第七章:サライ=マキシーン(1)
レックハルドは、錦の織物を買って道を急いでいた。彼としては破格の手土産である。
「ええと、確かこの辺だとか何とか」
聞いた道順をメモした紙を見ながら、あちこちきょろきょろと見回す。辺境の森の少し中に入ったところに、その一軒家はあるというのだが…。
いつもは、彼のやや後ろを歩いている例の大男がいないのは、こうしてみると少し寂しさを感じた。後ろにいるときは、大きな影が落ちて鬱陶しいところもあるのだが、いなくなってみると、少し物足りないような気がする。
「あいつ、うまくやってるかな」
ファルケンは、シェイザスのところに行くということで、近くの町に留まっている。そこに、どうやらシェイザスがいるという話を聞きつけたからだが、レックハルドが彼と離れてこうして道を急いでいるのは、ファルケンに聞かれたくない話をしに行くからに他ならなかった。
サライ=マキシーンに会えば、もう少し辺境の事がよくわかる。とシェイザスはいった。ミメルといい、シャザーンといい、もう辺境の事は、他人事ではなくなってきていた。
レックハルドも、そろそろ「お前が話したくなければいい」では止められない世界に足を踏み入れ始めているのに気がついてきていたのだった。
ただ、ファルケン本人の口から聞く事はできなかった。彼が気にするというのもあるのだが、それ以前に、口下手のファルケンから説明を聞こうと思ったら、凄まじい時間と労力を必要とするのである。前知識なしに話を平気で振るし、わかっていない話を常識として語りだすのが、彼の常だったからだ。
そういう理由もあり、レックハルドは、今はサライという男に希望を持つしかないのだった。
やがて、辺境の森に近づいてきた頃、森の木の奥に一軒の家が見えた。隠者の家というには、かなり整備されているようにも思えたが、とりあえずそこに違いはなさそうだった。普通の人間は、辺境の森の中に平気で住んだりしないからである。
意を決してレックハルドは、そっと家に近づいた。それなりに大きな家である。庭もあり、色とりどりの花々が咲き乱れていた。身分の高いものの住みかという印象を感じる庭である。
ふと、庭に、一人の青年がたたずみ、水を花々にやっていた。薄い金髪をしているところをみると、西の方から来たのだろうか。切れ長の青い目をしていて、顔全体が整っていた。なかなかの美青年である。
彼は、花に水をやる手を止めた。レックハルドに気づいたようだった。
「何の御用かな」
訊かれてレックハルドは、丁寧に挨拶をした。サライの庭師か何かにあたるのだろうと推測したからである。
「…失礼します。私は、マジェンダに住まう黄色の草の民
の出でゲルシックの末裔に当たりますレックハルドと申します。今は行商をしているのですが、サライ=マキシーンさまにお目通りいたしたく存じまして参上いたしました。どうか、お取次ぎ願いますよう」
「ほう、マゼルダ人と見うけたが…」
青年は、西のカルヴァネス風の衣装のまま、レックハルドを観察した。そして、にこりとした。
「ついてこられるが良い」
青年はそういうと、レックハルドを家に招きいれた。質素ではあるが、なかなか洒落た印象を彼に与えた。ここがサライの家であることを確信し、レックハルドは少しだけほっとした。やがて、そのまま客間に通された。
客間の真ん中にはテーブルがあり、綺麗な花が活けられていた。その前にソファが並べられていて、青年は彼にそこに座るようにいった。
「あの…」
レックハルドは、主人のサライらしき人が現れないのを気づいていった。
「あの、これは些細なものですが受け取ってください」
錦の織物を渡して、レックハルドは疑い深げにいった。
「それから、サライ様はどちらに?」
「はっ」
青年は、堪え切れないといった風に笑い出した。
「ははははは」
レックハルドは、顔をしかめた。馬鹿にされているのだろうか。
「いや、すまんな。草原の商人。…私が、件のサライ=マキシーンだ」
「は、は?」
驚いて、レックハルドは、目を開いたまましばらく黙って立っていた。
