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辺境遊戯 第三部
はっと目を覚ますと、目の前の風景は、薄明るく見えた。紫色に渦巻く空はともかく、地面が赤いようにみえた。 「あ、あれ、オレは……」 ファルケンは、頭をかきやり、先ほどまでのことを思い出した。はっと周りを見回すが、先ほど血で汚したはずの服は綺麗なままだ。どこも怪我をした様子もない。いいや、しいて言うなら頭が痛い。しかも、頭痛というより、これは明らかに殴られたような痛みが。 「いてて、な、なんで、痛いはずの場所が痛くなくて、関係ない頭が……」 ファルケンは、頭をなでやりつつ、なにやら考えようとしたが、いきなり、後ろの方から声が飛んできた。 「あ! ちょっと目を離した隙に目をさましたのかよ! 殴っても目を覚まさなかったくせに!」 続けて声は不機嫌そうに続けた。 「よーやっと目ェ覚ましやがったな。よくも、オレをこんなところに送り込みやがって!」 聞き覚えのある声に、驚きながら振り返ると、そこに一人の青年が立っていた。彼は、ファルケンの顔を見るなり、あっと声を上げた。だが、彼が口を開く前に、目の前の男の方が早かった。口も早いが、行動も早い。いきなり、男はファルケンのあごひげをつかんで引っ張った。 「この野郎、いつの間にか、えらそーにひげ生やしやがって生意気な!」 「い、いたたたた!」 いきなり、あごひげをつかまれて、ファルケンは悲鳴をあげるが、青年は、そんなこと知らぬ様子だ。 「てめえのおかげでオレはろくな目にあわねえじゃねえか! フォーンアクス」 「フォ、フォーンアクス!?」 ファルケンは、その言葉に驚いた。目の前にいるのは、だって、彼なのである。なのに、どうして、彼が「フォーンアクス」を知っているのだろう。 「オ、オレ、フォーンアクスじゃないよ! は、離してくれよ! 痛い!」 そういうと、青年は、ぱちりと細い目を瞬かせて、きょとんとし、ぱっとひげを離した。 「ん? フォーンアクスじゃねえ? ああ、そういえば、お前、あいつより髪の毛短いな」 どうやら、ヒゲが心配だったらしい。ファルケンは、あごひげを撫でつける。 「せっかく復活したばかりなのに、危うく悲惨なことになるところだった」 「そんなもん、後生大事にすんなよ。たかが無精ひげだろう?」 青年は、なれなれしくそういうと、腕を組んだ。 実際、こっちが驚きたいぐらいだ。目の前にいるのは、まるっきり彼なのだ。鋭く細い目に、皮肉っぽく歪んだ口元。一見褐色だが、実際はわずかに緑の混じった複雑な色の瞳に、黒い髪。東方の人間らしい顔立ちに、瞳だけが西方を伝えているのは、彼の出身民族のせいだろうか。 (……厄介なほど瓜二つなのがきた……) ファルケンは、途方にくれそうな思いでそう思う。 先ほどのレックハルドもどうしようもないほど彼だったが、こちらの男はそれとは違う意味でどうしようもないほどレックハルドだった。 その態度口調、ちょっとした仕草まで、ひどくレックハルドだった。 黒と白の布を二つあわせてつくったターバンを巻いて、ちょっとだけ飾りをつけて、それでもって真っ黒で立派な衣装に身を包んだ男。服装は違うが、本当に泣きたいぐらいに、アレに似すぎていて、逆に判断に困る。 「あのう〜……」 「あ、やっぱり、そうだな!」 男は、ファルケンを無視して、手を打った。 「お前、よく見ると、ホントにフォーンアクスじゃねえな? ちょっと背も低い感じだし、アイツはこんなおとなしい目をしてねえしな。といっても、狼人の背ってよくわかんねえから、どっちにしろでかいけど」 「あ、あの……」 「何だよ」 ファルケンが口を挟んだので、ようやく男は口を止めた。それを見て、ファルケンは、思わず、聞かなければならない事とは違うことが口をついてしまう。 