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辺境遊戯 第三部
イェームは、黙ってその空間にたたずんでいた。この独特の空気にも慣れてきたが、それでも、何かの違和感が残る。 気がつくと、ここに来ていた。自分がどうなったのかは、彼自身よくわからなかったのだが、それでも、妖魔の知識のある彼には、自分がどうしてここに来たのか大体のことがわかった。 あの時、ファルケンは、元の生活に戻るため、自分の汚れきった心を捨てたのである。憎悪にまみれたイェームのころの心を、ここに置き去りにしていったのだ。そうすることで、彼は、憎しみも、うらんでいたことも、すべて忘れたふりをして、元の生活を送ることが出来たのだろう。 そして、残留思念ともいえる形で、自分はここに行き着いたのだ。彼はそう気づいた。 それでも、イェームにも、狼人としてのプライドはあった。もとより、ファルケン自身、プライドの高い男であるせいで、イェームは、妖魔として生きることを拒んだ。 だが、そんな折だ。レックハルドがほかの妖魔に憑かれた状態でここにやってきたのは。イェームは、彼を見捨てることが出来なかった。手を貸せといわれ、思わず手を貸したのは、そのためだ。 しかし、イェームは、そのレックハルドを助けに来たはずの「ファルケン」に対峙したとき、本気で彼を殺そうと考えた。 (オレは、……あの時……ファルケンを……) イェームは、唇をかみ締める。妖魔とはいえ、最低限の実体を形作ることはできるので、感覚はある。ぴりりと痛みが走った。 あの時、本当は、レックハルドを助けに来た彼を手助けしてやろうとも思ったのだ。しかし、彼に対峙したとき、どうしても、それが出来なかった。 ――ファルケンが、許せなかった…… そうかもしれない。イェームは、自分を切り捨てることで、心の平安を取り戻したファルケンのことが憎かったのかもしれない。自分は、相変わらず辛い気持ちのまま、妖魔として存在しなければならないのに、ファルケンの奴は、前と同じ、いいや、前より幸せそうな顔をして、レックハルドと旅をしている。自分が、かつて醜い心を持ったことを忘れたように。 だから、許せなかったのだ。 本気で殺してやると思った。彼を殺せば自分も消えるかもしれない。それはそれでいい。とにかく、彼を消してしまいたかった。 しかし、その殺意の代償を自分は負わねばならない。「彼」の姿を見たとき、それも確信した。ファルケンを殺そうとしたとき、自分は完全な妖魔になったのだ。だから、「彼」は、自分を消しにかかるだろう。 背後にその気配があった。恐怖はある。だが、考えても仕方のないことだった。 「待っていた」 イェームは静かに言った。 「逃げても時間の無駄だってこともわかっていた」 イェームは、背後を見ない。本当は震えているにもかかわらず、それを見せないようにしながら、彼は言った。 「……消しにきたんだろう、俺を」 「そうやって、すぐに決め付けるのが悪い癖だな」 背後の人物は、少し笑ったらしい。 「昔はそういえば結構そうだったかも。……悪い癖だったよな」 イェームは、後ろを振り向いた。想像通りの狼人が、そこにたっていた。東方草原風の衣服に派手な帯を巻いて、腕を組んだままこちらを見ていた。何年たったのか、わからないが、数年経ったぐらいでは、狼人は顔つきがまったく変わらない。しいて言えば、少しだけ大人びた表情をするようになったが、それでも、狼人としてはまだ若い彼には、どことなくあどけない子供ぽい雰囲気というのが残っている。 「だったら、何をしにきたっていうんだ? 未来から、過去の自分の汚点を消しにきた以外の何がある!」 「何をするつもりもない、といったら怒るだろうな」 彼はそう答えて、例のあごひげをなでやった。 「でも、お前を消しにきたんじゃない。それは本当だよ。……なんで、オレがそんなことしなきゃいけないんだ?」 