「驚くのも無理はないが、正真正銘、私がサライなのだよ。…座りたまえ」
呆然としながら、薦められるままにレックハルドは席に着く。
「…あの…」
「まさか、宰相を引退した男が、こんな若造だと思わなかったかな」
「あ、はい。いいえ、その」
さすがのレックハルドもしどろもどろになっていた。サライは、若い顔に不似合いな、やけに老獪な微笑を浮かべた。
「…まぁ、多少、事情があってな。…年を食わなくなっているというか。あまり常人には理解されない理由があるのでね」
レックハルドは、とりあえずうなずいておいた。サライは、レックハルドの右手に目を走らせ、驚いたとも感心ともとれるような言い方をして微笑んだ。
「ほう、魔幻灯のファルケンと知り合いか?」
「魔幻灯?」
レックハルドが聞き返すと、サライは少し笑った。
「…あれがいつも身につけているだろう?カンテラを。あれの事を、魔幻灯、と狼人たちはいうのだ。”ファンダーン”とね。君の手首の守りを見てわかった。あれに、金属を使うのはファルケンだけだし、その意外と器用な彫り物を見ればわかる」
「あ、え、はいっ」
レックハルドは慌てて右手を出した。金属のプレートがついた数珠のようなあの例のお守りである。
「それは、狼人によほど信頼されないともらえない代物でな、…大体において強いまじないがかけられている。ファルケンは、魔法は苦手だったはずだが、それでも魔力の流れぐらいは狼人として把握しているからな」
「そうなんですか」
あまりありがたみを感じていなかったのだが、意外と稀少なものなのかもしれない。
「しかし、手土産まで持ってくるとは…。誰の紹介かな?」
「ああ、シェイザスという女占い師に…」
「シェイザス?あぁ、あれか」
サライはおもしろそうに笑った。
「なるほど。あれの紹介としたら、粗末にも扱えんな」
サライは織物を包んだ布をはがし、微笑んだ。
「上質の錦だ。なるほど、君はいい目をしているな」
「あ、いえ」
宰相まで勤めたものに、さすがに安いものは贈れない。レックハルドも精一杯値切ったが、それでもかなり高価なものには違いなかった。
「…ふむ、で、何を聞きたいのかな?まさか、商談をしにきたわけでもないだろう?」
「はい、あの…実は辺境の…」
言いかけたとき、ドアが軽くノックされた。
「あの、お茶を持ってきました」
「おお、そうか」
サライは立ち上がると、ドアの方まで駆け寄った。彼が到着する前に、ドアはゆっくりと開き、一人の女性がしずしずと現れた。
綺麗な女性だった。おしとやかでどこかはかなげで、マリスとは違うが、似たようなおっとりとした印象を与える。レックハルドは、こういう女性に弱いので、思わず少し見とれてしまった。
髪の毛はうっすらと金髪で何となく緑味を帯びているようにも見える。深い色の目に、はかなげな印象で育ちの良さそうな美人の顔立ちだった。
「ありがとう、リレシア。これは私が持とう」
サライはトレイごとリレシアという女性から取ると、上にのったカップや皿を自分で配置した。
「あ、ありがとうございます」
レックハルドが思わずうっとりとして、軽く顔を赤らめながら女性に礼をいうと、彼女は控えめに微笑んだ。
「はい。ごゆっくりどうぞ。じゃあ、私、これで…」
「ありがとう」
サライは満面の笑みをうかべ、リレシアを見送った。淡い色の彼女のゆったりとした服が、非常に印象的だった。
「…奥様ですか?綺麗な方ですね」
レックハルドはお世辞抜きでぽつりと言った。どこかしらでれっとしているのは、本当にうっとりとしていた証拠である。
ところが、この些細な言葉が彼自身を恐ろしい目にあわそうとはレックハルドも、まだ気づいていなかった。サライの目が、きらりと光ったのである。
「そう思うかね!」
ぎくりとして、レックハルドは一瞬身を引いた。
「そうだろう!リレシアはとても綺麗だろう?君もそう思うかね!そうだろうな!」
急に熱を帯びたサライの瞳は、まっすぐに彼に向けられている。レックハルドは、後悔したがすでに後の祭りだった。
