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辺境遊戯 第三部
嘲笑が飛びかっていた。ざっと、空気を裂く音だけがむなしく響く。青年は、あざ笑いながら、すたんと離れたところに着地した。 「はっはははは、はずれだな! 本気でやっているのか?」 「う、うう……」 ファルケンは、震える指先を隠すように剣を握り締める。だが、その瞳に現れるのは、殺気どころか、絶望的な恐怖ばかりだ。色の悪くなった唇が、小刻みに震えていた。 レックハルド、の、姿をしたものは、からからと笑い声を上げた。 「どうした。……恐くなったのか? オレを殺すわけにはいかないからな」 「……こ、恐いわけじゃない!」 「だったら、何震えてるんだ。殺したいなら殺せよ? ……でも、お前にはできないよな。親友を殺すなんて」 にやりと彼は笑う。唇を引きつらせて笑う笑みは、とても邪悪に見えるのかもしれない。けれども、ファルケンには、それは見慣れたレックハルドの表情にしか見えなかった。 「お前、一度、オレが死ぬのをみたんだろう。幻で。……あれを思い出して、恐くて仕方がない、それが本当だよなァ?」 「ち、違う。恐いんじゃない!」 「だったら何で攻撃してこない? ……お前の一撃なんて腑抜けそのものなんだよ」 それは、と口を開きかけて、ファルケンはしゃべれなくなった。そのとおりだ。実際、さっきからろくろく、攻撃らしい攻撃などできていない。 ファルケンは唇を噛んだ。相手の言うことは正しい。悪夢を思い出したというのも、間違いではないが、それ以上に、相手が本当にレックハルドらしいという事実が恐かった。本気でやれば殺してしまう。 方法はひとつだけだ。中に取り憑いているものだけを斬る。 (けれど……) ファルケンは、手の中の剣をちらりとみやる。重い剣だ。刀身もちゃんとある。あの司祭のとき、中に取り憑いていた妖魔を斬ることに成功したが、実際、司祭にも手傷を負わせてしまった。無傷でやる自信はないし、そもそも、今回も出来るかどうかわからない。 (……大体、レックが妖魔に取り憑かれているかすら、今のオレには把握できてないんだ) ファルケンは、気づけば真っ青になっていた。どうすることもできない。このままでは打つ手なしだ。 「そんな大仰な武器をつかわなくても、短剣ひとつでどうにでもできるんだぜ?」 ふと背後から、そんな声が聞こえ、ファルケンは反射的に身を翻した。短剣の空気を裂く音とともに、翻りざま、にやりと笑うレックハルドの顔が冷酷にゆがんでいた。 ファルケンは、ちりりと痛んだ首筋に手を当てる。一筋、赤く線が走っていたが、ただのかすり傷だ。だが、絶望的な状況に変わりはない。 「やめてくれ……。やめてくれよ、レック!」 ファルケンは、弱音を吐くようにつぶやいた。 「オ、オレには無理だよ。レック」 ファルケンは、呆然とつぶやく。 「助けるのは無理だ……。オレがやると、必ず殺してしまう。まだ、オレには無理なんだよ。無傷のまま、助けるのは」 しかも、あれは相手が司祭だから大丈夫だったはずだ。十一番目の司祭は、もともとは善良な人物だったようだし、それだけに妖魔との親和性が低かったのかもしれない。 だが、レックハルドは違う。人間であり、かつ、心に闇を抱える彼なら、親和性は十分すぎる。それだけに、妖魔だけ切り離すというのは、至難の業だった。ファルケンのようなひよっこにできる業ではない。 「なら、殺せばいいだろう?」 あっさりと、彼はそう答えてくる。 「無理だ! あんたを殺すなんて! オレは、あれだけ助けてもらったのに! ……そんなことするぐらいなら、もう一度死んだほうがよほどましだ!」 「だったら、死ねばいい」 にやりとレックハルドは笑う。 ファルケンは、力が抜けそうだった。どうしようもなくレックハルドだ。どうすればいいのか、全くわからなかった。 「さて、遊んでいるわけにもいかないしな、そろそろ行くぞ!」 レックハルドの唇が歪んだ笑みを象った。