辺境遊戯 第三部
第二章:竜魔問答−6
飛びついてきた狼を受け止めて、ややよろけながらも、ファルケンは満面の笑みを浮かべた。
「ソルー! 久しぶりだなあ!」
ふさふさしたたてがみに抱きつきながら、ファルケンは懐かしそうに狼の頭をなでやった。
「もう会えないかと思ってたよ!」
「元気そうで何よりです」
相変わらず、人間よりうまい言葉をあやつるソルは、そういって何となく少し笑ったような気がした。彼がどうして言葉を操るのかはよくわからない。タクシス狼には、魔法の力が流れているとも言う。そうした要因があるのかもしれない。
「こらっ、よるなって!」
ファルケンが、ソルを地面におろしながら背後を振り向くと、そこでは大勢の狼に囲まれたレックハルドが、なにやら一人で騒いでいた。
「おい、こら、ソル! 仲間連れてくるなよ! お、お前らオレに群がるなっ!」
辺境狼より一回りほど小さいタクシス狼は、何となくかわいらしい印象がある。理知的であるらしいのタクシス狼は、味方であると認定したものには人なつこいらしい。人間にはともかく、彼らは狼人の側をちょろちょろしていることが多い狼なのだ。
レックハルドが必死な理由はすぐにわかる。レックハルドの手には、今日のお昼分の干し肉の袋があるのだ。
「その目はやめろ! っていうか、足下によるなって!」
おまけに、まだ小さな子供の狼が二頭ほど、足下近くによってきていた。そうして、かわいらしい目で見つめられると、そもそもが犬好きなレックハルドは弱い。ついつい、餌でもあげそうになってしまうのだ。だが、これは今日の貴重な食料なわけであって、易々と渡すわけにはいかない。
「ファルケン! どうにかしろよ!」
「かわいいから、いいじゃないか?」
ファルケンは、ソルをなでやりつつ言った。
「お前、今日の昼飯が減ってもいいのか?」
「足りなかったらオレがなにか捕ってくるからいいんじゃない?」
助けを求めても、相手は楽観的な動物好きなので、助けてくれるはずもなかった。かわいらしく何かをねだる瞳の圧力に屈したレックハルドは、結局今日の昼の分の干し肉を差し出してしまう羽目になるのだった。
それを見ているのかどうなのか、ファルケンは、ソルを懐かしそうに見た。この狼は、またちっとも変わっていない。普通の狼より長命らしいタクシス狼のこともあり、ソルはこう見えてまだ若いリーダーでもあるのだった。
「しかし、やはりあの時現れたのは、兄貴だったんですね? あの覆面の……」
ソルは、びしりと聞いた。
「う、やっぱり、ばれてたんだ……」
ファルケンは、苦笑いを浮かべた。
「いや、ソルには気づかれてたとは思ったんだけど……。でも、あの時は……オレも、ちょっとその……」
口ごもりつつ、少し申し訳なさそうなファルケンに、ソルは言った。
『何か理由があったのはわかります。……そのことは聞きません』
でも、とソルは続けた。
「レナルの旦那はずっとお二方を心配していますよ。是非会いにいってやってください。ああいう性格の人ですから、きっとずっと引きずっているかと」
「ああ、そうだなあ。わかった。じゃあ、帰りに時間を貰ってちょっと会ってくるよ。迷惑かけるかもしれないけど、このままっていうのは……」
「ちょっと待て!」
いきなり、先程まで結局狼の子に干し肉をかなり食べられていたレックハルドが、こちらを向いた。
「どうしたんだ?」
「どうしたもこうしたも……」
きょとんとするファルケンと、何やら涼しげな顔のソルを睨み付けつつ、レックハルドは言った。
「お前も、結局最初ッから、イェームがファルケンだって知ってたんだな! 気づいてなかったのはオレだけかよ!」
「……知っていると言うよりは、何となくそう思っただけですよ。大体、我々は人間より鼻がききますし」
「なんでオレに言わなかったんだ!」
「あなた疑り深いから信じないでしょう? 大体確証のないことは言えません」
冷たくそういうソルを睨み付けつつ、レックハルドは口を閉じた。そういわれるとそうなのだが、せめてちょっとぐらい教えてくれたっていいだろうと思う。あの時、あれほど落ち込んだり悩んだりした自分は、何だったのかと思ってしまう。言われたところで信じなかったとは思うが、少しぐらい言ってくれたって罰が当たるものでもないだろうに。
「ま、まあまあ、レック。そっ、その話は〜〜さあ」
このまま続くと、居づらいのもあるが、最終的に雷が落ちるのは自分のところだということもわかっている。ファルケンは、やや慌てながら止めに入った。
「あ、そうだ。あの、今日はソルに協力して欲しいことがあってさ」
ごまかしもあってか、ファルケンの声の調子はちょっとおかしい。レックハルドが横で睨んでいるからかもしれない。ソルは状況には気がついているが、おもしろいのか手を貸してくれない。昔からそうだが、ソルは頭がよすぎるせいか、どうもちょっと冷たいところのある狼なのだ。皮肉屋ではないのだが、ある意味ではレックハルドにちょっと似ているかもしれない。
「ええと、辺境の中で人が一人迷子になったんだ。つれてかえってきてほしいんだけど。探してきてくれるかい? 辺境の中だし、オレはレックの側を離れられないからさ」
ファルケンは腰を折りながらソルに告げた。
「おやすいご用ですよ。で、どなたが迷ったんですか?」
「ソルは覚えてるかな? オレ達とこの前、っていっても、大分前になっちゃったけど、一緒にいた人なんだけど」
ファルケンはやや困ったような顔をしながら続けた。
