一覧 戻る
辺境遊戯 第三部
レックハルドが軽く文句を言う。ともあれ、あの子供を起こしてみよう。レックハルドはそう思い、彼の方に目を向けた。すると、少年はすでに何者かに揺り起こされていて、半透明のまま、目をごしごしとこすっているところだった。 「まあ、ご無事だったのね」 そんな声が聞こえ、レックハルドは少年の背後にいる人物に気づいて動きを止める。 そこにいるのは、少年を起こした人物に違いなかった。揺れる赤い巻き毛に、大きな瞳の女。戦士風のいでたちが、なぜか目に鮮やかに残る。 メアリーズシェイル=エレス・ル・フェイ=ラグリナに違いなかった。 メアリズは、先ほどと同じようにやさしげに微笑んだ。 「よかったわ。急に消えてしまったから、どうかなったんじゃないかと思ったの」 「い、いや、それは、その……」 レックハルドは、突然のことに、少し頬を赤らめて言いよどみ、隣でぼうっと突っ立っているファルケンのわき腹をつついた。 「おい、どういうことだ?」 「どういうことって?」 意味をつかめていないファルケンに、レックハルドは、小声で言う。 「さっきのは、全部夢か幻だっていったじゃないか」 レックハルドは、先ほどのことを夢の中のものだと思っていた。つまり、メアリズのことも、自分が作り出した都合のいい夢の一部かなにかだと思っていたのだ。なにせ、彼女は愛しのマリスにそっくりな顔立ちで、本人と見まがうばかりにやさしい娘だったのだから。 少年が半透明で、実体をもっているやらもっていないやらわからない妖魔のような存在なら、目の前のメアリズもそうあってしかるべきだった。なのに、彼女には、しっかりと姿が見えているのだ。 「あの人は本物だよ」 「何? 本物?」 「だって、レックにもちゃんと見えてるんだろ」 「そりゃあそうだが」 困惑気味のレックハルドに、ファルケンはにやりとしていった。 「あの人は、幻じゃないんだよ」 「じゃあ、本当にメアリズって言う名前の、マリスさんによく似た人なのかよ」 「本人が言ってるならそうなんだと思うけど」 「なんだ、テキトーなこといって済まそうとしやがって!」 腹の立ったレックハルドは、思わずファルケンの手を引っ張る。 「いてっ!」 ファルケンは、悲鳴をあげる。なんとなく普段より痛そうな声だったので、気になってレックハルドはファルケンの手のほうをみた。ちらりと見て、レックハルドはファルケンの手首をひねって彼の方を見た。 ファルケンのてのひらは、傷だらけでまだ血が滴っていた。 「おい、お前、手はどうしたんだよ」 「あ?」 ファルケンは、思い出したように自分の怪我をした手のひらを見た。 「ああー、そういえば。痛いと思ったら、これか。さっきちょっとな」 本人ののんきな様子に、レックハルドはほんの少し安心した。 「ちょっとって、どこでなにやったのかしらねーが、なんかちょっと痛そうだな。まあ、お前は皮が厚そうだから大丈夫だろうけど」 「ああ、そりゃー、山男だから足の裏の皮は分厚いよ」 「何馬鹿いってやがる。普段から分厚いのは面の皮に決まってるだろ」 「あら、お怪我をなさっているの?」 二人の会話をききとがめたのか、メアリズが慌ててこちらにかけよってきた。 「大丈夫ですか?」 「いやあ、たいしたことないんだけどね」 「でも、痛いならちゃんと手当てをした方がいいわ」 そういうと、メアリズは思い出したようにスカーフをはずすと、何か乾燥させた葉をファルケンの手のひらの上において、そうっと縛った。 「ああ、傷薬の葉だな」 「ええ。やっぱり、生粋の狼人は、こういうものに詳しいのですね」 メアリズは、彼を見てにこりと微笑む。 「ありがとう」 「いいえ」 メアリズと対面して、えへへとなにやら上機嫌に笑っているファルケンをみて、レックハルドは軽く彼のわき腹をつつく。微妙に嫉妬深いところのあるレックハルドの悪い癖がでたらしい。 「なに?」 小声できくと、レックハルドはじっとりと彼を見上げながら言った。 「お前、何かしらんが、いつもなにかと役得だよな」 「わざとじゃないよ。なんならレックもちょっと怪我をすれば……」 「お前、オレにわざと怪我して来いとそういうのか!」 