辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2003
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第七章:サライ=マキシーン(2)

 ファルケンの姿をうっかり見失い、ロゥレンは不機嫌だった。
「…くーっ!あいつ、また街の中逃げ込んだわね!」
 ファルケンにしてみれば、逃げ込んだつもりもないだろう。もともと、ロゥレンがただついてきただけなのだから。
 見失って、本当は途方にくれていたロゥレンは、草原の中にぽつりと座り込んだ。向こうに領主の屋敷が見えた。そう大きくはなかったが、外の世界をあまり知らないロゥレンにとっては、それはものめずらしくて、十分に綺麗なものだった。
 ざりと、後ろで草を踏む音がし、ロゥレンは慌てて振り返った。そこには、人間の女が立っていた。一瞬焦ったが、その娘には見覚えがあった。
「あら、あなたは?」
 人間に姿を見られ、ロゥレンはぎくりとしたが、相手が人の良さそうな若い娘…おまけに、時々レックハルドやファルケンと一緒にいる娘だと知って強気に出た。
「な、何よ!」
 紅い髪をした若い娘は、おっとりと首をかしげてほほえんだ。
「…妖精さん?」
「そうよ!悪い?」
「別に悪くはないけど、もしかしてファルケンさんのお知り合いかしら?ファルケンさんから、あなたぐらいの妖精の友達がいるってきいていたの」
「知り合いっていうと、知り合いだけど」
 ロゥレンがどんなにぶっきらぼうに答えても、前の娘は怒らない。
「まぁ、やっぱりそうなのね。よかった!あたしは、マリス。レックさんとファルケンさんのお友達なの。よろしくね。あなたは?」
「なんで、あんたに名前を言わなくちゃいけないのよ?」
 マリスは、少し困った顔をして、
「だって、名前を聞かなきゃあなたの名前を呼びようがないじゃないの?そうなると、少し不便でしょ?」
「…そ、それはそうね」
 ゆったりといわれてロゥレンは、妙に納得してしまう。ファルケンにしろ、ミメルにしろ、この娘にしろ、やたらゆったりといわれると困ってしまう。
「あたしは、ロゥレンよ。ロゥレン・エレス・シェンクアー」
「しぇんくあー?」
「あんた達の言葉でいうと、閃光っていう意味。わかる?「エレス」は、女の子の名前の前につけるわけ。ファルケンは男だから「ロン」なの。あいつのこと、ファルケン・ロン・ファンダーンって言うでしょ?」
 マリスは、「それは知らなかったわ」といってこくりとうなずいた。
「それが、あたしのシェンタール ( しるし ) なの。男連中と違って、妖精のシェンタールは能力とかかわりがあるのよ。あたしには、光を操る力があるから」
「そう、すごいのねえ」
 まるで意味がわかっていなさそうな顔をして、マリスが微笑んだ。ロゥレンはこれ以上、説明するのをやめた。
「ファルケンさんに会いに来たの?」
「ば、馬鹿いわないでよ!」
 ロゥレンが、怒ったように言った。顔に幾分か焦りが見える。
「あんなトロイ奴に会いに来るもんですか!」
「でも、ファルケンさんはこの街にいるらしいのよ。一緒に会いに行かない?」
 マリスは笑いながら言った。
「どうも、お屋敷にいても暇だから、許しをもらってしばらく旅行する事にしてたの。ファルケンさんらしい人がこちらに来たってきいて、ここまで来たのよ」
 過保護という噂のハザウェイ氏が、どうやってこの娘のわがままを許したのかは、あまり想像できなかったが、何にせよ、マリスがここにいるということは、しばらく一人旅をすることを許されたという事ではあるようだった。
「あたし、あいつになんか会いたくない」
「でも、街には行きたくない?あたし、今から街でお買い物をしてこようって思ってたんだけど、一人で行くより二人で行ったほうが楽しいと思うの。一緒に行きましょ?」
「…で、でも、あたし…」
 マリスの誘いにロゥレンは動揺した。本当は、少し人里に下りては見たかった。ただ、それをやると、人間に姿を見られる事になってしまうし、それに少し恐かった。
「大丈夫よ。妖精ってことをばれなければいいんでしょ?」
 マリスはにこりとした。
「は、羽は隠せるけど、あたし、耳は無理だもん!」
 ロゥレンは長い耳をつまんだ。羽はその気になれば、人の目に触れないように出来たが、耳だけは無理だった。
「大丈夫!こうすれば、ばれないわ!きっと」
 マリスは、自信満々で自分が肩にかけていた薄紅色のショールをとると、ロゥレンの頭にかぶせて、整えだした。
「な、何するの!?」
「大丈夫。あ!すごい、可愛い!ロゥレンちゃん!」
「え!かわいい?」
 ロゥレンは、思わずその単語に反応した。可愛いなどとあまり言われる事がなかったので、思わずどきりとしたのだった。
「うん。すごく可愛いわ〜」
 マリスはにこにこと無邪気に微笑んで、ぽんとロゥレンの肩を叩いた。
「…街にはもっとかわいいものがたくさんあるの。きっと、ロゥレンちゃんにも似合うわよ」
「そうかしら」
 そういいながら、ロゥレンはすっかりその魅惑的な言葉のとりこになっていた。そして、目の前の赤い髪の娘を見た。
「さぁ、行きましょ!ロゥレンちゃん」
 変な子だとロゥレンは思った。どうして、妖精を目の前にして、こんなに親切で冷静でいられるんだろう。
「うん」
 しかし、ロゥレンは今は考えるのをやめることにした。街には、彼女が見た事もない、様々な輝きがあるはずである。