「ええと、名前はダルシュで、赤い服着てるから一発で目立つと思うよ」
「ご心配なく、覚えていますよ。あの髪の毛逆立ちそうな方でしょう」
(相変わらず、生意気なほど頭のいい狼だな……)
物覚えも恐ろしくいい。タクシス狼とやらが、それほど頭のいい生き物なのもすごいとは思うが、このソルは恐らく特別だろうとは思う。
「では、探して参ります」
「ありがとう、ソル。いきなり頼み事しちゃって悪いなあ」
「いえいえ。折角兄貴が戻ってきたんですしね。このぐらい」
ソルはそういうと、突然、一声吼える。今まで、レックハルドの周りに集まっていた狼たちが、ぴくりと顔と耳をそばだて、たっと走り出す。仲間達が走っていくのを確認しながら、ソルは、ファルケンの方に少し視線を向けた。
「それでは、また後で」
「うん、ありがとう」
そういうと、ソルを含めた群れは森の中に消えた。しばらく狼の鳴き声が聞こえているようだったが、それもやがて静まりかえった森の奥に消える。やがていつものように、ささやくような音に満ちた森にもどるだけだ。一声、何者かわからない鳥が鳴き声をあげていた。
「これで大丈夫」
「ホントか。なんか、あいつ、イマイチ信用できん」
からかわれたりしたこともあってか、レックハルドは腕組みをして憮然としている。ファルケンはそんな彼の方に振り返った。
「大丈夫だよ。ソルはあんなやつだけど約束は守るし、探査能力もすごいから」
「……なんつーか気にくわん。狼はかわいかったが、アイツだけはひどいだろ」
「そう?」
ファルケンは、軽く首を傾げてから、それにしても、といって緩んだ笑みを浮かべた。
「いつもいるとそうでもないけど、やっぱり動物はいいなあ。和むなあ」
「和む。だが、和むけど、いつの間にか昼飯大分持ってかれたぞ……」
そういって、ほとんど空になった干し肉の袋を振るレックハルドを見て、ファルケンは非難めいた声をあげた。
「ええっ! レックなのに、なんでそんなにあげちゃったんだよ?」
「おまえ、ソレ、意訳したら「ケチのレックの癖に」って意味かあ! ああっ!?」
レックハルドは、思わずむっとして言い返す。
「そんな直接的にいってないだろ!」
「てことはつまりそういう意味じゃねえか! 大体、オレのせいじゃねえだろうがよ! オレは、お前が捕ってくるって言うし、だって、あの狼の子が、オレにいかにもかわいらしい目をだなーッ!」
くだらない言い争いに発展しかけたとき、ふと、黒い影がお互いの目に入った気がして、彼らはひょいと顔を上げた。
「うわっ!」
鞭のようなものがこちらに飛んでくるときのしなる風音と、彼らの声が響き渡ったのは同時だった。慌ててお互い別々の向きに飛びずさり、その一撃をかわす。
予想できていたが、やはり上にいるのは、随分危険な植物だった。紫色の奇妙な花が咲き誇った植物で、茎の色は紫と緑色が交互に混じっていた。大きさは三メートルほどあり、ちょっとした木ぐらいには見える。花の下につぼのようなものがあって、そこになにかの動物の骨らしきものが日光でうっすら透けているのがいかにも不気味だ。
起きあがりながら、ファルケンは、腰の短剣を抜いてさらに伸びてきた二本目の蔓を切り捨て、レックハルドのほうをみた。
「これは食虫植物の類だよ。あの蔓で獲物を捕獲してつるしあげて、それから徐々にあのツボの中に持っていって食べるらしい。でも、これ、前にいたベドルーダーっていう奴じゃないよ。新種かなあ。しばらく、オレがいない内に、辺境は新たな進化を……」
「のんきに話してないでどうにかしろ!」
気が気でないレックハルドは、そう叫んだが、ファルケンは笑顔で答える。
「大丈夫だよ。さすがに、もうオレ達を狙ってはいないみたいだ。多分、本当はウサギあたりを狙ってたんだけど、オレ達が紛れ込んできたから間違えたんだろ」
「へえ、そいつあ、随分でかいウサギを狙ってたんだな……人間と間違えるぐらいなんだから……」
ファルケンの言うことはイマイチ信用できない。だから、辺境には入りたくなかったのに、と、レックハルドはダルシュを忌々しく思った。
「珍しいなあ、こんなとこにいる植物じゃないのに」
切られたまま垂れ下がっている蔓草を手で弾いた。
「まあ、のんびりと目的地に向かおう。いそいでも、ダルシュいないし、何かこんなのも一杯いそうだし」
「のんびりとねえ……。なんか、一人ずつで進むと危険が普通に緊迫感を持って迫ってくるが、お前と一緒に組んでると、何故か命の危機が大変にあほらしくやってくる気が……」
レックハルドは、呆れたようにいうが、ファルケンの方はけろりとしていた。
「そんなの気のせいだよ。でも、どうせ同じ危険だったら愉快にやってきた方が……」
「そんなばからしい死に方したくないわっ!」
レックハルドはそう返し、軽く額をおさえた。なんだか懐かしい感じがするやりとりなのだが、この際、懐かしさを感じる暇などない。
他に危険はないのかと、周りをちらりと見回す。レックハルドは、そして、ふと顔をあげた。目のいいレックハルドは、そこそこ遠くでもよく見える方なので少しだけわかるのだが、なんだか前の上の方で不吉な影が揺れているような気がしたのだ。
「さあ! じゃあそろそろ出発を」
ファルケンがそういいかけたとき、レックハルドは彼を押しとどめながらその影を指さした。
「おい、なんかさらにあそこにやばいのがいないか?」
「ええ? どれ? まだいるのかな?」
ファルケンは、レックハルドの指さした方を見上げた。