辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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第九章:危機感 火柱(1)


 歴史学者、スティルフはギルファレス王国を扱った歴史書にこう書きのこした。

  レックハルド=ハールシャー…
  ギルファレスの三十六代目宰相。その名は、砂の大地。その口は蜜の如く甘く、
  しかし、その心は邪悪で思いやりも優しさも知らない。
  彼の統治した五年間は、まるで地獄のようだったと言われている。
  彼の行った暴虐を考えれば、彼が後にザナファルとカルナマクに攻められ、
  自殺をしなければならなかったのも仕方がないことである。
  それが自業自得だというものなのだから。



 夢だ。これは、夢だ。…途中まで、彼はそれが夢だと思っていた。

 目の前に、金の詰まった袋がおかれている。彼はそれを手に取り、中の黄金の光を嬉しそうに見る。ざらざらと手のひらに出して、彼は軽く一枚を弾いた。
「いいねえ、世の中、何があっても失われないこの黄金の色。やはり、わたしは政治家より商人に向いてるんでしょうかねえ?」
 はじめは自分が話しているのだと思っていた。同じ声、同じような思考、そして同じ動き…だが、何かがおかしい。
 レックハルドは、不意に疑問に思った。
 誰だ…? 
 これは、誰だ。
 自分の記憶ではないし、夢の自分にしてはいやにリアルすぎる。金を触る時の感触、見につけている服の布の感触、近くの花瓶にさしたチューリップの芳香、そしてどこか遠くから響く笛の音。夢にしてはあまりにもリアルすぎた。
 そして、彼の心の動きが、レックハルドの心の中に流れ込んできた。
(…最後のチャンスってわけか?あの王がオレに、何の無理難題を押し付けようって言うんだい?)
 少し舌打ちしながらも、彼は楽しんでいる。この状況を…。
 覚えが無い。レックハルドはこんな状況に陥った事はない。
「そうそう、狼人に捕まった奴ァ、全員帰ってきたら首が無かったらしいですね?それで、怖気づいて兵士が要塞を捨てちまったとか何とか。全く、だらしがない」
 夢の中でレックハルドの視点にたつ男は、レックハルドそっくりの声と物言いで言った。目の前に立っていた見覚えの無い、人の良さそうな老人が明らかに焦って彼を止める。
「ば、バカッ!滅多な事を言うな。陛下が必死で隠しておられるのを知っているのだろう!お耳に聞こえでもしたら、お前の首も即飛ぶぞ!」
「どうせ、飛びかけの首ですよ」
 彼はせせら笑いながら言った。
「今のオレは、首の皮一枚で繋がってるだけですからね。別に、何時飛ばされたって不思議じゃあないでしょ?だったら、言いたいことは言うだけ言いますよ。それに、あのわからずやの陛下は、オレの首を飛ばしたくてたまらないみたいですし、ちょうどいいかもしれませんよ」
「こ、この馬鹿…!私が、必死でお前の助命嘆願をして、ようやく聞き入れられたというのに!」
 彼はけろりと老人に言った。全く悪びれない。
「そりゃあ、悪い事をしました。あなたをあの性格の悪い陛下の足元に跪かせるなんて」
「こら!いい加減にしないか!…死にたいのか!」
「死にたいわけがないでしょうが。…口がすべるのは、オレの悪い癖ですよ。まぁまぁ、トジェック様も落ち着いてくださいよ。今は、壁に耳はありません」
 彼は当然でしょう、といいたげにさらりと返す。別にケンカを売っているつもりではないようだが、そういう風にとられかねない。
「何故わかる!」
「オレは元々、盗賊をやってたりしたんですよ。…人の気配には、暗殺者並に敏感なんですよ。そのオレの勘が、今は大丈夫だっていってんですよ。大丈夫大丈夫、人間心にゆとりを持たなきゃあ、ですよ」
 トジェックという老人は黙り込み、彼を睨むように見た。やがて、深くため息をつきながら言う。
「…全く!…お前にはついていけん!」
 それをおもしろそうに眺めた後、彼は不意に笑いながら聞いた。
「で、オレの任務ってのはどんな無理難題ですか?」