あまりにも彼にそっくりなものだから、訊くべきことよりも、文句のほうが先に出てしまうのだ。 「フォーンアクスとなら、顔のつくりで見分けて欲しいけど」 「見分けられるか。同じような面しやがって」 (自分こそ同じような面してるんじゃないか) ファルケンは、困惑気味に思った。 (物言いまでそのまんまだ) そういって投げやりみたいに言い捨てるところがそっくりすぎる。歯切れがいいが、初対面の人間がみると、決して好印象を持たないであろう、そういう言い方だ。だが、慣れると、それが心地よく思えることもある愛嬌みたいなものがあるのは、彼にとってはちょっと得なのかもしれない。本人には言わないが、本当はファルケンは、その言い方は結構好きだ。 「あんた……レック?」 ファルケンは自然と、名前をそうきいてしまっていた。もちろん、自分が知っているレックハルドではない、とは思っていたが。 「おう、なんでえ、オレの名前をどうして知ってるんだ? というより、そいつぁ、昔の仲間の間でしか通ってない略称なんだがな」 「い、いや、勘でそういってみたんだけれども。当たってたのか」 ファルケンは、そういわれて逆に驚きながら答える。 「じゃあ、名前はレックハルドでいいのかい?」 困っている様子の彼を見やりながら、ふむ、と男は顎をなでやった。 「よくわかったな。そうだ。オレはレックハルドさ。オレの国じゃ、姓ってのがあんまりないからよ、あだ名をつけて、レックハルド=カラルヴって呼ばれてる」 カラルは、今の草原語にもある言葉だ。だから、その意味はすぐにファルケンにもわかった。カラルは黒。だから、カラルヴの意味は。 「レックハルド=カラルヴ(黒いレックハルド)? 黒い……」 「あっ! いっとくがな、別に腹黒いとかそういう意味じゃねえんだからな。服装の話だぞ」 意外に気にしているのだろうか。レックハルド=カラルヴは慌ててそう正した。 「ほら、で」 「ほら、で、って何?」 いきなり話を振られて、きょとんとしたファルケンに、彼は言った。 「ほら、オレが名乗ったんだから、次はお前が名乗る」 「あ、そういえば、そうか。オレは魔幻灯のファルケン。狼人だよ」 「そんなことは、見ればわかる」 カラルヴは淡白だ。 「でも、フォーンアクスって? あんた、アイツを知っているのかい?」 「ああ、ちょっと知り合いなのさ。といっても、向こうはオレのことを冷血漢としか思ってなさそうだがな」 やれやれと彼は言った。 「だから、助けになんかくるはずもないだろうがな。一緒に迷い込んだと思ったんだが、それも違うらしい」 カラルヴはため息をついた。 「困ってるのか?」 「当たり前のことをきくなよ。こういうところに迷い込んで困らない奴がいるか?」 カラルヴはむっとしたように言った。空は、紫色に渦巻いている。一面砂だらけ。何もない荒野だ。 「そ、それはそうだよなあ。戸惑うよなあ」 「そうだろうが」 冷たく言われて、ファルケンは、どうやら相手の機嫌を損ねたらしいことを知る。いいや、彼はいつでもこんな男だった。ちょっとしたことで機嫌を損ねて冷たい物言いだ。 「で、お前は?」 「え、オレ? オレは……」 ファルケンは言いかけて、ふと周りを見回して、驚いた。 「アレ、ここ、さっきいた場所と違う!」 「今頃気づいたのか?」 カラルヴは、肩をすくめた。 「お前、どういう馬鹿なんだよ」 「いや、似たような場所だったけど、さっきは、地面が赤くなかったからさ。それぐらいの違いだからわかんなかったんだよ」 ファルケンは、そう答えて、あれこれ考えていたようだったが、急に眉を下げて不安そうな顔になった。 「あ? どうした? いきなり、顔が曇ってるぜ」 「不安になってきた」 「何が?」 ファルケンは、不安そうなまま続けた。 