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辺境遊戯 第四部
半時ほどのち、街に向かう道には、すっかり元にもどったダルシュの姿があった。相変わらず薄暗い空だ。近頃は日蝕が終わるまでの時間すら長くかかっていた。 「なんてことをしてくれやがる! お前、よりによって、あれは俺の上司なんだぞ」 ダルシュは怒り心頭だ。おせっかいででしゃばりな蛇の王は、自分の眷属の話が出たとたん、ダルシュの体と意識をのっとって入れ替わったのである。その蛇の王、竜王ギレスの精神が宿った、黒い剣を叩きながらダルシュは言った。 「隊長のやつ、妙に感激して帰っちゃったじゃねえか。オレの日常がかかってるのに。変な人に思われるじゃねえかよ!」 『お前とは何だ。仮にも私は王なるぞ』 ギレスが、妙なところに文句をつけた。どうやら、彼にとっては、ダルシュに「お前」呼ばわりされたことが一番重要な部分であったらしい。 「そういえばそうだったな」 気位の高い相方にそういって、ダルシュはため息をついた。 「確かによ、あんたに話してもらったほうが、いい具合に説明してもらえたと思うけど。オレは説明するの嫌いだし、大体、どこまで言ってもいいものかわからねえから気を遣うし」 『ふふ、そうであろう。だから私が気をきかせたのだ。狼のことをかばいつつ、正しく国を守るすべを教えてやったのだぞ』 ギレスは得意げである。 『だからこそ、あの男は、私の話に感激して帰ったのだ。いいことをした。うむ、人の子に正しき知恵をつけるのも、善行のひとつであるのだな』 「なんでえ、俺がちょっと過激な話したときに信じてくれなかったのに。あの人、アレで単純なんだなあ。ちっ、威厳によわいんでやんの」 『それだけ、私に説得力があったということだな!』 ギレスは妙に自信満々だ。まったく、こういうことになると竜の誇りやらなんやらが顔をのぞかせて厄介なのだった。 「まあいいや。次からあんたが全部説明してくれよ。オレは面倒だし」 ダルシュは、そういい捨ててため息をついた。とりあえず、あの上官の扱いは、この高飛車な相方に任せることにしよう。 いつのまにか、キルファンドの街中に入っていた。薄暗いながらも、人どおりは少なくない。さすがに王都の昼間である。薄暗さになれてくると、人々は、それなりに変わらぬ日常をつづりはじめるのだ。買い物にいく人たちの姿が、ちらほらと見えていた。 「けれどよ、キルファンドよりもヒュルカのほうが、辺境に近いのに、あそこのが変化が激しかったぜ。アレはどういうことだよ」 ダルシュは、ふと思い出したようにきいた。妙に彼の言葉が気にかかった。竜は、ふむ、とうなったようである。 『貴様、相変わらず、きちんと話をきいていないな。キルファンドは、人の王の都であろう』 「そりゃそうだよ」 『くわえて、ヒュルカとやらは、あの細目の守銭奴が長年いたところであろう』 「それもそうだな」 『おまけに、この前、例の狼も、それにくっついている妖精までヒュルカに参ったのであろう』 「ああ、そうだな」 ギレスは、わからぬか、と嘲るように言った。 『辺境の直接的な距離は確かに条件の一つ。しかし、そもそも、あれと人間の世界は隔絶されているのが本来だ。さすがの辺境の主も、王の都に直接影響を及ぼすのは気が引けるのだ。だから、影響が少ないともいえる』 それに、と彼は続ける。 『ヒュルカとやらには、狼が入り込んだり、あの守銭奴が住んだりしているだけに、因縁が随分できてしまっただろう。おまけに、私の勘ではあるが、邪気や妖魔の数は、キルファンドよりも、ヒュルカのほうが多い』 「ええ、そうなのか? たしかに、ヒュルカはかなり人が多いし、キルファンドは王都だけど政治の都ってえ感じだけどさあ」 『そこもある。人には魔力はないものの、あの占い師の手弱女のように勘の強いものもいる』 「手弱女て……」 たおやめ、とかいう感じなのかアレが。思わずそう思ったが、何故か口に出すことははばかられた。どこかできいていそうな気がしてならない。 『……そうした人間が、ある程度、結界をはっているのだろう。もちろん、人のやることだから大したことはないが。あそこに』 ふとダルシュの顎が、彼の意思とは別にあげられた。無理やりあわせられた焦点に、尖塔が見えていた。そこの窓から布がたらされ、青い目が大きくかかれている。 「なんだい? ありゃあ。むかしはあんなのなかったぜ」 『あわててしかけたのだろう。あれは、魔眼殺しのまじないだ。要するに、邪気払いだな。ああした仕掛けがある分、王都はまだ落ちづらい。そういう意味では、商人たちの欲望にまみれたあの街のほうが危ないのだ』 「な、なるほどね」 ダルシュは、唸った。そういわれればそうかもしれない。キルファンドでは、それほど目立った異変は起きていないのだ。