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辺境遊戯 第三部
ざわざわと人のさざめきが聞こえる。 「しかし、シーティアンマ(お師匠様)、大丈夫ですか。フォーンアクスと一緒にいないと思ったら、相変わらずだけど、なんて乱暴なんだ」 「ああ、大丈夫。ちょっと頭がくらくらするから、もう少しここで休ませておくれ」 「フォーンアクスのやつ、多分後ろにシーティアンマがいるとおもわずに、皿なんか投げたりして……」 「うーん、どうも無機物は避けにくいなあ」 何となく間抜けな会話だが、鼻をかすめる緑の香りで、レックハルドはここが森の中だと気づいていた。 メアリズさん? アレ? メアリズさんは? ふと、先ほどの感覚が頭をかすめる。あのとき、メアリズさんは、オレの…… ふと、目を開く。予想通りの緑の世界が目の前に飛び込んできた。ほとんど空の色も見えないほどの深い森だ。身を起こしてみるまでもなく、むこうで師匠を弟子二人がわらわらと取り囲んでいた。 「そろそろ、無機物もよける訓練をしといたほうが」 「そうだね。特に当てるつもりなく投げられた物には、本当に反応が……」 「シーティアンマ、やっぱり、ここは訓練です」 「何を、間抜けな話をしているんだ、お前らは」 余りに、どうでもいい話をしている狼人三人にあきれて、レックハルドは、そう声をかけた。 ファルケンがふと彼のほうをふりかえる。 「あ、レック! あのさあ、お師匠さまが」 説明しにかかっているのに気づき、レックハルドはあわてていった。 「もういい。まったくわからんなりに、お前らの状況はよくわかった。師匠には鉄兜でもかぶせてろ」 「おお、それだ! さすが、レックだな!」 ファルケンが素直に感心しているのをみながら、レックハルドは不機嫌そうに立ち上がった。 「お前ら、オレへの心配はなしか」 「いや、無事そうだと思ったから、より重傷そうな師匠のほうを……」 にらまれて、ファルケンは、あわててそう答え、ビュルガーのほうに視線を向ける。同意してくれ、ということだろうか。ビュルガーは、あわてて頷こうとしたが、人間の凶悪な視線におびえて、思わず動きを止めた。 レックハルドは、やれやれとため息をつく。 「まあ、いいや。……さっきまで、なんか変な場所にいたような気がしたが、アレは、夢じゃないんだな? お前らの様子をみると」 「あ、うーん、まあ、お、覚えてる?」 「ばっちりとな」 なにやら怒られるのではないかと思ったファルケンは、かなりびくびくとしていたが、レックハルドは、怒らなかった。代わりに深くため息をつく。 「ま、お前にいろいろすっきりしたみてえだし、だったらよかったんじゃねえの」 「そ、そっかー。あ、ありがとう」 そう答えつつも、ファルケンは、少しきょとんとしていた。 レックハルドは、あそこで何が起こったか知っているのだろうか? イェームと自分の間で何が起こっていたか、レックハルドの身に何が起こっていたか。もしかしたら、それらをすべて承知なのではないのだろうか。てっきり、ただ眠っていただけだとおもっていたが、何か知っているような態度に、少しだけ気がかりになる。 あとで、彼がどんなことを体験したのか、聞いてみようか。 と、ファルケンが、そんなことに頭をめぐらせていると、ふとレックハルドが、きいてきた。 「すっきりしたってことは、まあ、いろいろ乗り越えられたってことなんだろうけど、で、結局、そのオトロシイ剣の使い方はわかったのかよ」 「あっ!」 言われてファルケンは、おもわず声をあげた。 レックハルドが狭間におちたことで、すっかり忘れていたのだが、そういえば、そもそもの目的は、剣の使い方がわからないのでどうしようかということだったのだ。 「そういえば、それ、フォーンアクスから聞いてくるの忘れた」 「ええ! どうするんだよ! ソレが一番肝心なんだろ」 レックハルドにいわれて、ファルケンは、腕組みをして考え出した。 よく考えれば、レックハルドを助け出せたし、イェームの因縁も解消できたのだから、おそらく、フォーンアクスのいう試練は超えられたのだと思う。あの試練をこえられるかどうかが、剣の使い方にかかわるようなことをいっていたので、理屈的には、今、使い方がわかっているはずだが。 「勘でわかりそうな部分は確かにあるけど、本当にどうやってつかうか、とか、本当にあれでいけるのかは、まったくきいてないや」 「どうするんだよ? 本末転倒だぞ」 「そんなことをいわれても、出てきちゃったしなあ。今更、あのフォーンアクスが教えてくれるとは思えないし。あとで師匠でこっそりきいてみようか」 「あのな」 気楽にいうファルケンに、レックハルドはあきれ顔だ。 「まあ、なんとかなるんじゃないかな? こういうのって結構大体でいいとおもうし」 「ら、楽天的だな。