辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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辺境遊戯 第三部 


第二章:竜魔問答−9

 狼の遠吠えがどこかから響いてくる。深い森の中を彩る深い緑と黒い色だ。じっと見ていると、目の錯覚を起こしてどちらがどの方向かもわからなくなりそうである。日光が差し込み、葉をてらすと、その葉だけが光に透かされ、宝石のような綺麗な緑になっている。 辺境は惑いの森でもあるといわれる。こういう場所を、ろくに方角すら確かめずに走っていける狼人は、やはり、人間と何か感覚が違うのかもしれない。
 そういうことをひしひしと思うほどには、ダルシュは追いつめられていたのかもしれないのだが。
「どこなんだよ、ここはあ!」
 ぐだぐだと文句を言いながら、ダルシュはひたすら森の中を歩いていた。暗い場所では、彼の赤いマントはさほど目立たないものだ。それもあって、いっそう闇の中にとけ込んでしまっていることを、本人が気づく気配はない。
「あいつら、どこへ行ったんだ!」
 待ってろ、といったくせに! と、口を尖らせる。待ち合わせの筈の場所にはもうたどり着いているはずだ。なのに、どうして二人は現れないのだろう。
「まさか、オレが迷ってるってわけじゃないだろうな……」
 かなりの間、憤慨して、ダルシュはようやくその可能性にいきつく。慌ててファルケンからもらった手書きの地図を出してみる。そこには事細かに、この方角を進むと、こういった特徴の植物が生えているとか、尖った岩があるとか説明も書かれているのだが、今までそういうのを見ずに歩いてきてしまったダルシュには今更よくわからない。
「まずい。全然わからねえ……」
 ようやく事の重大さに気づいたダルシュは、さっと青くなった。適当にまっすぐ歩けば大丈夫だと思っていたのだが、そこはさすがに辺境の森だ。まっすぐ歩いているつもりで、迷わされていたに違いない。少しずつずれた方向に歩いていったことの代償は予想外に大きい。
「うー、ど、どうも、オレが迷ったらしいな……」
 さりとて、どうしていいものやら、ダルシュは腕を組んだ。ここで、いつものようにシェイザスが横にいたら、どうにかなったかもしれない。シェイザスには、辺境の者に準ずるような不思議な力がある。前に辺境に入ったときもそうだったが、シェイザスは、森の中の地形をその力で先読みしているところがある。ここをどうすすめば目的地につくか、や、このまままっすぐにいっても崖があるから危ないだけ、など、知らないはずの場所の様子を見通す。そういった不思議な力は、彼女が生まれつきもっていたものであるらしい。どうして、彼女にそういう力が備わっているのか知らないし、そのせいで彼女を魔女呼ばわりするものもいなくはなかったが、その力は、必ず彼女自身や他の誰かのためになるものでもあった。
「つ、つれてくればよかったかな……」
 珍しく弱気になるダルシュだった。シェイザスは、確かマリスとマリスに捕まったロゥレンと一緒に街でいるはずだった。頭をさげるのは癪なのだが頼めばついてきてくれそうだったのだが。とりあえず、外にはどうにかすれば出られるとは思うが、このままどうやって進めばいいものやら。魔法は全体的にだめ、とかいってしまうファルケンには、人捜しの能力はあまりなさそうだし、舌先三寸と逃げ足とずるがしこい頭しかないレックハルドに、迷った人間を捜し当てる魔力はない。最悪ファルケンが探しにきてくれるとは思うのだが、それにしたってどれだけ待てばいいものやら。
 一カ所でじっとして置くことが苦手なダルシュには、その注文はきびしい。待つぐらいなら、探し回る方がいい。それで状況が悪化してしまうとわかっていても、待つ為の忍耐が備わっていないダルシュなのだった。
「う、うん、まあ、とりあえず、こっちの方向に進んでみるか……」
 適当な方向を見て、ダルシュはひとまず足を進めた。運がよければ、待ち合わせ場所に出られるだろう。もちろん、保証など何にもないのだが。
 ――そっちではない
 足を進めたとき、いきなり、頭の中で声と共に甲高い金属の音が鳴った気がした。瞬間的に静寂の世界に投げ込まれたようになる。背後で水滴が水たまりに落ちる音がした。
 我に返ってハッと顔を上げる。いきなり目の前の木々から、たくさんの鳥が飛び立っていった。ひとときの喧噪が終わると、再び森の不気味な沈黙が訪れる。
 ダルシュは、先程のめまいのような感覚がなんだったのか軽く考えたが、どうしてもわかりそうにない。やがて、それを感じたことも忘れてしまった。足先を別の方向に変えると、ダルシュはそちらにむかって歩き出した。