 この際、彼の口の悪さは気に留めないことにし、トジェックは咳払いをした。
「…メルシャアドのカルナマクを説得して、停戦させろとの仰せだ」
「降伏を勧めて帰順させろってことですか?なるほど、説客になれと?」
 男は立ち上がり、姿見のある方に向かった。 
「ははぁん。つまりはそういうことですか?」
 鏡に、彼の姿が映った。黒い布を頭に巻き、黒い衣をまとった長身痩躯の男は、細い目を少し笑わせた。ルビーで飾ったターバン飾りは、それでも豪奢というには程遠い、権力者にしては随分と質素な印象があった。手入れされた口髭が少し生えていたが、年齢はよくわからない。恐らく三十台。だが、彼はそれにしては随分若く見えた。
 そして、その顔立ちは、レックハルドと寸分変わらぬものだった。
 ――やはり、コレは自分の見ている夢なのか?
 レックハルドはそう思った。だが、レックハルドと同じ顔をした男は、彼が叫ぼうとしても、全く彼の思うとおりには動かない。鏡に映った自分を眺めて、身なりを繕っている。そして、ゆったり口を開いた。
「わかりましたよ、カルナマクを口説きおとしゃあいいわけでしょう?そうしたら、オレも死ななくて済むし、まぁ、宰相の位ぐらいは落とされるかもしれませんけど、別に権力にしがみつく気はありませんしね」
 そうして、彼は老人の方に振り返った。
「大体ですよ、あんな安い給料で働いてやってるなんて、ボランティアもいいとこですからね。オレの才能からすれば、普通に商売したほうが、金がバンバン入るんですよ。それを捨てて、政治家やってんのは、ホント、社会奉仕もいいとこですって。いい加減、辞表出したいなあってとこだったんですよ」
 とんでもない事を言い出す男に、老人は慌てて叫んだ。
「レックハルド、口が過ぎるぞ!お前は、ことの重大さをわかっているのか?」
「もちろん。失敗すれば、オレの首が綺麗さっぱり飛ぶんでしょ?ん?…あははは、そんな顔しないで下さいよ。安心してください。わるいですけど、オレは自殺志願者じゃありませんから、死ぬ気はありませんよ。この世に未練はたっぷりありますし」
 レックハルド!?
 レックハルドは、驚いた。
「だったら、どうするつもりだ?レックハルド。相手はカルナマクとザナファルだ」
 トジェックの心配を他所に、レックハルドと呼ばれた男は、笑った。その態度に自信があふれている。
「大丈夫ですよ。カルナマクは青二才ですし。まぁ、問題なのはザナファルでしょうかね。狼人と付き合ったことはないですから。……話をして通じるかどうかですが、まずはカルナマクさえおさえておけば、なんとかなるでしょう」
 トジェックは、心配そうに彼を見た。
「…お前の態度を見ていると、何時もいつも…どうも不安になる」
「あはは、心配性ですねえ。前の爺さんと一緒じゃないですか」
「ぜ、前国王陛下を爺さん呼ばわりするな!」
 レックハルドの無礼を咎めながらも、もはやどうしようもないだろうことを思い、トジェックは額に手を置いた。
「そうそう、心配しない事ですって。なんで、オレじゃなくあなたが悲壮感漂わせてるんですか」
「どこまでいっても、悲壮感という言葉に縁のないお前にあきれているだけだ。…本当に、大丈夫だろうな?」
 トジェックの問いに、レックハルドは大きく頷いた。
「まぁ、…このレックハルド=ハールシャーにおまかせあれ」
 そういう彼の顔には、自信たっぷりの笑みが浮かんでいた。

 レック…ハルド…ハールシャー…?
 砂の大地の名を持つあの古代最悪の宰相…。
 そういわれた男の容貌も、声も、そういわれるにはあまりにも物足りなかった。せいぜい小悪党がいいところで、悪党の貫禄に欠けていた。自分と同じだからそう思うのかもしれない。
 だが、なぜこんな夢を見るのだろう。
 レックハルドは、首をかしげた。名前が一緒だから、疑似体験している夢でも見ているのかと思ったが、それもどうやら違うらしい。それにしては、明らかに鮮明すぎるし、なぜか自分と違う男の思考が手に取るようにわかる。他の記憶も、おぼろげながらに思い出せそうな気がした。