「オレは、さっき、死んだかもしれなかったんだ。あちこち刺されて倒れたところで、目が覚めたらここへ……」 ちらりとカラルヴのほうを見上げる。 「一回死んだときに、どうだったか覚えてないんだが、オレ、死んでたらどうしよう」 へえ、とレックハルド=カラルヴは言った。 「奇遇だな。オレも死んだかもしれん」 「え?」 「ここに来る前に、ベアルブの塔の一斉射撃をうけてな。あ、ベアルブというのは、まあ、隣国の最新型大砲搭載した特殊砲塔のことなんだが。ま、それにちと喧嘩うってな。光の中に包まれたまでは覚えているんだが……」 レックハルド=カラルヴの言っている言葉の意味は、ファルケンには把握しようもなかった。ただ、彼が死ぬような目にあったらしいことはすぐにわかる。 「それじゃあ、オレたちは、お互い死んでるのかな……。もしかして、魂だけさまよっているとかそういう」 ファルケンが不安げにそうつぶやいたとき、いきなり、なにやら考えていたレックハルド=カラルヴが、横柄に口をきいた。 「おい、こっちむけ」 「え?」 ファルケンが顔を上げた途端、レックハルド=カラルヴは、懐から取り出した手帳らしきものをファルケンの顔めがけてたたきつけた。急のことで避けられなかったかれは、それの角に直撃され、危うくひっくりかえりそうになる。 「おお、狙い通り。なんかいいことありそうだな」 痛みに頭をおさえながらたえていると、のんびりとそんなことをいって、笑っているカラルヴの声がきこえた。さすがにむっとして、ファルケンはカラルヴをにらみつけた。 「い、いきなり、何するんだよ!」 「痛かったか?」 「当たり前だろ」 「そりゃーよかった」 むっとしているファルケンに、カラルヴは楽しそうにいった。 「痛いっていうのは、生きてる証拠だとさ。てことは、まだどうにかなるってことだろ? 少なくとも、死にきっちゃいねえさ。よかったな、お前、まだ死んじゃいねえぜ」 まさか、それを試すのに、いきなり手帳なんか投げつけてきたのだろうか。彼ならありえそうだが、何て乱暴なのだろう。ファルケンは、納得いかなさそうな顔をしたまま、腕を組んだ。 「そ、それなら……じ、自分で試して欲しかったけど」 「何でオレが痛い目みなきゃならねえ。こういうのは、一番不安なやつが確かめて安心すりゃいいのさ」 鼻でせせら笑う彼の冷たい言葉を聞きながら、ファルケンはやれやれとため息をついて、苦笑いした。なんとひどい言い草だ。腹が立つはずなのに、どうもあきらめた気分になってしまう。駄目だ。本当にレックハルドそのものみたいだ。 「……あんた、オレの知ってる人に、よく、似てるよ」 その言い分があまりに、「らしい」ので、あまり恨み言がわかなくなってしまうのだ。なにせ、相手は「レックハルド」だから。ファルケンにとって、レックハルドのそういう最低に自分勝手で憎みきれない行動は、ファルケンにはけして真似られないものだったからだ。 ファルケンが、レックハルドという自分勝手な人間に、どこかあこがれめいたものを抱いているのは、そういう、どうしようもなく自分勝手で、けれど見捨てられないところが原因だったのかもしれない。 こんなことをいうのは、ファルケンなりの精一杯の恨み言みたいなものである。 「お前はフォーンアクスとはちょっと違うな。扱いやすくていいぜ」 にやりとして、カラルヴは不敵にそんなことを言う。 「ファルケンとかいったよな?」 「ああ、そうだよ」 「まー、旅は道連れってな。しばらく、お付き合い願うぜ。よろしくな、ファルケン」 また、自分勝手なことを言う。やれやれと肩をすくめながら、なぜかファルケンは、先ほど感じていた不安が、溶けるように消えたのを感じた。 一覧 戻る 次へ このページにしおりを挟む 背景:NOION様からお借りしました。 |