辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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第八章:狼人レナル 宴(1)
 
 宴の準備は進んでいた。辺境の森の開けたところに、枯れ木を積み重ね、火をつける準備がなされていた。他にも、果物が並べられ、その横で何かいのししらしい獣が縛り上げられていた。どこかから、土器の大きな鍋も運ばれてきた。
 その様子をのどかに見ながらも、彼らは実に微妙な空気の中にいた。レックハルドの機嫌が最悪なのである。
「よーくも、オレを置いていってくれたなあ、ファルケン」
 レックハルドは、じっとりとファルケンを睨んだ。ファルケンはさすがに居心地悪そうな顔をして、苦笑いをした。
「いや、その。だから、ホントに大丈夫だと思って…」
 ファルケンの足元では、タクシス狼のソルが悠々と構えて座っている。それを見ると、レックハルドは、彼の説明不足に腹が立った。
「しかも、お前!オレに何の注意もなく」
「聞かれませんでしたから」
 ソルはぬけぬけと応えてあくびなどをしている。なんという図太い狼なのだろう。レックハルドは、むっつりしたまま、舌打ちをした。
「それより、レックもたどり着けてよかったなあ。し、心配してたんだ〜」
 ファルケンが慌てて話をそらした。
「それまでに二度も食われて死ぬかと思ったわ!」
 レックハルドは指を二本立てて思いっきり怒鳴りつけたが、大きくため息をついた。
「まぁいい。…お前にぐだぐだ言ってもしゃあねえし。今回は許してやるよ」
「ホントか?」
 ファルケンが素直に嬉しそうな顔をした。さすがにレックハルドにへそを曲げられたまま、ずーっといられるとたまらない。
「あぁ、そん代わり、どっかで絶対お前に働いてもらうからな!」
「それは構わないし!よかった!」
 ファルケンがへらっと笑った。それを横目で見ながら、レックハルドは、あまりにも図太くなっていくファルケンの成長ぶりに半ばあきれた。これはまずい相手に、処世術なんか教えてしまったものである。最初は、もう少し傷つきやすいタイプだった気がするのだが…。
「それじゃ、点火するぞ〜」
 枯れ木をつみ終わり、レナルが叫んだ途端、先程まで騒ぎまわっていた狼人たちが、急に口をつぐみ、ひゅっと皆隠れてしまった。総勢三十人。それらが全員、木の後ろに隠れてびくびくとしている。
「おい!お前達!」
「リャンティール、やっぱり、オレたち火は恐い」
 狼人の青年が、怯えながら言った。レナルが叫ぶ。
「こら!オレだけにやらせる気か!」
「リャンティールだって苦手なんだろ!」
「苦手だけど、障害はいつかこえていかなきゃいけねえんだぞ!お前らだって、燃えてる時は平気だろうが!事実!オレは三十年の月日をかけて、炎への恐怖に打ち克った!」
 レナルが誇らしげに言った。だが、狼人たちは首を振る。
「三十年かかってるし」
「燃えてるの見るのはいいけど、つけるのは嫌だ」
「そうだ、そうだ」
 狼人が口々に言った。レナルは憤然として言う。
「お前らは苦しみを超えていこうと思わないのか!向上心がないぞ!お前達!」
「しゅごうはいい、しゅごうは嫌だ」
 レックハルドは、狼人たちの言葉をきいて首を傾げる。
「しゅごう?」
「多分、修行のことじゃないのかなあ」
 ファルケンが、頭をかきながら言った。
「…たまにあいつら間違えるから」
 レナルは、困ったような顔をした。彼自身は、火花ぐらいは平気だが、それでも少しだけ恐怖があるらしい。それに炎をつけるのは一箇所だけではないのである。ちょうど枯れ木を積んだ場所は三箇所もあった。火を起こすのは、案外時間と手間がかかるのである。レナル一人では、手に負えなかった。
「困ったな。あいつら!」
「レナル、オレがやるよ」
 ファルケンが不意に申し出た。
「オレは、あんたよりも平気だし。それに、火の起こし方はよくやってるから慣れてるよ」
「そうか。…じゃあ、手伝ってもらおうかな」
