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辺境遊戯 第三部
レックハルドは、オアシスの水のほとりに座ってぼんやりしていた。少し休憩中なのだ。メアリズは、何か食べるものを探しに、といって、散策にいっていた。レックハルドもついていきたかったのだが、そばに、例の狼人の少年がいるので、泣く泣くついていくのをあきらめた。 いくら、メアリズがマリスではないのだと知っていても、あの顔を見ると、ついついころりといってしまう。なので、できるだけ一緒にいたかったのだが。さすがに、少年一人をほっといて出て行くわけにもいかなかったのである。 この砂漠には、オアシスが転々とあった。まったくの不毛な地にいるよりは、少し楽である。なにせ、ここの空間のことは、よくわからない。空が不気味に七色、いや、本当は、何色とも形容しがたいさまざまな色に変幻しながら流れていくのは、不気味としか思えなかった。 本当に、メアリズがいなかったら自分は、まともな精神を保ていたかどうかもわからない。そう考えると、少しぞっとした。 ともあれ、水に困らないのは、よかった。あれから、どれだけたっているかはわからないが、特に空腹感を覚えることもなかった。時間の感覚もひどく曖昧だ。気をしっかりもっていないと、だらだら続く感覚に流されそうになる。 「しかし、どこから出りゃいいんだ?」 レックハルドは、頬をかきやりながらつぶやいた。メアリズが、きっと出られますよ、というので、ほいほい歩いてきたが、実はまったく当てがない。どこをどうやったら出られるかも、知らないのである。ただ、メアリズが、出られる、といったものだから、レックハルドには、反論する気も、反対する気もなく、どこがどうあれ、従うつもりではあるのだった。 「おい、チビ、お前はどこから……って?」 隣で水遊びをしていた気のする、例の狼人の子供に話しかけたが、視線の先から忽然と消えていたので、レックハルドはあわてて立ち上がった。 「お、おい! どこいった?」 子供のやることだから何をするやら、と、あわてて水の中を覗き込むが、水に落ちた気配はない。大体、水の中に落ちたのなら音が鳴るので、さすがにレックハルドが、メアリズのことを考えつつ、ぼんやりしていても気づく。 「おい! どこにいった!」 この空間には、よからぬものも結構いるらしい。さらわれたのだろうか、と心配になって、レックハルドは、慌てて周りを見回した。 と、茂みの中に、小さな人影が消えるのが見えた。 「こらっ! 待て!」 相手には自分の言葉は、それほどわかっていないかもしれない。また、仮に返事をしても、自分は何を言われているのかさっぱりわからないのだ。狼人とつきあっているとはいえ、彼らの辺境古代語を解読するのには、もっと時間がかかる。おまけに、相手はまだ子供なので、幼児語をしゃべっているらしいので、わかろうはずもなかった。 「チッ、仕方がねえな」 レックハルドは、彼を追いかけて、茂みに入った。相手は向こうまで走っていた。いくら小さい狼人でも、やはり、彼らは辺境の生き物である。足の速いレックハルドでも、なかなか追いつけない。 「おいこら! てめー、どこにいくんだよ! おとなしくしてろって!」 とまってくれないかと思い、声をかけてみるが、少年は、向こうの茂みに飛び込んで見えなくなった。レックハルドは、舌打ちするひまもなく、慌ててそれに続いて飛び込んだ。 ただ、茂みに飛び込んだだけだというのに、一瞬で空が暗くなった気がした。椰子の木でも茂っているのかと、空を見たレックハルドは、どきりとして身をすくませた。 空が真っ黒になっていたのだ。いつものように、日蝕だ、と納得するわけにはいかない。ここには、太陽がないのだから。 「な、なんだ?」 呆然とつぶやいたレックハルドの目に、青い光がさあっとちらついた。 目の前も暗い空間に変わっていた。先ほどあったはずの緑の色も砂の色も、徐々に足元から黒に変わっていく。その中で、青い光だけが、異質な色をたたえて、レックハルドの目を射抜いていた。 そして、その光の中に少年が立っていたのだ。 「お、おい、なにやってんだ」 レックハルドは、思わず、ぎこちない態度になってそう声をかけた。 声をかけられたのを知っているのか、知らないのか。ともあれ、少年は、レックハルドの声に反応しなかった。 青い光は、彼の足元で円の形になっていた。それが、徐々に大きくなっているのがわかる。そして、その円は、ただの円でなく、数字や多角形が書かれているようだった。文字らしきものもあるが、レックハルドにはまるで読めない。 (なんだ、これは) レックハルドは、ぞっとして首を振ってあとずさる。数や図形に、何かしら魔術的な意味があるらしいことは、いくらレックハルドに、そういう知識がなくてもわかる。だとしたら、あれは何をしようとしているのだろう。その意味はレックハルドにはわからない。