 レックハルドの視線を受けて、サライは再び話し始める。
「本来、辺境の者達は、非常に目がいいから、夜も光をもってうろつく必要がない。獣から身を守るすべも知っている。体を温めるのも、それほど火を必要としないものだ。それほど必要でないのなら、森を焼いてしまう火を無理に使う事はない。それに、彼らは火に対して異常なまでの恐怖を持っているので、使いたくないというのが本音らしい」
「じゃあ、あいつはどうして?」
「それが、わからないのだ」
 サライは少し苦い顔をした。
「ファルケンだけが、火を使っても平気で、彼だけが炎をそれほど恐れない。それゆえに、あれの印は魔幻灯になった。だが、それは、辺境の中での生活を禁止する理由にもなる」
「じゃあ、あいつは、本当に辺境を追放されたんですか?」
「そういう言い方が正しいとしたら、そうなるな」
 サライは軽くため息をつく。
「あれは随分と努力したようだがな。辺境の外で暮らすしかないのなら、人の世界に溶け込まなくてはならない。それを感じて、文字まで完璧に習得した。しかし、あれも真面目なだけに不器用だからな。結局、溶け込めないまま、今に至る」
「…そういうことだったんですか」
 レックハルドは、少し視線を落として、この前、彼に言った言葉を思い出した。芝居とはいえ「辺境に帰れ」とは、なんてひどいことをいってしまったのだろう。帰りたくても帰れない。彼はそういう身上だったというのに。
 ファルケンはとっくに許してはくれていたが、何となく自分が許せない気分だった。
 サライが慰めるつもりだったのか、不意に穏やかな口調で言った。
「君がここに来たという事は、まぁ、いい方だがね。君がそういう態度をとる人間だという事は、ファルケンはかなり君を信用しているはずだ。信頼できる人間さえいれば、ファルケンは人を憎悪する事はないだろう。一度憎悪を覚えると、狼人は、時に恐ろしい方向に力を使う傾向がある。あれは、まだ子どもだ。…今、他人を憎む事を覚えれば、古代の惨劇の再来になってしまう」
「ど、どういうことですか?」
 話が物騒な方向に向くので、レックハルドは少し恐れるように訊いた。サライは顔色を変えていない。
「狼人の事を率直にみて、どう思う?まあ、君はファルケン以外のものについてはあまり知らないだろうが。奴らは随分騙しやすいと思わないか?君は知らないだろうが、ファルケンは、あれでかなり騙しにくいほうだ。まだ若いが、人間の世界を見てきているからな。多少の警戒は覚えている」
「はい。確かに。妖精のほうはちょっとしっかりした印象ですけど、なんかぼけっとしてるなあって」
「妖精よりも、狼人は他人を信用しやすい。多くの場合が素朴で何も考えずに人を信じる。それが愚かに見えるかもしれないが…それが彼らの本性とはいえない」
「といいますと?」
「狼人は、本来、賢明だということだ。人に騙され続け、人間を全く信用しなくなったり、また仲間を信用しなくなると、彼らは憎しみを次第に抱くようになる。そうなると、急速に悪賢くなる傾向があるということ…。彼らが愚直にみえるのは、彼らが人を疑わないだけの事だ」
「…疑わないだけ…。でも、ファルケンが他人を…なんてそんな」
 レックハルドは、言葉を詰まらせた。
「何かの間違いですよ…、あいつは、人を憎めるようなタイプじゃありません」
「いや、前例があるのだ」
 サライは目を細めた。
「…ゼンクという狼人がいた。それが森を焼いたが為に、狼人はそのショックで火が使えなくなったといわれている。その狼人が、…そういう風だったからな。子どもの頃は素直だったが、大人になると破壊と殺戮を重ねるようになった。そして、他人に深い憎しみを抱いていた」
「そんな…」
「ファルケンは、それの生まれ変わりだという噂がある」
 レックハルドは、立ち上がった。
「輪廻転生なんてオレは信じませんよ。噂だなんて、言いがかりじゃないですか!」
 サライは、それに目をやり、彼に座るように促した。レックハルドは、少しむっとした顔のまま、どすんと席に着いた。
「あくまで噂だ。輪廻転生というものが、本当にあるかどうかもわからない」
 サライは言う。
「…ただ、あれが追放された理由にはそれが入っているといわなければいけない。あれには、そう見られるには十分な条件がそろっていた」
 レックハルドは無言だった。
「ゼンクは…炎を自在に使えた。…ファルケンはそれの再来に見えたのだろうな。おまけに、彼は他の狼人よりもかなり異質な顔立ちをしているだろう?あぁ、他のは見た事がないかな?他のものは、皆、女性と見まがうような綺麗なほっそりとした顔をしている。まぁ、性格はこれ以上ないほど豪快だが…。ファルケンは、彼らの中では随分と男っぽい顔立ちでな。中にいるだけで、浮いてしまう。それに…」
「他にもあるんですか?」
「あぁ、…他のものよりも潜在能力が高すぎる。…あまりにも強すぎるのだ。ファルケンは…。あれ自身は自らの才能に全く気づいていないが、魔力についての把握も、知恵も、力もな…」
 レックハルドが、黙り込んでいるのを見ながらサライは続けた。
「あれは、…『イレギュラー』なのだ。…槍玉にこれ以上あげやすいものはない。辺境に何かが起こった時に、あれは真っ先に切り捨てられる役だった」
 そして、少し目を細めて彼は言った。
「日蝕が頻繁に起こりだした。…狼人も神経質になっている。辺境に変化がおきたことで、どうしても、原因をあれにかぶせねば、平常心を保っていられなかったのかもしれんがな」
「あいつは、生贄なんですか?」
 レックハルドの言葉には、反感がこもっていた。
「…そういう言い方も出来るかもしれない」
 サライは静かに答えて、それから視線を落とした。


