第八章:狼人レナル(2)
辺境の地形は複雑だ。下に大木が寝転がっていたり、つたが生い茂っていたりする。それを器用に避けながらレックハルドは走っていた。だが、後ろから追いかけてくるものはもっと器用である。
「は、はやい!」
半ば後ろをうかがいながら走り続けたレックハルドは、狼人のあまりの速さに驚いた。狼よりも、更に速い位である。
「人間のカッコで四つ足モノよりはやいってどうなんだよ!!」
咄嗟に吐き捨て、レックハルドは前を向いた。そして、慌ててブレーキをかけた。
「うわっと!!」
大木に阻まれ、レックハルドはスピードを落とした。慌てて違う道に入り込もうとするが、狼人がそこにすでに回っていた。奇しくもまたしても狼に追いかけられた時と同じ状況になったわけである。
今日は何てついてない日なのだろう。全てファルケンのせいだ。
「ち、畜生…」
じりじりと狼人は間合いを詰めてくる。珍しいものを見るように、好奇心に輝いた目をしながら…。まるで、鳥を狙っている時の猫のようだ。
「よ、寄るなよ!ホント、火ィ焚くぞ!!」
脅し文句になるのかどうだかもしれず、レックハルドは思わず叫んだ。だが、やはり一団はじりじり迫ってくる。
「そこまで!」
森の中を凛と声が響き渡った。レックハルドはハッと上を見た。
「お前ら、また逃げられたらどうするんだ!もっと、声のかけ方を変えろ」
軽く注意するような声にレックハルドを取り巻いていた十人ほどの狼人たちは、黙り込んだ。それから、言い訳をする子供のような口調で言い出す。
「リャンティール。…だって、オレたち…歓迎しようとおもったんだ!」
リャンティール、といわれた男は、木の上から少し叱るような口調でいった。
「だってじゃないだろ。これまで、何人に逃げられたと思ってるんだよ?…折角辺境に入ってきてくれたんだぞ!そんな変わり者な人間あんまりいないんだから!大切にしなきゃな!」
(か、変わり者?)
ひく、と頬を引きつらせたレックハルドだったが、いきなり声がする木の上から、何者かが飛び降りてきたので、驚いて身を引いた。ざんと着地し、降りてきたものはレックハルドに向き直る。思わず身構えた彼に、男はにこりとした。
「悪いな。客人」
髭を蓄えた狼人だった。ファルケン並に大雑把なメルヤーをしている。他のものと比べて、ややファルケンのような顔立ちだが、彼よりも線が細かった。髪の色は、緑がまじってはいたが、金色というより黄土色に近いような気もする。ただ、言葉遣いと雰囲気は些か彼には不似合いなほど豪快すぎる。その点では、はるかにファルケンをしのいでいた。首の傍に辺境狼の毛皮がかかっている。動くたびに、甲高い澄んだリィンという鈴の音が聞こえた。それが毛皮の尻尾の部分にくくりつけられている。他の狼人と違い、腰に剣が帯びられている。
「他の連中は、ちょっと世間知らずでな。人間の歓迎方法をよくしらねえんだ」
彼はにこ、と、見かけにあわない純粋な微笑を浮かべた。
「だ、誰だ!お前は!」
「レナル=ロン=タナリー。あんたにゃあ、銅鈴のレナルといったほうが通りがいいな」
「レナル?」
ぴんとレックハルドは、顔をあげる。
「そうか、あんたがレナルか」
「ん?オレを知っているのか?あぁ、お前さん、ファルケンと知り合いかぁ。じゃあ、知ってるか」
レナルは、一人納得して、なるほど、なるほどと呟いている。
「すぐにわかるな。これか?」
レックハルドは、右手の守護輪を引き出して見せた。レナルはこっくりと頷いた。
「そうだ。ファルケンの作る守護輪は特別だかんなぁ」
レナルは、ちらと後ろでぼけーっとしている狼人に目をやった。
「こら!お前ら!ちゃんと、働け!」
「はい、リャンティール!」
狼人はどやしつけられてようやく我に返ったように、四散した。
「全く!全然役に立ってないんだから!」
レナルはそう呟いた後、レックハルドの方に振り返る。
「すぐに用意させるからな〜。もうちょっと待ってくれよ」
「い、いや、オレは道を…」
この変な狼人相手に話をしたくないレックハルドは、とっとと帰りたかったのだが、レナルは笑いながら向こうの狼人たちに指示を飛ばしている。
(用意って何の用意だ。)
レックハルドは不安に駆られた。もし、自分を食べるとか何とかいう用意だったらどうしよう。
「リャンティール!」
いきなり、他の狼人から呼ばれてレナルは振り返る。
「何だ?」
リャンティールというのは、どうやら『おかしら』という意味らしい。
「今すぐ用意する!あとちょっとで用意ができるぞ〜!」
狼人の青年は、ひどい巻き舌でいった。
「そっか。よっしゃ〜!今行くぜ!」
「さ、さっきから用意用意って…な、何の用意だよ?」
レックハルドが、ぞっとしたような顔をしたので、レナルは心配ないとばかりに微笑む。
「もちろん、宴だ」
(誰の宴だ!)
