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辺境遊戯 第三部 


時空幻想-13


 目の前に緑色の植物がちらついているのを見ながら、レックハルドにはそれを喜ぶ暇はなかった。黒い気配が、背後からひたひた追いかけてくるのに気づきながら、レックハルドは走っていた。後ろには、赤い髪の女戦士が彼を守るように続いている。
「もう少し走って!」
 メアリーズシェイル=ラグリナの鋭い声が飛んだ。彼女は、レックハルドが言うとおりに走っているのを見ると、タイミングをはかりながら、提げていた剣の柄を握った。
「メアリズさん!」
「あなたは走って!」
 メアリズはそう言い放つと、剣を構えて黒い影のほうに走りよる。レックハルドは思わず立ち止まるが、メアリズはその影に飛び掛ると、上からのしかかるようにして、剣をつきたてた。
 黒い塊が、ざっと砂のように飛び散って消えるのが、レックハルドにもかろうじて見えた。
「メアリズさん!」
 黒い砂塵がさーっと飛び散って、晴れるころには、メアリズは細身の剣を引き上げて、それをおさめながらこちらに戻ってくるころだった。
「もう大丈夫よ」
 ありがとうと礼を言おうとして、レックハルドは思わず絶句してしまう。メアリズの顔をまともに見てしまったからだ。つい、言葉を失ってしまうレックハルドに気づいていない様子で、メアリズは小首をかしげた。
「あら、どうかなさいましたの?」
「い、いえいえいえ、何でも……」
 ここで、見とれてましたなどと自己申告できない。レックハルドは、あいまいにわらってごまかした。
「危ないところでしたね。無事でよかったですわ」
「い、いや、どうもすみません」
 女の子に守ってもらうというのも、情けない話だと思いながらも、レックハルドは、半ばあきらめた気分にもなっていた。どうやっても、自分には勝機がないのだから仕方がない。
 それより、レックハルドは、別のことが気がかりだった。メアリズは、何故ここまで自分を守ってくれるのだろう、ということである。レックハルドは、違和感を感じていたのだった。
 彼女が魔物ではないと考えても、どうしてここまで守ってくれるのかわからなくなってくる。彼女は少し優しすぎやしないだろうか。初対面とは思えない。
 初対面?
 ふと、レックハルドは、苦笑した。
 初対面なはずだが、いつの間にか、レックハルドは彼女をマリスのように見てしまっている。その事実に気づいて、レックハルドは思わず苦い笑みを漏らしたのだった。
「やっぱり、……茂みになっていますね、ここは」
 ふと、メアリズがそう話しかけてきて、レックハルドはわれに返った。
 そういわれると、目の前は、先ほど目指していたはずのオアシスのような場所だった。あたりには一応は緑の植物が生い茂っている。
「あ、ええ。ここは、オアシスのようなものでしょうか?」
「一応はそのようですが、あまり水の気配がしませんわね」
 メアリズは、少し警戒しているらしい。と、彼女は、ふと視線をきりりと茂みのほうに向けた。
「どうしたんです」
「何か、います」
 レックハルドがたずねると、メアリズは、小声で答えた。
「何か?」
「ええ」
「……少し、近づいてみますか?」
 レックハルドがそう申し出ると、メアリズはうなずく。
「では一緒に。けれど、気をつけて……」
 メアリズが小さくそういった。レックハルドは軽くうなずくと、慎重にそこに近づいていく。
 気配は、どんどん強くなっていく。そして、変化は突然だ。相手のほうが、大きく草むらで動いたのである。
「誰だ!」
「シェラ」
 警戒にみちたレックハルドの声と、意味のわからない言葉は同時だった。
「シェラ、レパ・シェラ!」
 甲高い声は、子供の声のようだった。がさりと音を立てて、中から二つの目がこちらを不安げに見ている。
「な、何だ?」
 レックハルドは、相手があまり敵でなさそうなのに安心し、同時に思わず拍子抜けし、そうっと覗き込んだ。緑まじりの金色の髪の毛が、深い緑に彩られた葉の中でゆれている。
 やはりそうだ。どうも、子供らしい。
「レチェ?」
 子供はそういって、首をかしげ、一瞬おびえたようなそぶりを見せながらも、そうっと姿を現した。
 年のころはいくつだろう。まだ五つにもなっていないかというような小さな子供だ。大きな瞳をこちらに向けて、彼はきょとんとしている。なんとなくそうしていると、人形めいた印象があった。 
「シェア、レーシェ、リア」
 子供は、そういって小首をかしげるようにした。ガラス球のような大きな瞳が、淡い色をたたえていた。しかし、片頬にだけ描かれた紋様は、明らかに辺境のものだ。
「レチェ、ワーリ、ラム?」
「……何いってるか、ちっともわからん」
 辺境古代語の上におそらく幼児語だ。
「辺境古代語なら少しはわかるんですが、これは私にもちょっとわかりませんね」
 メアリズが困ったように首を傾げるが、ふとにこりと微笑む。
「でも、とってもかわいらしいわ」
「ま、まあ、確かにかわいいですが」
 辺境の連中が、大人になってなおそうであるように、子供は人形めいた容貌をしていた。くるりとした瞳が、非常にかわいらしく、なんとなく世俗に染まっていない感じがする。
「しかし、辺境古代語ということは」
「ええ。狼人の子供ですよ。普通狼人の子供はさらわれやすいから、外には出てこないんですけれど」
 メアリズから聞いた言葉に、レックハルドはぎくりとする。
「さらわれる? ……じ、人身売買ですか?」
