一覧 戻る 進む 第五章:伝説と伝承(2) 『草原に伝わる民話はこう伝える。 大昔、マジェンダの草原で、大干ばつが起きた。井戸という井戸が枯れ、草も枯れた。人々は水を求めてさまよったが、彼らが水を求めるためには、随分と南にいかなければならなかった。あるものは倒れ、あるものは絶望した。彼らが絶望していたとき、マジェンダに接する、『辺境』の砂漠地域、死の砂漠を超えて男達がやってきた。彼らは皆、背が高く、頬に赤い模様を描き、恐ろしく見えたが、同時にとても美しい容貌をしていた。中には辺境狼の皮をまとっているものも多かった。彼らは、苦しむ人々に、辺境のかなたから運んできた水とそして、食べ物を充分に与えて帰っていった。彼らは一切、名前も何も名乗る事もなく、人々の礼も受け取らなかったという。 後に旅の賢者に尋ねたところ、彼らは辺境の狼人に相違ないという話だった。 以来、マジェンダの草原の民は、狼人の影を辺境で見かけると感謝の言葉を送るようになったという。 『森の守り人よ。祖先の代わりに感謝します。あなたに大地の女神と黄金の祝福がありますように。』 彼らは、狼人を大地の女神の使者と信じ、彼らに願いを託しもするという。』 「ちっくしょう。…ダルシュの野郎!辺境の獣にでも、植物にでも勝手に食われて来い!」 はき捨てて、レックハルドは草原にごろんと横になる。結局、ダルシュとはその後、意見が分かれて、ばらばらになった。ダルシュはどうしても、ファルケンとマリスを探しに行くといって辺境に入ってしまった。レックハルドが、ファルケンなら大丈夫だし、下手に入ると危ないぞ!と、彼としてはものすごく親切に止めてやったのにも関わらずである。 (まぁ、あの男なら、辺境狼にとって食われることはねえな。向こうもいやだろうぜ。) レックハルドは悪態をついて、今回の諸悪の根源ともいえるファルケンを思い出した。 「…また、ファルケンの奴〜〜!オレが油断している隙にマリスさんとどっか行きやがって!何てうらやましい真似を!裏切り者〜〜!!」 ダルシュと二人っきりになられるよりましだが、それでも、ファルケンに出し抜かれたような気がして、妙にいらつくのである。もっとも、ファルケンがマリスに好意を抱いている気配もないし、ファルケンと一緒なら、絶対にマリスの安全は保証されている。ただ、『出し抜きやがって』という思いはある。だが、それだけの事に過ぎない。ファルケンも悪気はないのだから、別にこれがレックハルドとファルケンにヒビを入れる原因にはならないだろう。レックハルドもとがめだてする気はない。後ろから帳面で頭を一発、はりとばす位はするかもしれないが。 それよりも、問題はダルシュの方だった。王国騎士の身分のある彼は、マリスにも身分的には吊り合っているのである。悪い奴ではないのは知っている。だから、余計嫌な相手なのだ。強敵だと思った。口で勝てるのが唯一の強みだが、力では負ける。 「ダルシュの奴なんて、あの恐い美人の占い師とヨロシクやってりゃいいのに!わざわざマリスさんのところにきやがって!」 ぶつぶつ言っていいながらも、時は金なり。彼は、帳簿の整理でもするのか、ペンとインクを取り出して、そこに広げてなにやら書き始めた。 何となく、気配を感じた。レックハルドは、起き上がって真横を見る。何かとんでもない動物かと思って怯えたのだった。 「あれ!あ、あんた…」 横に少女が立っていた。 「…なんだ、まだいたの。この前、逃げたと思ったのに」 つんと少女は、かわいらしい声で言った。とげが感じられる。 「…あんたは?…この前会ったよな?ヒュルカで」 「ええ」 ふいっと顔を背けながら、少女は言った。 「…ファルケンの知り合いか?…辺境の妖精さんだよな?」 少女は応えない。レックハルドは愛想笑いを浮かべた。 「あぁ、あの時は、色々諸事情があったんだ。