辺境遊戯・幻想の冒険者達/©渡来亜輝彦2005
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辺境遊戯 第三部 


第二章:竜魔問答−10

 五番目の司祭は、何となく落ち着きなくそわそわとしていた。今日の森には、不穏な空気が流れているような気がした。黒い力のようなものが、地面の底と上空の上の所に流れこんでいるような感覚である。
 だというのに、タスラムは、よほど平気そうな顔をしていた。いつも穏やかな笑みを浮かべているこの男だが、果たしてその心中が穏やかであるかどうかはわからない。こんなところで、人に話をきかれやしないかという気もするが、どうもタスラムが結界を張って結界の内部の音を漏らさぬように工夫しているようだった。ほとんど気づかない内にそれをやってのけるだけの実力は、さすが、三番目の司祭だといえる。
「体の方はどうかね?」
「はい、まだ無理はできませんが、こうして起きあがることぐらいはできるようになりました」
 彼の目の前に座っているのは、穏やかな目をした狼人である。狼人は、頬に赤いメルヤーを厄除けに描くのが通例なのだが、司祭のメルヤーは、実は少しだけ形が違う。目の前の男は、司祭のメルヤーを描いてはいたのだが、この前までの人物と少し違う者のように見えた。
 毎日とはいわなくても、短期間に何度か会っていればその変化には気づきにくい。コールンも、この狼人がこんな穏やかな目をしていたことがあったということを、すっかり忘れていた。ここ百年ほどは、彼はコールンとは対立する側の人間だったのだから、ここまで素直な彼を見ると、少し不思議な気分だ。
 目の前に座っているのは、まだ怪我をしているのがわかる、十一番目の司祭のアヴィトであった。この前、もうやめろというのにもきかず、ファルケンとその仲間に手を出し、返り討ちにされた司祭である。もっとも、その時に、彼に取り憑いていた妖魔があぶり出され、タスラムによって抹消された事を思うと、本人にとってはよかったのかもしれない。
 あれから、何度かアヴィトと話したコールンは、どうやら彼が百年近く正気ではなかったらしいことに気づいていた。随分長い間、操られていたということになるのだろう。
「もし、覚えていることがあるのなら、教えていただきたいのだが」
「はい、五番目の司祭に大方のことはすでに申し上げておりますが、他のことがありましたら何なりと」
「では、遠慮無く」
 タスラムは、愛想良くそういうと、静かにきいた。
「一番目殿のことを覚えているかな?」
「はい。もちろんです」
「では、彼がそなたにどのような命令を下したかは?」
「それは、良く覚えておりません」
 アヴィトは、困惑気味に答えた。
「しかし、……私が明確な記憶をとどめている最後の頃、あの方に会ったことは覚えております」
 アヴィトは、少し眉をひそめた。
「日頃、不審に思うことがあり、それでギルベイス様の様子をうかがったのです。いえ、あの方は、どちらかというと温厚な方で、いつも朗らかな方だったと思うのですが、ここ百年近く、まるで人が変わられたような……。そのことは、我々、司祭の内で年数の浅いものたちの中でも、いぶかしいことだったのです」
「うむ、それは私もそう思う」
「それで、あの時もご機嫌を伺いにいったのです。原因などお聞きできるとは思ってはおりませんが、それでも、少々ご様子がわかれば……と」
 アヴィトは、ややうなだれるように顔をうつむけた。
「それからの記憶が、ほとんど定かではなく……。私が申し上げられるのはこれぐらいでございます」
「なるほどな」
 タスラムは、ため息をついた。
「そなたは、元々あまり人間に親しまぬ側の司祭。そして、一番目殿を尊敬していた」
「は、はい」
「なるほど、では、隙は選びたい放題あったわけだな」
 タスラムはヒゲを一度いじり、ふむ、と唸る。
「隙? で、ございますか?」
 話をきいていた五番目の司祭のコールンが口を挟む。結局タスラムに、無理矢理協力させられてしまった彼は、成り行き上、もしかしたら辺境の禁に触れるかもしれないタスラムの企てに乗ってしまっていた。
「そう、隙だよ隙」
 タスラムは、にんまりと笑いながら言った。
「信頼の厚い相手がいう言葉ほど、信用したくなるモノだろう。そなただって、二番目殿の言うことなら素直に全部聞いてしまうだろうが」
「い、いえ、私は……」
 からかうように言われ、慌てるコールンを見やるタスラムは、いかにも意地悪である。好々爺然とした顔つきとは裏腹の性格に、コールンもややたじたじだった。今までは比較的目立たないようにしていたらしい彼の姿は、一体なんだったのだろう。本当に長い間騙されていたような気がする。
「しかし、私に妖魔が取り憑いていたとは……不甲斐ない事です」
 アヴィトは、落ち込んだようにため息をついた。タスラムは、軽く首を振る。
「まあよい、何もそなただけに限ったことではないからな」
 そうですか、と受け流そうとしてアヴィトは詰まる。アヴィトどころか、コールンも、その意味に気づいてハッとした。タスラムは、にこにこと笑っているばかりだが、その意味するところはかなり深い。
「それは、……わ、私の他の司祭にも、そのようなことが……」
