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辺境遊戯 第三部 


時空幻想-26



 ここにいると、時間の感覚が鈍る。短気を封印して、じっと待っているカラルヴだが、不思議と待ち時間が長いような気がしなかった。ひどく長く待ったようでいて、何故かファルケンと分かれたのが先ほどのような気がする。
「おお、いけねえ」
 不意にわれにかえって、レックハルド=カラルヴは首を振った。時間の感覚が麻痺してくるということは、ここになじんでしまうということだ。ということは、隙が多くなるということでもある。
「冗談じゃねえ。こんなところに長居する気はないんだぞ、俺は。しっかりせにゃ」
 自分でそう独り言をつぶやいていないとならないほどには、不安だということだ。やれやれと苦笑して、くわえていた煙管を吸って煙を吐く。そろそろ、煙草でもつめなおそうか。
 そう彼が思ったときだった。ふと、先ほどファルケンが消えた方向にふらりと人影が上るのが見えたのだ。
 まるで何でもない顔をして、こちらに歩いてくるのは、当のファルケンに違いなかった。
「ようやく戻ってきたか」
 カラルヴは、ほっとため息をついて、煙管をしまった。最後に吸った煙が、彼の言葉尻とともにふっと唇の端から飛んでいくのが見えた。カラルヴの煙草の吸い方は、どことなくよれた雰囲気があって、更にちょっと尊大な印象がある。更にいえば、成り上がりものなのが、丸出しといえるのだが、そこまで言ってしまうのは何となくかわいそうだった。
(レックも、煙草吸ったらこんなんだろうなあ)
 あんまり好印象じゃないから、やめたほうがいいよ、と見かけたらいってあげたほうがいいだろうか。
 そんなことをふらっと考えたファルケンが答えないので、カラルヴは、むっとした。
「なにぼさっとしてんだ。オレがどれだけ待ったと思ってやがる」
「ごめんごめん。ちょっと色々あってね」
 まさか、夢を見ていた時間もあったなどという不埒なことは口にできないので、ファルケンは軽く笑ってごまかした。
「まあ、いろいろはいい。で、悩み事はなくなったのかよ」
 カラルヴは、機嫌を直したのか、少しわらってきいてきた。
「いやにすっきりした顔をしてるじゃねえか」
「うーん、まあまあかな」
「そうかい。まあ、いいさ。ことがうまくいったのは、いいことだからよ」
 彼は、イェームがどうなったかとはきかなかった。ファルケンは、どう説明したものかと考えていたのだが、結局、話すのをやめた。
「あんたに礼をいわなきゃなあ」
「へえ、それはまた殊勝なことをいうじゃねえか?」
「オレは、ああいう深く考えるのはそんなに好きじゃないんだ」
「だろうな」
 カラルヴは、からかうように笑った。
「狼人はそういうのが多すぎるんだ」
「うん」
「お前らときたら、ちょっと考えたらわかるもんでも、何も考えてねえからいけないんだ」
「そうだよなあ」
「でも、まあ、そういうところは、お前らっていう生き物らしいよ」
 カラルヴは、そういって背筋を伸ばした。
「で、用件が終わったら、ちゃんと案内してくれるんだろうな?」
「案内?」
 瞬きしていると、カラルヴが、再び眉をひそめた。
「お前、出口自体はわかるといったじゃないか」
「ああ、そうか。そういえば、そろそろ出てもいいころだったんだ」
「そうかじゃねえ!」
 思わずつかみかかるカラルヴに、ファルケンはようやくあわてて言った。
「ああ、ちょっと待って! いま、説明するから」
 ファルケンも急に言われても困るのだ。あわてて考えて、彼は続けた。
「いや、その、出口自体は、歪みがいっぱいあるから、いっぱいあると考えてもいいんだけど」