 ――これは、一体誰の記憶だ?――
 
 急に、足元が揺れた気がして、レックハルドは慌てて周りを窺おうとした。一瞬にして、目の前が暗転し、風景も老人も溶けるように暗闇にかわる。さらに、目の前で強烈な光がはじけたような気がした。


 ドオン!という、大地を突き抜けるような音で、レックハルドは目を覚ました。
「な、何だ!」
 近くで鳥が飛び立った。空はすでに明るい。恐らく、今は朝の七時半ぐらいだろう。慌てて周りを見回したところで、レックハルドは昨日の夜、派手に飲んで踊って、そのまま倒れこんで寝てしまったことを思い出した。周りには酒の入っていた瓶や杯が散乱していた。狼人の中には、まだ寝込んでいるものもいる。 
「昨日のみすぎたからなあ…二日酔いか?」
 レックハルドは、あぐらをかいて額を押さえた。だが、特に頭が痛いとか、気分が悪いとかではない。そもそも、彼はあまり二日酔いにならないタイプだし、二日酔いだからといってさっきの震動と音は一体なんだろう。けして、感覚的なものではなかった。証拠に、なにか、彼に備わった直感のようなものが、何か警鐘を鳴らしている。
 近くには、ファルケンの姿はなかった。ファルケンは朝が早いし、昨夜は全然酔っ払っていなかったので、恐らく水でも汲みに行ったのだろう。
「あいつがいれば事情が聞けそうなんだがなあ」
 レックハルドは座りなおし、顎を軽く撫でた。必要な時にかぎって、ファルケンはいないことが多い。横では、まだ狼人がぐうぐう寝ているし、どうしたものかと思ったが、良く見ると、明らかに狼人の数は減っていた。
「やつら、やっぱり、朝早いのか」
 ファルケンもそうだが、大体、日が昇る頃になると彼らは目を覚ます習性になっているらしい。ここで寝ている連中は、よほどのぐうたらと見ていいだろう。そういえば、リーダーのレナルも姿を見ない。
 急にざわ…と周りがざわめいた気がして、レックハルドはそちらをむいた。彼と同時に起きだしたと思われる、狼人が不安そうな顔をして、西の空を見上げては、口々に何か叫んでいる。
「どうした?」
 レックハルドは起き上がり、彼らの方に向かう。
「あれを、見ろ!」
 血相をかえている彼らは、皆、一様にそちらを指さした。レックハルドはその視線を辿り、思わず目を疑った。
 辺境の森の真ん中から、大きな火柱が立ち上っているのである。それは青い朝の爽やかな空を異様に赤く染めているようだった。先程の音、そして光は、まさかその火柱が立つ音だったのだろうか。
 怯えたような声が一様に響く。
「火だ!」
「火だ!」
「森が燃える!」
「け、消さないと!」
 狼人たちは、一種の恐慌状態に陥っていた。皆、おろおろするだけで、どう行動していいかわからないようだった。まして、リーダーのレナルはいない。
「落ち着けよ!」
 レックハルドは、とりあえず声をかける。
「お前らのうちで、あの火に近づける者は!?」
 狼人の一人が首を振った。確か、彼にダラール草を食わせたベニシッドとかいう狼人の若者である。
「リャンティールとファルケン以外はムリだ!オレたちは恐くて動けなくなる」
「ファルケンが悪いんだ!」
 突然、声が響いた。
「…あいつが来たからこんな事に!」
 レックハルドがキッと睨みつける前に、ベニシッドが、叫んだ狼人に掴みかかっていた。
「ファルケンを悪く言うな!」
「じゃあ、こんな事になったのは誰のせいなんだ?」
 ベニシッドは首を振る。
「誰のせいって、そんなのわかるもんか!」
「リャンティールが司祭 ( スーシャー ) の言う事をきかなかったせいだ!」
「違う!オレたちはもう終わりなんだ!」
