一覧 戻る 進む 第五章:伝説と伝承(3) 『結局、狼人というのは何者なのだろう。 カルヴァネスでは不吉の兆し、マジェンダでは幸福の使者… 彼らは一体何者なのか…… 知りたければ、自ら辺境に飛び込んでみることである。 応えは、彼ら自身が教えてくれるだろう。 「辺境に入るものに寄せて」 サライ=マキシーン』 ファルケンの刃からするりと逃れ、ダルシュがあっけにとられて一瞬行動をとるのに遅れた隙に、それはマリスの方に進んでいった。 マリスの手の辺りに、もやがぬるぬると這いずり回る。 「マリスさ…!」 ダルシュが慌てて剣で振り払おうとする。ファルケンが慌てて止めた。 「ダルシュ!今、剣を使っちゃダメだ!」 マリスごと切ってしまう!と、ファルケンは制止の声を上げる。マリスはきょとんとして、こちらを見ていたが、何かに気づいたのか悲鳴を上げた。 「きゃあ!!気持ち悪い!」 そのまま、右手を思いっきり振るう。手についていたもやのようなものが、飛ばされて地面に何度か叩きつけられるのをダルシュは見た。実体が無いように見えるのに、意外とそういう打撃はきいているようだった。 (うわ、見えてないだけに容赦ねえな。) この際はいい気味なのであるが。それにしても、マリスは見た目に寄らずに意外とやると思った。 やはり、かなりきいたのか、もやのようなモノは、蛇のように 「……や、やったのか?」 「とりあえずは。……消えたから大丈夫だよ」 マリスは、きょとんとして、まだ何度か手を振っている。 「マリスさん、もうだいじょうぶだよ?」 ファルケンがのぞき込むと、マリスはファルケンの方を見た。 「ファルケンさん、さっき何か手にぬるぬるしたものがついてたような気がしたんですけど、……気のせいかしら。思わず悲鳴をあげちゃって……すみません」 「仕方ないよ。えっと、何かいたのは、もう退治したから大丈夫だよ。……でもマリスさんって強いんだなあ」 ファルケンが尊敬の眼差しを向ける。ダルシュも遠慮がちに言った。 「…せ、戦士の素質ありですね。マリスさん」 マリスはそうですか?と首を少し傾げてみる。 「でも、あいつを振り払ったのはマリスさんだもの」 あぁ!とマリスはぽんと手を叩いた。 「護身術だけは習ってましたから、きっとそのせいだとおもいます〜」 (い、いや、今の動きは、護身術とかそういうもんじゃなかったような) 専門職のダルシュは、思い返して少し冷や汗をかく。先程の動きは、かなり修練を積んでいるように見えたのだ。 ダルシュがそんなことを考えていると、横からトントンとファルケンが肩を叩いてきた。少し小声で彼は言う。 「でも、ダルシュは見えてたんだな。あれ」 「あ、ああ。何とかな。…何なんだ。あれは…」 ファルケンは自信なさそうにいった。 「オレも始めてみたんだけど…多分、邪気の塊だと思う。ダルシュはちゃんと見えてないと思うんだけど、オレには黒っぽい蛇みたいな虫みたいな奴に見えたんだ。そういうのは、多分…………」 「じゃき……って何だよ?」 「なんていうかな〜、人間とか他の動物とか、あるいは植物とか、色んなものの心の残骸みたいなもんだよ。特に憎しみとか恨みとか、それから怒りとか悲しみとか、行き場のなくした思いが、外にたまる事があるんだ。辺境は何でも吸い込んじゃうところがあって、それで一つ一つならたいした事ないけど、それが固まるとああいう風に凶暴になるんだって話を昔、聞いた事がある」 ファルケンの説明は要領を得ないので、聞いたダルシュもよくわからないが、何となくイメージは伝わった。 「へぇ。…で、でも、なんでオレに見えてマリスさんには…」 「…ダルシュって人間だよな?」 ファルケンは不思議そうな顔をした。 「当たり前だ。オレが別の何かに見えるか?」 「そういうわけじゃないんだけど」 ファルケンは、少し腕組みをした。 「なんか、混じってるような気がして」 「は?どういう意味だ?」 ダルシュが睨むので、ファルケンは慌てて首を振った。 「あ、いや、多分、オレの勘違いだよ。オレは、あんまり、そういうところの才能がないから」 何となくひっかかりを覚えながらも、ダルシュはそれで済ます事にした。それよりも、彼は別のことに気づいていた。 「そういえば、オレたちがこれで、…あいつは大丈夫だったのか?」 「あ!」 レックハルドだ。ファルケンは、はっと顔を上げた。誰か足りないと思ったら、レックハルドがいないのである。 「レックは?……レックはどこにいるんだ?」 