このサライは、どうやらかなりの愛妻家…それの度合いが飛びぬけているようなのだ。
「よし!君には特別に、リレシアと私の馴れ初めなどを聞かせてあげよう」
「い、いえ!私は…聞きたい事があって…」
ぎらりと光るサライの目に射すくめられて、レックハルドは反射的に口を閉ざした。
「きくかね?」
「ぜひお願いします」
これから先、延々とのろけ話を聞かされる事を予感すると、レックハルドはげっそりとするしかないのだった。
「なぁ、ダルシュー。シェイザスってここにいるのかなあ」
ファルケンはのんびりと聞いた。街を歩いて、シェイザスを探していると、ちょうどいいところにダルシュが現れたので、一緒に探す事になっていた。
小さな地方の町、ぽつりぽつりと開いた店が何とも平和な感じである。ただ、ここには領主の屋敷があるらしく、ひときわ立派な館がここからも見えていた。
「たぶんな。あいつ、割と目立つからな」
ダルシュはうんざりと応えた。散々歩き回ったが、なかなか見つからないのである。
「ダルシュは何か訊きに来たのか?」
気の長いファルケンは別段いらだった様子も見せない。のんきな声で聞いた。
「ホントはあんまり来たくなかったんだが、調査が行き詰っちまってな。…ここは、あいつになんかヒントもらった方がいいと思ってさ」
「そうなのか」
ファルケンはそう応え、少しだけにこりとした。
「ダルシュはシェイザスの事好きか?」
不意打ちに聞かれて、ダルシュは思わず転げそうになった。
「な、なんだって!?」
「ダルシュはシェイザスの事好きかって聞いたんだ」
ファルケンは悪気のない顔で、立っている。
「ば、馬鹿!そんなこと、いきなり訊くなよ!」
「なんで?」
「なんでって〜っと…、そりゃあっ!何で悪いかってと、…いきなり訊かれると心の準備の問題が…〜っと…うー…」
少し赤い顔で、ぶつくさと何故かを考えてみるが、上手い答えが出なかったのか、ダルシュは、不機嫌な声で言った。
「と、とにかく、オレはアイツの事なんか、どうでもいいんだし、そういう事を聞かれると、困るからだな!」
「…そうかあ。今の反応、ホントにレックとそっくりだな〜」
「あいつと一緒にするな!」
先程よりも更に早い反応で、ダルシュは怒鳴りつけた。ファルケンは、悪気がなく無邪気ににこにこしている。それ以上怒れないのが、ダルシュはどうももどかしいが、ファルケンを相手にするという事は、そういうことなのである。あきらめて、仕方なく前を向いた。
「…全く、油断ならねえ奴だな」
ぶつぶつと呟きながら、ダルシュは歩き始めた。
「何処行くんだ?」
ファルケンに訊かれて、ダルシュは不機嫌な顔のまま、領主の屋敷を指差した。
「あいつ…たまに歌も歌うんだ。オレはそうも思わないんだが、周りから見ればどうもあいつ美人に見えるらしくって、結構ああいう身分の高い人に呼ばれたりしてな…。時々、占いじゃなく、踊ったり歌ったりしてる事もあるみたいなんだ」
「じゃあ、あの辺りにいるかもしれないんだ」
「可能性がある」
ダルシュは短く応え、
「まぁ、あそこにいなかったらいなかったらで、仕方ないって事だよ」
「そうだな。街はみんな見たし、じゃあ、あっち見に行こう」
歩き始めたダルシュについて、ファルケンは歩き始めた。
「あ」
不意にダルシュが振り返った。
「あいつは一緒じゃないのか?また、喧嘩でもしたのか?」
ファルケンは首を振った。
「そうじゃないけど。なんか、今日は特別な用があるんだって」
「ふーん…。まぁ、アイツがいなくてオレは清々するけどな」
ダルシュは応えて、何事もなかったように歩き始めた。
「…ということなのだよ。どう思う?レックハルド君」
「とても…素敵だと思います」
へろへろになりながらも、相槌を打てる自分の精神に心で拍手を送りながら、レックハルドは応えた。
「おや、いつの間にか話し込んでしまったようだ。失礼したね。はっはっは」
サライの嫁自慢を時間の感覚がなくなるほど聞かされた、レックハルドは色んな意味で疲れてしまい、もうここに何の為に来たのか、自分がわからなくなりつつあった。まさか、サライがこんなに愛妻家だったとは思わなかったので、不意もつかれて心の準備ができていなかったので余計に疲れたのかもしれない。
