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辺境遊戯 第四部 


邪神の哄笑-1



 闇の中で、低い声が聞こえていた。
 延々と続く低いうなりのようなもの。熱帯夜ににた寝苦しさの中で、ある映像が、頭の中で図を結んでいた。
 
 二人の人間がいた。いや、厳密に言うと、目の前にいるのは一人だった。もう一人は、自分が覗き込んでいる湖の水面にうつっているだけだった。
 けれど、「その男」を自分だと認識することが出来ない。だから、仮にその男を「彼」と呼んでおこう。
 中指に大きな指輪をはめたまま、彼は煙管を握っていた。さっきから、何かもう一人と話しながら煙を吐いている。一体何を話しているのだろう?
 先ほどからずっときいていたはずなのに、どういうわけか話の流れがわからなかった。
「ははは」
 ふと、彼が笑い出した。
「お前の目には、俺がそんな大人物に見えるのか?」
「見えますよ。あなたは、何も怖がっていないようにみえる」
 彼の部下なのか、仲間なのか、もう一人の男がどこか萎縮した様子でそういった。
「私は、自分の立場に耐え切れなくなり、逃げ出したく思うことがある。そういう時に、貴方に怒られる。あなたには、そういうことがないようにみえる」
「観察不足だな」
 ほめられたというのに、彼は別段嬉しそうな顔をしなかった。その笑みはどこか自嘲的でかわいていた。
「自分の弱みなんぞそう簡単に人に見せるもんじゃない」
 彼はすげなく言い捨てた。
「そういう振りをしているだけだ。まあ、あの小娘に言うとおり、詐欺師ってのが、まともな評価だろうよ。お前が大人物だというのなら、俺は見事にだましきれているというわけさ」
 彼は、煙を不敵に吐き出しながら、せせら笑った。煙を追う、玉(ぎょく)の色の瞳は、どこか猫のような印象があった。何を考えているのかわかるようでいて、そのくせまったくわからない目だ。
「そのとおり、俺は詐欺師だ。大体、今までだって、どうあがいてもできもしねえことを、口先だけでたらめ並べて、生き延びてきたのよ」
 彼は歪んだ笑みを浮かべた。
「しかし、詐欺師は詐欺師なりに、やるときはやるのさ。詐欺師なりの方法でな。俺だって時には本気になる。俺を殺そうというものならな」
 にやりと口をゆがめて笑うのが、湖面に映る。それをちらりと見て、男は皮肉っぽくいった。
「見てろ。この世界をペテンにかけてやるぜ」
 うっすらと、水面に波紋がおこり、彼の笑みを更に歪めていた。
 邪悪な笑みだ。けれど、それは、いいようなく見覚えがあった。ありすぎた。



 再び、どこからともなく、低いうなり声のような音が響いていた。いや、うなり声ではなく、よくきくと複数の人間の歌声のようでもあった。いや、歌というよりは、祝詞のような、呪文のような、なにか、哀切に祈りをささげる声だ。
 だが、その声は哀切極まりないほど、不気味に暗いものを感じさせた。それがずっと続いていた。まるで頭の中に叩き込まれるように。
 レックハルドは目を覚まし、思わずがばりと起き上がる。鼓動が高鳴り、呼吸が荒くなっていた。
(なんだ?)
 レックハルドは思わず額の汗をぬぐった。びっしょりと寝汗をかいていたのだ。何か尋常な感じがしなかった。
(今の、声は……)
 そう彼が思ったときに、再び遠くからかすかに声が聞こえてきた。何をいっているのかはわからない。知らない言語だ。
 けれど、確かにそれは哀切に何かを訴えている。彼に訴えているものかどうかはわからないが、その声は、頭の中に染みこんでうつりこむように執拗に繰り返される。
「な、なんなんだ」
 レックハルドは思わず寒気を覚えた。隣をみると、ファルケンのほうは何事もないようにすやすや寝ている。自分だけが神経質になっているのか?
 そう思っても見たが、けれど、声は消えない。延々と声は続いている。
 レックハルドには理解できない言語で、それは確かに誰かに訴えかけ、誰かを呼ぼうとしていた。無視してしまえばいいのに、レックハルドにはそれができない。何か恐ろしい力で、耳の中に入り込んでくるようだった。
 レックハルドは思わず耳をふさいで毛布を被った。けれど、その声はまだ続いていた。彼はその執拗さにわけのわからない恐怖を覚えだしていた。
 
