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辺境遊戯 第三部 


時空幻想-24


 遠く声が聞こえた。
 目覚める前の一瞬の深い眠り。呼び起こされるわけではなく、ただ遠浅の水の中をゆらゆらと漂うような感覚が、全身を包み込んでいた。
 もう一度声をきいた。
 誰の声だろう。ひどく聞き覚えのある声である。聞き覚えがあるのに、けれど、何故かなじみのないような、そんな奇妙な感覚に、彼はほんの少し混乱していた。
「ちょっと待て」
 ああ、この声は。彼はそう思いながら、目を開く。けれど、それは彼の知る風景ではない。知る風景ではなかったが、そこが辺境の森であることには予想がついた。緑の濃い色が、目に焼きつくようだ。
 ぼんやりした感覚は、ほんの少し現実をとりもどしていたが、なんとなく居心地のよくない違和感のようなものが、少しだけからだの末端に残っているようだった。
「待てっていっているだろう!」
 そういって「彼」を呼び止めるのは、黒髪の男だ。髪の毛を布で巻き、黒の衣装を身に着けた男だ。まだ若いが、妙に苦労したような印象が彼の外見をふけさせているようだった。よく言えば賢明だが、どちらかというと狡猾さのにじむような男である。
 彼の知る限り、その男は、レックハルド=カラルヴに違いなかった。
 呼びかけられているのに、彼はとまらず、ずんずんと歩いているのだった。さすがにそれはかわいそうな気がする。彼は、さすがにカラルヴに対してそこまで冷たくする気になれない。そのはずなのに、彼の足は進む。
「だから、待てって! 話をきけ!」
 カラルヴは、いらだってきていた。そろそろ、返事をしないと大目玉をくらいそうだ、と思った彼の口から飛び出したのは、意外なぶっきらぼうな言葉である。
「ああ、もううるせえなあ! お前と話するときは、飯の話以外はきかねえって、いつもオレはいってるじゃねえか!」
 その声と言葉をきいて、びっくりしたのは、当の「彼」だった。
(フォーンアクスだ)
 彼の脳裏に、あの自由奔放で乱暴な狼人が浮かび上がる。今の声は間違いなくそうだった。
 フォーンアクスは、続けていう。
「お前の話長いからいやなんだよなー」
「じゃあ、手短にするから聞け」
「嫌だ」
 フォーンアクスは、すげなく答える。
「オレは、お前のことなんか知ったことじゃねえもん」
 フォーンアクスは腕を組んだ。
「大体、何でオレがおまえみてーな冷血漢のことを心配しなきゃなんねえんだよ」
「別に心配してなどいらん」
 カラルヴは、呆れた様子でいった。まったく、相変わらず人の話を聞かない。狼人にはそういう傾向が少なからずあるが、この男は本当に人の話をきかない。特別である。
「なんか勘違いしているみたいだが、俺はお前に心配されたいんじゃなく、お前の心配をしてやってるんだ。今からするのは、俺に迫る危険じゃなくって、お前が危ない話。わかるか?」
「俺もお前に心配してなんかいらねえよ」
 フォーンアクスはそう即答した。
「話ぐらいきけっての」
 カラルヴは、眉をひそめながらため息をついた。フォーンアクスは、口を尖らせたようである。
「話って、お前の話なんかどうせ長いし、きいても意味わかんねえから、聞く価値ないもん」
「だから話きいてから判断しろっていってるだろ。聞く耳ぐらいもて」
 そろそろ頭が痛くなってきた。カラルヴは、いらつきつつも、どこか困惑した様子になる。この男に話をきかせるのは、至難の業である。
「お前、この前、例の刀鍛治から剣をもらったといっていたな?」
「おお、そうだ。でも、お前にはやらねえぞ」
「誰もくれとはいってねえ」
「いや、てめえは守銭奴だから、何でもかんでもすぐくれって」
「俺は刀剣には興味ねえ」
 もともと、カラルヴは癇癪もちである。その癇癪がそろそろ顔を出しかけていたが、さすがの彼でもフォーンアクスが相手だとやりづらいところがあるらしい。どうせ、癇癪を爆発させたところで、フォーンアクスにはまったく効果がないのもよく知っているのである。
「お前、あの刀鍛治、お前の友達らしいが、ちょっと気をつけろよ」
 カラルヴは、そう切り出す。
「あいつは、確かにここいらでは有数の職人だし、普通の人間にはできねえ芸当もできるやつだ。俺だって自分の国の技術者だし、信頼はしているつもりだ。敵とつながっているとは思ってない。だがな」
 カラルヴは、細い目を更に細めた。なんとなく苦い顔だった。
「あの男、最近、ちょっと目がな。なんというか、気にくわねえんだよ。……こう、嫌な感じがする」
「あ、それは大丈夫。あいつよか、悪人面だし、目もにごりまくってる奴が目の前にいるから」
「人を指差すな!」
 本気なのか冗談なのか、いいや、どうせ本気なのだろうが。軽々しくそんなことをいうフォーンアクスに頭を抱えつつ、カラルヴは、畳み掛けるようにいった。