ひとつだけ、ろくでもないことに違いないということ以外は。 「レックハルドさん!」 メアリズの声が追ってきた。振り返ると、背後には、まだオアシスの風景の名残があった。包み込むような黒い闇に閉ざされていきながら、メアリズと緑が見えていた。広がる闇に取り残されるように赤い色の髪の毛が、鮮烈な色をたたえている。彼女は、こちらに走ってきながら、レックハルドに声をかけていた。 「いけないわ! いそいでそこから出て!」 メアリズの声は、緊迫感に満ちていた。そこ、というのが何かわからず、一瞬地面を見たレックハルドは、はっと青ざめた。足元にも、青い光がのびてきていた。好き勝手広がるように見えて、実際は決められた図形を描くそれは、闇の広がりとともに、どこまでも広がっていくように見えた。 出ろといわれても、そんなことは不可能だ。レックハルドの見渡す限りの地面に、青い光が走っているのだから。 「メ、メアリズさん! しかし! こいつは?」 「その子だわ」 メアリズは、黒い闇の空間の中に入り込んできていた。そんなことをしたら、彼女も出られないのではないのかという疑問すら、レックハルドには浮かべる余裕はなかった。ただ、彼女の声をきいて、彼は少年のほうを見る。 何も知らない顔をして、ぼんやりと何かつぶやいている少年の様子は、無邪気そのものだった。 「あ、あいつ、一体何を?」 「あれは、狼人がよくやる呪文や祝詞の類です。けれど、今はけして好ましいものではないわ」 メアリズは、ようやくレックハルドのそばに追いつくと、軽くあがった息を整えて、彼のほうを見た。 「あれは、狼人がよくやる魔術なの。魔力や形の存在しない力を移動させるときの魔法です。……誰かが別の場所で同じことをしているのだと思うわ」 「そ、それは、つまり……」 レックハルドにも事情が飲み込めた。つまり、彼は、この場所に何かを呼び出そうとしているのだ。いや、具体的に言えば、自分たちを殺すための妖魔を。 ふと、黒い影が目の前をよぎった。反射的に身をすくめたレックハルドの眼前を、青い光が過ぎ去った。 「妖魔!」 メアリズの声とともに、黒い影が引き裂かれて倒れた。空中でばらばらになり、ざっと砂になって黒い地面と見分けのつかなくなるそれをみたとき、レックハルドの背筋は凍った。 この空間には、多分出口がないのだ。自分は、どうやら誘い込まれてしまったのだろう。ということは、逃げ場のないまま、しかも、同じ黒にまぎれてやってくる刺客から逃れねばならない。 「気をつけて! まだ来ます!」 「あ、あいつに、あれをやめさせることは……できないんですか?」 入り口さえなければ、妖魔はこれ以上増えないかもしれない。そう思ったレックハルドがきくと、メアリズは、何か考えるような顔になる。 「わかりません。けれど……」 メアリズの大きな瞳がレックハルドに向けられる。 「少なくとも、あの子、そこまで悪い感じはしないわ。……もしかしたら、操られているのか、それとも、そそのかされたのか、無意識にやっているのか」 「あいつ自身が、妖魔であるということはないのですね?」 「ええ、おそらく……。だから、あの子にあれをやめさせられたら、新たに妖魔が増えることはなくなるかもしれません」 「それじゃあ、無理やりあいつをあそこからひきはがせばいいんですね?」 レックハルドがそうきくと、メアリズは、少し眉をひそめて心配そうな顔になった。 「ですけれど。うまくいくかしら」 「大丈夫ですって。所詮、あれは子供ですし」 レックハルドは、そういってにやりと笑いかけた。メアリズは、少し考えて、すぐにうなずいた。 「わかりました。しばらく、あなた方の近くに妖魔を入れないように防ぎますわ」 そして、彼を見上げるようにしてにこりと微笑む。 「けれど、あなたもどうか気をつけて」 「ええ!」 そう答え、レックハルドが少年に向き直ったときには、メアリズは、すでに行動を起こしていた。後ろで金属の音がなるのを聞きながら、レックハルドは足元に広がる光の魔法陣をものともせず少年に近寄った。 「おい、てめえ! さっさとそこをどけ!」 そう怒鳴りつけると、ふと、少年は思い出したようにこちらを見た。だが、その表情は無反応というに近い。呼ばれたからそちらを見た、という程度のものであり、彼の声に反応しておびえたわけでもなければ、いらだったわけでもなかった。興味を引いたわけでもないのだろう。 レックハルドは、その無反応さに、内心どきりとしたが、それぐらいでひくわけにはいかない。後ろでは、メアリズが戦っているのだ。自分の言い出した作戦である。彼女に危険を冒させているのに、自分が逃げるわけにもいかなかった。 レックハルドは、もう一歩足を近づけた。 「おい! きいてっか! オレはな、お前に、そのあぶねえものを呼び出すのをやめろといってるんだ。わかるか!?」 言葉は通じないかもしれないが、しかし、少年には、レックハルドの感情自体は通じているはずだ。