「いいんだけど」
「あんたの言う『出口』かどうかはわからないよ。少なくともオレには。ここには出口がいっぱいあるし、オレはあんたがどこから来たのかわからないからさ」
 自信なさげなファルケンに、カラルヴはため息をついた。
「それじゃあ、どうしろというんだよ。オレだってどこから来たかわかんねえんだよ」
「そりゃあそうだろうけどさ。まあ、でも、あんたにしかわからないと思うよ。だから、いったん、どこかの出口から外に出てもらうとして、そのときに、あんたが出る場所を選べば、出たい場所に出れるんじゃないかな?」
 ファルケンは、ひげをなでやりながら、考え考え言った。
「なんだい? その適当な言い草は。お前、ちょっと観念的で、大概ややこしくて、必要以上に難しいことをなんでもなさげに言い出すな」
「ええ? そうかな? ま、簡単にいうと、出るにはあんたの協力も必要ってこと」
 ファルケンは、彼をにらみつけるカラルヴをなだめつつ言った。
「要は、オレが案内してあげるから、あんたが自分の生きていた世界を思い浮かべながら、歪みに足を突っ込めばいいんだ」
「念じろっていうことか?」
「そうそう、念じるっていうこと」
 カラルヴは、一瞬難しい顔をしたが、一応の納得をみたのか、ため息をついた。
「よし、わかった。じゃあ、お前を信用するぜ。で、歪みっていうのはどこにあるんだ」
「そうだな」
 そういうと、ファルケンは、すばやくあたりを見回した。そして、狼人の彼にしかわからない、わずかなよどみを見つけて指を指す。
「ええと、あそこかな」
「あそこか」
 レックハルド=カラルヴには、視覚的にゆがんでいるのかどうなのかはわからないが、そういわれるとそんな風に見えるようにも思う。ただ、彼は、ようやくこのいかれた空間から出られるという喜びが顔にあふれ出していた。
「それじゃあ、さっさと帰るか。オレも、忙しい身分だからな」
「そうか」
 彼は早々にそこに歩いていくと、ファルケンのほうを振り返った。
「こんなに早く帰れるなら、せかすことなかったな。悪かったよ」
「別にいいよ」
 ひねくれているくせに、妙にすらりと謝罪の言葉を吐かれて、ファルケンは思わず苦笑してしまう。
「それじゃあ、このあたりでお別れだな」
 レックハルド=カラルヴがそういった。
「ああ……」
 ファルケンはそう答えて、急に寂しさが胸の辺りを掠めるのを感じた。今までまったく違和感を感じさせなかったが、この男は、自分の知っているレックハルドではない。分かれなければならない。
(待てよ、レックじゃないのに……)
 レックハルドではないのに、どうして、こんなに似ているんだろう。
 今まで大した疑問も持たなかったのに、ファルケンは急にそんなことが気になりだした。何故最初にそう思わなかったのかがむしろなぞだった。
 だが、よく考えると至極おかしなことだ。
(何で、オレは、こいつのことをレックじゃあないのに、『レック』と同じ人間だと認識していたんだ?)
 そうだ。間違いなく違う人間であるはずなのに。
 妖魔が乗り移っていたレックハルドも、同じく彼であるという感覚がしていた。狼人である彼には、その肉体や魂を見分けるような、そんな鋭敏な魔力めいた感覚がある。
 その彼をして、まったく違和感を感じさせずに、彼はカラルヴを、自分が知らない「レックハルド」自身だと感じ、彼の存在に何の危機感ももたなかった。安心しきっていたのだ。
 何故か。その答えは簡単だ。しいて言えば、魂の形とでもいうべきものがそっくりだったからだ。彼の雰囲気が、余りにもレックハルドと同じだったから、まったく違和感を持たなかった。
(転生なのか?)
