をついてはいないわ」
 占い師の判断に、こういうときは賭けてみる他はない。ダルシュは、そこで馬を止める。後ろを向くと、そこに枝の上から木の葉とともに背の高い男の影が、ざーっと降りてきた。
 そのまま、男は、ちらりと振り向き二人を確認した。振り向きざまに見えた男の顔には、布が巻かれていて、目以外の表情は読めなかった。おまけに、長いマントで全身が隠れている。背には刀が見えた。
「そのまま、あんた達は後ろで!」
 男はそう叫ぶと、ダルシュとシェイザスを後ろに、狼人達の前に立ちはだかった。マントの前を開くが、武器らしいものに手をふれようとはしない。
「……ちょっと手荒だが」
 男はぼそりとつぶやき、右手を軽く前へ突き出した。
「……緊急事態だし、許してくれよ」
 男はそう言うと、軽く目を閉じ、口の中で呟くように何かを唱え始めた。迫ってくる集団に対し、何の恐怖も抱いていないかのようだ。狼人の集団は、彼を踏みつぶしてでも通り過ぎてダルシュ達を襲う気である。男はよけようともしない。
「おい!危ねえぞ!」
 ダルシュが慌てて声をかけるが、後ろのシェイザスに止められる。何するんだ、といわんばかりに後ろを振り向くと、シェイザスが小声で言った。
「大丈夫。あの人も、狼人みたいね」
「なに?」
 ダルシュがそういったとき、男が何か指で軽く印を切るのが見えた。瞬時、かっと光が目の中に飛び込んできて、ダルシュは思わず手で目をかばう。
 狼人の集団の目の前に、炎が半円を描いて燃え上がった。その飛び散る火の粉に、伸びる赤い光に、狼人たちは一瞬にして混乱に陥る。叫び声をあげ、めいめいそこから飛び退いていく。そのまま、彼らは方向転換して、元来た方に帰っていった。赤い光はすぐに消え去り、火の粉も熱気もすべて失われた。
「……ふう。あのショックで、正気に戻るだろ」
 覆面の男はそう言うと、ため息をつき、マントの前を合わせ、手を中に引っ込めた。ちらりと後ろを見たのは二人の無事を確認する為だったようである。
「い、今、何をやったんだ」
 ダルシュが呆然として訊くと、覆面の男は向き直った。
「ただの目くらましだ。ちょっとした幻覚ってやつだよ」
 見れば、先ほど炎が走った場所は、一本の草も焦げ付いていなかった。
「でも、あいつ等は火が嫌いだからな。かなり効果はあるはずだ」
 彼はそう言うと、手をパンッと払った。
「今、この辺はああいう連中が良く通るから、気を付けた方がいいぜ。今、連中は少し好戦的になってる。レナルのテリトリー内に逃げ込めば連中は来ないだろうから、そちらに向かうといい」
 男はそう付け加え、それからふらりと歩き出した。ダルシュは、慌てて彼を呼び止める。
「おい!ちょっとまて!」
 男は無言で振り返る。
「お、お前一体、何者だ!?」
「ええと、……そうだな。何て説明すれば一番わかりやすいかなあ」
 男は、先ほどとは一転して、少し困ったような口調で言い、苦笑いしたような声でこういった。
「とりあえずは、あんた達の味方だよ」
 ダルシュが困惑していると、男はすぐに、じゃあな。と言うと、森の中に走っていった。呼び止めようとしたが、まるで森の緑色に溶けて消えるように、男の体は見えなくなる。
「だ、誰だ、あいつ。さっきの魔法みたいなのは何だ?」
「さぁ。よくわからなかったけど…」
 ダルシュの独り言に、シェイザスが応えた。
「でも、あの人は、おそらく、私たちのことを知っているわ」
「え?何だって?」
 ダルシュは、シェイザスの真意を掴み損ねて彼女の顔を凝視した。美しいシェイザスの顔は、相変わらず神秘的で謎めきすぎていて、ダルシュには彼女が何を知っているのかすらわからない。ただ、いつものようにほほえみもしないシェイザスの顔には、何か深刻なものがあった。
「そういう気がするのよ」
 シェイザスはそう呟き、目を伏せた。それ以上はわからないと言っているようで、ダルシュは追求をやめた。
 
 
 辺境の森の中は、足場が悪い。それでも、レックハルドはかなり速く走っていた方だとソルも思う。だが、狼人のファルケンは、レックハルドよりもかなり速い。おまけに今は理性というものが無いので、ファルケンはつまづきさえしなければ、足が傷だらけになろうが平気で追いかけてくる。茨が革靴を破っても、ファルケンは無理矢理それを引きちぎって走ってくる。
「なんでといわれても、俺にもよくわからないんですよ!ただ、司祭連中は、人間が嫌いらしくて」
 ソルも疲れてきたらしく、口から舌が出ていた。それでも、どうにか走りながら人間の言葉をきちんと話しているのをみると、レックハルドでもソルに尊敬の念が抱ける。