 レックハルドにとっては、長い眠れない夜の幕開けだった。
 そして、その日を境に、彼は毎日すこしずつ、あの得たいの知れない男の夢を見始めるのだった。


 空は、相変わらず薄暗かった。このところ、完全な日蝕も多く、晴れていてもこのように太陽がきちんとささないことも多かった。空を見上げれば、半欠けの太陽が、恨めしげに地上を見おろしていた。雲すら薄くかかって、少ない光をよりさえぎっている。
 町外れの人気のない場所は、より寒さが走った。ダルシュは、思わず紅のマントを掻い込んだ。温暖なこの地方でも、日が当たらないときは急に冷え込むのである。
 王都キルファンドに帰ってきてみたものの、ここでも日蝕はつづいているようだった。
「とりあえずは、こういう状況ですね」
 ダルシュは、空を見上げてぽつりといった。
「しかし、王都より、更に辺境に近いほうが、日蝕がはげしいようだな」
 ダルシュの隣で男がそういった。壮年できちりと武装した男は、彼の所属する騎士団の隊長にあたる。
「辺境に近いほうが、日蝕の回数が多いと、天文官がいっているというのは本当ですか?」
「ああ。そういっているし、実際そうだと私も思う」
 ダルシュにきかれて、かれは頷く。空の不安げな太陽に、まぶしくもないのに彼は目を細めた。
 普段は遊んでいるようなダルシュだが、一応彼とてキルファンドの騎士団の一員であり、彼が辺境に関わることになったのも、そもそも騎士団の一員として辺境の異変を調査するためなのだ。ダルシュも、今まで報告をさぼってはいたが、定期的に一言ぐらいは言っておかねばならないので、報告しにいくこともある。だが、今回は、珍しく上官のほうが、近くにきているので報告しにこいと命令してきたのだ。面倒におもいながらも、ダルシュとしても、報告しないわけにはいかない。
 火柱がたち、日蝕はひどくなり、森は枯れ、この前はヒュルカに竜が飛来した。さすがに、彼らの危機感も強い。
「どうやら、そうみたいですね」
「狼人の動きはどうだ」
「はあ、それは……」
 ダルシュは、今まで狼人の内部事情については、軽く触れた程度で伏せてきた。それは、彼らの狼人に対するイメージの悪さからもある。一時、国の上部では、この一連の異変は、狼人の関与するものではないかとも噂されていたことがあるからだ。結局、狼人が自らの住む辺境を壊す可能性のある行為をおこなうとは考えられないという結論が出て、それは打ち消されたが。
 反感が強い狼人のことを、少しでも悪く言えば、誤解を生む可能性がある。騎士団には血の気の多いやつが多いから、武力で辺境に押し入るようなことになれば大変だ。
 この国の人間の狼人に対する知識も、かなり差がある。彼らを幻の生き物のようにいうものもいるが、森に近い人間や知識階層は、少なくとも狼人が時折、外の世界にも出てくるということを知っている。狼人の子供をさらって奴隷として売る悪党も、この世界にいないわけではないのだ。
 彼等騎士団が、どれほど狼人について知っているのかは、構成員であるダルシュにもいまいちわからないところがあった。だが、どのみち彼らがそれほど、狼人にとって好印象を持っているとは思えない。
「彼らも、この異変には驚いているようですね。とはいえ、狼人は人間の世界には干渉してきませんし、こちらの様子を伺っている程度だと思われますが」
 ダルシュは、そういった。
「ヒュルカへの竜の飛来は、彼らがけしかけたものでもないのだな?」
 隊長は念入りにきいてくる。彼自身は、どちらかというと冷静な人間なので、それほど狼人について疑いをつよめているわけでもなさそうだった。
