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辺境遊戯 第三部 


時空幻想-22


 ここは夢の中であって夢の中ではない。先ほどは、どうにかカラルヴが起こしてくれたから助かったが、今回はそうはいかないだろう。
 相手は、自分の心の中に入ってきたといってもいい。もともと自分だったかもしれないもの、だが、今は別個の存在だ。
 ここで、あのイェームに負けるということは、現実世界ではなく精神的な死を意味するといってもいい。
 いや、正確には魂の消滅。アレに負ければ、自分は生きては帰れない。
 ファルケンは、今度はそれを理解していた。同時に、彼がどうしてここに現れたかも、少しはわかったように思う。
「はじめないのか?」
 せかすようにイェームが声をかけてきた。自分と同じ顔の男。ただ、あごひげがなく、ぞっとするほど冷たい目をしていたが、間違いなく自分と同じ形。
 いってみれば、アレは堕ちた自分である。
「いや、そろそろ始めるよ。でも……」
 ファルケンは、思い出したように彼のほうを見た。
「ひとつだけきいていいか?」
「質問を受けるつもりはない」
「そんなつれないこといわなくてもいいだろ」
 ファルケンは、苦笑いしてイェームの意見を無視して質問する。
「お前、あのレックに取りついてた奴に妙に刺々しかったけどさあ」
 ファルケンは、先ほどの夢を思い出しつつ言った。
「お前、レックには危害を加えてなかったみたいだよな? もしかして、助けようと思ったのか?」
「そんなことを何で答えなきゃならない!」
「別に答えなくてもいいけど、オレが単に知りたいからに決まってるじゃないか」
 あっさりとそんなことを言うファルケンだが、相手は答えてくれそうにはない。少し考えて、ファルケンは、自分なりに結論が出たのかうなずいた。
「でも、そうだよな。あの時だって、別にレックのことは嫌いじゃなかったし。だとしたら、お前は、レックを殺したりはしないだろう。うっかり事故でどうなるか判らないところはあるかもしれないけど、故意に危害を加えたりしないよな?」
「……」
 どれほど待ってもイェームは無言だ。だが、その沈黙には、どこか動揺の色があって、先ほどほど刺々しさというものがなかった。
「それじゃ、オレだって、それなりに安心だな。どっちの結果になっても」
 ファルケンは、覚悟しているのかいないのか、よくわからない口調で言った。いや、自分でも、実際よくわかっていない。先ほどカラルヴに語ったように負けて死ぬ気はしない。だが、勝てる気がするわけではない。厳密に言うとどちらでもないのだ。
 ファルケンは、すでに抜いていた剣を掲げた。
「いくぞ!」
 それが合図だ。
 相手が動くのも確かめないまま、ファルケンは地面を蹴った。すぐさま振った剣がぶつかりあう。
 狼人同士の戦いは、たいてい、すばやく動き回りながらの力と力のぶつかり合いになる。どちらかが魔力によほど秀でているか、どちらかの力がよほど劣っているかしない限り、つかみ合いの喧嘩と大差ないのである。
 特に、自分の分身ともいえるイェームとの戦いで、そうならないはずがない。ファルケンは、今でも魔法がからっきし駄目だ。むしろ、憎悪の力で才能をおぎなっていた分、イェームのころの方がうまかったほどである。
 だからこそ、彼らの戦いは小細工なしの殺し合いになるほかない。
 剣同士がぶつかって、火花がちらちらと散る。そのまま力で押し切ろうとしたが、どちらの力も拮抗しているものだから、埒が明かない。
「ちっ!」
 イェームのほうが舌打ちし、思い切って足払いをかけてくる。それを避けて引き下がるが、すぐさま追い討ちがかかる。ファルケンは、あわててそれから逃れるために走った。
 やはり、腕にはそれほどの差はない。というよりは、まったく変わらないといっていい。
(どうしよう)
 ファルケンは、追撃をかわしながら考える。
 このままでは、本当に埒が明かない。
 すっと伸びてきた剣を払って、そのまま切り返す。イェームはまだ体勢を戻していないため、彼もうまくはよけきれない。イェームの袖口に引っかかった切っ先が、薄く彼の左の二の腕をかすかに傷つける。
 だが。
 ファルケンは、瞬間、舌打ちした。遅れてかすかに痛みが走ったのだ。目の端で確認する。やはりそうだ。自分が狙った場所と同じ、ちょうど二の腕が、服も破けていないのに薄く切り裂かれているらしいことが判る。
