辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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第九章:危機感:火柱(2)
 
 何かがおかしい。
 それは、何となく第六感が告げてはいたのだが……
 
 ロゥレンはその日、妙な夢を見ていた。マリスとかいうあのよくわからない娘が、微笑みながら辺境にやってきて、あれこれ迷惑な事をしてくれるという夢だ。それに半ばうなされていると、急に寝ていた木の枝が折れそうな程揺れて、彼女はそれで慌てて目を覚ました。枝からは投げ出されかけたが、慌てて羽を広げて墜落を免れる。
「な、何よお!なんて最悪な…」
 …目覚めだろう。そういいかけて、ロゥレンはふと顔を上げた。
「な、なにあれ!」
 空が真っ赤に染まっていたのだ。思わず絶句して、彼女はさらに上空に飛び上がる。そして、また目を丸くした。
 天空まで届きそうな大きな火柱が、一筋に立ち上っていた。炎への恐怖と、異変への困惑が、彼女をふるえあがらせた。
「ど、どうしたって言うのよ!」
 がくがくふるえながら、ロゥレンは呟く。本当は恐くて仕方がなかったが、どうしても、あの火柱の下に行かなくてはいけないような気がした。何が起こっているか、確かめたいという気持ちがどこからともなく湧いてくる。それが使命感からなのか、好奇心からなのか、それはロゥレンにはわからなかったが。
「…だ、大丈夫よね。…きっと、みんなも来ているだろうし」
 何かあっても、助けてくれるに違いない。ドキドキしながら、ロゥレンはふわりとそちらに向い始めた。

 
 辺境の入り口に近い場所の、少し木々が開けた場所でダルシュはため息をついていた。
「畜生、なーんも見つからねえなあ。朝っぱらからがんばって出張してきたのに!」
 草の上に座った彼は相変わらずの口調でそういい、所々はねた髪の毛を掻きやった。報告書らしい紙には、あまり綺麗とは言えない字で走り書きがされている。ダルシュはそろそろこの任務の限界を感じていた。いくら調べても、わからないものはわからないのである。そもそも、どちらかというと問題を力で解決するタイプのダルシュに地道な調査など向いていないのだった。
「なに言ってるの。ホントに鈍感ねえ。とっくに事は起こってるじゃない」
 上であきれたような声が聞こえた。ダルシュの馬の鞍の上で、薄紫と紫を交互に縫い合わせて作ったような服を着た美しい女が冷たく言ったのである。ダルシュはそれを睨み、むっつりしながらいった。
「だって、仕方ねえだろ!全然わかんねえんだから!お前は何か知ってるのかよ?」
「ホントにガキねえ……」
 シェイザスは、ふうとため息をついた。
「大体、何もわからないから、あたしがついてきてあげたんじゃないの」
「だったら、何か教えろよ!あぁ!めんどくせえ!今日結果がでなかったら、オレ、騎士団に辞表だしてやる!」
 イライラしているらしい、短気の標本のような幼なじみをみて、シェイザスはますますあきれた。
「馬鹿ね。あなたなんか、騎士団から野放しにされたら、野良犬よりたちが悪いわよ。むしろ、狂犬って感じかしらねぇ。世の中にとって害にしかならないわよ」
「な、何だとう!」
「いい?あそこに何が見える?」
 怒り心頭で立ち上がりかけたダルシュの鼻先に、人差し指を突きつけ、シェイザスは彼の文句の続きを封じる。それからちょいと、その指を上にあげた。東の空のようだ。
「…あれ?えらく赤いな」
 指先にそって視線をあげ、ダルシュは不意に気づく。空が真っ赤に染まっているのだ。