「辺境に入るのが嫌だって言って、辺境近くの野原に寝転がってたみたいだけどな」 ファルケンは途端心配そうな顔をした。 「レックだけ別のところにいるのか?」 「あ、あいつが残りたいっていったんだぞ」 ダルシュは、困ってそう言った。別にファルケンは、彼を責めてはいなかったが、ダルシュとしては、言い訳の一つでも言いたくなる状態だった。 「じゃ、じゃあ、早く戻ろう?」 落ち着かない様子を見せてファルケンが、言った。 「そうですね。レックハルドさんも心配ですものね」 マリスが同調する。ダルシュもおいてきた手前、少々責任を感じるのでほうっておけとは言えなかった。 「よし、じゃあ、早く戻ろう。……だから、一緒にこいっていったのに!」 あいつと一緒に行動するのは嫌だが!と心の中で付け足して、ダルシュは言った。後ろの二人が、似たような表情をしながらそわそわしていた。何となく責任を感じて、ダルシュは落ち着かない気分だった。 「その時は、狼人も人間もどうやら平和に暮らしていたらしい。狼人は森に、人はまちに。住むところをわけていた」 青年は続ける。 「だが、ある時、狼人の方が、都市に一方的に攻め込んできたという。まちを壊し、人と戦った。狼人は、その都市を破壊し、虐殺した。……狼人が侵略をしたと人はいう」 「侵略?」 レックハルドは変な顔をした。 「理由があるんだろ?まさか、理由もなしに攻め込んでくるなんて考えられないぜ」 「理由というのは、伝わっていない」 青年は表情を変えないまま言った。 「カルヴァネスの人は、狼人が住み易い街を自分の物にしようとしたためだというが」 「オレは連中のことは良く知らないが、奴らは街は苦手そうな気がするけどな」 レックハルドは、街で戸惑うファルケンの様子を良く知っている。 「しかし、狼人の顔にはメルヤーが描かれていなかった」 「メルヤー?」 「私はしないが、奴はしているだろう?顔に赤い染料で描く模様のことだ」 「なるほどな。で、それをしないのが、どういう意味だって?」 レックハルドは、なかなか進行しない彼の話にそろそろイライラしてきていた。短気なレックハルドに、このゆったりとした話はついていけないのである。だから、話をせかしたのだった。 「メルヤーというのは、純粋な狼人にとっては守りのまじないの意味がある。それをとって、本物の自分の血、つまり、自分の指を歯で噛み、血を流して顔に水平に線を描くことがある。それは、戦の時だけにするもので……」 「つまり、そこに攻め込んできた狼人は、みんなその何とかをとって顔に血を塗りつけてたって訳だ」 「ああ、そうだ。……それは、命がけで戦をするときだけにつけるもので、彼らから仕掛けられた戦ということがいわれている。逆に仕掛けられたモノなら、メルヤーを落とす暇がないからな」 「それが、連中のいう『侵略』か?まさか、それがカルヴァネスの連中が、奴らを怖がる理由じゃねえだろうな?」 「そういうことになっている」 「なんだそれは」 あまりにもあっけなくて、レックハルドは拍子抜けした。思わず苦笑が漏れる。 「それだけか」 「そう、それだけのことだが……」 青年はまた話し始めた。 「カルヴァネスの人々が、狼人をおそれるのは、ここからだという。昔、そこで人が大量に殺された。今でも、もしかしたら……と、怖がっている。それは、見ればすぐに分かる」 「はっ、バカバカしいね」 レックハルドは肩をすくめた。 「そんな伝説になるほど昔の事で恨んでりゃあ、世の中敵だらけだぜ。それに、相手は狼人、いわば人間じゃねえしな。突然襲ってきたってのは、人間側に非があったんだろ。奴らすべてがどうかはオレは知らないが、奴らはオレ達よりはよほど無欲だぜ。おまけに証拠はそれだけだろ?あとでいくらでもねつ造できるな、そのくらい」 「珍しいことを言う」 青年は驚いたような顔をした。 「悪いが、オレはカルヴァネス本国の生まれじゃないんでね」 レックハルドは言った。 「だけど、カルヴァネスの連中が異様にあいつを怖がる理由はわかった。礼ぐらいはいうぜ」 青年は黙っていた。 「やつが……」 口を開いてぼそりとつぶやく。レックハルドは怪訝な顔をした。青年の目は、少しうらやましそうに遠くに向けられていた。 「やつが、お前とずっといる理由が分かったような気がする」 「は?」 レックハルドは意味が把握できなかった。 青年は、くるりと背を返した。そのまま、帰ろうとでもいうのだろうか?」 「おい!まちな!」 レックハルドは呼び止める。青年はゆっくりと振り返る。