「何故?」 イェームは、唇を引きつらせた。 「それは、あんたが一番よく知っているはずだ」 「だったら、オレがここにきた理由もわかるはずだ。そうだろう?」 間髪いれず、男はそう返してきた。 「オレとお前は鏡のようなもの、だったな?」 にやりと彼は笑った。 「それなら、オレがどうしてここにきたのか、わかっているはずだ。違うかい?」 イェームは無言になる。狼人は、腕を組んだまま、彼のほうに歩み寄ってくる。 「お前がどうして、妖魔の片棒を担ぐことになったのか、その理由と一緒だろう」 「それは……」 「狼人にとって、恩人とはそういうものだからさ」 彼はそういって、イェームのすぐ前で立ち止まった。 「恩人で親友となると、そりゃあ、見殺しにするわけにはいかないって、そういうことじゃないのか」 「……それでも、あんたが、ここにきた理由は……、それだけじゃないはずだ。……妖魔狩りができる、あんたなら」 「まだ、そういうこといってるのか? オレは、やるっていうなら、最初からやるよ。消すなら、こんな間もたせしないで、さっさとけりをつける」 彼は首をかしげるようにして言った。 「オレがここにきたのは、お前たち、いいや、この時代のオレたちにはどうしようもないものをどうにかしにきただけだ。……というより、な、お前の相方に憑いてるのは、オレがこの前逃した獲物だからな」 彼は少し眉をひそめた。 「妖魔の中には、負けるとわかると、こういうところに逃げ込んで、力のない時の敵と戦おうとする奴がいるからな。……こういうことになったのは、あの時、オレが止めを刺し損ねたからだ。その責任を取りにきたんだ」 イェームは、まだ黙ってうつむいている。彼は腕組みをようやく解くと、腰に手を当てた。 「ただ、オレがやるのは、自分の逃した妖魔を狩るだけだ。それ以上は制約違反だからな。それ以上のことは、お前がやらないと、オレは知らないぞ」 「知らない? ……俺に何をしろと?」 「……さあ、それは自分で考えろ」 彼はそう言って笑った。 「お前とオレは鏡だ。……なら、考えられるはずだろう」 うつむいたイェームは、ようやく顔を上げた。ふと、気配が遠のいたのがわかったからだ。 「……何もしないわけはないよな」 彼は少し離れたところで、うっすらと笑いながらたっている。 「『魔幻灯のファルケン』は、その狼人の名にかけて、友人を見捨てない」 イェームは、思わず目を見開いた。途端、言葉が口から飛び出ていた。 「……勝手なことを言うな!……自分で切り捨てておきながら!」 「さあ、そうだったか? 実際、どうだったか、覚えてないや」 彼ががとぼけた顔をしてそんなことをいった瞬間、イェームは、とっさに剣を抜いて切りかかった。 「俺は、魔幻灯のファルケンじゃない!」 斬ったと思ったが、彼、「ファルケン」の姿は、煙のように分散してあいまいな空間に飛び散っていく。手にはなんの手ごたえも残らず、ただ消えていく上着の濃紺がやけに鮮やかだった。 「血の気が多いな。でも、そう思うなら思っていればいいさ」 背後から声が聞こえ、イェームはあわててそちらを向く。草原のまじない文字がかかれた上着のすそをなびかせながら、彼は再び腕組みをして少し宙に浮かぶようにしてたっていた。 「けれど、お前はあいつを捨て置けない。それだけは確かさ」 「黙れ!」 「お前がそこまでいうなら黙ってやるか。しかし」 『魔幻灯のファルケン』は、腕組みをしたまま、ふわりと遠ざかっていく。空間にまぎれていきながら、彼は言った。 「『魔幻灯のファルケン』は、その狼人の名にかけて、けして、友人を裏切らない。それだけは忘れるな」 声だけが遠くから反響しながら聞こえてくる。イェームはそれをいまいましげにきいていた。赤い瞳で探してみても、すでに彼の姿はどこにもない。 一覧 戻る 次へ このページにしおりを挟む 背景:NOION様からお借りしました。 |