 あえて名前を出さなかったが、おそらくタスラムが言ったのはギルベイスのことだ。司祭が妖魔に憑かれ、邪気に踊らされるというのだけでも、辺境全体として大変なことなのに、よもや司祭を統括する一番目が……。
「まあまあ、そう慌てずともよい」
 タスラムは、言葉をうまく濁しながら続けた。
「ははは、そのような危ないこと、断言できるはずもなかろうが。私は、大概長生きだが、まだ消されたくはないからなあ」
 陽気にそういって、タスラムは、ふと声を潜めて片目をつぶって目配せした。
「今は、まだ確信がないから秘密だ。また、分かったらそなたらに教えて進ぜよう」
「は、はあ……」
 雰囲気に飲まれて思わず頷いてしまう二人だが、それが本当だったらとんでもないことだ。だが、それ以上は、何となく追求できなかった。
 それで、と、悩む二人にお構いなく、タスラムはアヴィトに訊いた。
「魔幻灯のことは覚えてはいないのかね?」
「は、魔幻灯?」
「銅鈴のレナルに、いつもくっついていた、火を嫌わぬ小僧だといえばわかるかな?」
 きょとんとしている様子に、タスラムは付け加える。
「ああ、それは覚えております。……し、しかし、あれは、いつの間に成人の儀を終えたのですか? 私が知っているのは、確かまだこのぐらいの……」
「それはまた、大分記憶が遡るな……」
 タスラムは苦笑した。おそらく、アヴィトが言っているのは、まだファルケンがシェンタールを与えられる前の事だ。彼の記憶の中では、まだファルケンは、背も伸びきっていない少年の姿なのだろう。これでは、どうしようもない。
「なるほど。その様子では、魔幻灯が何をやったか、そなたが彼に何をやったかも、全然覚えてないのだな……」
「さ、左様でございます」
 やや申し訳なさそうにアヴィトがいう。
「それは困ったなあ。お主が覚えていれば、ちょっとお主を謝らせて、魔幻灯の情をほだそうと思っておったのだが。いや、アレは、案外プライドが高いから、一回謝らせれば、割合すんなりと事が治まると思ったのだが、ソレでは仕方ない。何か餌をつけて釣るしかないな」
 あごを撫でやり、タスラムはにんまりとした。
「まあ、方法はいくらもあるだろうて」
「あの、……三番目殿は一体何をなさるおつもりです?」
 コールンは、いぶかしげに尋ねた。このまま、この男についていって大丈夫なのだろうか。少しだけ不安になる。
「ほう、敬愛するエアギア殿に私の行動を密告でもする気かね?」
「い、いえっ、違います」
 二番目の司祭の名前を出され、コールンはやや慌てる。それを笑い飛ばしながら、タスラムは言った。
「いや、構わないのだがな、エアギア殿に言っても。ただ、あのお方は、何か隠していることがおありのようだ。私の行動を知れば、かえって気分を害されてしまうだろうから、言わない方がいいということだがな。好感度を下げたくなければ」
 いやに俗っぽい狼人らしからぬことをいいながら、タスラムはからからと笑った。
「できれば、あの魔幻灯には、協力して貰おうと思うのだ。……もちろん、商人と一緒にいるアレは、今や、見返りもないのに我々の要求はのまないだろう。なにせ、商人はそういうことばかり教えているはずだからな。だから、見返りは与えねばならない」
 きょとんとしている二人に、タスラムは続けていった。
「商人という生き物によると、交易の基本は、あくまで建前だけだとしても等価交換だといってな、ソレ相応の情報をもっていけば、あの魔幻灯も話してくれるだろう」
 一体、タスラムは、人間の世界でも出たことがあるのだろうか。そんな訳知りなことをいう彼に、コールンは、また一つ疑問を持つ。だが、彼の疑問に答えてくれるほど、タスラムは優しい男ではないのだった。
「では、一旦解散を。アヴィト、お主はまだ他の司祭の目に触れない方が良い。こちらから指示を下すまで、そこにおるがいい」
「は、わかりました」
 アヴィトは、頭をさげて一歩下がる。その姿がふわりととけ込むように消え去った。タスラムは、今度はコールンの方に目をやった。
「さて、そなたは、他の司祭の行動について調べてきてもらおうかな?」
「わかりました」
 逆らっても仕方がない。にこにこと人のよさそうな笑みを浮かべるタスラムに協力しない限り、真実はわからないだろうし、彼にも余計な危険が及ぶだろう。コールンは、素直に頷くと、そのまま姿を消した。
 霧のように消えていく彼の姿を見ながら、タスラムはあごをなでやる。
「さてと、……私はどう動いたものか。……魔幻灯に会いに行こうかな?」
 すたすた歩き出したタスラムの頭上で、ふいにぱちん、と音が鳴る。突然聞こえた破裂音に、彼はおやおやと、わざとらしくいいながら上を眺めやった。視線の先で黒い墨のようなものが弾け飛んだ。タスラムが、ひそかに張っていた結界に触れたのだろう。
「盗み聞きは厳禁だよ……。まあ、消えてしまっては盗み聞きもできんかな」
 タスラムは、軽やかに笑うと、ふわりと森の中に消えた。同時に、彼がひそかにかけていた魔法が破れて、結界の外に内で鳴いていた鳥の声が漏れ出した。
 結界の外では、どこか遠くで妖魔のうそぶくような虚しい声と、それをうち消す金属の音が聞こえていた。
 消えたタスラムは、そのことを気づいていただろう。そして、それが他の暗い者達の目を覚ます音になることも。





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©akihiko wataragi