狼人は感受性が強い。他人の感情に影響を受けやすいところがあるのを、レックハルドはよく知っていた。 だが、少年は、それでも、無反応に近かった。 (無理にでも、ひきはがしちまおうか) そう思ったが、なぜかそうするのは危険に思えた。狼人とはいえ、まだ子供だ。力の上では、レックハルドのほうが上だろう。そうは思うのだが、それでも力に訴えるのは非常に危険な気がした。それはレックハルドの勘である。 「おい、なんだって、こんなことをするんだよ! お前、意味わからずやってるんじゃねえのか?」 レックハルドは、今度はそういってみた。と、今まで無反応を決め込んでいた少年の瞳が、一瞬揺れた。 少年は唇を開いた。 『だって』 それは、レックハルドには、まるでわからない辺境古代語の発音だったのだが、なぜかその言葉の意味が、はっきりとわかったような気がした。 『だって』 と、少年は続けた。言い訳をする子供の表情というよりは、何故そんなことをいうのだろう、というような顔をしていた。 『教えてもらったんだ。こうすれば、みんながともだちになってくれるって……』 レックハルドは、思わず動きを止めた。 少年は続けた。それはあまりにも無邪気な様子だった。 『だって、壁があるからみんなが友達になってくれないんだって。でも、辺境と周りの壁はすぐには壊れないんだって。だったら、全部ごちゃごちゃにしてしまえばいいんだって教えてもらったんだもん』 それは。 レックハルドは、息を呑んだ。そして、直後に青くなる。 少年のいっていることは、それは、あのシャザーンのやろうとしていたことだ。彼のいっていた論理だ。 障害を取り払えば、すべてが混沌に巻き込まれれば、確かに、人間も狼人もいがみ合っている場合でなくなるだろう。だが、それはお互い生きていけなくなるということでもあるのだ。 「お前……」 レックハルドは思わず状況を忘れて口走った。少年が、口を開いてから、足元の光は強くなってきていた。その光にあてられて、黒いものが地面から噴出しているのがわかった。 「お前、それは、それはいけねえよ」 少年がこちらを見た。意味がわかっていないのかもしれない。 「気持ちはわかるぜ」 レックハルドは、言葉がわからないのを忘れて、思わず彼に言った。 「気持ちはわかるけど、それだけはだめだ。そんなことをしたら、友達どころか、結果的に何も残らなくなるじゃねえか」 だから、と、レックハルドが言いかけたとき、ふと少年の唇が開いた。 『おにいちゃんは』 少年は、目をひらめかせて言った。 『おにいちゃんは、ぼくの味方なの、それとも、敵なの?』 いわれて、一瞬レックハルドは、ぎくりとした気がした。少年の目がまっすぐで何か怖かったのだ。いや、厳密に言うと、その目とその質問が怖かったのは、それが、知っている人物のものだったからである。 遠くでメアリズの声が聞こえたような気がしたが、レックハルドは、その声を聞く余裕がなかった。 「お、オレは……」 少年は、急に黙り込んだ。 狼人特有の、トンボ玉をはめ込んで作ったような澄んだ色の目に、翳りと寂しさが漂っている。けれど、その目の中にあるのは、それだけではない。少年がもつにはあまりにも物騒な、どうしようもない憎しみも怒りも、そこにはうつりこんでいた。 それは、彼の今の相方のものではありえないものだ。 (ああ、お前は……) レックハルドは、目を細めた。 「お前は、こんなところにいたのか?」 レックハルドは、どこか安堵したような口調でつぶやいた。 「お前は、こんなところにいたんだな」 と、はっと、少年が彼ごしにレックハルドの背後に視線を向けたのがわかった。 「レックハルドさん!」 メアリズの声が響く。はっと振り返ったとき、背後にはすでに大きな黒い影が覆いかぶさってきていた。 「うわっ!」 肩越しに食いつくように覆いかぶさってくる黒い闇は、実体がないはずなのにひどく重い。肩に激痛が走り、レックハルドは顔をゆがめた。 「畜生! こいつ……!」 レックハルドは、妖魔を引き剥がそうとした。不定形で形などろくにわからないそれは、手で触れると異様に熱く、刺すような痛みが走った。だが、ためらっている場合ではない。このままでは、間違いなく取り込まれる。 と、不意に、レックハルドの目の前を黒い影が通った。顔を上げると、いつのまにか、少年が妖魔に飛び掛ってきていたのだ。 「お、お前……」 少年は、妖魔にとびついたまま、それをレックハルドから引き剥がそうとしていた。必死そうな顔つきの彼の、手のひらが焼けそうになっている。 レックハルドは、一瞬、自分の苦痛を忘れた。瞬間、勝手に口が開いた。 「や、やめろ、ファルケン!」 思わず、レックハルドがそうさけんだ瞬間、ぱっと目の前に閃光が走った。直後、稲妻が弾けたような轟音が、周りの空間を震わせていった。 一覧 戻る 次へ このページにしおりを挟む 背景:NOION様からお借りしました。 |