「さっきの震動も気づかなかったの?」
「じ、地震?あ、あったかそんなもん」
 ダルシュが聞き返してくる。シェイザスは軽く額を抱えた。
「これだから……」
「う、うるせえな!オレはさっきまで馬ぁ飛ばしてたじゃねえかよ!だから、それで感覚がだな!お、お前なんか乗っかって、まだ寝てたくせに!」
「言い訳はいいの。…ほら、一つ材料ができたじゃない。…あそこで何が起こっているのかっていうのを突き詰めるのが、あなたの商売じゃないの?」
 シェイザスに言われ、ダルシュは思わず詰まる。
「そ、そりゃあ、そうだが…」
「じゃあ、文句を言わずにとっとと調査しなさいよ」
「お、お前に言われなくたって!」
 ダルシュが反論し、立ち上がって馬の手綱を掴んだとき、不意に叫び声がした。人の悲鳴であることはたしかだ。しかも、一人ではない、集団だ。
「な、何だ!」
「ダルシュ!」
 シェイザスの声が響いた。
「油断しちゃ駄目よ!……何か、よからぬ事が起こってるわ」
 シェイザスは不安そうに、腕に巻いた紫水晶の守護輪を握った。ファルケンから強奪した、例のものである。
「そんなこと、言われなくたってわかってらあ!」
 ダルシュは、叫び返した。シェイザスを背後にかばうようにしながら、剣を抜く。声のした茂みの方からは、足音が聞こえる。
 悲鳴と同時に、数名の男達が茂みから飛び出してきた。全員が顔を恐怖に引きつらせ、慌てて緑の葉をかき分け、引きちぎりながら出てきた。足下に枝がからみついているものもいる。
「どうした!」
 ダルシュに訊かれ、男達は口をぱくぱくと開いたがそれは声にはならなかった。ダルシュは、怪訝そうに彼らを見やった。どう良くみても、街のごろつきがいいところの風体である。そんな連中が、辺境に何の用があるのだろうか。
「うわあっ!来たぁあ!」
 一人の男が叫び、再び逃げ出した。つられて、他の者たちも逃げ出す。
「あ、おいっ!」
 ダルシュは叫んで、彼らを捕まえようとしたが、それは茂みから聞こえる新たな物音が、彼の行動を控えさせた。
 直後、布や毛皮を体に巻き付けた、かなり大柄な男達が奇声をあげながら、茂みから飛び出てきた。顔には、赤い染料で何かが描かれている。彼らは、牛の集団が暴れ回っているときのように、まっすぐに直進してきた。
 ダルシュは、驚きと共に、自分達の方に何の躊躇もせずに突っ込んでくる集団に少し戦慄をおぼえた。
「な、なんだ!なんだ!あれは!」
「狼人!」
 シェイザスが鋭く叫んだ。
「ええ!こいつらが!」
 まるで彼らは荒れ狂った川のような勢いでこちらを目指す。ダルシュは、素早く判断して馬に飛び乗ると馬を蹴った。馬がいなないて慌てて走り出す。
「なんだ、あのファルケンとかとえらくイメージが違うな!」
「それだけじゃないわよ!連中の目を見たの?」
 シェイザスが、ダルシュの背で言った。辺境の森の中に突入していきながら、ダルシュは、この馬がどれだけ上手く不定形な辺境の地形を走り抜けられるか心配になった。
「連中の目?」
「ええ。そうよ。…まるで正気じゃないわ。熱にうかされているよう。…あれは、ザメデュケ草を口に入れたときの反応にそっくり…」
 シェイザスは後ろをふと顧みる。狼人たちは、まだこちらを追いかけてくる。まっすぐに、しかし、何かぎこちなく…。
「ザメデュケ草?」
 ダルシュは、再び聞き返す。
「ええ。…でも、なんだか、おかしいわ。あたしには、まだわからないけど」
 シェイザスの黒い髪が辺境の森になびいた。どこかから吹き付けてくる熱風が、この森の異変をはっきりと示していた。
(一体、何が起こったって言うんだよ!)