「いや、そういうわけじゃないけど」 とにかく、マリスのこととなると、レックハルドは扱いづらい。今回はマリス本人でもないのだが、相変わらずである。 「それじゃあ、もうちょっとこの辺でぶらぶらと歩いてみるかなあ」 ファルケンは、レックハルドの追求をかわしながら、さらりと話を変えた。話を変えられたことに気づいて、むっとするものの、レックハルドも、なにやら彼の余裕な発言が気になってしまう。 「しばらくぶらぶらって、何考えてるんだよ、お前。メアリズさんもオレも、元の世界に戻りたいんだぜ。お前なら出口もしっているんだろう」 「知っているけど、すぐに出るのは危険かもしれないよ」 ファルケンは、さらりと言った。ファルケンは、メアリズにそっと隠れるように寄り添っている狼人の子供を見やりながら言った。 「あいつがいるっていうことはさ、まだ決着がついてないっていうこと」 「決着? 誰の?」 「……それは」 ファルケンは、意味深な笑みを浮かべた。 「それは、すぐにわかるよ、レック」 レックハルドは、なにか思うところがあったのか、考え込むような顔をした。 「大丈夫なんだろうな」 念を押すようにそうきくレックハルドに、ファルケンは首を振る。 「大丈夫じゃなかったら、あんたたちは、オレが責任をもって返すよ。でも、オレは、これ以上手を出せない」 ファルケンは、はっきりと言った。 「他人にはふれられても、自分の運命は自分では触れられないのが、この稼業のさだめっていうやつだからさ。イェームだってそうだっただろう。なるべく、自分に会わないのが、セオリーなんだ。どういう影響がでるかよくわからないからな」 「ああ、確かに。あのときはな」 しかし、とまだ何かいいたげなレックハルドに、ファルケンは言った。 「それに、どっちにしろ、どうしようもないんだよ。あれは、他人にどうこうできる問題じゃないんだ。自分で解決しなきゃあ。今逃げても、いずれ後悔するときがくるし、今逃げても、必ずやらなければならないときがくる」 ファルケンは、急に軽く笑い出した。 「そんな顔しないでくれよ。たまには信用してくれってば」 レックハルドは自分でも知らないうちに、深刻な顔をしていたらしい。 「まあ、なんとかなるって」 レックハルドは、軽くため息をつくと、やけに余裕のある、遠い未来のファルケンの横顔を見上げた。 「ちきしょう! お前のせいで、ろくなことにならねえ!」 そう文句をいいながら、座り込んだレックハルド=カラルヴは、いらだたしげに指先で膝頭をたたいていた。 いわゆる自分の知っているレックハルドとは違う人間であるはずのカラルヴだが、どこかしら性格や雰囲気に共通点が多い。だからといっても、文句が多いのは困り者である。 「あんたがひどい目にあったのは、オレのせいじゃないよ。巻き込まれたのは、とりあえずオレのせいじゃないし」 「ここにきてから、道に迷ったのは、手っ取り早くてめえのせいじゃねえか」 カラルヴは、不機嫌にそういい捨てると、質素ながらそれなりの身分がありそうな服を払った。年齢とは裏腹に、それなりの職についているらしい彼だが、言動がひどいのは、自分の知っているレックハルドと一緒である。ファルケンは、軽くため息をついた。 「大体、どこから出ればいいんだよ、この空間はよ」 「あ、それそれ。だから、それを探ったほうが早いかなあって」 「簡単にいうなよ。もう、とにかく、まともな地面がふみてーなあ」 ぐったりとしているカラルヴに、ファルケンは、大きな目を瞬かせながら言った。 「あれ、そういえば、オレ、言ってなかったっけ。あんたの希望にそって出る方法は、知らないけど、オレは、出方自体は大体わかるんだよ」 「はっ?」 いきなりの言葉に、カラルヴは目が覚めたように顔を上げた。 「そもそも、オレ、ここの出入りぐらいはできるようになってるし、ちょっと事情があるから、このまま出てもどうしようもないから出てないだけで。もし、気分が悪いんなら、とりあえず外に出してあげてもいいよ。ただし、外は辺境だから何か獣が寄ってくるかもしれな……」 そこまでいいかけて、ファルケンは、ぎゃあっと声を上げてあわてて飛びずさった。いきなりカラルヴが、例の銃とかいう武器をこちらに向けてきたからだ。 