 様々な狼人が叫びだす。正に混乱していた。狼人が火をみて、まさかここまで恐慌をきたすのだとは思わなかったレックハルドは、しばらく呆然として言葉が出なくなった。誰かに責任をかぶせなければ、正気を保っていられないのかもしれない。ファルケンやレナルの態度からは、考えられないほど、彼らは炎というものを恐れている。 
「おい!お前達!」
 急にレナルの声が響き、彼らはそちらを見た。そこに、どこからか帰ってきたレナルが、立っていた。浮き足立った狼人たちとは違い、レナルは冷静だった。
「リャンティール!」
 何か言いかけた狼人の口を、レナルは厳しく遮った。
「これは誰のせいでもない!もちろん、ファルケンが悪いんじゃない!何かが起こってるんだ!」
 手短に言うと、レナルはざっと彼らをみて、命令を飛ばす。意見を挟ませなかった。
「湖から水を!魔法はちょっと苦手だが、妖精たちにも手伝ってもらう!とにかく、あの火を消すんだ!お前達も手伝え!」
 今まで混乱していた狼人たちは、リーダーの言葉を聞いてそれぞれ我に返る。一瞬にして、冷静さを取り戻し、リーダーの言葉に耳を傾けている。その統率力は、レックハルドも舌を巻くほどだった。
「じゃあ、二手に分かれろ!」
「わかった!」
 声を揃えて返事をし、狼人たちはさっと二手に分かれた。まるで訓練された軍隊のように、的確な判断で、誰一人迷っていない。一人どうすればいいのかわからずに、少し戸惑っているレックハルドに気付くと、レナルは彼のそばに駆け寄ってきた。
「悪いな。こんな事になっちまって…!」
 と申し訳なさそうな顔をする。
「い、いや、それはいいんだが…ファルケンは?」
 レナルは、首を少し傾げた。
「水を汲みに行ったのは確かなんだ。それから、あれが起こって、多分そのまま様子を見に行っていると思うんだが…」
 レナルは心配そうな顔をした。辺境でもファルケンの立場は弱い。何かなければいいのだが…。
「…オレはどうすればいい!?」
 レックハルドは訊いた。
「オレは火は平気だし!」
「だけど、人間が近づくにはアレは危なすぎるぜ」
 レナルは眉をひそめる。レックハルドに手伝ってもらえばありがたかったが、下手をすると怪我をさせることになる。
「別にそのくらいは大丈夫だ。遠慮せずにオレも使えよ」
 そういわれて、レナルはため息混じりに頷く。
「…ホントに、悪いな。レックハルド。客人にこんな事までさせるなんて…」
 レナルは心底申し訳なさそうな顔をした。レックハルドは、首を振った。
「気にするなよ。…こういう事態じゃ仕方ねえしな」
「よし!」
 レナルは、レックハルドの肩を少し叩いた。
「じゃあ、あの火柱のあるところに行ってくれ!オレが護衛してやりたいんだが、オレは他に用があって…誰か一人つけるから」
「ああ、かまわねえよ。護衛だなんて…」
 レックハルドは、手を振った。
「大丈夫だ。アレだけ火が立ってれば、危ない動物の類はナリを潜めているだろ?オレひとりでも何とかなるよ。その辺にファルケンがいるだろうし、何かあれば大声を立てるから」
「そうか、ホントにすまないな」
 レナルは少し頭を下げた。正直、余分な人員を他にまわすわけにはいかなかった。
「あんたには、いつか十分な礼をさせてもらうぜ!じゃ、あとでな!」
 レナルはそういうと、タッと地面を蹴った。彼のシェンタールである銅の鈴が澄んだ音を立てて響いた。
「畜生!なんでこんな事に…!」
 レックハルドは、舌打ちしながら空を見上げた。まだ火柱は上がっている。何だか、ひどく嫌な予感がした。胸騒ぎとでも言おうか、何ともいえない不吉な感覚が、振り払っても消えてくれなかった。