あ、でも、ファルケンとはその話はつけたし、べ、別に今度はあいつを利用しようだなんて(そんなに)思ってないぜ」 そんなに、とだけ、蚊の鳴くような小声だった。それをつけたのは、レックハルドの良心の表れのようである。 「あぁ、ファルケン、呼んでやろうか?大声だしゃああいつは飛んでくるだろうし」 「いらないわよ!」 少女がきっぱりと突っぱねる。その様子が妙にいらだっているので、レックハルドは怪訝そうに首をかしげた。 「何だ、そんなにつんつんしちゃって」 「…人間の助けなんて借りないもの!」 「…その言い草は何だよ…あ!」 レックハルドは、何となくピンと来るものがあって、にやりとした。 「あぁ、そうか〜。なるほどね」 レックハルドは再び、草原に寝転びながら、ペンの軸を口にくわえた。そして、横目で少女を楽しそうに眺める。 「お嬢さんよ、妬けるんなら相手が違うんじゃないか〜?オレじゃなくて、ほら、ほかに色々あるだろ?だいったいオレは男だからなあ〜。ファルケンの好みって〜のは良く知らないが、なんとなく、いそうだよなあ?そういう相手」 レックハルドは、横目で少女を見た。ペンをくわえ、左手で頬を支えながら、彼はからかい口調で続けた。 「…ファルケンも隅におけねぇなぁ。こんな可愛い子とねぇ」 「な、何よ!その言い方は!」 少女は、むっとしたようだった。 「気に障ったら謝るけど、だってホントの事だろ?」 レックハルドは、別にこたえない。にやり笑いを続ける。 「どういう意味?」 「つまりだな、あんたが、ファルケンの事、好きなんじゃないかって事…」 「違うわよ!」 少女は激しく否定した。 「あんな、とろい奴、大っきらいよ!」 「だーったら、どうして、ヒュルカまで追っかけてきたんだよ?」 レックハルドはにんまりとした。 「心配だったんじゃないのか?」 「何言ってるのよ!」 少女は、顔を赤くしながら怒った。それがまたレックハルドの思惑通りなのだが。 「ファルケンてーのは、コイってーと池の鯉だと思ってる人種だが、あいつ、やっぱりもてるんだネェ。顔はいいからな」 「…コイなんて知らないわ。何それ?」 少女は、初めて敵意以外の表情を見せた。本当に意味がわかっていないらしく、純粋に首をかしげているのだ。レックハルドは、思わずあっけに取られた。 「知らないのか?」 「何よ?…知らなかったら悪いの!?」 「…い、いや。別にそんなわけじゃないが…」 レックハルドは漠然とファルケンがわけのわからない恋愛観を語っていたのを思い出した。それは、別に彼が特殊だからではないのかもしれない。辺境の者達は、もしかして皆このようなのだろうか。 そう考えている間にも少女は、怒りをふつふつとわきあがらせていった。 「やっぱり、大嫌い!あんたなんかどっかいっちゃえばいいんだわ!」 「あぁ、行っちゃっても良いけど〜」 一反、弱点さえつかめば、レックハルドは強気である。 「ファルケンは、もっとおとなしい子が好みだと思うぜ?おしとやかに振舞ってればチャンスも出来るんじゃないの〜?」 「その目は何よ!やめなさいよ!」 少女は、怒るがレックハルドは平気でにやにやしている。 「怒ると余計可愛いねえ〜。ファルケンとの馴れ初めでも聞かせてよ」 少女が何か怒鳴ろうとしたとき、ふと、彼女が怯えた素振りを見せた。そして、レックハルドが目を走らせたそこに、何か見覚えのある人影が立っていたのである。 ダルシュもまたふてくされていた。 「くー!あの商人野郎!」 がっと地面の土を荒々しく蹴り上げながら、ダルシュは吐き捨てる。 「やっぱり助けてやるんじゃなかった!見直してしまったオレがあまりにも馬鹿だ!ちきしょう!不覚だ〜〜!」 この前の事を思い出し、ダルシュは、ぶつぶつと文句を言う。 「しかも、あの狼野郎とマリスさんは何処へ行ったんだ?いくら、狼人が一緒って言っても、森の中は危険だってーのに!」 