レックハルドは急速に不安になった。このレナル以外は、ほとんど話が通じない。サライが、ファルケンは随分と人間なれしているからといったが、それは本当らしい。他の連中は、なんというか、人間の常識があまり通用しないのである。
「ちょ、ちょっと待った。あのさ、今、オレ、ファルケンと一緒に旅をしているんだ。アイツ抜きで宴っていうのはどうかと」
「そうか!」
いきなり、レナルががっとレックハルドの肩を掴んだ。びくうっと怯えるレックハルドに気づかず、レナルはばんばんとレックハルドの肩を叩く。力が強いのに容赦ないので、無茶苦茶痛かったが、この際もうどうでもよかった。
「そうかあ!ファルケンもやっと人間と一緒に付き合えるようになったんだな!じゃ、お前さんは特別だ。より豪華な飯をつくらなきゃ!」
「ご、豪華な飯…」
そんなものよりも早く帰りたいのだが、さすがにレナルにそれはいえない。余計な事を言ったかもしれないとレックハルドは、頭を抱える。ファルケンはあれでまともなので、気にしていなかったのだが、狼人が人間を食さないという保証はないのだ。しかも、目の前の男たちは野生そのもの。たとえ、彼らがレックハルドを食べ物とみていなかったとしても、何を食わされるかわかったものではない。
(こ、こんなところで終わってたまるか!オレの人生!)
レックハルドは、恨めしげな目で緑に覆われてほとんど見えない空を睨んだ。
(畜生!ファルケンの奴〜〜!おぼえてろよ!)
速い速度で、ソルとファルケンは暗い森の中を歩いていた。さすがに人間のレックハルドとは違い、彼らは見えなくても地面の様子が手に取るように分かるらしく、何の躊躇もなく足を滑らかに運んでいた。
その途中、不意にソルが頭をもたげて、ファルケンに話しかけてきた。まだレナルのグループのいる場所からは程遠い。
「しかし、珍しいですね」
言われてファルケンは怪訝そうにソルを見た。
「何がだ?」
「いえ、兄貴がこの辺りまで来る事ですよ」
「あぁ。そうだな」
ファルケンは、少し寂しげに微笑んだ。
「…オレは本当は、境界線から中入っちゃいけないんだからな」
「司祭
ですか?」
「ちょっとぐらいなら文句は言われないよ。一週間以上中に入ってたら、排除されるけど」
ファルケンはそういいながら、深い森の更に奥の方を見るように、目を狭めた。
「…先程の旦那は、全て知っているんですか?」
「レックのことか?」
ファルケンは、ソルに目を戻し、少しだけ笑った。
「あぁ、レックは…多分、色々分かってるんだと思う。オレには何も言わないけど」
目の前の木の枝をパンと払う。
「…でも、多分知ってるよ。レックは、勘がすごくいいし」
「なるほど。それで、レナルの旦那のところへ?」
「そう。だから、連れていっても大丈夫だと思ったんだけど…」
ファルケンは、それから少し苦笑いした。
「レック一人じゃ大変だろうなあ〜」
「レナルの旦那の
集団
(
は、若い連中ばっかりですからテンションも高いし」
「…そうなんだよな。ソル、お前、レックを案内する時、ちゃんとレナルは無茶だって言ったか?」
「ええと、どうでしたかね」
ソルはすっとぼけた。実際は、ソルは彼自身の悪戯心から、レックハルドに相手が狼人だということすら告げていないのである。レナルが幾ら無茶だと言っても死ぬような無茶は絶対しないだろうし、そのくらいは許されるだろうとソルはたかをくくっていた。
「ま、仕方が無いか」
ファルケンは、そういってぽんと手を打った。
「じゃあ、とりあえずレナルのところへ急ごう!」
「了解」
そういうと、ファルケンとソルはスピードをやや上げて、深い森を進んでいった。暗い森のなかを、ファルケンの魔幻灯だけが、ぼんやりとした赤い光を放っていた。
準備が出来るまでという事で、レックハルドはレナルに呼ばれて、一緒に木の上にいた。
レックハルドが、まだ何かとびくついているのを見て、レナルは顔に合わない豪快な笑い声を上げて、それを笑い飛ばした。狼人は、大体が、ファルケンよりも相当繊細な、線の細い二枚目なのだが、性格はというと、ファルケンのほうがかなり繊細に思えるほどである。顔と表情が一致しないものが大多数である。外の世界なら、役者でもやりそうな美青年だろうが、ここに来れば大口を開けて笑い、豪快に食物を頬張ったりする。
「あはは、なーに恐がってるんだ?オレたちがまさか、人間を食うとでも思ったか?」