「別に俺の勘だけじゃねえんだぞ。大体、その剣っていうの、俺も見せてもらったが、ありゃちょっとまずくねえか? なんか、雰囲気的にちょっと不気味だったしさ。あいつはまだ実験段階だっていったんだろ」
「おお、だから俺に使ってほしいって! あいつは、人を見る目があるから、お前と違ってよくわかってるんだぜ! やっぱり、オレみたいな天才しか使えないってこと、あいつはよくわかってるんだよなー! うん!」
「お前のその恐ろしく前向きな考え方には、頭が下がる思いだが」
 カラルヴは呆れながらも、まだ言い募る。
「お前なら、実験段階で危ないかもしれねえっていうものを、友達につかわせるか?」
「そこんところは、信頼かんけーってやつだ」
「だから、俺が言いたいのは、そうじゃねえと……」
 いいかけて、カラルヴは頭を抱えた。これは穏やかにいっても埒があかない。カラルヴは、とうとう癇癪を半ば爆発させながら、まくしたてた。
「ああ、だからなあ! 俺が言いたいのはだ。あの刀鍛治が、お前をダシにつかってんじゃねえかということだよ! 実験材料にされてんじゃねえのか、お前。あいつは、本気で信頼だけでお前にそれを託したのかっていうことだよ。ちょっと、俺もきつい言い方するけどよ、最近、あいつ、ちょいと自分の才能試すのに躍起になっている感があるんだよ。だから、どうかって思ったんだ! こういえばわかるか!?」
 さすがにフォーンアクスは、きょとんとして、それからどうにかカラルヴの言っている内容を理解したらしい。
「なーんだ、結局お前の推測じゃねーか」
 その軽い返事に、カラルヴは思わずむっとした。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ、お前の勘なんてぜんぜんあたんねえもん」
「な、なんだよ、その返事は!」
 カラルヴは、むっとして口をゆがめた。
「なんだ? 人がせっかく心配してやってんのに! あのなあ、今回のは、痛い目みるのは、お前なんだぞ! オレには、利害関係なしなんだからなあ!」
 そういうと、フォーンアクスは、やれやれとため息をつく。
「お前、オレとあいつのゆーじょーって奴がわかってねえな」
「だから、その友情を疑ってるんだよ、オレは」
「お前はそもそも、ゆーじょーっていうのがわかってねえんだろ。ていうか、お前みたいな奴は、ゆうじょうなんて、形のないものがしんじられないんだよなー? そうだろ?」
 フォーンアクスが得意げにそういう。思わずカラルヴは詰まった。その表情で、フォーンアクスは、余計に得意そうになる。
「あ、図星を当てちまった! そりゃーそうだよなー、お前みたいに友達のいない孤独な奴にはよくわかんねえんだよなー」
「べ、別に。……オレは、そういうわけじゃあ」
 小声でいうカラルヴに、フォーンアクスは勝ち誇った笑みを浮かべた。
「まーまー、お前のような小人の心配なんざあーあたらねえって! 安心して、オレサマの活躍をみているがいいぜ」
 そういうと、フォーンアクスは、まだなんらかの衝撃から立ち直れていない彼をほうっておいて、さっさと行ってしまった。残されたレックハルド=カラルヴは、呆然としていたが、彼の姿が見えなくなってしまってから、急にわれに返ったらしい。癇癪を起こしたのか、足もとの土を雑草ごと蹴り上げた。
「あのやろうー! 人が黙ってりゃ、いいたいこといいやがって!」
 カラルヴは、腹立たしげにはき捨てた。
「畜生、あの野犬野郎が! 本当に、どうなっても知らねえぞ、俺は! 一応いうだけいってやったんだからな!」
 そういうと、彼は腕を組んでフォーンアクスが去っていったあたりをにらみつけていた。 
それを境に、不意に空間が揺らいで、再びカラルヴと辺境の風景は遠くなる。
夢?
彼はそう思った。けれど、それにしては、妙に説得力のある光景だった。
(でも、これはオレの記憶じゃあない)
 だとしたら、誰の記憶だろう。自分の前世? それとも、単にこれはこの場にいた誰かの記憶なのだろうか。
 カラルヴか、フォーンアクスか、それともそれとは違う第三者の? その記憶を、どういうわけか夢としてみてしまったのだろうか。
(でも、最初、あれは間違いなくフォーンアクスの視点だったような)
 ここは、不安定な場所だから、誰の夢をみてもおかしくないのかもしれないが。納得のできる答えを探してみようとしたが、もう目覚めが近いようだった。
 もう一度、後で考えよう。
 彼はそう決めると、一度目を覚ますことにした。
 とりあえず、待っている人間もいることなのだから、いつまでも、自分の答えを探しているわけにもいかない。




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