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辺境遊戯 第三部
「あいつら、どこにいったんだ?」 不安定な空間だ、とはいっていたが、いきなり姿が見えなくなったらあせるのは当たり前だ。 メアリズとファルケンが、出口を探してくるとか何とかいって、どこかにいってしまって、レックハルドはとにかく不安で仕方がなかった。自分のそばには、相変わらず、半透明に見えている狼人の少年がいて、暇つぶしに与えた布の切れ端を結んで遊んでいた。 「お前と二人っきりだなんて、魔物に襲われたらどうするんだよなあ」 せめて、メアリズさんぐらいは一緒にいてほしかった。レックハルドは、そんな、明らかに自分の欲望に忠実なことを考えてしまうのだった。 しかし、レックハルドにも状況が飲み込めてきていた。 ここにいる少年は「イェーム」だ。つまり、ファルケンが立ち直ったときに残してきた、絶望と憎悪の塊の欠片なのだ。その欠片の、一番純粋で弱い部分だけが、自分にくっついてきたのに違いない。どうして自分にくっついてきたのか、あの、未来のファルケンは口にしなかったが、レックハルドにはおおよそ見当がついていた。 イェームだったファルケンが、内心自分に助けを求めていたように、きっと彼だって助けを求めていたのだろう。彼には頼る人間が、自分ぐらいしかいなかっただろうから。 自分を引き込んだのが、イェームだというのは最初からわかっていた。今のファルケンが、イェームに会えばどういうことになるのかも、自分ではわかっているつもりである。 先ほど、例のファルケンが「自分でどうにかしなければならない」といったのは、まさに、今の、この時代のファルケンがイェームを駆逐しなければならないということに他ならないのだった。 (あいつ、大丈夫かな) レックハルドは、隣で遊ぶ少年をみやりながら心配になってきていた。ファルケンは、イェームであったころのことの自分のことを、好いているとは思えない。あのころのことは、つらい思い出になっているに違いない。外見上は、とっくに立ち直っているように見えるのだが、果たしてどうなのだろう。 それよりも、ファルケンが勝ったとしてら、逆にイェームのほうはどうなるのだろう。ファルケンは、イェームを消してしまうだろうか。 レックハルドにとっては、イェームも、ファルケンも同じだった。本人には言いづらいことだったが、イェームもファルケンも同じものなのである。同じ苦難を超えてきたものに違いなく、その区別をつけろといわれても、彼には難しい。 ファルケンがいなくなるのは嫌だが、イェームが消えてしまうのは、彼にとっては後味が悪かった。 「お前も、消えちまうのかな?」 ふとレックハルドは、そばの少年を見やった。先ほど、自分が襲われたときに助けてくれたのは、この小僧だった。そう考えると、イェームがたとえ妖魔になっていたとしても、もしかしたら、自分のことをおぼえていてくれているのではないかとも思ってしまう。 そう思うと、なんとなく気持ちが暗くなった。 と、不意にそばの少年が何か思い出したように顔を上げた。 「ん? どうした?」 レックハルドが、物憂げに顔をあげたとき、不意に少年は、遊んでいた布の端切れを手放して走り出した。まるで動物のような動きだ。思わずレックハルドは、一瞬、行動が遅れた。 「おいっ!」 慌てて立ち上がって走る。子供とはいえ狼人の足には追いつけない。 「また、変なところにいくんじゃねえだろうな!」 先ほどのことを考えて、レックハルドは焦った。またろくでもないところにいかれたら、自分だけではどうしようもない。 ふと、少年の足元で黒い何かが飛び散った。水だろうか。少年はその途中で足をとめ、レックハルドのほうを振り返る。 レックハルドは、その近くまで歩いたが、ふと足元に黒い何かがまとわりつくのを感じて、思わず足を引いた。その黒い液体が、ひどく忌まわしいもののような気がしたのだ。 黒い水だ。いつの間にか、そこに闇の一角が口をあけていた。向こうで星のようにちかちかしているのはなにだろう。 ざあざあと、静かに音が流れている。黒い水の川だろうか。 「おい! 馬鹿! 戻って来い! あぶねえぞ!」 レックハルドが呼びかけても、彼はこちらを見やるだけである。ただ、ふと口を開いてなにごとかいった。