 竪琴を爪弾きながら、シェイザスはゆったりと唄い始める。目の前には、領主と客人たちが控えていた。
 シェイザスは、黒髪にキラキラと輝く金の髪飾りをつけて、紫のふわりとした衣をきて座っていた。
 
『 古き記憶をたたえるもの…
  森の奥に眠る 黒い竜…
  またしても、滅びの夢を見る…

  ああ、旅人よ… 
  その国は滅んだか…

  カルナマクの砦…
  ザナファルの剣…
  
  遠き都には
  もうあの日の輝きは戻らぬか?
 
  私には何も見えないのに…
  そこまで行く事が出来たら…
  真偽を確かめてやろうぞ…          』
 
 彼女がうたっているのが、古い伝説の歌だというのは、あまり知られていなかった。
 だが、来賓たちは、美しい彼女と、その静かで哀調を帯びた歌声に引き寄せられ、それにうっとりと聞き入っていた。
 だから、窓の外で、同じくこれを聞いている者たちがいるとは思わなかったのである。
「ダルシュ〜…これは見つかったらやばいんじゃないのか?ここってお屋敷だろ?…捕まりそうな気がするけど」
 庭の窓の外で茂みの中に潜みながら、ファルケンは言った。横には、ダルシュが複雑な表情をして張り付いている。
「…うるさい!でかい声だすな!」
 ダルシュは小声で鋭く制したまま、ちらちらと窓の中をうかがった。
「…シェイザスって歌上手かったんだな。知らなかった…」
 ファルケンがぼそりという。
「…あ!今度は踊りか!あいつ、こんなところで儲けやがって!…なんだよ」
 ダルシュの言葉にファルケンが窓を見ると、彼女は扇子のようなものを出してふわりと踊りだしていた。軽快な音楽が、たんたんと響く。
 決して露出度の高い衣装ではなかったが、彼女はそれだけでも異様なまでに綺麗だった。流し目と時々うかべる妖艶な笑み。それだけで、彼女は周りを圧倒し、うっとりさせるだけの美貌をそなえている。黒髪が美しくなびいているのが見えた。
 ダルシュは、しかし、それを見ながらやけに複雑な顔をしていた。
「…ダルシュ…警備の人に見つかったらどうする?」
 ファルケンがきいた。
「お前がやっつけろ!」
「…乱暴だな…」
 ファルケンには、ダルシュがどうしてこんな風に真剣になっているのかは、いまいち理解できなかったのだが、彼が全く話を聴いていなさそうなので、しばらく様子を見る事にした。
 やがて、音楽もやみ、人々の談笑が聞こえてきていた。ファルケンは、多少眠気を覚えたので大あくびをしていた。何とか警備兵にも見つからずにすんでいるようだ。
「あ!頭下げろ!」
 いきなりダルシュが鋭く言ったので、ファルケンは頭を下げた。
 彼の視線を追うと、庭の向こうの方にシェイザスと貴族風の男が現れた。何か親しげに話をしているようだったが、少しその様子がおかしかった。