ぶつくさ言いながら、危険な棘のついた植物の葉を半分無意識に、剣でばさりと払いのけ、足元に絡んでくる食虫植物のつるを踏みつけて蹴散らす。ダルシュは確かに強かった。普通の人間と比べても、強すぎるほど強い。本人がどれほど自覚しているかはわからないが、その強さはある意味では異常だった。 だからこそ、彼にこの役目がまわってきたとも言えるのであるが。とにかく、彼がたやすいと思いながら、かわしているこの危険は、普通の人間にとっては命取りになるものばかりなのだった。 「ん?」 ダルシュは不意に足を止めた。そこに、ほかならぬマリスとファルケンが立っていたからである。 「なんだ!こんな所にいたのか!?」 ダルシュは声をかけて、二人の方に駆け寄った。気づいて、ファルケンがダルシュの方を振り向く。妙に元気の無い顔をしていた。 「…?どうした?」 「ダルシュさん」 マリスが声をかけた。 「…これ、何だと思います?」 「?」 マリスが地面を指差すので、ダルシュは目を落とす。そして、小さく口を開けた。 半径、五メートルほどのサークル状に、草がすっかり枯れ、土がむき出しになっていた。他のところは、例のように草が恐ろしく生い茂っているのにもかかわらず、その場所だけ、草が枯れてもはやほとんど前の姿をなしていなかった。 「な、なんだ…これは…」 ファルケンは、さっとしゃがみこみ、土に走る線のようなものを指でなぞった。そして、少し眉をひそめる。 「…魔法陣だ…。多分、何かここだけに草を枯らせる、何かをしたんだと思う」 「ま、魔法陣?」 ダルシュが、素っ頓狂な声を上げる。 「魔法陣って、魔法使いさんがつかうあれの事ですか?」 マリスが尋ねると、ファルケンはゆっくりとうなずく。 「そんな感じのものだけど、厳密にいうとちょっと違う。でも、…これは狼人がやったものだ」 「おいおい、魔法なんて存在しないって言ってたじゃないか!?」 シェイザスにそんな事を聞かされた事のあるダルシュが声を上げた。 「狼人の中には、そういうことをやれる奴らがいる。オレは無理だけど」 といって、ファルケンは立ち上がった。 「なんていえばいいのかな、えっと、狼人にも色々あるんだ。例えば、スーシャー…、えーと、みんなの言葉でいうと司祭っていう人達とか。オレたちみたいなのはともかくとして、司祭っていう人達は、自然を操る力を持ってるものなんだ。十二人しかいないけど。それが、人間から見ると魔法をつかってるみたいに見えるんだ」 「じゃあ、その十人の人達がやったんですか?」 「それが…」 ファルケンは顔を曇らせる。 「何だよ?」 「…… 「…じゃあ、…誰がやったんだ?」 ダルシュが訊くが、ファルケンは首を横に振る。 「…わからない。けど…オレは…」 ふと、ぎくりとしたような顔をして、ファルケンは剣を抜き、抜き打ちに宙を払った。 「な、何するんだ!」 ダルシュが慌てて、マリスを後ろに反身の剣を抜きかける。ファルケンの行動は、いきなり二人に斬りかかったものだと誤解されても仕方のない行動だった。 「お前、どっかおかしくなったのか!?」 「違う!」 ファルケンが、今までに無い厳しい声で言ったので、ダルシュは思わず言葉をのむ。ファルケンは、続けて周りを探るように目を走らせた。それは、明らかに狩人の目つきだった。 「…何かいる!気をつけろ!」 そういったとき、地面が少したわんだような気がした。悪寒を感じてダルシュが思わず飛びのいた。 「な、なんだこれは!」 「ここから離れた方がいい!」 ファルケンは、マリスの手をとって彼女を枯れた草のサークルから下がらせる。 「!?」 ダルシュの目に、微かに何かもやのようなものがぐわりと頭を地面からもたげるのが見えたような気がした。先程ファルケンが、剣で払おうとしていたのも、どうやらそれのようである。 「…な、なんなんだよ!これは!?」 やがて、それが何かの形を成しているらしいことがわかってくる。