 ダルシュは、そう心の中で吐き捨てた。まだ、現状を理解するのもままならない。 
 
 
 火柱の方へと、足を速めていたレックハルドは不意に危険を感じて、飛び下がった。足下に短剣が投げ込まれ、地面に刺さった。反射的に、腰の短剣を握り、身をかわしていたレックハルドは、身構え辺りをうかがうが、まだ気配は探れない。
「チッ!誰だ!?」
 レックハルドは、吐き捨てたが、ふとした時に短剣が目に入った。その短剣に見覚えがあるような気がして、しゃがみこんでそれを抜き取ってみる。案の定、その短剣は覚えのあるものだった。
「これ……ファルケンの奴の?」
 それは、ファルケンが狩猟用によく使っているものだ。柄の部分に、紫のひもが巻き付けられている。
 急に頭上から影が落ちてきた。レックハルドは顔を上げた。
「ファルケン?」
 そこにいたのは、案の定、ファルケンだった。少しうつむき加減に佇んでいる彼は、何もしゃべらない。レックハルドは、怪訝に思いながらも、立ち上がって様子をうかがった。
「どうした?あ、これ、お前んのだろ?」
 だが、ファルケンは短剣を受け取らない。炎があがったせいで、彼も不安になっているのだろうか。様子がどうもおかしい。虚ろな目を彼に向けるようにしながら、暗い顔をしたままだ。いつものようにほほえみもしない。
「…どうした?姿が見えないんで、心配してたぜ?お前も、やっぱり不安なのか?」
 不意にファルケンが顔を上げた。その目は、レックハルドが今まで見たことのない様なファルケンの目だった。表情も全くの無表情で、いつものかれとは別人のようにさえ見える。一瞬にして、レックハルドの背を悪寒が走った。
「おい!お前ッ!!」
 条件反射的にレックハルドは、後ろの方の木に身を寄せた。瞬間、ファルケンの手が大きく振りかぶられた。気づかなかったが、彼は最初から剣を握りしめていたのだ。
「ファルケ…ひっ!!」
 レックハルドは反射的に頭を下げた。彼の首があったところを、ファルケンの剣が通り過ぎていった。どん!と、木が半分に斜めに切れて、倒れた。
「…ファ、ファルケン!」
 ファルケンは、応えない。こんな事は初めてだった。彼は、まっすぐに獣のような目をレックハルドに向けた。いつか彼を襲った辺境狼の目に似ている。どこか、焦点が合っていない。普段のファルケンには考えられない、凶暴な瞳だった。
(正気じゃない!)
 レックハルドは直感した。その瞬間、ファルケンの手が大きく動いた。いつもはあまり使わない剣をその手に握り締めたままだ。
「わっ!」
 レックハルドは、二撃目をかわした。刃は空を切った。だが、同時に足元のつる草も巻き込んでいた。それを力任せに引き裂いて、ファルケンは再びレックハルドに切っ先を向ける。
 ――ファルケンは、オレを殺す気だ。
 レックハルドの本能はそう告げていた。
 逃げないと殺される。
 そう思う心と同時に彼は、自分が誰であるかということを、ファルケンに思い出させようとした。彼の知っているファルケンなら、絶対にこんな事はしない。 
「オ、オレだよ!ファルケン!わかんねえのか!レックハルドだ!」
 怯えながら、レックハルドは叫んだ。
「…頼むよ!正気に戻ってく…」
 ざん!と、足下の草が刈られてばらばら倒れていく。レックハルドは口を閉ざした。上を向けば、相変わらず、彼らしくもない冷徹な表情のまま、ファルケンはレックハルドに目を落としている。剣を持っている腕が、わずかに動く。レックハルドの本能が、彼に何かをささやいた。
「やめてくれ!ファルケン!」
 叫びながら、レックハルドは横側に飛び出した。直後、彼のいた場所を無情な刃物が横切っていく。判断が遅れたら、そのまま巻き込まれていたに違いない。そのまま、慌てて走る。走りにくい辺境の森の中を、それでも何とか走りながら、レックハルドは後ろを見た。
 無言のファルケンは、剣を振りかざしたまま、追いかけてくる。
「うわあああああ!」
 レックハルドは叫び、更に足を早めた。
「待て!待ってくれ!」
 後ろからの足音が、不気味に響く。ひゅっと音が鳴ったのは、ファルケンが邪魔になった頭上の蔓草を切ったからかも知れない。
「待ってくれ!オレがわからねえのか!」
 レックハルドの必死の叫びに、ファルケンは耳を傾けようとしない。徐々に距離が縮まりつつあった。このままでは――殺される!