「噂ですが、森に入った連中を、狼人が集団で襲っているとか何とかききますが、それも司祭連中が一枚噛んでるとか。どうも、ここのところの辺境の変化と関係があるようですがね。森が突然枯れたりするとか」
「あぁ、日蝕とか色々か」
「ファルケンの兄貴は、それをひっそり調べていた節があるんですが」
「何?」
 それは初耳だったので、レックハルドは思わず驚いた。
「あいつ、そんなの調べてたのか?」
「ええ。レナルの旦那に今回会いにいったのもそれですよ。それもあって、司祭に目をつけられた可能性もあります」
 レックハルドは、唸った。
「あいつ、オレにはそんなこと一言もいわなかったのに…」
 ふと、レックハルドは危険を感じて、横に飛んだ。目の端に振り下ろされる銀色の光が映った。むせ返るような緑の匂いのする草の上に受け身をとって、すぐに起きあがる。そして、自分の反射的にとった行動が正しかったことを思い知らされた。すでにファルケンは追いついていて、先ほどの一撃でレックハルドにとどめを刺す所だったのだ。顔を上げて、ファルケンは逃した獲物を睨み付ける。そこに、普段のファルケンの表情はみじんも見受けられなかった。
「旦那!」
 ソルが心配そうな声を上げた。
「ええい、畜生!」
 レックハルドは、吐き捨てながら立ち上がる。この距離で、相手に背中を向けることはできない。瞬発力ならファルケンの方が早いのだ。
 レックハルドは、不意に手に短剣を握ったままなのを思いだした。ファルケンに手渡すのを忘れていたそれである。それを力一杯握り直し、レックハルドは軽くそれを前につきだした。
「ファルケン!それ以上、近寄ったら例えお前でも!」
 言ったが、ファルケンはおびえるどころか、警戒もしない。ゆっくりと、間合いを詰めてくる。猫が獲物を狙う時の様子によく似ていた。
 ――だめだ!やっぱり、あいつは、何も!
 いずれは飛びかかってくる。だったら、この武器を使って、相手を倒すしか生き延びる道はない。
 ――でも!
 レックハルドは戸惑い、武器をわずかに下げる。
 ――相手はファルケンなんだぞ!
 飛びかかってきたら、もしかしたら、ちょっとした拍子にファルケンを短剣で刺してしまうかもしれない。最悪、殺してしまうかもしれない。
 だが、そうしなければ確実に自分の方が殺されてしまう。
「旦那!」
 ソルが、迷っている場合じゃないと言いたげな視線を送ってくる。それは、わかっている。わかっているのだ。相手はファルケン。他の狼人のように、炎や金属を振りかざした程度では怯えもしない。
 だからといって、レックハルドにとっては命の恩人でもあり、また一番の協力者である彼を迷いなく切り捨てるなどということはできなかった。
「ファルケン。もう一度だけ、話を聞いてくれ」
 レックハルドは、後ずさりながら言った。
「確かに、オレはお前に色々ひどいことをしたよな?お前には言わなかったが、自分ではわかってたさ。結局、オレはお前を利用しようとしていただけだしな」
「旦那!何を言っても無駄ですよ!」
「わかってるよ!でも、他に方法が無いんだ!」
 レックハルドは、ソルに怒鳴り返し、無表情なファルケンに向き直る。
「お前が心のどこかでオレを恨んでるんなら別に構わねえよ。だけど、もし、お前が後で後悔するようなら、正気に戻れ!」
 ファルケンが言葉を聞いているのかどうかはわからない。表情にはみじんの変化も見られない。
「後はお前が決めろ!」
 レックハルドはそう言い、短剣を捨てた。正直、どうしようもなく怖かったが、ここはファルケンを信用する以外に方法が見つからなかった。
 無表情にレックハルドを見ていたファルケンの口が、不意に開いた。
「れ、れっ……」
 レックハルドは、わずかに身を乗り出した。正気に戻ったのかもしれないという淡い期待が、彼にはあった。
「ファルケン?」
 不意にのぞき込んだファルケンの顔は、苦しそうに歪んだが、それは一瞬のことだった。直後、彼は、再び全く意志の感じられない顔に変わった。レックハルドは背筋が凍るのを感じた。
(しまった!)
 レックハルドは失敗に気づいたが、それはもう遅かった。ファルケンは、一気に間合いを詰め、レックハルドの前に現れた。そして、その間に振りかぶった剣をまっすぐに振り下ろそうとした。
 レックハルドは反射的に目を閉じ、身を固くした。




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©akihiko wataragi