そのゆったりした動作に少し苛立ちながら、レックハルドは早口にきいた。 「まだ、伝説の最後をきいてないぞ!……侵略したなら、どうしてその街に狼人は住まなかったんだ!?」 「それは……」 青年は言った。 「……狼人も人間も、そこで死んでいたからだ」 「……?」 レックハルドは、ぎょっとして言葉に詰まった。 「な、なんでだ?」 「狼人は人を殺したが、人に殺された。都市にはどちらの生き残りも居なかった。……その都市はやがて砂漠に飲まれて消えた……そうだ」 「真実が見えてこないぞ!」 レックハルドはむっとして叫んだ。何か釈然としない。 「それ以上は知らない。ただ、それ以来、狼人と人間が交流することはなかったという話だ」 青年はそれだけ言うと、歩き出した。 「こら!ちょっと、待……!」 レックハルドが呼び止めようとしたが、彼の歩みは早くなり、そして飛び上がる。その途端、姿がふっと消えた。対象を失ってレックハルドは閉口する。 「何だッてんだよ!……意味がわからねえ!」 「…… おびえたように少女がぼそりとつぶやいた。今まで忘れていたが、少女が彼の後ろにいたのだ。思い出して、レックハルドは彼女の方を向いた。 「シャ、シャザーン?」 少女はぼうっと彼が去っていった方を見つめている。 「それがさっきの奴の名前か?」 「そうよ。……狼人の中でも、一番危険な奴……」 いいかけてレックハルドが側に来ているのをみて、少女は叫びをあげた。慌てて身を話す。 「近づかないでよ!」 「な、何だよ。人を危険人物みたいに」 「うるさいわね!あたしは人間なんか、大きらいなの!」 少女が怒鳴りつけるが、レックハルドは肩をすくめて笑っている。 「ホント、突っ張るな」 「何よ!その言い方は」 少女がふいと顔を背けたが、不意に何かを見つけたのかふわりと飛び上がる。 「おい!どこ行くんだよ!!」 「あんたとなんか、遊んでいられないの!」 少女はそういうと、そのまま光を放って消えた。 「何考えてんだ?」 レックハルドは半ばあきれながら、それを見送った。 一テンポ遅れて、後ろからのんきな呼び声が聞こえた。 「レック〜?」 振り返るとファルケンが走ってきていた。どうやら、一足先に走ってきていたようである。 「あ。あいつ……。一足遅いんだよなあ。いっつも」 ファルケンは走ってくると、軽く息を整えてから訪ねた。 「レック。大丈夫だったか?」 ファルケンが心配そうな顔できいた。 「それは、まぁ何とかだが……お前を知ってるかわいい妖精の女の子がいたぜ」 「妖精の女の子?……ロゥレンのことかな?」 ファルケンは軽く首を傾げた。少し申し訳なさそうな顔をした。 「……ごめんな。あいつ、悪い奴じゃないんだけど、レックに何か言ったろ?ちょっと口が悪いんだ。あいつ。オレの小さい頃からの知り合いなんだけど」 「あぁ、別にそんなことないけどな。口が悪いのは、まぁ、お互い様だし」 口では負けるつもりはないので、レックハルドは余裕である。 「あ、それより、さっき、お前をこの前吹っ飛ばしたあのむかつく美形がだな……」 ファルケンの表情がさっと暗くなる。 「あいつが?……何かされなかったか?」 「別に。ただな、……さっきのロゥレンとかいうそのかわいい女の子が、あいつのことを『シャザーン』とかよんでた」 「シャザーン……?」 ファルケンはつぶやいてはっとする。 「シャザーン=ロン=フォンリアか?」 「あ、ああ、確かそんなことを。なにか、問題のある奴なのか?」 ファルケンは、少し黙ったあと困ったようなそぶりを見せた。 「……なんて説明したらいいのかわからないけど、……ちょっと悪い噂のある奴なんだ。……人のことは言えないけど」 ファルケンが付け足した言葉をレックハルドはひどく気にしたが、その事に触れる暇はなかった。後ろに、マリスとダルシュの姿が見えたのである。 「まぁいい!後で説明しろ!あいつ〜〜!!」 許すまじ!とばかり、レックハルドは向こうにかけてゆく。マリスと二人で並ばれていること自体が許せないらしいのだ。 「あ!ちょっと!待ってくれよ!」 呼び止めながら、ファルケンは、慌てて後を追った。シャザーンのことなど、いろいろと気になる事が重なっていたが、こうしてレックハルド達が普段と変わらない様子を見せてくれるのは、彼にとっては少し救いだった。 (まぁいいや。考えるのは後にしよう。) ファルケンは、後でレックハルドに色々な事を話しておかなければいけないなと思いだした。 一覧 戻る 進む このページにしおりを挟む |