「なんだ、あっちじゃなくて、こっちに行った方がよさそうな気がするな」
 軽く首を傾げつつも、ダルシュは結局そちらに向かった。何故か、その足取りには迷いが生まれなかった。
 じっとりと苔むした森を歩きながら、ダルシュは、何かに呼ばれているような感覚を無意識に持っていた。それが、何故自分を待っているかまではわからない。ただ、この感覚は、以前にも感じたことがあったような気がした。
 そして、ダルシュは未だに気づいていない。辺境は惑いの森であると共に、危険に満ちた森なのである。そんな場所を歩きながら、彼がほとんど猛獣たちに襲われない理由、襲われたとしても軽々とはねのけられる理由。レックハルドのように狼人の守護を持たない彼が、平気である理由というものについて、彼は未だに気づいてはいない。
 ――それが、自分の血の深くに沈んでいるモノと深く関係するなどということも――
 遠くで、何かの吼える声が聞こえた。狼とも違うその方向は、遠く向こうの空の方から聞こえたような気がした。それが、何となく不吉な、不安を覚えさせる響きをおぼえるものであることに、ダルシュは無意識に眉をひそめていた。
 

 
 とりあえず、休憩でも、ということで、少しだけ安全な場所でビュルガーを含めた一行は、一時腰を下ろすことにした。当初、ビュルガーは、そのまま帰るのかなと思っていたのだが、どうも先程命の危機を味わったばかりなので、さすがに一人で歩き回る気になれないらしい。うろうろしているので、一緒にいくものと仮定することにした。
「ま、どうせ急いだって仕方ないし、のんびりしていこうぜ」
 レックハルドが、そういって木の幹にもたれかかる。ビュルガーは、ただの人間が、どうして危険な辺境にここまで適応しているのかということに驚いた。やはり、よほど無神経な人間に違いない。見たところ、魔力も何も備えてはいなさそうではあるし。
「そうだなあ。じゃあ、よかったらついでに何か食べる? 行く道で果物を採ってきたし」
 ファルケンはそう言って、果物が入っている袋をレックハルドに渡した。
「そうだなあ。じゃあ、そうするか」
 そういって、レックハルドは、まだ、なにかと挙動不審なビュルガーの方に目をやった
「おい、お前も何かもらって食えば?」
 そう声をかけてやると、ビュルガーは、いかにも慌てたような顔をして「あ、ああ」とだけ答える。どうも、自分に怯えているらしい。
 この狼人、もしかして人間というものに、あまり触れたことがないのではないだろうか。レックハルドは、やや呆れたが、狼人というのがどういうものかを知っているので、さほど気にしない。とりあえず、よさげな果実を手にとってそれを口にしながら、レックハルドは、またゆったりとくつろぎ始めた。
「それじゃあ、オレは何にしようかなあ!」
 食うことがそれほど楽しいのか、わくわくと袋の口をあけて果物をあさるファルケンに、やや慌てた様子でビュルガーがいった。
「お、おい。ちょっと……」
 と、めぼしい果物を一つ手にとって声のした方をみる。ビュルガーは、木の陰に隠れながら、こちらを見ていた。
「どうしたんだ?」
「ちょっとこっち来い!」
「なんの用?」
 きょとんとした様子でやってくるファルケンの服を引っ張って、木の裏に引き入れると、ビュルガーは、ちらちらとレックハルドの方を伺う。
「なんの用だい? ビュルガー」
 怪訝な顔のファルケンに、ビュルガーは小声で訊いた。
「なんだ、あいつは?」
 ビュルガーの視線を辿ると、すっかりくつろいでいるレックハルドの姿にいきつく。挙動不審なビュルガーなどに興味のないレックハルドは、水を飲みながら下手するとこのまま昼寝しそうな雰囲気さえ漂っていた。
「あっ、あれはレックハルドといって見た目通り人間だよ」
「そうじゃなく!」
 妙に扱いにくい。前とは印象が違うので調子が狂うファルケンではあるが、とりあえず、愛想がいいのはいいことだ。この調子なら、以前とは違ってどうにか会話はできそうである。
「どういう奴なんだよ。オレを見下げたように見てくるし」
「レックは目つきが悪いんだよ。悪気は別にないと思うんだけど」
 苦笑いしながらファルケンはいった。
「いや、目つきだけでなくあれは人間の中でもかなり……」
 ビュルガーがそう言いかけたとき、ああ、とファルケンはいった。大体彼が何がいいたいかわかったのだった。
「その点は大丈夫」
 ファルケンは、人のよさそうな笑みをうかべた。
「確かにレックは悪党ではあるけど、ちゃんと信用はできるから」
「悪党をどうやって信用しろと!」
