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辺境遊戯 第三部
「ようやく目が覚めたようね」 頭の上から冷たい声が聞こえ、レックハルドは顔をあげた。 さっきまで、あの狼人の子供がいたはずなのに、目の前には、黒い空間だけがある。怪訝そうに眉をひそめたレックハルドに、嘲けりをふくむ、少女の高い笑い声が響いた。 「こっちよ。ふふ、人間って本当にぶいのねえ」 そういわれて、レックハルドは顔をあげる。少し上のほうで、空中に浮かぶ形で少女がこちらを見下ろしていた。 緑がかった金色の髪が、暗い中にふわりと広がり、ぞっとするほど輝いていた。それこそ白皙というのがぴったりの、透き通るような肌に、少しつり目気味の碧のガラス球のような瞳。長く獣のような毛に覆われた耳が垂れ下がっている。背中には六枚、不思議な色に輝く蝶の羽が広がっていた。 あの羽は、空を飛ぶための補助であり、そして魔力でできた飾りのようなものだときいた。それが美しく実体化できるということは、それだけ魔力が強いということだった。実際、彼女は、それを誇示する意味で、美しい羽を六枚も見せているのかもしれない。 妖精だ。それは間違いなかった。 なんとなく、見かけはロゥレンに似ていたが、ロゥレンではなさそうだった。目の前の少女のほうが、彼女よりもいくらか大人びているのだ。 造作の整った顔立ちは、どこか人間というより人形的な冷たさがある。魔性のものがもつ、どことはない不穏さを背負いながら、少女は彼を見おろしていた。 「さすがは野蛮な人間ね。進歩のないところも相変わらずといったところかしら」 「なんだい、初対面でその言い方は」 少しはむっとしたが、なんとなくレックハルドは、そこまで腹が立たなかった。ロゥレンに似た娘がそんなことを言うからなのだろうか。そういえば、ロゥレンには、どんなにきついことをいわれても、あんまり腹が立たない。癇癪もちのレックハルドにしては珍しいことだといえた。 「そんな上からしゃべりかけてないで、おりてきたらどうなんだい」 「人間なんかと話すのに、下りる必要なんてないわ」 「きっついお嬢さんだな」 レックハルドは、思わず苦笑した。 「それじゃ、その嫌いな人間さんに何の用なんだい」 「あんたのせいで、あのこがこんなわけのわからないところに紛れこんだから連れ戻しにきたのよ」 「あの子?」 きょとんとしたレックハルドに、彼女はふわりと地面におりてきていった。 「あの赤毛の女よ」 「ああ、メアリズさん」 「ええ、そう」 彼女は、腕を組んだままそうこたえる。 「あたしは、別にあんたなんて死のうがどうなろうがどうでもいいわ。けれど、メアリズが心配するでしょうから、言っておいてあげるわ」 レックハルドは、唐突にそういわれてきょとんとした。レックハルドの事情などお構いなしに、彼女は言う。ふわりと体をゆらし、彼女は居丈高に言う。だが、レックハルドには、小娘が虚勢をはって精一杯威張っているような気がして、なんとなく憎めないものにみえた。 そんなレックハルドの態度にいらいらしながら、彼女はこういった。 「あんたも、死にたくなければ、さっさと指輪を探すことね。そうじゃなければ、危ないわよ」 「は? 指輪?」 レックハルドは唐突な言葉に、首をかしげた。 「なんだ、その指輪ってえのは」 「それも覚えていないの?」 妖精はあきれたような口調になった。 「まったく、人間って不便なんだから!」 妖精は怒ったような顔になった。 「いいわ。どうせすぐに思い出すわよ。だって、あんたが作ったものなんだもの。自分で責任ぐらいとるわよね」 「だから、俺は事情がわかんねえんだよ。まったくしょうがねえな」 レックハルドは苦笑した。 「そういわずに、ちょっとは教えてくれたらどうなんだよ?」 「何であんたに教える必要があるのよ」 「親切で教えてくれたんだろ? ちょっとぐらいサービスしてくれてもいいじゃねえか」 そういうと、きっと妖精は彼のほうをにらんだ。 「何甘いこといってるの! あたしは、あんたのような穢れきった人間なんてきらいなのよ」 「おお、ひでえ言い草だな」 レックハルドは、あごに手を当てて首をかしげた。女の子をたらしこむときのように、ちょっと挑むような表情だ。からかうのにわざとそういう顔をつくっているわけだが、意味ありげに視線を向けながら、レックハルドは、絡むような口調で言った。 「そういいながら、なんだかんだでオレにそんなことを教えてくるのは、実のところ、オレのことが案外好きだからじゃねえのかよ?」 「何ですって!」 妖精が眉をつりあげたのをみて、彼は軽く笑った。 「妖精さんには、お前さんみたいな子が案外多いんだな。もちょっと素直になったらかわいいのによう」 ぴしり、とレックハルドの目の前で、電気がはじけた。いてっと声をあげ、レックハルドは苦笑した。