(やっぱり)
 先ほどと同じだ。
(あいつを傷つけるということは、オレも……)
 自分も傷つくということだ。ということは、相手を殺せば、自分も死ぬ。ここまでは予想はしていた。
 焦る必要はない。ファルケンは、自分に言って聞かせる。そんなことは、最初から予想済みだ。
 イェームの剣が迫る。それをはじき返して、距離をとる。
「いつまで逃げるつもりだ!」
「いつまで?」
 ファルケンはとっさに言い返して、身を翻した。
(そんなの、勝てる方法が判るまでに決まってるだろ)
 思わずレックハルドみたいなことを考える。それに気づく余裕はないはずだったが、何となくファルケンは苦笑いを浮かべていた。
 まだ逃げるのは簡単だ。体力も有り余っていることなのだし。
 そう考えて、不意にファルケンは、あることを思い出す。
(もしかして。でも、失敗したら……)
 迫る切っ先をかわしつつ、彼は思ったより冷静になっていた。
(けれど、それを確かめないとこっちも手のうちようがない)
 だとしたら、体力のあるうちに手を打ったほうがいい。これは一種の賭けだから、失敗したらそれで終わりになりかねないし、成功しても、それはそれで痛い目を見るはずだ。
 だとしたら、自分に余裕があるときにやってしまうのが得策だ。
 切っ先が迫ってくる。それを冷静に見ながら、ファルケンは、あえて動きを一拍遅らせた。
 直後、ざっとファルケンの左肩口をイェームの剣が切り裂いた。
「いっ、てえ……」
 さすがに肩を抑えて、ファルケンは唇をかみ締める。ここは夢の中であるはずなのに、あふれた血とともに力が流れていくようだ。足元から崩れそうになり、ファルケンはたたらを踏む。
 だが、ここで追撃されたら避けられない。しかし――。
(そうか、やっぱり)
 ファルケンは、目を細めた。追撃はこなかった。
 イェームは、というと、肩ひざをついて同じく左肩をおさえていた。
(傷つくのは俺だけじゃなく、あいつも……)
 イェームが、肩ひざをついたまま顔をあげてこちらをにらむ。
「さっきわざと避けなかったな!」
「思ったよりちょっと深く刺さりすぎたけどな」
 ファルケンは、少し顔をしかめつつも、軽く笑った。
「やっぱりな」
 ファルケンは、笑って体勢を起こした。
「おかしいと思ってたんだ。なんでオレがお前を攻撃したらオレも痛い目みるのかって……。そうだよな。逆も然りなんだ」
 ファルケンはかみ締めるようにいうと、彼をにらむようにしながら続けた。
「やっぱり、そうだよなあ。オレとお前は表裏一体だといったな? それは本当の意味で表裏一体ってことなんだろ?」
 ファルケンの言葉に、イェームは無言だ。
「オレとお前の差なんて、どの道、紙一重なんだな。オレもお前も、結局は同じファルケンなんだ」
 イェームはいまだ無言である。だが、その沈黙は肯定ととってよかった。
「でも、今は分かれちゃってる。つまり、これはオレとお前の魂の問題だ。どっちが勝って、どっちが表に出られるかって言う話なんだろ? さっきは、あいつが起こしてくれたから、それでオレは危ういところで脱出できたけど」
「二度目はない」
 続けるように、イェームがはじめて口を利いた。
「夢の中でも死ねば生き返らない。ここで死んだら消える」
 ファルケンはうなずく。
「わかってるさ。というより、ここで生き残ったほうが、残ったオレの体を支配できる。つまり、ふつーに戦って、現実に戻れるのは、オレかお前かどちらかだっていうことだよな」
 ファルケンがいうと、イェームがあざ笑ったような気がした。その理由もファルケンにはわかる。
「だけど、もうひとつ可能性があるんだよな」
 確認するようにいいながら、ファルケンはその言葉を吐き出した。
「二人とも消える」
 イェームの口元から嘲笑が消えたのを確認し、ファルケンは笑みをうかべた。
「やっぱりな。お前の狙いはそれだろ? オレを生かして返したくないぐらいには、オレのこと嫌いだろうし、だからといって自分が表にでてどうこうってほど、この世に執着してるっぽくもないし」
「黙れ!」
 黙れといわれても、ファルケンは口を止めない。
「冷静に考えれば、お前の考えなんてすぐ読めるさ。だって、オレは、お前だったからな。あの時、どんなことを考えていたかって、少したどればすぐにわかることだ」
「だそうだろうな! 覚えていればな!」
 イェームは、開き直ったように声を荒げた。