 レナルは、意地を張ることなく素直に彼に任せることにして、握っていた火炎草の束をファルケンに手渡した。
「オレも手伝おうか?」
 レックハルドが珍しく自分から立ち上がる。さすがにそんなに怯えているものを、無理につけさせるのは気が引ける。
「え、客人には悪いよ」
「いいよ。オレは火ぐらい平気だから」
 レックハルドは、ファルケンから火炎草の半分を更に奪い、持ち場をさっさと決めて歩き出す。
「いい奴だな〜、レックハルドって…」
 レナルが感心したような口調で言った。それから、キッと後ろの連中に睨みをきかす。
「それに比べてお前達は!」
 びくうっと狼人連中は、震え上がったが、言い訳するようにお互いぶつぶつといい始める。
「だって、恐いものは恐いし…」
「うるさい!さっさと持ち場に着け!」
 レナルが一喝すると、彼らはまたびくうっとしてから、一斉に木の後ろから飛び出した。まだ仕事が残ってはいるらしい。
 レナルはレックハルドに向けて申し訳なさそうな顔をした。
「悪いな、あいつら、全然火と金属になれなくって」
「いいや、狼人の生態については聞いてるからな。仕方ねえだろ」
 レックハルドは、手早く火を起こし始めた。煙が昇り始める。向こうでも煙が上がっていた。ファルケンが作業をこなしているということである。
「ファルケンは、ザナファルの生まれ変わりみてえだなあ。ああやって火が使えてさ」
 レナルが不意に言った。
「ザナファル?…ゼンクじゃなくってか?」
 レックハルドが、怪訝な顔をした。サライ曰く、ファルケンはゼンクの生まれ変わりと見られて森から追放されたはずなのだから、彼が不審がるのも当然である。レナルは首を振った。
「違う違う。ザナファルだ。確かにそういう噂はあるけど、オレは全然似てねえと思うな。だって、顔も性格も違うって話だし。それにな、火が平気だった狼人は、何もゼンクだけじゃねえんだ。昔は、結構平気だったんだって。それで、この火炎草ってのを使ってたんだ。これは、古代の狼人が火種として使ってた植物の名残なんだっていうんだからな」
「ふーん。お前らにとっても、やっぱりザナファルは英雄なのか?」
「まあな!ザナファルは、ちょっと失敗したけど、人間と一緒に暮らそうとした狼人だからな!それに、森を守ったんだしな!オレにとっちゃあ一番の英雄だぜ!」
 レナルは自信たっぷりに応えた。
「戦で死んだ狼人ってのは、転生するんだってオレたちの中では言われてる。それで、オレはそう思うんだけどなあ」
 レナルはどこか夢見心地な声で言った。どうやら、結構なロマンティストらしい。現実主義のレックハルドは、ついていけなくなり軽くため息をついた。その時、ファルケンの声が響いた。
「レナルー!出来たぞ!」
 さすがにファルケンは手馴れたもので、すぐに火をおこす事に成功していた。レックハルドと一緒に食事を作っている間も、ファルケンは常に火を起こす役なのである。
「おー!じゃ、オレ、ちょっとあっち見てくるわ!」
 レックハルドにそういいおいて、レナルはファルケンのほうに走っていった。
 
 ファルケンは、やってきたレナルに焚き火を示して、それでいい事を確認するとホッと息をつく。
「じゃ、後は任せるな」
「助かったぜ!ありがとな!ファルケン!」
 レナルはそういい、嬉しそうにファルケンの肩を叩いた。だが、ファルケンのほうは、何か気がかりなことがあるらしく、複雑な顔をしていた。そして、そうっと小声で尋ねる。
「でも、レナル…ホントにアレ作るのか?」
 ファルケンの顔は、かなり戦々恐々としていた。レナルは深く頷いて笑う。
「もちろんだ!やっぱり、祭りにアレは欠かせないからな!」
「…オレはやめといたほうがいいと思うんだけど〜…」
 ファルケンが恐る恐るといった風にいうと、レナルはファルケンの肩をバンバンと叩いた。痛かったのでファルケンがわずかに顔をしかめたが、レナルはそれには気付かなかった。
「心配するなって!それに、アレ食うときのお前も十分おもしろいぞ!」
(あれはおもしろさを出すための食べ物なのか?)