 いきなり男がシェイザスの手を掴んだのだ。
「何するんです!」
 シェイザスは慌てて振り払おうとしていたが、彼は放さない。
「…いいだろう?私の妻になれば、もうこんなことをしなくたっていいんだ…」
 彼は少し興奮気味に言った。シェイザスは、少し顔をしかめて、手を振り放そうとしている。
「ちょ、ちょっと…待ってください!私には!」
 その様子を見ていたダルシュの表情が、一気に変わるのをファルケンは見た。ざっと青くなったと思ったら、少しだけ赤くなった。鬼のような形相というのが、こういうものなのだというのをファルケンはおぼろげながら知っている。
「あ!あいつ!!許せねえ!」
 ダルシュは立ち上がった。向こうの男が慌て、シェイザスは驚いたように少しだけ口をあけた。
「この野郎!覚悟しやがれ!」
 そのまま、腰の剣の柄を押さえながらそちらに向かって突っ込んでいく。ファルケンは慌てて立ち上がった。
「ダルシュ!」
 止めようとしたのが、すでに彼は向こうへと行ってしまっている。
 貴族風の男の声で、警備兵が庭に集まってきていた。ダルシュはそれと応戦しながら、どんどん貴族の男を追っていく。
「ええ!…ど、どうしよう!」
 ファルケンは、後ろからやってくる警備兵を見た。どんどんと彼らは迫ってくる。ダルシュが、向こうで警備兵相手に大暴れしているのを見て、自分もここを何とか脱出しなければいけないのを彼は何となく悟る。
「ええっと!当たった人!ごめんな!」
 ファルケンは、仕方なく腰に下げていた短めの剣を抜いた。なるべく人には当てないようにしようと思いながら、走っていると、矢が大量に飛んでくるのが見えた。警備兵の連中は、矢まで使ってきたのだ。
「うわ!…ダルシュ!まずいよ!」
「うるせえ!てめえら!五体満足で帰れると思うなよ!」
 答のようなタイミングだが、これはファルケンの言葉に対しての答ではない。罵声なのだ。ダルシュは、彼の話なんぞ聞いていない。
 ファルケンにはよくわからなかったが、ダルシュの怒りは完全に爆発していた。仕方がないので、ファルケンは矢を極力よけた。剣で矢を折りながら、安全地帯まで逃げる。今は、警備兵の相手をしている暇もなかった。矢ぶすまになってしまう。
「あぁぁ、何かとんでもないことに!」
 こういうとき、レックがいたら…ファルケンはそこまで考えてやめた。
 レックハルドがいたとしても、ダルシュと喧嘩して、状況が悪くなる事しかありえなさそうだったからだ。
「マリスさんがいたらよかったなあ…」
 ファルケンはぽつりと呟いた。彼が知っている人物の中では、この状況を収められそうなのは、マリスしかいなかった。



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©akihiko wataragi