 ここは時間の混ざる場所だ。前世や来世の彼が、現れてもおかしくはないのかもしれない。
 魂は、時に輪廻することがあるらしい。ファルケンでも、それぐらいはシールコルスチェーンになるときに聞いて知っている。自分がゼンク、あるいはザナファルの転生だといわれたように、そういうこともよくあることだ。
 けれど、それにしても、どうしてたくさんの人間の中で、「レックハルド」が、この場に現れたのだろう。
 そして、彼もまた、辺境と狼人にかかわっている最中、災難にあってここにきたのだという。この奇妙な一致はなんだろう。
 不意に幻のように先ほどの夢が、頭を掠めた。
レックハルド。
どうして、その名を持つ男は、毎度辺境にかかわってくるのだろう。しかも、生まれ変わりのように同じ容姿をして。
もちろん、彼の見た夢である可能性はある。けれど、狼人である彼は、何かしら直感のようなものがあるので、それがただの夢ではないことも、うすうす感じていた。
 あれは、昔、本当にあったことではないのだろうか。誰の記憶かわからないものを、自分はかすかに拾ってきてしまったのだろうか。
 だとしたら、ハールシャーも、カラルヴも、かつていた「レックハルド」なのに違いない。
 何故、「レックハルド」は、辺境にかかわるのだろう。
 何故。
 本来、辺境にかかわるはずのない彼が。
 特別な力を持たない、無力で世俗につかった人間である彼が。
 それがもっとも辺境に縁遠い人間であることは、ファルケンにでもわかる。
 自分と友達になったから?
 それでは、ほかの二人のレックハルドは、どうして辺境にかかわったのだろう。何か、そうしなければならない理由があったのだろうか。その過程で自分と知り合ったのではないだろうか。
 レックハルドには、少なからず、彼自身に辺境とかかわろうという意識があったんじゃないだろうか。
 けれど、よりによって彼が、どうして――?
「どうした?」
 小首を傾げるカラルヴの姿を見ながら、ファルケンはふとわれに返った。
「なんでもない」
 ファルケンが首を振ると、カラルヴはにっと笑った。
「なあ、また会えるか?」
 意外な質問をされたと思った。それと同時に、ファルケンは、何故かそのときはっきりと確信したのだ。
 ああ、こいつは、間違いなく「レックハルド」なのだ。
 ファルケンは、笑った。ほんの少し胸が詰まるような感覚があったが、顔には出さなかった。
「多分大丈夫だよ。間違いなくまた会えるよ」
「そうか。お前らがそういうんじゃあ、そうだろうな」
 レックハルド=カラルヴはそういってけらけらと笑うと、手を出した。
「それじゃあ、またな。狼人。覚えておくぜ」
「ああ。必ず」
 ファルケンは、差し出された手を握った。カラルヴが、不敵ににやりとしたのがわかった。
 そしてその瞬間、彼の姿は裂けた空間に四散して吸い込まれるようにして消えた。
 しばらくして、ファルケンは差し出したままの手をようやく引っ込めた。
「……必ず。……だって、レックとは腐れ縁だよ」
 そういって、ファルケンは苦笑した。
「いろいろ、ありがとう。おかげで助かったよ」


 メアリーズシェイルにあいにいく途中、先にたっていたファルケンが不意に足を止めた。レックハルドは、ついつい彼を抜かしてしまってから、振り返る。
 気を遣って先にたって歩くようにしてくれたのかと思ったが、そうではない。ファルケンは、そこから動かない気らしかった。
「あれ? メアリズさんと会うんじゃなかったのか?」
「オレは、後であうよ。でも、レックとはここでお別れだ」
 ファルケンは、そういって微笑した。
「帰ってしまうのか?」
 レックハルドは、その意味に気づいて寂しそうに呟いた。彼は、自分と同じ時を生きるファルケンではない。彼は、未来の人間なのだ。それはわかっているのだが、いざわかれると思うと、妙に寂しくなる。
「大丈夫だよ。どのみち、オレはあんたと会うことは間違いないからさ」
 ファルケンは笑い飛ばしながら言い、レックハルドの肩に手をやった。
「今度から、オレはあまりレックに直接絡むことはないよ。ここだから、今回はオレは見てられなくて、思わず手をかしたけど、基本的に過去には手を触れられないのが不文律なんだ」
 ファルケンは、少し真剣な顔つきになった。
「ここから先は、オレにもどうなるのかはわからない。けれど、レックなら多分大丈夫だよ。うまくやれば、またオレに会えるさ」