ファルケンは、それを絶望的なまなざしで捉えることぐらいしかできなかった。 が、動くはずの彼の足は動かなかった。レックハルドの姿をしたものは、目の前に飛び出してきた剣に動きを封じられる形で、立ち止まっていたのだ。 「な、何をするんだ!」 「約束が違う」 突然、低い声が彼の背後から聞こえた。背後から剣だけをレックハルドの前に出している男は、冷たく言った。 「あいつは俺が殺すという約束だった。……お前は約束を破るつもりか?」 男がそういい、ちらりと視線を投げたとき、レックハルドの姿をしたものは、びくりとした。それほど、殺気だった目だったのだ。 「チッ、お前は相変わらず恐いな。……まぁいいさ」 レックハルドは、そういうと、引き下がった。 「お前に逆らうと後が恐そうだからな」 後ろの人影は、それほど強い妖魔なのだろうか。ファルケンは、レックハルドとの戦いを避けられたという安堵よりも、強い不安を感じた。 何か、いやな予感がする。思い出したくない何かを、思い出させるような、空気のにおいのようなものがあった。いいや、ただの錯覚だろうか。 ふと、男の全身が目に入った。そして、その顔を見たとき、ファルケンは、心底震え上がった。ある意味、レックハルドが目の前に立ちはだかったときよりも、それは恐ろしいものだった。 ――錯覚じゃない! 「うそだ!」 ファルケンは愕然とした。 緑まじりの金髪の狼人。顔を見るまでもない。感覚でいやというほどわかる。そこにいるのは自分だ。ただ、その目は荒んだ殺気をたたえていた。 覆面に使っていた布を解いて顔を見せていので、同じ顔の人物が対面する形になっていた。 だが、相手は妖魔だ。狼人のファルケンには、相手の質がわかる。どろどろした闇の塊が、相手には感じられた。 イェーム=ロン=ヨルジュだ。 ファルケンは、直感的にわかった。相手は、イェームと名乗っていたときの自分そのものだった。 「そうだ。俺はお前がイェームと名乗っていた時の……」 「オ、オレの残留思念……。そ、そんな……」 ファルケンは呆然とつぶやく。 「そうだ。お前が残して、切り捨てていった魂だ」 「違う!」 ファルケンは叫んだ。 「そ、そんなはずない! オ、オレは、あの時、元の場所に戻ったんだ! お前みたいにさまよいだす思いなんてなかったはずだ!」 「黙れ!」 イェームは叫んだ。 「お前の都合などしるものか!」 イェームは剣を突きつけてきた。それも、自分の持っているものと同じだ。イェームは、獣じみた目を少し細めた。 「俺はお前を殺す。……そうしなければ、俺の気がすまない! それだけのことだ!」 「な、何を……」 ファルケンは、全身に冷たいものが走るのを感じた。 「死ね! お前など消えてしまえ!」 イェームは、そう叫び、突然切りかかってきた。後先を考えない、投げやりな攻撃は、それだけ避けにくいものだ。それをかろうじて避け、ファルケンは攻勢に転じた。 待っているわけにはいかない。今の一撃で、相手が自分を殺すつもりであることはすぐにわかっていた。 ファルケンは、相手に突きかかった。だが、なぜか、イェームは避けるそぶりも見せない。飛びかかったファルケンの剣が相手を貫くのに難はなかった。 一瞬、沈黙が訪れた。先に動いたのは、ファルケンのほうだ。恐る恐る目を上げると、イェームの冷たい表情は、まったく変わらなかった。何も変化がなかったわけではない。ただ、変化はイェームではなく、自分のほうにあっただけだ。 ぱた、と水が落ちる音がした。地面などあってないようなものなのに、音がするのか、と、ファルケンは、それどころでないはずなのに、一瞬別のことを呆然と考えた。 「う……く……」 足から崩れそうになり、ファルケンは、思わず剣を離してその場にひざを突いた。押さえた腹部から、あっという間に赤い血が流れ出していた。 「そんな……」 ファルケンは、苦しさに堪えながら上をみやる。 「そんなはずはない!」 ファルケンは唸った。痛みより何より、目の前の事実が、信じられなかった。 間違いない。 