「な、何するんだよ」 「口を開くな! 後一言いったら、引き金ひくぞ! 久しぶりに殺意がわいた!」 カラルヴがいやに真剣な目でそういうので、ファルケンは思わず息を呑む。 「あの、だって……」 「口を開くなといってるだろうが! そういう大事なことをどうして先にいわないんだ!」 「訊かれなかったもん」 即答するファルケンに、カラルヴは思わず額に手を当てる。 「ああ、畜生! 狼人ってやつは、毎度毎度こんなんだから! 無駄に歩かせた後、全部知ってたとかいわれて……!」 「だからー、全部しってたわけじゃないんだってば。オレだって、あんたの希望する場所に出してあげるのは不可能なんだしって……ご、ゴメンナサイ」 ぎらりと殺気のにじむ目でにらまれて、ファルケンは、苦笑して黙り込んだ。とりあえず、今は刺激しないほうがよさそうである。 と、ふと、そのカラルヴの表情が変わった。なにか見つけたような顔をしている彼に、ファルケンは恐る恐る話しかける。 「なんだ?」 「おい、あれはなんだ?」 先ほどまで怒っていたカラルヴだが、今はすっかりそちらに目を取られているようだった。彼が怒りをすっかり忘れているということは、興味を持っている対象がある程度危険をはらんでいると考えてもいい。 「あれ?」 カラルヴの視線をすばやくたどって、ファルケンは背後のほうに目を向ける。 人影のようなものが見えていた。 「なんだい? なんか、狼人に見えるんだが」 狼人だったら味方かもしれない。カラルヴはそう思っているようだったが、ファルケンには――、その、人影のまとう忌々しい気配が、身を刺すほどはっきりと感じられていた。 「あれは……」 人影は、ようやくその容姿が判別できるほどのところで立ち止まった。自分と同じ顔をした人物は、少し驚いたような顔をしていた。 おそらく、カラルヴがそばにいることに対して、驚いていたのだろう。もしかしたらレックハルドと間違えたのかもしれない。 「なんでえ、同じ面してるっていうことは、狼人の仲間のなにかか?」 のんきにそう声をかけてくるカラルヴに、ファルケンは首を振った。 「いいや、少なくとも、味方じゃあないよ」 「味方じゃねえ? まさか、さっき、お前がこてんぱんにされたとかいう?」 カラルヴは、身の危険を感じたのか、思わず拳銃を握り締めた。それをみて、ファルケンはあわてていった。 「撃たないでいいよ。あんたに危害は、多分、加えないと思う」 「え? そうなのか?」 「ああ。あいつの狙いはオレだけだからな。下手に刺激すると暴走して逆効果だ」 ファルケンに言われて、恐る恐るカラルヴは銃を下ろす。一方のイェームのほうは、黙ってこちらをみたまま、亡霊のようにたゆたうようにたたずんでいた。 彼が攻撃してこない理由は、ファルケンには今はわかった。 カラルヴだ。レックハルド=カラルヴがいるから、いや、彼をレックハルド本人と間違えているから、イェームは手を出してこないのである。 最初、ファルケンは、イェーム本人がレックハルドを殺そうとしているのだと思ったが、それは違うのだろう。冷静になればわかる。昔、彼がイェームを名乗っていたときも、彼は別にレックハルドやマリスに危害を加えようとは思わなかった。むしろ、彼らを助けたいが為に戻ってきたのだから。 あのころの自分が一番憎かったのは、弱い自分自身だったはずだ。 (もし、あいつが、あのころのオレの心そのものなのなら) それと、同じ行動をとっているだけなのかもしれない。 ふらりと、ファルケンは彼の方に向かって一歩踏み出した。 「おい。どうするんだよ?」 カラルヴが心配になったように尋ねてきた。ファルケンは、彼のほうに振り返る。 「今、決着をつける」 「おいおい、大丈夫かよ」 カラルヴが心配そうな口調で言った。 「決着ったって、さっき負けた相手なんだろ。勝算あっていってんだろうな?」 さあ、と、ファルケンは首をかしげた。 「さあ、それはよくわからない」 「わからないって、お前」 「でも、あんたと話してて、オレもなんとなくすっきりしたからさ。もしかしたら、今度は、あいつに勝つ方法がみつかるのかも」 笑いながら話すファルケンに、カラルヴは呆れ顔だ。 