微かに見える程度の形が、あまりにも異様なので、ダルシュは顔をしかめた。それは、辺境のおかしな獣達よりも、草木たちよりも、どれよりも化け物じみていた。 「ど、どうしたんですか?何が見えてるんですか?」 何も見えていないらしいマリスが、おろおろしながら訊いた。二人の男には、彼女の問いに答える余裕はなかった。 レックハルドは、反射的にあとずさった。少女が、びくりとしたような素振りを見せた。 「…てめぇ、この前の」 顔は一瞬しか見えなかったが、それでもレックハルドは見事に覚えていた。客商売のレックハルドは、ただでさえ人の顔を見逃すわけが無い。しかも、あの、雨の日にファルケンを吹っ飛ばした、あの謎の男だ。忘れるわけが無いのである。 「な、何だよ!」 自然に後ろの少女をかばうように立ちはだかり、レックハルドは腰の短剣に手を伸ばす。相手は随分ほっそりとした男だったが、それでもレックハルドは勝てる自信が無かった。 「珍しいところであったものだと思った」 青年は言った。 「……まだ、あの連れと旅をしているのか?」 「まぁな」 言いながらレックハルドは相手を観察する。容貌だけを見るなら全くファルケンとは似ても似つかなかったが、どこかに共通する印象がある。色素の薄い金色の髪の毛も、日に透かせば微かに緑色を映し出す。 そして、レックハルドは何となく噂を思い出した。辺境の狼人というものは、大体にして女性と見まがうような美形の男が多いという話だ。元はというと彼らも妖精なので、それであってもおかしくない。レックハルドが、ファルケンに一瞬、気づかなかったのは、彼がそれとは違う類の顔立ちだったからという事もある。ファルケンは、見かけはそれなりに二枚目だが、中性的な美形とは言いがたい。だが、目の前の男は、見る限りその噂と一致するものがあった。 もしかして…… 「…あんた…、狼人…だな?」 少しだけ、青年はびくりとしたような気がした。 「…なるほど。それを知っているという事は、やつは仔細を話したということか?」 「仔細ってほどでもないけどな」 レックハルドは曖昧に答えた。 「…何者よ!あんた!」 悲鳴に近い声で、少女が言った。 「 「すーしゃー?」 話についていけないレックハルドが思わず聞きなおすが、答えは得られない。 「……私は 青年はそれだけ応え、少女をすっかり無視して再びレックハルドに話を振る。 「それよりも、どうしてまだ一緒に旅をしているんだ?」 「…うるせえな。あんたに応える義理はないぜ」 ふいっと、レックハルドは顔を背ける。 「義理はない?」 それもそうか。と独り言を言って、青年は言った。それから言い方を変えてこう尋ねる。 「恐くないのか?…狼人は、血を招く不吉なものだと、他の人間達は言うのに」 「……オレは少なくともそういうのは知らないぜ」 レックハルドは、本当に知らなかった。また、知っていたとしても、信じていないだろう。彼の故郷では、狼人は幸運の使者として扱われていた。それも迷信だとは思っていたが、悪感情を抱かないのは、幼い頃に刷り込まれたほうが強いからかもしれない。ファルケンの正体がわかったところで、レックハルドには彼を忌み嫌う理由も土台もなかった。 「知らない?」 青年は怪訝な顔をした。珍しい事があるものだと思ったのだ。 「…あぁ。聞いた事がねえんだよ。知ってんなら教えてもらいたいもんだぜ」 青年は、少し考え込むようにしてから、口をゆっくり開いた。 「私は知っている。じゃあ、私が話してもいいのだが…」 レックハルドが黙って睨みつけてくるのを、肯定と受け取ったのか、彼はまたゆっくりと話し始める。 「……昔、カルヴァネスの西に、ある都があった」 青年は、話しはじめた。レックハルドはそれでも、まだ油断無く構えながら、先程、少女と青年が口にした「スーシャー」ということが何なのかと考え始めていた。 |