確かに相手の体を剣で貫いたはずだった。いいや、手ごたえもあったし、実際自分の目の前に広がっている光景だってそうなのだ。 だが、その瞬間、衝撃が走ったのは自分の体の方だ。実際、血が流れているのは自分であって、相手ではない。しかも、イェームは、一切手を出していない。 「意味がわからないだろうな?」 イェームは、静かに言った。 「俺を刺したはずが、自分を刺したことになっているなんて」 イェームは、わずかに嘲笑をうかべた。 「俺とお前は鏡みたいなものだからな」 「う……、嘘だ! ……そんなはずは!」 ファルケンは、食ってかかった。 「オレとお前は違う!」 「だったら証明してみろ」 イェームは冷たく言った。その瞳が、赤い光を宿している。 「……お前がオレと違うって言う証明を!」 全身に雷を浴びせられたかのようだった。直後、イェームは、容赦なくファルケンの胸に剣を突き刺した。のどからあがってくる生あたたかいものにに悲鳴も上げられない彼に、イェームの冷たい荒んだ視線が突き刺さった。 「お前など、消えてしまえ!」 イェームの目は、憎悪のためか赤かった。一瞬、目の前が赤くなり、ファルケンの意識は急速に遠のく。同時に、どこからか声が聞こえた気がした。 ――こら! なにねてんだ! どうにかしろっつの! ああ、聞き覚えがありすぎるじゃないか。と、ファルケンは思った。 この声は間違いなくレックハルドの……。 ひときわ大きく声は続けた。 ――どうにかしろっていっているだろ、フォーンアクス! 目を開いたとき、こちらを覗き込む青年の顔が目に入った。その不機嫌な顔に、複雑な色の混じり方をした瞳がこちらを見ていた。 そして、その男の名前をファルケンはよく知っていた。 突然、ふっとファルケンの姿が消えたのを見て、ずっと黙っていたレックハルドのほうが口を開いた。 「逃がしたな?」 「あの様子なら、ここにいても、どうせ迷う」 「どうだかね。案外、邪魔が入ったんじゃないのか?」 レックハルドはにやりとした。 「奴が覚醒したから俺たちが追い出されたんだろう。夢から覚めちまったということだ。……それがどういうことかわかってんだろうな?」 イェームは無言だ。レックハルドは、やれやれと肩をすくめた。 「たまには返事ぐらいしてもいいんじゃないか? ……俺たちは、一応仲間じゃないか」 「仲間扱いするな……。俺は仕方なく味方をしているだけだ」 そういわれ、レックハルドの姿をしたものは、ぱちんと指をはじいた。 「そうか。……お前、妖魔になっても、コイツが大切なのか? ……ふん、気にかけてももらえねえのにな。体に死なれちゃ、魂が生きててもどうしようもねえからなあ」 そういって、レックハルドは自分の胸を指差した。 「それとも、アレか。コイツが、お前が正気を保つよりどころっていうわけかい?」 「黙れ! それ以上言うと……」 イェームが、かっとしかけたとき、いきなり、空気が変わった。 いや、変わったのではない。誰かが入り込んだから、空気の質が変わった気がしたのだ。 そして、イェームは気づいた。この空間に紛れ込んでいる、一人の男の姿が。濃紺のコートに、派手な飾り帯をだらりと巻いた男。その男が人間でないのは、すぐにわかった。 そして、その男は、ファルケンや自分とは、比べ物にならないのもわかっていた。 「……誰かが混じっている」 「……誰が?」 「それは……」 答えかけてイェームは、それをためらった。ただ、どこかおびえるようなそぶりが、彼には珍しかった。少し、ためらった後、イェームははっきりと言った。 「ひとつ確実なことはアイツに見つかると、俺たちは消されるってことだ」 間違いなく。と、イェームはつぶやいた。 そうだ。彼は過去の汚点を残すはずがない。必ず、見つければ自分を消しに来る。彼の行動はよくわかった。なにせ、彼は……。 イェームは考えるのをやめた。考えれば考えるほど、恐ろしいことしか頭に浮かばなかったからだ。 一覧 戻る 次へ このページにしおりを挟む 背景:NOION様からお借りしました。 |