辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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辺境遊戯 第三部 


第二章:竜魔問答−8


「ええ、ちゃんと助けたじゃないか?」
 誰かを非難する声が聞こえ、そこに佇む大男が大人しそうな顔を少しだけしかめた。
「レック、役立たずは言い過ぎだよ」
 ファルケンはそう答え、巻き付いていた蔓草を軽く引きちぎって指先で払った。
「いいじゃないか。巻き付かれたぐらい。それぐらいで死なないし」
 レックハルドは、それでも不機嫌な顔をしている。それもその筈で、ファルケンがビュルガーを助けにいった直後、うっかりレックハルドも同じ植物に襲われかけたのだ。必死で逃げている間にファルケンがどうにか戻ってきたので助かったが、本当に必要な時はいない男である。
「馬鹿! あと一瞬遅れたら死んでるだろ?」
 レックハルドは、首辺りをなでやりながらため息をついた。先程、危うく蔓草に縛り首にされかけた恐怖は、怒鳴ったぐらいでは冷めない。だが、それを日常として子供時代を過ごしたファルケンは、その辺の細やかな精神が理解できない。
「でも、結果的には死んでないよ? なんでそんなに怒るんだ?」
「貴様ーッ! 結果論でいうなあっ!」
 その怒鳴り声が、夢を思い出させたのか、ぼんやりと大男と痩せた男の繰り広げる問答をきいていたビュルガーは、突然飛び起きた。
「あ、目を覚ましたみたいだな」
 ファルケンは、どこかホッとした表情で、ビュルガーの方を向いた。レックハルドはファルケンの襟を掴んで振り回していたのだが、さすがにビュルガーが起きたのを見て手を止めた。
「大丈夫かい? あれ、毒持ちだから心配してたんだ」
「こら! お前、今とんでもねえことを!」
 自分には言わなかった癖に、とレックハルドは青くなる。
「レ、レックは捕まってなかったじゃないか」
「そういう問題じゃねえっ! 危険があるならあるといえっ!」
 悪気はないらしいのだが、悪気はないからといってもとんでもない。ファルケンは、悪かったって、とのんびりとした口調で笑うばかりだ。
 一方、目をまたたかせながらぼんやりしていたビュルガーは、目の前にいるのがただの狼人でなくファルケンであることにようやく気づいた。後ろに目つきの悪い男もいるし、と、思うと、先程の夢が、何故か刻銘に蘇ってきた。
「ぎゃあああ! 正夢!」
 いきなり、ビュルガーはそう叫び、後ろに座ったままで這いながら後ずさる。
「お前! なんでここにいるんだ!」
「いや、その、ただの通りすがりなんだけど。それにしても、正夢って?」
 きょとんとしたファルケンは、レックハルドの方を首を傾げて見やる。軽く首を振るレックハルドは、妙に冷淡だ。
 もうだめなんじゃねえの? 置いていこうぜ。と、あからさまに語っている顔は不機嫌だ。ファルケンは、苦笑いした。レックハルドらしいが、大体、そういうわけにもいかないだろう。
「だ、大丈夫かな? あの花、毒持ちだけど、あれ、幻覚作用あったっけ?」
 そう呟きながら、ファルケンはビュルガーに近寄った。
「だ、大丈夫かい? ビュルガー」
 いきなりファルケンが穏やかに微笑んだので、ビュルガーはびくりとした。それはそうだ。記憶の中では、笑顔の欠片すら見せなかった男が、満面の笑みを浮かべているのだから。
「あ、忘れちゃったかなあ。オレ、ファルケンだよ、久しぶり!」
「え、あ、ど、どうも……」
 明るく言われて反射的に頭をさげるビュルガーを見、ファルケンは少しだけほっとする。どうやら、無事そうだ。
「よかった。あれ、実は結構毒持ちの花でさ、正直、回ってたらどうしようかって思ってたんだ」
 安堵したファルケンとは対称的に、ビュルガーの顔色は見る見るうちに青くなった。
(ど、どうしよう……、オ、オレはとうとう幻覚を見始めた!)
 彼の記憶からは、愛想のいいファルケンというのは想像できない姿だ。滅多に口をきかなかったから性格はよくわからなかったが、絶対に高慢で嫌な奴だと思っていたし、大体、こんな無害そうな笑みを浮かべてにこにこしているような奴では絶対になかった。だとしたら、これは幻に違いない。よりによって、何という恐ろしい幻をみたのだろう。
(だめだ、もうだめだ。幻覚をみるようになったら、人間も狼人もきっとダメに違いない!どうせなら、綺麗な妖精が頭の上を飛んでいる幻覚の方が良かった!)
 一人大混乱に陥るビュルガーであるが、ファルケンがそんなことにきづくはずもない。
「あ、あの……お師匠様元気かい? 挨拶に行こうと思ったんだけど、どこにいるかわからないからさあ、それで、後回しになっちゃって……。それに、オレも結構忙しかったんだ」
 思わずばつが悪そうに笑ったファルケンは、やはり彼のとまどいなど知ったことではない。ファルケンは、にこにこしながら、続きを話し出した。
「あ、そうだ。この前、なんか招集があったのかい? オレ、その時取り込み中でいけなかったんだ。それも謝っておいてほしいんだ。あとで、オレも挨拶にいくけど、ちょっと今は暇がなくて……」
 ファルケンは、少し気を遣うような素振りを見せる。