 ファルケンはそういう疑問に駆られたが、あえてきくのはやめておいた。何とかレックハルドがアレを食べなければいいのだが…。
 
 
 宴が始まる頃には、とっぷり日が暮れていた。
 主賓のレックハルドの前には、名前の知らない果物やら、焼いた肉やら、焼き魚などが置かれていた。横で通訳然として控えているファルケンによると、狼人は普通焼いた料理を食べないので、これらは彼らにとっては非常なご馳走に当たるのだという。実際、ファルケンはレックハルドと、他の狼人との間で半分通訳のような状態になっていた。まさか、ファルケンに通訳をしてもらう事があるなどとは思わなかったので、レックハルドは、人生の不思議について少し感じるところがあったようである。
「ふーん、で、果実酒と蜂蜜酒が多いんだな」
 レックハルドは、木の器に入れられた酒らしい飲み物を見ながら言った。
「うん、まあな。好きな方を飲んだらいいよ」
 ファルケンはいい、自分はひたすら木の実を口にしていた。レナルは、というと、向こうで大騒ぎしている連中のところで手拍子をうっている。かなり酒が入ってきていて、皆上機嫌になっていた。
「ソルも結構楽しそうだな、意外と要領いいんじゃねえの、あいつ」
 レックハルドは、宴会場と化した草原の隅を見た。みると、ソルとその群の連中が、集まってきていて、料理されたいのししや鹿などの残りや肉をちゃっかりといただいている。
「ソルはあったまいいんだよな〜」
「頭いいっていうより、アイツ、世渡りがうまいんだろ」
 レックハルドはため息をついた。
 不意ににょっと、横から手が伸びてきた。驚くレックハルドの前に、一人の若い狼人が微笑みながら現れる。
「ベニシッド」
 ファルケンが、お椀の中身を見ながら、怯えたような口調で彼の名前を呼んだ。そこには、ワラビやぜんまいのようなくるくるした植物が調味料で煮込まれて、すっかり色を変えたものが肉と一緒に入れられている。
「客人にこれをプレゼントだー!ダラール草の煮っ転がし!どうか、食べてくれ!」
 レックハルドは、ベニシッドという狼人の言葉を受けて、反射的にこくりと頷いた。
「う、美味いのか?」
「美味い美味い!これ以上、美味いシロモノはない!」
 ベニシッドは、けらけらけらっと笑いながら自信たっぷりに応える。横で、ファルケンが、慌てながらレックハルドに何かジェスチャーで伝えようとしていたが、それにレックハルドが気付く暇はなかった。
「じゃあ、もらっとこうかな〜」
 折角すすめられたので、レックハルドは素直にそれを手に取った。ベニシッドが、にぱあっと笑った。
「ダメだ!レック!」
 もはや一刻の猶予も無い。ファルケンは、とうとう彼らの間に割り込んだ。
「どうしたんだよ?」
 レックハルドは不審そうにファルケンを見ながら尋ねる。何があったというのだろう。この慌てよう。ファルケンは必死になって彼に伝えようとした。その手の中の物が、いかに危なっかしいものかという事を。
「レ、レック!ダメだ!ダラール草の煮っ転がしだけは!転がらないものを煮っ転がしちゃいけないって!ホントだよ!ダメだ!」
 わたわたと、ファルケンは手を広げて何か主張したが、レックハルドによりあっさり却下された。意味がわからない。そもそも、元々ファルケンの言う事はよくわからないのだが、混乱している彼の言う事はもっとよくわからない。ファルケンの努力は、あっさりと水に帰したのであった。
「何わけのわかんねえこと言ってるんだ?お前は?」
 レックハルドは、良くわからないファルケンの言い訳に首をかしげ、ぜんまいのような植物の煮物を口に入れた。ファルケンは、口元に手をやり、心配そうな顔でそれを見送った。
 時が止まった。
「な、な、なんだこれ!!!」
 レックハルドは叫び、速攻で口の中のものを吐き出した。味覚がおかしくなりそうだ。感情が一斉に口から飛び出す。
「甘くてすっぱくて辛くて苦くてしょっぱい!なんだ、このシロモノは!!しかも、なぜ喉越しだけ爽やか!なんだ、これは!!!」
「あっはっはっは。大げさだな。レックハルドは!」
 げたげたと狼人達が笑い出した。
「大げさじゃねえ!ま、まずすぎる!まずすぎるんだ!」
 狼人はまだ笑っている。
「えー、こんなご馳走なのに?レックハルドは、変な奴だ!ファルケンと一緒だ!ほら、ファルケンも一緒だ!」
「え?ファルケン?」
 言われてレックハルドは、ファルケンのほうを見た。本当は食べたくなかったらしいが、数人の狼人にすすめられ、断りきれなかったらしい。ファルケンは、それをちょうど口に入れた後だった。しばらく、ファルケンは凍りついたように動きを止めた。それから、だらだらだらーっと傾いた器から煮汁がこぼれ、かたんと空のお椀が地面におちた。それを見て狼人たちはまた大爆笑した。
「あっはっは。ファルケンも変だ!」
(お前らが一番変だ!)