「君の錦の織物は、リレシアの着物を仕立てるのに使わせていただこう。ちょうどいいときに来てくれて、実にうれしいよ。おお、そうだった。君は私に何を聞きにきたのだったかな?」
ようやく、我に返ったようにサライが訊いた。レックハルドは、とうとう彼ののろけ地獄から逃れられて、ほっとした。と、同時に、こんな事を聞きにここに来たのではない事を思い出す。
「あ、はい。あの、辺境の狼人について色々聞きたい事があるんです」
レックハルドは、真面目な顔をしていった。
「オレは、よく知らないので」
サライは、まるで値踏みするような目を彼に向けた。その目があまりに鋭いので、レックハルドは、思わず背に冷たいものが走るのを感じていた。
「…ファルケン本人から何故聞かない?」
サライは重い口調で訊いた。
「…い、いや、訊いてもいいんですが、訊きづらくて…それに、あいつらの言う事はオレにはさっぱりわけがわからないんです。前知識なしに、どんどん突っ込んでくるし、あいつの説明がちっとも要領を得ないので」
レックハルドが頭をかきながらいうと、サライは、少しだけにやりとした。
「なるほどな。狼人は口が上手くない。確かに彼らの説明では、普通の人間は理解できんだろうな。だが、…ファルケンは、あれでまだましな方だ」
「ええ!あれでですか!」
意外な事を聞いてレックハルドは驚いた。
「もっとも、辺境古代語
(
を使わせると恐ろしく高尚な事を語りだしたりする事もあるがね」
「く、くーてぃす?もしかして、あいつが時々しゃべるあのわけのわからない」
「そう、わりと巻き舌の多いあれだ。生まれて後、彼らは辺境の奥でひっそりと育てられる。大きくなると外に出される事が多いのだが、奥で育てられるときは、古い妖精たちが面倒を見るのでな。…彼女達は、人の言葉が話せない事が多い。それで、幼い頃は、辺境古代語
(
が日常語になっている連中が多い」
「てことは…あいつら、ホントはクーティスっていう言葉で?」
「それが、辺境の外に近い場所で暮らし始めると、さっさと人間の言葉が日常語になる。頭の芯から人間の言葉が染み渡り、結局、モノを考えるのも、しゃべるのも人間の言葉に変わってしまう。まぁ、彼らの人語は多少、間違っているのだがな。それで余計、わけがわからなくなる」
「な、なるほど」
レックハルドは、やけに納得してうなずいた。
「…それじゃあ、…あいつの『しるし』とかいう…あの魔幻灯でしたっけ?あれはどういうことなんですか?」
「…印とは狼人が生涯にわたって周りの者達に、自分の存在を知らせる、名刺代わりのものだ。音のなるもの、見かけでわかるもの、様々でな。奴らの言葉では”シェンタール”という。彼らはもともと金属や火に属するものが苦手だ。しかし、ごく少数だが、金属を印に持つものもいる。だが、火は…。…実は炎を持つのは、…狼人としては異色中の異色だ。もしかしたら、許されざることなのかもしれない」
「異色中って…?」
レックハルドが少し不安そうな顔をした。
「…ファルケンは、…辺境の狼人の中でも随分有名な異端児なのだよ」
サライは、瞬きせずにレックハルドのほうを腕組みしながら見ていた。
「私が話すことがどんな事でも、君は聞く気があるかね?聞かない方がファルケンと仲良くやっていけるかもしれないよ」
レックハルドは、少しだけ考えた末、サライの方に視線を上げていった。
「…聞きます。…オレにも、多少責任がありますから。あいつらと付き合う上で、オレがあいつらの事をなにも知らないで付き合うのは、あまりにも失礼ですから」
サライは、口の端を少しゆがめて微笑んだ。
「君はなるほど、いい商人になるかもしれないね。他人の文化を尊重できないものは、いい商売ができるわけもない。もちろん、人間関係も一緒だ」
レックハルドは、黙ってそれをきいていた。
「では、話を続けよう」
サライは、彼の一挙一動を見守りながら、静かに口を開いた。