「い、いやっ。そ、そういうわけでは!」
図星を指されて、さすがのレックハルドも少し狼狽する。
「そ、そうじゃなくってだなあ」
「ま、いいや。そうそう、準備の間にこれでもどうだ?」
そういって、レナルは木のお椀に入ったトロトロした飲み物をすすめてきた。
「何だコレ?」
不審そうなレックハルドにレナルは、自分の分をがぶ飲みしながら言った。
「それは、クルセラン蜂の蜂蜜を水で溶いたものだ。遠慮せずに飲んでいいんだぞ」
(いや、遠慮してるわけじゃないんだがな)
遠慮しているのではなく、本気で躊躇しているのだが、その辺りをレナルに伝えるのはどうも難しそうである。レックハルドは、とうとう観念してそれを口にふくむことにした。
甘い味が口の中に広がる。
「…う、美味い」
レックハルドは、驚いた顔をしてお椀の中の少し濁った液体を見た。
「…甘いのに何かあっさりしてて…」
コレは外で売れるぞ!という心の中の叫びをおさえて、レックハルドは素直に評価する。
「だろう?クルセラン蜂は、辺境にしかいないからなあ。外じゃ飲めないし」
レナルは、得意そうに言った。
「たくさんあるから好きなだけ飲め。おまけに体にもいいんだぞ、これ」
「ふーん。なるほどな。商品価値は無茶苦茶高そうな気がするけど」
レックハルドは、すでに商人としての観点からの言葉を吐いてしまいながら、その飲み物を更に三口程飲んだ。
「リャンティール!」
木の下から、狼人の青年が叫んだ。おう!とレナルが応え、青年が何か言った。だが、それはレックハルドにはほとんど聞き取れなかった。何となく言葉になっていそうだが、ほとんど片言に近かった。やがて、狼人の青年は、たったとどこかに行ってしまった。
「なんていったんだ?」
「あぁ、『もうすぐ、できる!』って」
「何言ってたかオレには全然わかんなかったぜ?」
レックハルドがいうと、レナルは、にっこりとした。
「ああ、そりゃあそうだろうな。他の連中は
辺境古代語
(
訛りがひどいやつもいるんだ。狼人の大半は人間と同じ言葉をしゃべってんだが、何しろ人間とはあまり喋らないからな。
辺境古代語
(
の訛りが強く残ったりするんだよ。それでだろ?聞き取る分には大丈夫なんだがな」
「クーティスか。…ん?あんたは随分と、他の連中よりも喋り方が…」
レックハルドが首を少し傾げる。片言の不器用な人間の言葉を話す狼人の中、レナルははっきりと他と違っていた。少なくともファルケン並み、いや、ファルケンよりもはっきりとした言葉を話している。
「ああ。それはなあ。オレは、昔、ファルケンぐらいの年んときに、オレは人間界を旅した事があるのさ。その時、
辺境古代語
(
の訛りがかなり抜けたんだ」
「追い出されたのか?」
「いいや、好奇心っていったっけ。あれで」
「好奇心?」
レックハルドは奇妙な顔をした。人間界に狼人が出るということは、相当な苦難を伴うのである。それなのに、彼は好奇心で外に出て行ったなどというのである。ファルケンでも、追放されなければ外に出てこなかっただろう。
「嫌な事も多かったんじゃねえのか?」
レックハルドは、そう訊いて、飲み物を口に入れる。レナルは、木の上まできてようやく覗いた青空を仰ぎながら応えた。
「そりゃあ、辛い事もうれしい事もあるだろ。…だけど、最終的には楽しい事のほうが多かった。オレは外の世界が好きだ」
レナルはにこりとした。
「ファルケンにもそういったんだけどな。最初は嫌がってたみたいだが、最近はようやく外の世界のよさっつーのがわかってきたかな」
レックハルドは。ある事を思い出してレナルに訊いた。
「ちょ、ちょっと待て!あんたがファルケンに人間界のこと色々教えたのか」
レナルは、きょとんとして、ああ。と応えた。
「ちょっとだけだけどな。基本的なこと。ああ、そういや、人間は風呂に入って食事するとか、そういうのを教えたら、後でそれは違ってたって言われたなあ。あはは〜、オレはそう教えられたのになあ」
(…あいつの持てる人間界についての間違った知識の元凶がここに!)
レックハルドは、半ばあきれた目をレナルに向けながら思った。だが、それ以上突っ込む気になれないので、黙ってため息をつく。
「…人間は…とても優しいって教えたんだよな。あいつ、最初は全然なじめなかったらしくて、何度か相談に来てたんだ」
「ふーん、そうなのか」
(あんたに相談したところで全然役に立たないだろうけどな!)