「すっきりしたからって方法なんて見つかるかよ。お前が万一負けたら、オレはどうなるんだよ。あいつに殺されるか、なんかなんだぜ」 ファルケンは、からからと笑っていった。 「大丈夫大丈夫。なんか、こう死んだり負けたりする気がしないから大丈夫。あいつだって、あんたにはまさかひどいことはしないだろうさ」 ファルケンはそういうと、イェームのほうをちらりとみていった。 「どういう意味だ?」 「さあ。いろいろ考えてたら、なんとなくそうじゃないかと思っただけ」 「なんだい、そりゃ」 あきれ返るカラルヴに、ファルケンは屈託なく笑いかける。 「いや、あいつが嫌いなのは、オレだけな気がするよ。あんたのことは、嫌いじゃないはずだし、だとしたら、絶対にひどい目にあわせたりはしないと思うんだ。だから、別に大丈夫は大丈夫」 あ、でも、と、ファルケンは何気なく付け足した。 「あんたが元の世界に戻れるかどうかっていうのはー……、いまいち保証できないかも。オレ以外の、そういう能力のある人を探し出してこないとまずいかもなー」 「な、なんだ! お前は! テキトーなこといいやがって! 他人事だと思いやがって、なんて奴だ!」 いきなりつかみかかってきたカラルヴに、さすがにファルケンは慌てた様子になった。 「ま、まあまあ。ど、どの道、逃げたって仕方がないみたいだし、一回は通らなきゃいけないと思うからさあ。な、納得してくれるとうれしいなーとか」 「チッ、楽天的な奴だな。死んだら金だって無意味なんだぞ」 カラルヴは、舌打ちして忌々しげに言った。 「だから、死ぬ気がしないから大丈夫だって!」 やけに明るいファルケンに、カラルヴは肩をすくめた。ため息混じりに、彼はいつものように皮肉っぽく言い捨てる。 「お前みてえに、頭に年中花咲いてるような性格だったら、オレも幸せだったのによ!」 「ひ、ひどい言い方だな。さすがにそんなおめでたくないよ」 「いいや、十分めでたい頭をしてるぜ」 「でも、ここに入った当初は結構悲観的だったよ。あんたの話をきいているうちに落ち着いたところだもん」 ちらりと振り返ってファルケンは、にんまりと笑った。 「ありがとう。あんたのおかげで”確かめる”決心がついたんだ」 カラルヴは、ふいっとそっぽを向いた。 「オレはどうなってもしらねえぞ。オレは勝算のない勝負はしない主義だからな。せっかく忠告してやったってえのに、お前が無視したんだからな」 「勝算のない勝負には飛び込まないなんて似合わないな。オレは、あんたは、時々、全身に火薬抱えて飛び込むような、とんでもない大博打を打つ男だとおもって尊敬してたのに」 「そんな博打なんてするかよ! オレはなあ、こう、計算しつくされた勝利ってやつがすきなんだよ」 そうだっけ。と、ファルケンは軽い口調で流すと、カラルヴにさらりと手を振った。 「それじゃ、無事戻ってきたらよろしく」 カラルヴは腕を組んで、舌打ちしているようだったが、それ以上何も言わなかった。ファルケンは、そのまま、まっすぐにイェームのところに歩いていく。 イェームの姿は、波打つように揺れていた。実体として少し不安定になっているのかもしれない。なにか、彼に不安を与える要素でもあったのだろうか。 「さっきは途中で離脱して悪かったな」 ファルケンは、そういって彼のそばまでやってきた。ちょうど剣を交えて、切っ先が届くほどの位置である。イェームの殺気に当てられてか、全身の毛がぞわりと逆立つようだった。相手は何もいわないが、相変わらずファルケンに対しての憎悪と殺意と敵意はすさまじいものだった。 ファルケンは、剣を抜く。装飾の多い、美しいが、それでいて何か不気味な剣だ。 ファルケンは、そもそも剣や剣術を愛してるわけではないから、その効力には比較的鈍感である。それでも、なにか、この剣には、なにかしら魔力のようなものがある。フォーンアクスがいっていたのは、これ、かもしれない。 すうっと意識が遠ざかる感覚とともに、目の前のイェームも静かに消えていくのがわかった。 やはり、彼と戦うのは、夢の中でなければならないのだ。 一覧 戻る このページにしおりを挟む 背景:NOION様からお借りしました。 |