 危険は多くなるかもしれないが、うまくきりぬけて生き残れば、また未来で会える。そういう風にファルケンはいっているらしかった。
「仕方ねえな」
 レックハルドは、苦笑した。
「ややこしいこと言いやがって。要は、油断せずに気をつけろってことだろ」
「そう。まあ、気をつければ、きっと大丈夫だよ」
 ファルケンは、そういって無責任に明るく笑った。レックハルドは、やれやれと呟く。そんな風に無責任に笑われると、妙に明日が明るく見えてしまうから恐ろしい。
「それじゃあな。ファルケン」
「ああ。健闘をいのるよ。ここのオレにもよろしくね」
 レックハルドは手を振った。振り返って歩いて数歩で、いつのまにかファルケンの気配は消えていた。
 そう、あいつとは、また会える。
 レックハルドは、そう呟いた。
 なぜなら、ヤツは、本来未来の人間だから。自分さえしっかりして、万事うまくいけば、またファルケンとは会える。
(余計なことしにきやがって……)
 レックハルドは、思わず苦く吐きすてる。思わず感傷的な気分になってしまったではないか。
 けれど、あの時騙されたことを糾弾できたのはよかったかもしれない。
 ふと、レックハルドは、目の前を向いた。
 一人の女が、こちらに背を向けてたっていた。巻き毛の髪をゆらしながら、彼女はゆっくりとこちらを向く。
 やはり、何度見ても、マリスと見間違うほど似ている。大きな瞳がこちらを見つめているのをみると、レックハルドは、思わずどきりとしてしまうのだった。
「メアリズさん」
 レックハルドは、そう名前を呼んだ。彼女は優しく微笑する。
「あの子は、戻るところに帰れたんですね?」
「え、ええ」
 どういいだそうか迷っていたが、メアリーズシェイル=ラグリナは、不思議と、あの少年がどうなったか知っていたようだ。レックハルドは、内心ほっとした。
「よかったわ」
 メアリズは、安堵したように微笑んだ。つられてレックハルドも微笑する。
「あの、メアリズさん、……ここから出る方法がわかったんですよ」
「まあ、そうなんですか?」
「ええ」
 だから、あなたともここでお別れなんです。
 レックハルドは、その言葉を続けられなかった。マリスではないのに、レックハルドは、彼女に別れの言葉を切り出すのが、妙につらかった。
 その気持ちを察したのかどうか。メアリズは、彼に近づいて首を振った。
「寂しいけれど、私も、あなたも、帰る場所に帰らなければいけませんわね?」
「ええ」
 そういわれて、レックハルドは頷いた。自分で言い出せないのが、妙に情けなくて、少し恥ずかしくなった。けれど、メアリズが、目の前で微笑しているものだから、レックハルドのその気持ちは、いったん目の前から過ぎ去った。
「レックハルドさんも、大変なことがたくさんおありになるようね。けれど、あなたなら大丈夫ですわ」
「そうでしょうか」
 レックハルドは、彼女から励まされて、逆に不安になった。先ほど、ファルケンに言われたときはそうでもなかったのに、彼女からそういわれて逆に不安が募ったのだ。
 自分は、こんな調子で、これから先に起こるであろうさまざまなことを切り抜けられるだろうか。
 メアリズは、彼の肩に手を置いた。
「心配しないで。……大丈夫よ、あなたなら」
 メアリズの声が強くなった。顔をあげると、彼女の顔が随分と近くにあった。大きな瞳に、吸いつけられるように、レックハルドは呆然と彼女を見つめた。
「だって、あなたは『レックハルド』なんですもの。大丈夫。これからさき、きっとうまくやっていけるわ。自信をもって」
「メアリズさん……」
 レックハルドは、相変わらず彼女の顔を見つめながら、あることに気づいてどきりとした。
(何故だ。この人は、まるでオレを知っているような言い方をしている)
 知っているはずはないのに。この人はマリスではない。
 けれど、メアリズは、その答えをくれはしなかった。ただ、微笑んでいるだけだった。
「メアリズさん……あなたは……」
「また、会いましょう」
 彼女はそういうと、そっと体をのばして、レックハルドの額に口付けた。
「私の、たいせつな……」
 メアリズの微笑みが、目の前いっぱいに広がった。その瞬間、周りに光があふれ。
 そして、レックハルドの目の前から、メアリズの姿が消えたような気がした。







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