レックハルドは、心の中でそう付け加えた。
「昔、アイツはよく泣く奴で〜…何かとぴいぴい泣きながらオレんとこきてたよ」
「泣く?」
レックハルドは怪訝そうな顔をした。
「…そういや、オレ、アイツが泣いたの見たことないな」
彼と旅している期間はそう長くはないのだが、色々あったにはあった。だが、そもそもあまり涙もろくないレックハルドが、涙をこぼしそうになったときですら、ファルケンは涙一つ見せなかったのである。感情の起伏は激しくはないが、表情豊かな方のファルケンが泣かないというのは、不思議な気がした。
「何十年前だったか忘れたが、ある時からいきなり泣かなくなったな。そういえば」
レナルはいった。
「いきなり?」
「さぁ、男は泣かないもんなんだ、とか言い出して」
「はぁ?」
レックハルドは間抜けな声を上げた。
(またどこかで変な事吹き込まれやがったな。)
ファルケンには良くあることだとは思うが、それで本当に泣かなくなるものは珍しいと思う。
「まぁ、それから妙に大人びてきちまって、ここにいるやつらより、よっぽど頭いいぞ」
レナルが、下を指し示した。そこでは狼人がせっせと働いている。レナルは緑を基調としたかなりきっちりした服を着ているが、他の狼人はそれほどきっちりとは服を着ていない。毛皮を体に巻いているものや、布の服をきているものなど様々だ。乾燥させた花や木の実のペンダント、木で出来た額冠をつけているのは、ファルケンの言う『
シェンタール
(
)』なのだろう。
それを見て取ったのか、レナルはこう話しかけてきた。
「オレの
集団
(
は服をちゃんと着せてるが、狼人は、普通毛皮一枚ぐらいしか身につけないもんなんだぜ。だけど、それじゃあ人間がみたら逃げるだろ?」
「チューレーン?」
「そうだなあ。グループのことだ。他に花とかつけてるのがシェンタール」
「あんたのしるし
(
)は?」
レックハルドが尋ねると、レナルは笑って、首に巻いている毛皮に引っ掛けた鈴を指でつついた。りいんと音が鳴る。
「これだ」
「それで銅鈴のレナルか。…じゃあファルケンは?」
レックハルドは何気なく尋ねる。
「あいつは魔幻灯を持っているから、『魔幻灯のファルケン』。
辺境古代語
(
じゃ、ファルケン=ロン=ファンダーンっていうんだ」
「なるほどな。シェンタールが名前につくってわけだ」
レックハルドは、妙に納得してうなずいた。
不意に、レックハルドは真剣な顔をして、ぽつりと呟いた。
「なぁ」
「何だ?」
レナルが訊くと、レックハルドはややためらいがちに言った。
「アイツが追放されたってのは聞いてるけど…中に入れてやるわけには行かないのか?」
レナルは、表情を曇らせて、少しうつむいた。
「オレは入れてもいいと思ってるんだが、スーシャーがダメだといえばダメになるんだ。力で対抗しても、あいつらには勝てないし」
「そうか」
レックハルドは、ため息を軽くつく。
「それにな…」
レナルは付け足した。
「最近は、あまり戻りたいって言わなくなったな。やっぱり、外の世界が気に入ったんだろ。…アイツも結構強情だし、自分から言い出さない限りダメだろうな」
「強情?…まぁ、言われて見るとそんな気もするが」
レックハルドは、ファルケンがそう意地を張っているのを見た覚えがなく、少し考え込んだ。レナルは首を振って言う。
「いや、あれは結構強情だぞ。一度決めるとてこでも動かないしな」
「…そうなのか?…まぁ、あいつが意地張る前にオレが張ってるからな。…オレの前じゃめだたねえか…」
レックハルドはそういって頭に軽く手をやった。
「ん?」
レナルがぴんと顔を上げ、やがてゆっくり立ち上がった。
「どうやら、到着したらしいな」
レックハルドが続けて顔を上げた。
「何が?」
「ファルケンだよ。ほら、あそこに魔幻灯が見える」
レナルは、森の中を指し示した。木々の深い枝の中、赤い光がちらついて見えた。
「…ようやく来たのか」
レックハルドは、今更ながらに彼に対する恨みつらみがよみがえってきて、どう責任を取らせようかと考えながら呟く。
「…随分と遅かったよなあ」
「結構時間食ってたな。…まあ、そろそろ準備も終わる頃だし、ちょうどいいか!」
レナルはレックハルドの思惑などに気づきもしないで、嬉々としていった。
「さて、客人!オレたちも下に降りようぜ!そろそろ、宴の開始だ!」