「ファルケン!頼む!やめてくれ!」
 レックハルドの悲痛な叫びに対しての答えは、思わぬ所から来た。
「旦那!いくら呼びかけても無駄ですよ!」
 突然、囁くような、しかし鋭い小声が、耳に入ったのである。振り向くとソルがそちらを走っている。狼のソルは、幾分かレックハルドよりは早かった。
「旦那。…こっちへ逃げてください!」
 ソルは、ふらりと茂みの中に入った。レックハルドは、急いで進路を変更し、流れるように脇の茂みの中に突っ込んだ。後ろのファルケンのスピードが少し緩んだのを、レックハルドは感覚で感じ取る。
 ソルと併走しながら、レックハルドはソルに尋ねた。
「あ、あいつ、あいつどうしたんだ!どうして、あんなこと…!」
司祭 ( スーシャー ) の魔術です!俺は見てたんですよ!兄貴が司祭 ( スーシャー ) に術を掛けられるのを!」
 ソルは即答した。
「だから、兄貴は操られてるんですよ!あまり、兄貴は言わないでしょうが、本来「力」は狼人にとって辺境の中での地位を決める為の大きな要素なんですよ。特に、司祭 ( スーシャー ) 階級と兵隊 ( ビーティア ) 階級の間では魔力の差が激しいんです!」
「魔力?」
「ええ、自然に直接触れないで、働きかける力といっても差し支えないでしょう!とにかく、ただ力が強い狼人よりも、魔力が強い狼人の方が有利なんです。魔力の高いものは、低いものを支配することができ、それを絶対服従させることができる。兄貴の魔力は、狼人の平均からしても、ずば抜けて低い物なんだそうです!」
「力こそが全てって訳か」
 苦々しくレックハルドは吐き捨てた。自然界の摂理だと今まで思ってきた言葉。今まで、彼もそれを信じて生きてきたが、まさか、こんなところでこんな形で思い知らされる羽目になろうとは思わなかった。よりによって、その言葉があまりにも似合わない男によって、その例を見せつけられてしまうとは。
 しかし、まだ疑問が残っていた。
「だ、だが、なんで、オレを狙うんだ!オレはその司祭 ( スーシャー ) って奴らには会ったことも!」
「それは…」
 ソルは少し声を落とした。
「あなたが人間だからですよ」
「えぇ?何だ、そりゃ。どういうことだ?」
 後ろからは、ひたひたと、確かに迫る影があった。ファルケンが既に彼らとの距離を狭めつつあるのは分かっていた。ちらりと後ろを見やり、レックハルドは表情をかたくする。
(冗談じゃない。わけがわからないまま殺されて浮かばれるもんか!)
 レックハルドはソルに大声で言った。
「手短にどうして人間が狙われるのか、教えてくれ!」
 逃げ切れるところまで逃げてやろうとレックハルドは思った。ただ、理由ぐらいは知りたい。その前にファルケンが、元に戻ってくれることをレックハルドは祈っていた。
 
 
 レックハルドが必死で逃げているのを、それを静かに見守っていた者達がいた。
『少しやりすぎではないのか?』
 水鏡に映った逃げる青年の姿を見、男は気の毒そうに言う。その声は、ふつうの肉声と違い、不思議な響きを持っていた。いくらか、反響しているのである。
『だが、アヴィトの気持ちも分からなくはない。』
『人間が辺境に入るべきではないのよ。』
 残りの男と女が言った。彼らは頭から布をかけており、顔立ちはあまりわからなくなっている。だが、頬には朱や青の染料で模様が描かれていた。それは、狼人のものとは似てはいたが、かなり違ったものである。
『だがしかし、辺境に入った人間をすべて殺すなどとは、あまりにも…』
 最初の男が、口を出しかけたが、妖精が首を振る。
『コールン、貴方の気持ちはわかるけど…、でも、アヴィトのとった方法は、一番のあの方が認めていらっしゃるのよ。』
 コールンと呼ばれた、最初の男はどうやら穏健派らしく、少し顔をしかめたのが、布の陰からでもわかった。
『ベーザもエントもそう思うのか?』
 こくり、と妖精のベーザと狼人のエントがうなずいたのがわかる。コールンは目を落とした。