 
 枝を蹴り、次の枝へと飛び移る。木の上を風のように速く走りながら、ファルケンはそこに急いでいた。
「…なんで、…なんで、辺境に火が!」
 辺境に炎が入るのは、火炎草が他の植物にうっかりと燃え移る野火があることがあるが、それは百年に一度ほどしか起こらない。人間が火を落としていくこともあるが、それも違う。あんな異常な火柱は、人間では起こせない。少なくとも、今の人間の技術では。
 他の狼人は、すでに恐慌状態に陥っているだろう。あの火を消す為には、彼らの力だけでは心もとない。火を恐がらない者の存在が不可欠である。
「オレが何とかしないと…!」
 火を恐がらないのは、彼の生まれ持っての性質だった。それが色んなところでデメリットになってきた。
「だが、必ずそれが役に立つ時がある。他の狼人が出来ない事がお前にはできるんだから!」
 そうファルケンを慰めてくれたのは、レナルだった。それ以来、ファルケンはレナルの言葉を信じてきた。そして、役に立つ時。…それが今に違いない。
 ファルケンは、木から下に飛び降り、比較的障害物の少ない地面を走る事にした。緑色交じりの金髪が、やがて近づくオレンジの光に照らされて赤く染まっていく。
 ―ファルケン…
 不意に声が聞こえ、ファルケンは立ち止まった。全速力で走ってきたファルケンは、肩で息をしながら、慌てて周りを見回す。
 ―魔幻灯のファルケン ( ファルケン=ロン=ファンダーン ) )…
 古代語で名前を呼ばれ、ファルケンはキッと声のするほうを睨みつける。だが、声は正確には複数の方向から同時に聞こえてきたような気がした。正確な方向はわかりそうもない。
「だ、誰だ!」
 ファルケンは、反射的に肩にかけていた剣の柄を握った。いつもあまり使わないので、存在を忘れている剣だったが、戦いの時は必要だった。相手が、辺境のものだったとしたら、この金属製の剣は思いのほか威力を発揮するのである。
 ―…ファルケン…こちらだ…
 急に近く、背後で声が聞こえ、ファルケンは驚いて剣を抜きながら振り返った。だが、遅かった。
 ファルケンは鳩尾あたりに、突然殴られたような衝撃を受けて、思わず息を詰まらせ、そのまま体をくの字に曲げた。
「がはっ…!」
 ファルケンは、膝をついた。何とか立ち上がろうとしたが、それ以上はどうにもできず地面に突っ伏し、何度か咳き込んだ。
(今のは…普通の打撃じゃなかった…魔力が何か…)
 確かに、魔力が加えられていた気配がある。それに、相手の姿が見えなかった。こんな事が出来るのは、そう多くは無いはずだ。
 口元をぬぐいながら、何とか抵抗しようと上を見る。まだ殴られたところは痛んだが、奥歯を噛みしめて、相手を探す。姿はどこにも見えない。だが、声が響き渡った。
 ―やめておけ!…お前の魔力では、私には敵わない…!
 ファルケンは、ハッとして目を声が響き渡った場所に上げた。だがやはり姿は見えない。
「あ、あん…た…」
 声に聞き覚えがあるような気がした。それは、間違いない。一度だけ、シェンタールを決定する儀式の時に彼に会った事がある。
「…スー…シャー……」
 それは、司祭といわれる十二人の狼人・妖精のうちの一人の声に違いなかった。だが、それ以上はわからない。みぞおちに一撃を食らったためなのか、それとも違う何かのせいなのか、急速に意識が遠のいていったからだった。まるで、強制的に眠らされでもするように、異様な眠気が彼を襲う。支えていた腕が崩れ、草の匂いがする地面に倒れこむ。
――お前には一働きしてもらう…
 薄れる意識の中で、声がそう言った。何か、不可解な力が自分の体に影響を及ぼしてきているのがわかる。
(…なんで…司祭 ( スーシャー ) が…)
 疑問が頭にぐるぐる浮かぶ。だが、徐々にそれもどうでもよくなった。全身を倦怠感が覆い、ファルケンは徐々に意識を失っていった。
(あぁ、そうだ…)
 完全に意識が闇に落ちる前に、ファルケンは一つだけ思い出した。
(こんな事になって…レックはどうしているだろう…)
 何だか申し訳ないような気になった。また、事件に巻き込んでしまったようだ。
(あとで…謝っておかなきゃな……ぁ…)
 そして、そのまま、ファルケンの思考は完全に暗黒の中に落ち込んだ。





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©akihiko wataragi