 レックハルドは心の中で叫んだが、それは声にはならなかった。
「おい、止まってるぞ。大丈夫か?」
 レックハルドが、さすがに同情したような声で言った。まだ、ファルケンの動きは止まっていた。表情が固まったままで、動いていない。
「うん、今回だけはお前の言う事をきくべきだった」
 口の中のものを吐き出してから、ファルケンは顔を上げた。少し涙目になっている気がしなくも無いが、何とか復活は遂げたようである。
「…な、転がらないものを転がしちゃいけないんだって」
「お前の言うとおりだった」
 レックハルドは、感慨深げに頷いた。
「そうだよなあ、無茶はやっちゃいけないよな」
 レックハルドは、大概のものは食べられると思っていたが、こんな無茶な料理があるなんて、本当にショックである。
「よお、楽しんでるか?客人」
 レナルが突然どこからともなく現れて、彼の肩を叩いた。狼人は、本当に油断がならない。神出鬼没である。さっきまで、彼は向こうで馬鹿騒ぎしていた気がしたのだが…。
「微妙、ってところだな」
「微妙か〜。それはいいや」
 レナルは微妙の意味をわかっていないらしい。あっはっはと、明るく笑っていた。
「よし!じゃあ、一杯飲むものもあるからな!遠慮なく飲むんだぞ!」
 レナルは、無神経にレックハルドの肩を力いっぱい叩いた。ものすごく痛かったのだが、やはりレナルは気付かずに豪快に笑って近くの酒を口に含むとそのまま、近くのグループの中に入り込んでいった。
「あいつ、無茶苦茶すぎるぜ!」
 レックハルドは吐き捨てた。ファルケンを見ると、彼は苦笑いをして黙っていた。
 つまり、仕方がないということなのだろう。狼人と付き合うという事が、いかに重労働なのか、レックハルドは改めて認識した。


 夜行性の鳥の声がする。夜の辺境を一人歩いていると、普通はたくさんの猛獣達が近寄ってくるものだが、彼は違った。彼が歩くと、辺境狼も辺境山猫も皆、恐れをなすように身を潜めた。何か触れてはならないものに触れることに怯えるように。
 やがて、彼はその位置に立った。懐から、木製の水筒を取り出し、彼は水を一口飲んだ。それから、その水筒の中に、取り出しておいた赤い染料の塊を投げ入れた。それは溶け出し、水はたちまちに赤い液体に変わった。
 地面にその赤い液体を落としながら、彼はふうっとため息をつく。
「こんな方法しか、僕には思いつかないんだ」
 その液体は、やがて魔法陣の形に草の上を広がっていく。自分で意思があるかのような広がり方である。
「だけど…、辺境があるから…この世は……」
 彼、シャザーン=ロン=フォンリアは、呟く。
「…辺境さえ、なければ…我々はもっと幸せに生きられるんだから…」
 その声は、まるで自分に言い聞かせているようだった。
 やがて、足元の草が漣を立てるように動き出す。草達が、迫る不吉な予感に囁きあうような音だった。
「そう、これしか、方法は…無いんだよ」
 シャザーンは、指を立て軽く印を切った。やがて、彼の口から、古い 辺境古代語 ( クーティス ) が流れ始めた。
 ざわざわ…
 草が再び不安に揺れた。その時、雲が月を隠した。シャザーンの繊細な顔を、やがて闇が覆っていく。





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背景:自然いっぱいの素材集
©akihiko wataragi