「はい。見かけがとてもかわいらしいですし、妖精もそうですが、高く売れるとかそういう話があるんですわ」
 メアリズは、少し声を落とした。
「ひどいことをするものです」
「しかし、……確かに無防備ではある、か……」
 ひょこひょこ現れた子供は、いたって無邪気な様子で、それほど警戒しているとは思えなかった。レックハルドは人身売買はやらないが、自分が結構当事者だったこともあるので、大体の事情はわかっているが、それにしても無防備だ。これからひょいと小脇に抱えてさらえそうである。
 目の前にいるのは、肩まで伸びた髪の毛に、大きな瞳なので、ぱっと見た感じでは女の子に見えるが……。レックハルドは、彼の様子を見て首をかしげた。
「お前、耳がないな。……てことは、狼人のほうか」
 狼人の子供は、きょとんとした様子で彼の方を見上げる。こちらの話がわかっているのかどうかわからないところがあった。レックハルドは、子供から視線をメアリズに移す。
「でも、こいつ、どこから?」
「……それはわかりませんが、でも、ここにおいておくわけにはいきませんね。危ないですし」
「そうですね。……しかし、迷い込んだのか?」
 自分も辺境の中で迷い込んだのであるし、こういう狼人の子供が迷い込むことは、別に不自然ではないのかもしれない。
「こっちにいらっしゃい」
 メアリズは、しゃがみこみ、少年を手招きする。少年は、特に疑うこともなく、彼女のほうにやってきた。
「あなた、私の言葉がわかる?」
 少年は、子供らしい無表情を浮かべたまま、こくりとうなずいた。そういえば、辺境の子供たちは、幼いころは辺境古代語を話すことの多い妖精に育てられるといわれている。だからこそ、子供のころは古代語をしゃべるのだろう。大人になると、特に狼人では人間との折衝が多いためか、この地方ではカルヴァネス語が日常語となるらしい。
 このくらいの年の子供になると、そろそろカルヴァネス語を覚え始めているのだろう。少年が考え考えであるところをみると、完全にはわからないのかもしれないが。
 もしかしたら、狼人は思ったより、人間と交渉できるようにできているのかもしれない。そんな風にレックハルドは思う。
「あなた、どこから来たの?」
 メアリズが優しい表情を浮かべてそう聞く。少年は少し考えてから、自分の前を指差した。
「あっち?」
 メアリズは振り返る。そこにはレックハルドと、背後の何もない荒野だけが見えていた。
「ダー」
 少年は、もう一度うなずいた。
「あっち、って、いったって」
 レックハルドは、自分の背後を見やる。荒れた大地には、特に何もない。
「やっぱり、オレたちと一緒で迷い込んだんでしょうか」」
「かもしれませんね」
 メアリズは、そういって立ち上がった。
「ともあれ、このままにしておけませんし、一緒につれていってもいいでしょうか?」
「ああ、そうですね。おまえも来るか」
 そうきいてみると、少年は小首をかしげ、少し考えてからうなずく。
「よしよし、思ったより聞き分けがいいじゃねえか」
 こんなところで、ごねられては困る。レックハルドはどこかほっとした顔になった。
「ミア」
 ふと、少年が声を上げた。
「サシェ」
「何だ?」
 レックハルドが首をかしげると、少年は首の辺りを触ってきょとんとした。
「なんだ、これが欲しいのか?」
 レックハルドは、普段首に巻いている布切れを指差すと、少年は一言なにか聞き取れない単語を発音する。
「寒いのかしらね」
「そういわれると、ここは荒野だから寒いかもしれないな」
 メアリズに言われ、レックハルドはそう独り言のようにいった。
「まあ、仕方ねえな。おまえみたいな餓鬼から金を取るわけにはいかねえし」
 レックハルドは、やれやれとため息をついて、ふと思い立ったように道具袋に手を入れた。この前売り物にしていたもののあまりをそこに突っ込んでおいたのを思い出したのだ。
 レックハルドは、スカーフを取り出すと、狼人の少年の首に回して、軽く結んでやる。
「ほら、これなら寒くないだろ」
 少年は、きょとんとして、スカーフに手をやる。意味がわかっているのかいないのか。しかし、別にそれを取ることもないので、気に入ったのかもしれない。なんとなく、表情に乏しい少年ではある。
 思いのほか、スカーフが似合ったので、レックハルドは少しだけ満足げな様子だ。
「しかし、こうやるとよ、なんかかわいげのあるファルケンみてーだな、お前」
 ふらりと口をついて出た言葉に、何の他意もなかったのに、レックハルドはその言葉に、突然どきりとした。 
 ファルケンみたい? 
 レックハルドは、あわてて少年を見やった。
 目の前の狼人の子供は、きょとんと首をかしげている。女の子と見間違うぐらい大人しくて、静かな子だが、何故だろう。どこかしら、あのファルケンに似ているところがある気がした。
「いや、まさかな」
 レックハルドは、首を振る。狼人なんて、みんな似たような顔が多いのだ。まして、自分はファルケンの子供の頃など知ってもいないのだから、似てるかどうかなどわかるはずもない。
(考えすぎだ。考えすぎに決まってる、オレの……)
「どうかなさったの?」
 メアリズが、怪訝そうに訊いた。
「あ、いいえ。別になんでも」
 レックハルドは、反射的に首を振った。いつも自分は考えすぎだ。そういう風に心の中で繰り返す。
 だが、レックハルドのこういう予感はよく当たる。それも事実だった。
 この不安のような気持ちは、いったい何なのだろうか。




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