お前」 「仕方ないよ。まあ、今度実戦のときにがんばってためしてみよう」 「本当に、行き当たりばったりだな」 レックハルドはため息をついた。ファルケンのヤツは、最近、神経ばかりが太くなっていく気がする。強くなったという意味では強くなったが、こんな風でいいのだろうか。 そんな風に思いながらも、彼の強さには、イェームの存在が、ちらちらと見え隠れするようで、レックハルドは仕方がないとばかりにため息をついた。これでいいのかもしれない。彼は、戻る場所に戻り、ソレを受け入れた分、よくも悪くもファルケンは強くなったということなのだから。 レックハルドには、ファルケンの剣についての事情は、まったくわからないが、それでも、彼がイェームと対峙しなければならず、そしてそれを無事乗り越えられたということ。それが、イェームにとってもファルケンにとっても、幸せなことだということじゃわかる。今は、それだけでもいいのかもしれない。 しかし、イェームや、あの”ファルケン”と出会ったのは、理由はわかるとしても、一緒にいて自分を守ってくれた、メアリーズシェイルという女性は一体なんだったのだろう。 最後に、彼女の言った「私の大切な」。私の大切な、「何」なんだろう。一体、何故彼女は自分を助けてくれたのか。 そして、ふとレックハルドは思い出した。あの言葉をささやいたときに、彼女は。 そうだ。最後、あのメアリーズシェイルという女性は。 確か、自分の額に……。 そこまで思い出して、レックハルドは、額をおさえてはっと真っ赤になった。 「あれ? どうしたんだ?」 ファルケンが覗き込むが、レックハルドはひたすらぶつぶつ呟きだしていた。彼にしてはめずらしく、頬が紅潮して、あからさまに動揺しているのがみてとれた。 「う、うろたえるな。アレは、罠だ。ここで期待していたりしたら、ただの夢だったとかそういうことになるんだ」 「何いってんだ?」 「う、うるさい。こっちの話なんだよ!」 首を降り、ごまかしながら視線を上げると、ほんの少し、森の端から、かけらだけみえた空は赤い色をしていた。一瞬彼はぎくりとした。いつの間に時間がたっていたのか。いや、ソレぐらいの時間がかかっていても、何のおかしいこともないが。 だが、レックハルドがぎくりとしたのは、別に時間の経過が問題ではなかった。あの色を見たとき、彼は何故か胸騒ぎがしたのだ。そして、それと同時に、彼の唇からとある言葉が飛び出した。 「ゆびわ?」 ぽろりと口から飛び出た言葉に、レックハルドは自分で驚いた。それはまったく予期しない言葉だ。 指輪? どこで聞いた言葉だろう。レックハルドは、考える。 指輪は、この地域でも一般的な装飾品だ。特別な意味を持つものがないわけでもないが、別にレックハルドは指輪にこだわりがあったつもりはない。 と、そこまで考えて、レックハルドはひとつ思い当たった。 そういえば、確かあの時間の狭間のなか、気を失ったときに見た妖精が告げた言葉だ。 『死にたくなかったら指輪を探せ』 「指輪?」 もう一度口に出してみる。けれど、実感がわかない。なんだ、あれは、本当にただの夢だったのだろうか。 けれども。 レックハルドは、何故かぞっとして空を見上げた。赤く染まる空はほとんど森に囲まれてみえなかったのだが、それでも、少しだけのぞいている部分をみつけて、何故か彼の心は騒いだ。 指輪。 指輪。 何故、あの赤い色をみて、こんなに胸が騒ぐのだろう。 なにが、指輪なんだ。何故、指輪なんだ。 後ろでは、狼人どもがまた馬鹿な相談をしていたが、レックハルドはそれどころでなかった。気になって木になって仕方がない。 日はやがておちるだろう。けれど、レックハルドの胸騒ぎはおさまりそうになかった。 一瞬、太陽の光が目に入った。きらりと輝く黄金の色が、彼にあることを思い出させる。 いや、厳密には、夢かまぼろしか、かつて見た夢の中の一幕を。 レックハルドの脳裏に、一瞬、指輪をはめた男の手が思い浮かんだ。 漆黒の衣装に身を包んだ男の左手。その指先に、確かにきらりと輝くものがはまっていたように思う。 かすかな笑い声、めまいがしそうなほど遠くから呼ぶ声。 あの男の名前は…… 悪寒が走り、レックハルドは、首を振った。その名を思い出してはいけないような気がした。 (なんだよ。いきなり。どうしてオレは唐突にこんなことを考えているんだ) 恐怖心が彼の背筋を凍らせた。今日はやめよう。このことを考えるのは。レックハルドは、なるべくそのことを考えまいと、背後の狼人の会話に耳を寄せた。彼らの能天気な話題をきけば、わすれられるにちがいない。 けれど、いつまでたっても、誰ともつかぬ声は、彼に延々とこう告げていた。 『指輪を探せ』 一覧 戻る 次へ このページにしおりを挟む 背景:NOION様からお借りしました。 |