小鳥の囀るような子供の言葉に、レックハルドは、慌てて答える。 「何いってんのか、わかんねえんだよ! どうでもいいから、戻って来い!」 そういうと、不意に少年は首を横に振った。 「な、なんだ? どこにいくっていうんだよ」 「レック!」 いきなり後ろから声が聞こえ、レックハルドは少しほっとした。ファルケンが追いついてきたのだ。 「おい、なんかしらんが意地はってねえで、とっととこっちにこい!」 レックハルドはいくらか安心して、そう呼びかけたが、逆に少年は後ずさりした。レックハルドは、思わずいらだった。 「おい! いい加減に!」 連れ戻そうとしたレックハルドの肩を、ファルケンが掴んだ。痛いほど強い力だ。思いきり掴んだものらしい。振り払う手を許さないほど、その力は強かった。 「な、何しやがる!」 「あっちにいっちゃだめだ」 ファルケンは、険しい顔で言った。相変わらず手の力はレックハルドの移動を許さないほどつよかった。 「あそこにいったら、二度と戻ってこられないぞ!」 「戻ってこられないなら、あいつだって戻ってこられないじゃねえか!」 レックハルドは、ファルケンをにらみつけていった。だが、ファルケンはそれに臆さない。むしろその強硬さは、レックハルドの目に冷徹と映るほどだった。 「あいつは大丈夫だよ。あれでいいんだ」 「いいわけあるか! おい、手を……」 そういいかけたとき、不意に目の前の少年が声を上げた。何を言ったのかわからなかったが、自分の名前を呼ばれた気がして、レックハルドは思わず彼のほうを見やった。 少年はこちらをみて、あどけない笑みを浮かべた。どことなく寂しそうな、しかし、何かあきらめたような、悟ったような笑みだった。 『ありがとう』 一瞬だけ、彼の言葉がわかった気がした。レックハルドが何かいいかけたとき、不意に彼はきびすを返して走り出す。黒い水を跳ね除けて、幻のように水滴が飛ぶのが見えた。 川の上をはねるように走る彼は、水の中には沈まなかった。ただ、その足元から徐々に消えていき、遠ざかるごとに彼の姿は空気に溶け込むように消えてしまった。 直後、不意にすさまじい水の音だけが残った。ざあざあと流れる谷川のような、激しい流れの音だった。呆然としていたレックハルドは、それでようやくわれに返る。いつの間にか、ファルケンが肩を掴む力はゆるくなって、単に手を乗せている程度になっていた。 「あいつは!」 レックハルドは振り返り、ファルケンに噛み付くようにきいた。 「あいつはどうなったんだ? 死んだのか?」 ファルケンは首を振る。 「死なないよ」 「でも、消えちまったんだぞ」 「大丈夫。戻るところに戻っただけだから」 「どういう意味だよ。お前、それは死んだとか消えたって言う意味じゃないか?」 ファルケンは、いやに冷淡だった。普段が明るいだけに、そうして無感情を貫かれると、レックハルドのほうが怖くなるほど冷たくみえた。いや、その怖さと冷たさはもしかしたら、彼が、レックハルドの知るファルケンより、少し大人であることからくるものかもしれない。 けれど、レックハルドはここで引き下がるわけにはいかなかった。 「まさか、お前、アイツを消そうと思ったのか!」 レックハルドは、ファルケンの服に掴みかかった。 「お前の気持ちはわかるが、あいつだっていろいろあったんだろ? それを見殺しにしてもよかったのかよ!」 自分で思ったよりも、きつい口調だったので、彼自身も驚いた。レックハルドは、なぜか彼がイェームである彼を見捨てたことに強い嫌悪があった。その信じられないほどの冷徹さが、レックハルドには何故かとても許せないものにみえた。しかも、その冷酷さは、自分ならともかく、他ならぬファルケンであるはずの男が見せていることに、いいようのない腹立たしさのようなものがあったのだ。 「お前だって、あの時のことは覚えているんだろ?」 「レック、そうじゃない」 「だったら、どうして! あいつはどこにいったんだよ」 妙に落ち着いたファルケンは、レックハルドの怒りをなだめるようにしながら、少し首をかしげた。 「わからないか?」 ファルケンは、少しだけ笑った。少し大人びた表情のどこかで、ほんの少しだけ歪んだような笑みを浮かべた彼に、レックハルドは、ふと開きかけた口を止めた。 「……本当は、無理に消しちゃうなんてやらないほうがいいんだ。収められるなら、元に戻した方がいいんだ。