『それしか方法が見つからない。』
『あなたも、そのことをよく考えて…』
 エントに続いてベーザの声が聞こえた。不意に気配が消えるのをコールンは雰囲気で感じ取った。目を上げると案の定、二人の姿はもうない。どこか、あの火柱の下へでも行ったのだろう。
 水鏡から離れ、コールンは立ち上がって、向こうの空を見た。
『確かに、シャザーンに対抗する手段としては、有効かもしれないが…』
 彼はそういい、立ち上る火柱を見た。あの下では、おそらく狼人が恐慌状態に陥っているはずである。こうしてみている自分ですら、空恐ろしくなり、我慢でもしていないと体のどこかががたがたとふるえそうになるのだから。
『動くな!』 
 突然、押し殺した鋭い声がコールンの耳に入り、彼は驚いて身を引いた。喉に冷たい感触が走る。コールンは、凍り付いた。いつの間にか、彼の真後ろに男が立っていたのである。
「抵抗するな。…妙な真似をしたら、容赦はしない」
 先ほどまで気配は全く感じなかった。まるで、不意に現れたような感じであった。目の端で確認する。木綿らしい布を頭から巻き、目だけを残して顔のほとんどをそれで覆っていた為、人相はほとんどわからない。背はコールンより高めの長身だが、辺境の狼人だとすれば標準である。もちろん、その男が辺境の狼人であるという確証もなかった。大体、喉元の感触は、金属の感触である。普通の狼人は、あまり金属を好まないものだ。
 その刃物は、男の半身ほどもある大きな片刃の反り身の刀で、柄には紅い宝石と緑の宝石で飾られている。刀身自体も美しく、芸術品としても一級だった。その刀身には、辺境でも、もっとも古い 古代語 ( クーティス ) の象形文字が刻まれている。
「何者だ、お前は?」 
 コールンは肉声で呼びかける。男は少し微笑んだらしかった。まだ若いらしい事は、彼の雰囲気などから何となく予想がついた。
「そうだな、あんたの味方じゃないことは確かだぜ。もっとも敵でもないけどな」
 だが、その若さに似合わないこの絶大な力は何だというのだろう。コールンは、その力に体がふるえるのを感じていた。戦えば負けるかもしれない。運が良くて相打ちといったところだろうか。勝機はほとんど見いだせない。
「こんな手荒な事をしたのに対しては謝るぜ。でも、あんた達は俺の話を聞いてくれないと思ってね」
 男はそういい、目をすっと細めた。緑色の目は、突然冷たい色を帯びる。
「・・ファルケンに命令を下しているスーシャーは誰だ?」
 上から冷たい声が降ってくる。有無を言わさない口調だった。
「…じゅ、十一番目アヴィトだ」
 圧力に負け、咄嗟にコールンは応えてしまった。それだけ、男の威圧感は強かった。
「なるほどな。やっぱり、十一番目か」 
 その答えに満足したのか、男は案外あっさりと刃を引いた。突然先ほどまでの冷たさが引き、彼は軽く微笑む。
「悪いことをしたな。俺も急いでいたんでね、勘弁してくれよ」
 刀を振ってさっと肩の鞘に戻し、男はコールンを放してさっと彼から飛び離れる。ようやく解放され、コールンは振り返りざま、正面から男の姿を見た。長く汚れたマントを着ていたが、中からは濃紺の長いコートが見えていた。そこには、何かの文字が刺繍されている。だが、それもずいぶん古びていて、砂と土埃に汚れていた。明らかに彼は長旅をしている。
「そうか。あんた、五番目の司祭だな?それは、すまなかった」
 男は少し苦笑したようだった。
「あんたには、ちょっと恩があるんでね。今回の詫びの分も含めて、…その内、まとめて返すよ」
 意外なことをいうので、コールンは驚いて彼を見た。
「何?」
 だが、覆面の男はもう応えようとはしなかった。ふっと飛び上がって大木の枝にひょいと足をかけた。そのまま、飛ぶように枝から枝へを駆けて行く。やがて、その男の姿は辺境の中に消えた。





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©akihiko wataragi