「だったらどうする? オレを説得しようというのか?」
「説得できたらいいけど、オレは自分の性格はそれなりにわかってるつもりだぜ」
 ファルケンは、そういってにやりとする。状況は同じであるにもかかわらず、ファルケンに妙な余裕が生まれたわけは、もちろん物事のからくりがわかったからという安心感のためだった。
 ファルケンという男は、混乱しだすととことん弱いが、それでも一旦自信をとりもどすと、レックハルドより頭が冷えだすことのある男だった。
 そもそも狼人は全体的に自信過剰な生き物だ。こうなるとその自信を崩すほどの事実がない限り、永遠に高慢で強気でいられる。ファルケンは、一見そうはみえないものの、実際はとんでもない自信家でもある。普段から相手を挑発しているレックハルドより、実際は、彼の自負のほうが強い。
 気持ちの面では、明らかにイェームには不利だった。
「レックのことを引き合いに出すと思っているんだろ」
 ファルケンは、不意にそう言った。
「ここから出られないとあいつが危ないから、一緒にあいつを助けよう、だとか、あいつのためにオレに道を譲ってくれ、とか。そう言い出すと思ったんだろ」
「違うのか?」
 イェームの目に、敵意がいっそう燃え上がるのを見て取って、ファルケンは軽くため息をついた。
「オレはレックのことは引き合いに出さないぞ。確かにオレが帰らないとレックは危ないかもしれないけど、あいつも結構しぶとい人だし。だから、レックをダシに、オレを生きて返せだとか、一緒に助けようなんてオレは言わないからな」
 ファルケンは続けた。
「そんなこと引き合いに出されたら、物凄く腹立つだろうからな。実際、オレがお前からそういうことを言われたら、ものすごく腹が立つと思う。レックのことは大切だし、助けたいのも本当だけど、いちいちお前に言われたくないってな」
 イェームは無言だ。きっと、それは肯定ということなのだろう。ファルケンは、そうとってにやりとした。
「お互い、初めて意見の一致を見たってとこだな」
「……だったらどうするっていうんだ?」
 イェームが、いったい何を考えているかわからない、という顔をしてファルケンのほうを見ていた。ファルケンは、ああ、と軽く答えた。
「こうなったらやることはただひとつだろ」
 そういうと、ファルケンは、いきなり持っていた剣を捨てた。
「な、何だ」
 イェームは不気味そうに思わず後ずさる。剣を捨てたのだから、降伏でもするのかと思ったが、その割りにファルケンは闘争心剥き出しだ。
「だって、仕方ないだろう。刀なんかでやりあったら、お互い身動きできないまま死んじゃうじゃないか。そんなんじゃ、納得できないまま死にそうだしさあ。ということは、方法はひとつ。お互い納得できるまで殴り合って決着をつける!」
「な、何を考えているんだ!」
 唐突な言葉に、イェームのほうが戸惑った。大体、刃物をもとうがもつまいが、どの道、片方のダメージがもう片方に反映されるのには違いがないのだ。何を馬鹿なことを言い出すのか。
「仕方ないだろ。説得してもだめだし、かといって攻撃してもあれなんだから! いくぞ!」
 及び腰になったイェームを無視して、ファルケンは飛び掛る。まだ剣を振り回そうとするイェームから、剣をむしりとってそのまま思い切り頬を殴りつけた。自分の頬も痛かったが、とりあえず殴った。
 ああ、やっぱりそうだ。
 相手を殴りながら、ファルケンは、ふとあることを思い出していた。
 『お前など、消えてしまえ』
 あの言葉は、あの時自分が自分に吐いた言葉だ。
 あの、もっとも絶望していた時に、以前の自分と似ても付かない性格になってしまった自分に、あの時、消えてしまえとはき捨てたのは、ほかならぬ自分だった。
 あの時の自分は消えたがっていたが、別に死にたかったわけではない。だから、「消えてしまえ」に違いない。
 ファルケンは、苦い気持ちになる。
(結局、オレがイェームに言った言葉が、オレにはねかえってきただけなんだ)
 一方的に、彼が自分を憎む理由はわかった。だが、そんなことを口で諭してわかる相手ではない。なぜなら、相手は強情な自分自身だから。
 イェームの反撃をくらいながら、ファルケンは彼と子供のように取っ組み合いの大喧嘩を延々と繰り広げていた。





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