自分さえ、認められるならの話だけどな」 ファルケンは、独り言のようにつぶやいて、苦い笑みを浮かべた。 「お前……」 ファルケンは、獣のたてがみのような髪の毛を、少し照れたようにかきやりつつ苦笑した。 「へへ、レックは別に気にしないだろ。オレにだって、ちょっとぐらいひねくれたところがあってもさ」 ちらりとレックハルドのほうを見る彼の表情は、先ほどの冷徹さと似合わぬほどに幼いものである。 「でも、まあ、そのせいで、たまに余計なこといったりするかもしれないけど、ちょっとだけならいいよな? な?」 レックハルドは、しばらくぼんやりと彼の顔を見上げていたが、やがてあきらめたように苦笑した。 「お前はよう」 急に呼びかけられて、ファルケンは小首をかしげる。レックハルドは、一瞬迷ったものの、結局ぽつりとつぶやいた。 「お前は、……いつでも、オレを置いていってしまうんだな」 どことなくさびしそうな顔をしながら、レックハルドはつぶやくようにいった。ファルケンは、一瞬きょとんとしてから、苦笑した。 「狼人ってえのは、成長が遅いもんだよ、レック」 顔を上げるレックハルドの目の前で、彼はおどけるように肩をすくめて見せた。 「長生きできるっていうことは、それだけ切羽つまらないっていうことなんだ。森でいれば、何も考える必要はないからさあ。狼人にとっての価値は、いかに周囲に同調して生きるかってことだよ。特別な成長は求められてないんだ。だから、普通はろくに進歩しないのが普通。けれど、オレはそれが途中でいやになった。だから、ちょっとは努力したんじゃないかなあと思う」 ファルケンの意図がわからず、レックハルドは彼のほうを見上げた。 「外にでなければ、それに疑問をもつこともなかった。それを知るのが幸せなことかどうかはわからないけれど、オレは結果的によかったと思っているんだ。多分、あんたの知っているオレもね」 「どういう意味だ?」 細い目を瞬かせてレックハルドは聞き返す。ファルケンは、少し困惑気味に眉をひそめ、少し不機嫌そうな、というより、あまり言いたくなさげな口調になっていた。 「わからないかなあ? いや、オレの頭の中のことぐらいわかるだろ?」 「お前の考えてることなんて、まったくわからねえよ」 もう一度いうと、ファルケンは、観念したのか、やれやれと言いたげな口調になった。 「あのなあ、オレが成長できてるんだとしたら、それはレックの背を追いかけてるからだよってことをいいたかったんだよ」 絶句するレックハルドと対照的に、ファルケンは急に照れたような表情を浮かべた。 「本当はまじめにいうつもりだったけど、やっぱりいえないよなあ。レックだって、オレがまじめにこんなこと言ってるなんて考えてないだろ。いや、別に冗談だと思ってくれてもいいんだけど」 「冗談ってお前……」 レックハルドは、困惑気味に頭をかきやった。まさか、今までの言葉は本当に冗談だったのだろうか。こいつなら、ありえないことではないが。 レックハルドのそんな思惑を感じ取ったのか、ファルケンは急にあわてだす。 「いや、冗談っていうわけじゃないんだけど、冗談めかして言いたいというか。やっぱり、結局、まじめにいうのって恥ずかしいよなあっていうかなあ。まあ、適当に聞き流してくれればそれでいい話だなっていうような……」 「まったく」 レックハルドは、ため息をついて苦笑した。 「わかったよ。適当にそれなりにきいとくさ。いい加減なお前のいうことだもんな」 「それはそれで困るんだけど、まあいいや」 ファルケンもにやりとした。 「あいつが消えたってことは、もう勝負がついたってことだよ。多分、そろそろ、出口も開くことだろうから、いこう。メアリズさんも、かえるのをまってるんだよ」 「ああ」 レックハルドはそう答え、先にたって歩き始めたファルケンについて歩き始める。 ふと、水の音にきがついて、思い出したように背後を向くと、後ろではまだ黒い川がざあざあと音を立てて流れていた。そこに、消えたあの少年の気配はなかった。 『ありがとう』 先ほどの彼の言葉が耳に残った。そして、彼が最初に語りかけた意味のわからなかった言葉が、レックハルドにはようやくわかった気がしたのだ。 『おかげで戻る場所がわかったんだ。ありがとう』 一覧 戻る 次へ このページにしおりを挟む 背景:NOION様からお借りしました。 |