目の前では、妖精が怖い顔をして、彼をにらみつけていた。 「そんなに怒るなよな。ちょっとからかっただけじゃねえか」 「ふん、見つけ出せなければ死ぬだけよ!」 冷たく言い放ち、妖精はばっと羽を広げた。虹色に夢のように輝く蝶の羽が、幻のように広がった。そのまま、光の粉を散らしながら彼女は消えていく。 「あ、ちょっと待てよ!」 レックハルドが呼び止めるが、彼女はもう戻ってくる様子はなかった。 「なんなんだい? ありゃあ」 レックハルドは、ため息をつくと、首をかしげた。死にたくなければ指輪を探せといわれても、彼には思い当たる節がまったくなかった。 どういう指輪かぐらい、ちょっといってくれてもいいものだろうに。冷たい奴だ。 と、そのとき、ふと足元に違和感を覚えて、レックハルドは後ずさりした。足元の暗闇が、剥がれ落ちるように崩れてきていた。その下には、その黒よりなおまだ暗い闇が、視覚というより感覚的に感じられた。 レックハルドは、あわてて身を翻して走る。 ひたすら走る彼の耳に、不意に耳障りな女の、高い笑い声が響いていた。それは、先ほどの妖精のものだったのかどうなのか、それはよくわからない。 走って走って、ひたすら走りきったあと、ふとレックハルドがわれに返ると、彼はそこに胡坐をかいて座っていた。 「あ、アレ?」 「や! ようやく気がついたかい?」 いきなり陽気な声がきこえ、レックハルドが顔をあげると、そこには、見慣れたファルケンが立っていた。レックハルドは、立ち上がりながら、周りを見回す。 妖精と会う前や、会った後とはまったく風景が違った。 「オ、オレはさっきまでたしか、なんかもうちょっと変なところにいたような」 「あれは、まあ、幻みたいなもんなんだよ」 前にいたファルケンが、そういった。 「魂だけふらふらさまよってた、みたいな感じかな?」 そういう彼の顔をまじまじとみて、レックハルドは、ふと、目を見開いた。 「お前……」 「えっ? 何?」 きょとんとしたファルケンの例の首飾りを、レックハルドはいきなりつかんだ。声を上げる暇もなく、レックハルドはそれを思いっきり下に引っ張った。ぐえっと悲鳴をあげつつ、ファルケンは、ややあわてた声で言った。 「い、痛いって! な、何するんだ! オレは、レックを助けただけで」 「しらばっくれるんじゃねえ。テメエ、ファルケンじゃねえだろ」 レックハルドは、やけに冷たい目でにらんで来る。 「オ、オレは妖魔じゃないってば!」 「そういう意味じゃねえ! ……お前『あっち』の方のファルケンだろ?」 「え?」 ファルケンの表情が、一瞬で固まった。 「あ、あっ」 「あ?」 レックハルドの冷たい視線にさされ、ファルケンは、思わずぎこちなく笑い返す。 「あ、あは、あははは」 「ふ、ふふ、ふふふふふふ」 レックハルドが不気味に笑うのから目を離さず、にこにこしていたファルケンは、一瞬の隙をついて、逃げ出そうとしたが。レックハルドが彼の首根っこをつかむほうが早かった。 ファルケンは、明らかに狼狽しながら、ぽつりときいた。 「な、なんでわかったんだ? オレ、外見は年食わないし、態度だってそんなに変わってないはずなのに……」 「あほか、お前は。今のファルケンより、着てるものが数段派手なんだよ! いつのまにか、いろんな光物がついてるし」 レックハルドの冷淡な言葉に、ファルケンは、思わず自分の身のまわりを見やる。いわれてみれば、改造を年々施した首飾りや、この前こっそり買ってきた飾り帯など、きらびやかといえばきらびやかになったのかもしれない。 「そ、そうかな。昔が地味だったから、もうちょっとかっこよくとおもって、ちょっとだけおしゃれしたつもりだったのに」 「それのどこがちょっとなんだ! お前の感覚はどうなってるんだ」 「いてててて! 単にレックが地味で老けた趣味なだけじゃないか〜」 頭をつかんで振り回され、ファルケンは思わずそんなことを言ってしまう。レックハルドは、それに腹を立てたのかどうなのか、一発ファルケンをはたいてから、手を離した。 「ったく、テメエのせいで、オレは振り回されっぱなしだ! オレがテメエの茶番でどれだけ傷ついたかと! お前、オレのことを、何度たたいても大丈夫そうな金属の塊と勘違いしてるんじゃねえのかよ」 「あ、あの」 「あの?」 不機嫌なレックハルドに、思わずそう声をかけてしまい、ファルケンは、後悔した。言い訳はしないほうがよかったようだが、言いかけてしまったので、引っ込みがつかなくなったのだ。 「あ、あのー……、そのー、オレもねー、あの、わるぎはさー、なかったんだよー?」 思わずぎこちなく笑いながら言い訳をするファルケンに、レックハルドは冷たい視線を浴びせた。 「ってえ、自分でいうってことは、自分が悪いって事は、わかってるということだよな?」 「い、いやっ、あれは、その」 「お前、あの時全部知ってたくせに、黙って死んだふりなんかしやがって……」 レックハルドは、低い声で、ぼそりと言った。