「オレの方は、今、ものすごく元気だから、大丈夫だし、色々お世話になりましたって、ひとまず伝えておいてくれよ。後で挨拶にいくつもりではあるんだけど……」
 そこまでいって、ファルケンはいきなり不安になった。
「その、お師匠様、元気?」
 ビュルガーがここにいるということは、お師匠様もいたかもしれない。だとしたら、食われていたらコトである。そして、あり得なくないので、何となく今まで話題から避けていたファルケンだった。とりあえず植物は何も飲み込んでいなかったようなのだが、あの師匠ならぼーっとしている間に捕まって、とっくに溶かされていてもおかしくない。そう思うと、ファルケンは、答えが激しく恐くなる。
「あ、あの……シーティアンマは……」
「ちょ、ちょっと待て……」
 ビュルガーは恐る恐る訊いた。
「……お前、偽物だろ!」
「え?」
 唐突なことを訊かれ、ファルケンはきょとんとして、それから妙に心配そうな顔になった。
「……やっぱり、毒が回って思考能力の低下が……」
 心配そうにファルケンはいって、顎をなでる。離れ島にいるときは生やしてなかった無精髭が何となく目立った。
「お、お前、……やっぱり違うだろ! 偽物だろ! わかった、妖魔がオレを騙そうと! そうでなければ、こんなにこやかな奴がいるわけない!」
「……な、何を心配しているのかわからないけど、……と、とりあえず、水でも飲む?」
 ビュルガーの意味不明な警戒心に飲まれ、ファルケンは困惑気味の曖昧な表情を浮かべた。
「というか、お前、本当に何者だ?」
「だ、だから……ファルケンだよ。ハラールのお師匠様のとこで一緒に同じ釜の飯を食べた仲じゃないか」
「な、なんか、お前、前と変わってないか?」
 とうとうビュルガーは、そう言った。
「明らかに人格からひっくりかえったような……」
「いや、オレいつもこういう感じだけど。ビュルガー、どうしたんだ? 錯乱気味?」
「嘘つけ! 今まですげー無愛想で、こっちを睨んできた癖に!」
 必死でそう叫ぶビュルガーの声をきいて、ファルケンは、あっと声を上げた。
「そうか! オレ、元々目つきよくないらしいから! ごめんよ、ついそう見えたみたいで。普通に見てるだけで睨んでいるように見えるらしいんだよな、悪い悪い」
「違う! 全然違う!」
「誤解させちゃったんだなあ。これから気をつけるよ」
 否定するビュルガーに構わず、ファルケンはややばつの悪そうな笑みを浮かべた。そういう表情も、ビュルガーにとっては別人のような表情だ。ますます不気味になって、ビュルガーは怯えながらファルケンを見上げた。
「お前! しゃべり方から全然違うじゃねえか! っていうか、喋らなかったろ!」
 不気味そうにファルケンをみながらビュルガーは一二歩後退した。
「もっと暗い性格してただろ?」
「失礼だな。そんな根暗じゃないよ、オレは! 確かにあの頃は落ち込んでたんだけど……」
「落ち込むですむのか、あの状態が!」
「ええっ、あれはただ落ち込んでただけだよ」
 一通り様子を見ていたレックハルドは苦笑した。イェームを名乗っていた頃のファルケンなら、それはさぞかし恐かっただろうと思う。レックハルドの前では、いつの間にやら元のファルケンが顔をのぞかせたりしていたのだが、それでも別人と思えるぐらい歩き方から喋り方まで違っていた。恐らく、このビュルガーという狼人の言うとおり、無口で暗くて恐ろしいファルケンだったのだろう。
「やれやれ、相変わらず、都合の悪いことはさばっと忘れるな、お前は……」
 レックハルドが苦笑しながら割って入った。
「え、そうかなあ?」
 ファルケンは、やや不服そうな顔をしたが、レックハルドはそれを軽く笑った。
「お前はいつもそうだよ。まあ、別にいいんだけどよ」
 それで、と、レックハルドは、ちらりとビュルガーを見た。またファルケンとは違う質の視線を浴びせられ、ビュルガーはびくりとする。
(なんだ、この蛇に見られているような嫌な感じは……!)
 ファルケンは、目つきは確かにそれほど良くないが、それはあくまで外観に寄るところが大きい。見るときはまっすぐだし、もし恐いと感じることがあるなら、それは狼人には案外に多い、獣の殺気を備えているのがわかる場合だ。だが、あきらかにこの男の視線の使い方は違う。まるで値踏みをするような目だ。わずかに碧を帯びた色と相まって、それは不気味な印象がある。
(なるほど! ファルケンの奴はこんなんとつきあってるから、あんなになったんだな!)
 がたがたがた、と怯えて、ビュルガーはあからさまに後退する。レックハルドは、いっそう不審そうな目を向けて眉をひそめた。
「……何なんだ、コイツ」
「だから、ビュルガーっていってさ、オレの兄弟子だよ。狼人で、シールコルスチェーンになるために、一緒に頑張っていたんだけど」
「へえ……」
 レックハルドは、あきれたような顔になる。
「色んな意味で大丈夫なのか? コイツ」
「悪い奴じゃないんだよ。優しくしてやってくれよな」
 ファルケンは、苦笑いした。レックハルドは、まだ警戒心を隠さない奇妙な狼人を見やりながら、何となくこの先のことが不安になるのだった。
 なんだか、また厄介なことが起こるような気がする。





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©akihiko wataragi