「ええ、それは間違いありません」
「そうか、では、あの竜は一体なんだったのだ?」
 彼がそこまでいったとき、ふっとダルシュは下を向いた。まるで気分が悪くなったかのような様子に、隊長は声をかけようとしたが、突然ダルシュの声がその動きをさえぎった。
「やつらは、狼の命令などで動いたりはしない。たとえ、知能を失おうが、それほど間抜けではないからだ」
 発言とともに、ダルシュの雰囲気が変わった。そのまま顔を上げるかれに、隊長は訝しげな目を向ける。まるで、突然何かに取りつかれたように、雰囲気ががらりと変わったのだ。わずかに瞳が金色に輝いているように見えるのは、目の錯覚だろうか。
「あれは竜が、他の邪悪なるものに干渉されて目を覚ましただけにすぎない。まあ、しばらくは大人しくしているだろう」
 隊長は思わず後ずさる。
「どうした? 何かいたのか?」
「誰だ、貴様!」
 隊長は思わず剣に手をかけた。確かに姿も声もダルシュのものだが、雰囲気が絶対的に違う。本能的に隊長は、存在の違いに気づいたのだろう。
 ダルシュは、かすかに嘲るような笑みを見せた。その表情自体が、すでにダルシュとは異なっていた。
「ふふふ、ごまかすのは苦手でな。まあ、この際誰でもよかろう。だが、私は一応貴殿の部下のダルシュという男なのだ」
 にやりと微笑み、彼は話を続けた。隊長は、まだ剣から手を離さず、目の前に起こった不可思議な状況を理解し切れていない様子だった。 
「ここ、王都キルファンドで、日蝕の回数、または皆既食が比較的少ないのは当たり前のことだ。その天文官の予想は当たっているのだろう。確かに、辺境に近しい地域のほうが、日蝕の回数が多い」
「なんだと? それはどういう意味だ?」
 彼の語る言葉にもっと驚いて隊長は、あわてて話の続きをせかす。ふむ、とダルシュは顎に手をやった。
「こう説明して理解してもらえるかどうかは不明だが、そも、あの日蝕というものは、辺境に原因がある。……だから辺境に近しい場所のほうが被害がひどいのだ。今の王都であるキルファンドは、辺境と隣接しておらぬし、狼どもが聖域とあがめる場所とは方向も違う。おまけに、人間が王をいただく領域であるから、そういう意味でも辺境とは遠い。だから、まだその被害のほどはしれたものなのだ。それも時間の問題だがな?」
 彼はそう続ける。
「王には、こう奏上するがよい。辺境の異変が王都に及ぶには、まだ時間がかかろう。だが国の辺境部では、更なる災いが起こる。それに動揺せずに、まずは周りの守りを固めるとよい。最悪戦乱が起こる可能性がある」
「それは、一体どういうことだ」
 隊長はそうききながらも、もはや相手をダルシュだとは思っていない様子だった。いつの間にか剣の柄から手が離れたのは、彼の話に引き込まれている証拠だった。
「それを今説明しても、まだわからぬだろう。だが、予兆はあるはず。それには貴殿も気づいているのではないか? まあ、よく周りを観察することだな」
「貴方は一体、誰なのだ」
 ようやく隊長は、警戒を緩める。と、同時に相手に対する敬意のようなものをにじませた。それを満足げにみやると、ダルシュ、いや、その中のもの、は、鬱蒼と笑った。
「まあ、誰でもよい。だが、悪いようにはせんよ。私は、礼儀を心得た人の子が好きなのだからな」
 隊長は、狐につままれたような顔をした。彼は、それがおもしろかったのか声を上げて笑った。
 




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