口元の笑みが、こわばりながら広がっている。 「あの時は、よくもオレをたばかってくれたな!」 ファルケンは、あわてて首を振った。 「で、でも、その、ほら、いろいろ事情もあったから」 「お前の事情なんて知るか」 「ま、まあまあ、そんなおこらなくても……」 ファルケンは、レックハルドをとりなしにかかる。 「ええと、そ、それはともあれ、生還オメデトウゴザイマス……」 「なんだよ、その生還おめでとうって?」 ファルケンが、適当に状況をごまかしつつ、そんなことを言うものだから、レックハルドは眉をひそめた。 「いや、だって、ほら、魂だけふらふらさまよってっていっただろ。危うく、死ぬとこだったみたいな……」 「なんだと?」 レックハルドは、少しあわてたように顔を上げた。 「ちょっと待て、今までのは、いったいなんだったんだ? そういえば、風景が違ってるな」 「あれは……」 ファルケンは、少し瞬きをしながら続けた。 「あれは、幻とか、夢とかそういうものだよ、レック。ここにきたとき、妖魔に魂抜かれて、魂だけさまよいだしてたっていう、そういう感じだったんだ」 「ええっ? そうなのかよ」 そうそう、と、まるで他人事のようにファルケンはいう。 「結構危なかったんだけど、どうにかなったみたいでよかったよ」 「そうか、お前が助けてくれたのか?」 レックハルドがいうと、ファルケンは、髪の毛をちょっとかきやった。 「いや、実はね、俺は見てただけでなーんにもしてなかったりするんだけどな」 「えっ? でも、オレは独力で抜け出せるほど強くないぞ」 「それじゃあ、あれは、あいつが助けてくれたんじゃない?」 あいつ、といわれて、視線を辿る。そこに半透明の子供が寝ていた。 「あれは……!」 ファルケンが口を開くより早く、レックハルドはせきこんでいった。 「あいつをどうするんだよ」 「レックも気付いてるんだろ。あいつが、レックをここに引き込んだ元凶さ」 ファルケンの言葉はレックハルドもだいたい予想していたものだった。 「消すのか」 「消せば二度とあんたにとりつかないよ」 ファルケンはいつもの調子だ。ファルケンは無邪気で、しかも若干軽い男だが、それだけに本心の読みにくいところがある。はたしてどういうつもりで彼がそれをいっているのか、レックハルドにもはかりがたい。ファルケンはレックハルドにとって、唯一といってよいほど、表情がよめない人物だった。 「そりゃあそうだが、でも、こいつは、助けてくれたんだぞ。それに子供だし」 「子供の姿をとっているだけだよ」 「でもなあ」 ファルケンに言い負かされる形になり、レックハルドは慌てて言葉を捜す。今回ばかりはさすがに分が悪かった。 ふと、ファルケンはレックハルドを横目ににやりとした。 「たまにはレックも口が回らないことがあるんだな」 「なんだよ、その言い草は。オレはなあ!」 レックハルドがくってかかったとき、ファルケンはいった。 「レックの好きにすればいいよ。無害ってわけじゃないけど、レックにはなにもしやしないからさあ」 「えっ」 あっさりと言われて、レックハルドはきょとんとした。反対しながら、レックハルドは内心、彼があの子供を許すはずがないとおもっていたのだ。なにせ彼は、ファルケン自身の……。 「オレは別にいいよ。ただ、ここのオレもそういう気分になれればのはなしだけど……」 レックハルドはため息をついた。 「それが心配だけどな」 「まあ、いいじゃないか。考えても意味ないし、なるようになるとおもうんだけど」 「お前ってやつは、本当に相変わらず……!」 レックハルドは、額に手をやった。ともあれ、ファルケンと問答していても仕方がない。話をすすめようとして、レックハルドは、ふと不安そうに狼人の子供の法を見た。 「しかし、半透明って、あいつ消えかけてるんじゃないのか?」 「いいや、もともと、希薄な存在だから、レックみたいに能力の低い人にはそう見え……いてててて」 言いかけて、レックハルドにヒゲを引っ張られ、ファルケンはあわてて弁明した。 「違うってば。そんな馬鹿にしたつもりなんかないんだよ」 「そう聞こえるっていうんだよ! で、どうなんだよ」 「だから、レックみたいな人にはああ見えるだけで、本体はまだ結構元気なんじゃないかな?」 「本体?」 聞きなれない言葉に、レックハルドは眉をひそめる。ファルケンは、何度かうなずいた。 「だから、あれには本体があって、それから分かれてるのが、多分ちっちゃいあいつ」 「ややこしいな。一人にまとめとけよ」 レックハルドが面倒そうにいう。 「そんなことは、本人に言ってほしいなあ」 「てめえだろうが。大体、お前も、ちょこちょこでてきやがって、紛らわしくってしかたがねえ」 一覧 戻る 次へ このページにしおりを挟む 背景:NOION様からお借りしました。 |