 やや声を荒げるビュルガーを諭すように、やんわりとファルケンは応える。
「慣れればわかるよ。ああ見えてもそこまで悪いことはしないし」
「小さな悪事はしてるんじゃねえか!」
「そのぐらい許してやってくれよ。ああみえても、レックも苦労してるんだし」
 笑いながらそういうファルケンを見やりつつ、ビュルガーはため息をついた。あの無愛想な男のどこをどうすれば、こういう表情ができるようになるのか。それとも、元々こうだったのなら、あの時、一体顔の構造がどうなっていたのだろう。
「わかってんだろ? 人間ってのは誘惑に弱いんだ」
 ビュルガーは、少々言いづらそうにしながら切り出した。
「オレは一応、シールコルスチェーンの弟子として心配してやってんだぞ。シーティアンマが言ってたろ……。悪い心を持つ人間は、妖魔にたぶらかされやすいんだ。……そういうのを仲間にすると、後々自分が痛い目みることがって……」
「心配性なんだなあ。そういえば、前からお師匠様が木の上で寝てたりしたら、慌ててたし」
 ファルケンは、じっとビュルガーを見て呆れたようにいった。
「あの人は間違いなく落ちるからだな! それと、お前も……」
「まあ、そうなったらなったらで、オレが助けられる範囲なら助ければいいんだし。それに、オレがついていたら、向こうだって近づけないから大丈夫だよ」
 師匠を軽々飛び越えるような楽観的な考え方に、ビュルガーはあっけにとられた。
「でもだなあ……」
「ビュルガーもちょっとはわかってたんだろ?」
 ファルケンは、ビュルガーの言葉を遮り、穏やかに微笑んでいった。
「シーティアンマの所にいたときのオレは、淵に堕ちかけてたってことをさ」
「う、そりゃ、ま、……普通じゃないとは思ってたが……」
 ビュルガーは、困惑気味に答えた。
「だったら、オレはひとのことは言えないよ。そもそも、一番黒に近い灰色をしてたのは、オレなんだから。もちろん、一回あそこまでいったんだから、これからもオレだってどうなるかわからないんだからさ」
 そういって笑うファルケンの様子には、どことなくハラールをはじめとしたシールコルスチェーンの者がもっている静けさを感じた。どうなるかわからない、とはいいながら、そういう様子の彼が今は一番闇から遠いことは、ビュルガーにでもすぐにわかる。
「……なんか、やっぱり、前と違うな。お前……」
 ビュルガーはため息混じりにいった。
「シーティアンマが見たらびっくりすると思うぜ」
「え? そうかなあ?」
「うん、まあな」
 意外そうなファルケンに、意外も何もねえだろう、と言いたげな目をしながらビュルガーはいった。
(まあ、前よりは今のが、喋れるだけいいと思うけど)
 とりあえず、生きてはいたし、無事そうだし、おまけに明るくなっているので、ビュルガーは、これで師匠に気の重い報告をしなくてすんだと思うと、ホッとした。
「あ、そういや、お前、どこへ行く気なんだよ」
 ふっと、思い出し、ビュルガーはそう訊いた。
「お前、司祭から目をつけられてるのに、人間つれて辺境の奥なんかに……」
「ああ、そうか。ビュルガーも一緒にいくということは、そろそろ目的地を告げないとな」
 話を半分しかきいていない様子のファルケンは、ぽん、と手を打った。いつの間にか、同行することになっている様子に、ビュルガーは慌てる。
「い、いやっ、オレは何も一緒にいくとはっ」
「ま、でも、一番主役の筈の人がまだ来てないからどうしようかと思ってるんだけどなあ」
「話聞けよ!」
 ビュルガーがそういった時、向こうの方で微かに妙な音が聞こえた。ちりちり、というような微かな音は、生きている者のたてる音ではない。ファルケンは眉をひそめ、ビュルガーは、あからさまに肩をびくつかせる。
「レック!」
 ファルケンは、さっと木陰から走り出た。レックハルドは、まだくつろぎながら果物を囓っていたが、ファルケンの様子を見て、慌てて身を起こした。そのまま、慌てて駆け寄ってくる。さりげなくファルケンの後ろまで走ってくると、彼は今まで自分がいた方向の黒い闇を見やった。だが、レックハルドには、ただ黒い森が広がっている様子しか見えない。険しい表情のファルケンに、問いかけてみる。
「何だ?」
「……妖魔だよ」
 手に持っていた果物を折角だからとばかりひと囓りすると、ファルケンはそれを腰に書けていた麻袋につめこんで、背中の剣に手をかけた。
 ビュルガーにも恐らくそれは見えているのだろうが、彼はどうみても戦う気がなさそうである。





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©akihiko wataragi