ギレスの力を借りた彼の瞳は、邪気も妖魔も見分けることができるが、それに取りつかれた人間はすくないようにみえる。いまのところは、であるが。 と、不意にダルシュは、びくりと顔をあげた。邪気が少ないと思ってみていたのだが、ひときわ、頭に黒い霧のようなものを漂わせて歩いているものたちが見えたのだ。 「なんだ、あれは」 ダルシュは、訝しげな目でそれを追う。黒いフードを被った数人の集団だった。みな、ケープを身につけ、顔を見せていない。なにか、祝詞のようなものが、彼らの口から唱えられているのが、かすかに聞こえてきた。 『あれは……』 ギレスもおそらく知らないのだろう。その言葉には、いくらかの訝しさを含んでいた。 「あれはね」 ふと横から聞き覚えのある声が聞こえ、ダルシュは驚いたように振りかえる。 「あれは、秘儀を扱う宗教を信奉するひとたちよ」 「シェイザス」 隣には、顔を紫の薄絹で半分隠した美しい女が、すらりとたたずんでいた。そういえば、今日は辻で占いをしているといっていたが、もう終わったのだろうか。 相変わらず、どこかなぞめいた美しき幼馴染の顔をみながら、ダルシュは言った。 「秘儀を扱うって、今流行りの新興宗教かなにか?」 「新興というには語弊があるわね」 シェイザスは、例の調子で静かに言った。切れ長の瞳に、どこかいたずらぽい光を宿して、彼女はダルシュをちらりとみた。 「あそこの母体は、恐ろしく古いわよ。ただ、存在そのものが邪教とされているし、実際のところ、確かに危ういところのある宗教だから、今までずっと水面下で信仰されてきていたの。彼らは、普通は昼間から姿を現す集団じゃないのよ。こんな昼間から出てくるなんて、よほど数が増えたのでしょうね」 シェイザスは、少しだけ眉をひそめた。 「なんでまた邪教なんて……。悪い神様でもまつっているのかね」 「確かに悪い神様よ。まつっているのは。けれど、普通悪い神様も、またどこかで信仰された古い神様だったりするわけよ。それだけで邪教扱いは禁物だわ」 シェイザスは、冷たさを含む声でそう言った。どこか巫女の雰囲気を持つ彼女がそういうと、妙に信頼できるような気がした。 「でも、あそこの宗教は確かに邪教。でも、どちらかというと、教義の問題ね」 「教義?」 「ええ。彼らの望みは、闇の到来と辺境の消滅だもの。それによって、狼人の領域すらが人に開かれると思っているわ。それを、狼人と人間のあつい壁を取り去るものだと思っているものもいるようだけれど、彼らの多くはもっと短絡的な動機であの神を信仰しているの。闇の到来を望むのは、その神が闇とともに再来するといわれているから」 シェイザスは、一息ついて続けた。 「その神が再来すると、彼らには全ての行為が許される。この世で生きる権利があるのは、彼らの神が守るべき彼らのみとなる。彼らは、あらゆる欲望をかなえられ、あらゆる快楽に耽ることを許される」 彼女の瞳が、薄暗い空を捕らえていた。 「彼らの神は、実際にそれを行ったことがあるそうよ。そして、そのとき、世界に異変を起こしたという話だわ」 ダルシュにとっては途方もない話だが、シェイザスにはそれほど身近な話なのだろうか。特別な力のある彼女には、その伝説の光景が目の前に広がって見えているのかもしれない。 「日蝕が活発になって、終末論が広がって、人間が不安になっているからね。その分、あの退廃的な邪教に人が群がるのも当たり前かもしれないわ。彼らが活発に動いているという話はきいていたけれど、ここまで目立つようになるなんてね」 彼女は再び、黒装束に身を包んだ集団が、とある一軒屋に入っていく様子を見た。そのマントにかけられた金色の飾りに、確かに魔術めいたの紋章が見えていた。 「彼らの祭っている神は、元々この世に存在したものだから、そういう意味ではもっと厄介かもしれないわ」 シェイザスの言葉に、ダルシュはますますわからないような顔をした。一体、シェイザスの言う神とは、何を指すのだろう。 「さっきから、はっきりしねえな。一体、どういう神様をまつっているんだよ? 名前を出せば、俺にだってわかるだろ?」 「知りたい?」 シェイザスは、意味ありげな視線をダルシュに投げやった。その視線の奥にある意味が、彼にはわからない。きょとんとした彼に、彼女は、ささやくような声色で告げた。 「彼らがあがめているのは、『レックハルド=ハールシャー』よ」 その言葉に、わずかに剣が動いた気がして、ダルシュは腰の剣の柄を押さえた。思わず、話を聞いていたギレスが唸ったような気がしたのだ。 彼らの見つめる先で、ちょうど最後のひとりが、家の中に消えていった。そして、その家の上にも、何か黒いもやのようなものがかかっているのが、彼らにははっきりと見えたのだった。 一覧 戻る 次へ このページにしおりを挟む 背景:NOION様からお借りしました。 |