一覧 戻る 次へ


   


辺境遊戯 第三部 


時空幻想-10



 何も風景のない場所だった。ただ、歪んだ虹色の空と地面が、複雑に渦を描きながら交じり合う。ずっとこんなところを眺めていると、気が狂いそうだ。
 ファルケンは、足を一旦止めて、肩から剣を抜く。装飾の多い片刃の刃物は、虹色の空を反射してか、複雑に光った。
「……フォーンアクスは……」
 ファルケンは、ぽつりと呟いた。
「どうして、これを手放したんだろう」
 師匠の言うとおり、危ないからだろうか。けれども、それは、彼の性格を知るファルケンには不自然な気がした。
 あの非常識で暴れ者のフォーンアクスが、そんなに怖気づくだろうか。危険なことになれば、なるほどに、やる気が起こるところのある彼なのに。フォーンアクスには、何かほかの理由があるのかもしれないと、ファルケンは不意に思った。
「解除の呪文っていったって、要するに、ここでその気になって剣を抜くっていう、そういうことなんだろうけど」
 ファルケンは、恐る恐る剣を持ち上げる。装飾の多い、どこか芸術的な剣は、まるで実用に向いていないように見えることもある。実際、結構使えるはずなのだが、斬っているのが妖魔であることが多いから、ファルケンも、実際切れ味がどうなのかはわからない。
 そもそも、戦い方をちょっと学んだぐらいのファルケンだが、剣自体に関してそんなに興味がなかったので、素人も同然だ。大体、今でも、フォーンアクスみたいには好戦的になれないので、ファルケンも必要がなければ今以上に強くなりたいとは思わない程度なのだから余計だろうか。
 ただ、手先が器用で、ひそかに芸術がわかる彼には、芸術品としては、その剣は特級だということはわかっていた。この剣は、何か特別なものがある。その特別さは、少し薄ら寒いものがあるような感じだった。いやに完璧なつくりだ。装飾ひとつに魂を込めるような……。
 この剣は、大昔の人間の鍛冶屋が、辺境の魔力を借りて作ったとかいうけれど、一体何を考えて作ったのだろう。
 ファルケンは、不意にそんなことを考えた。
 辺境の平和のため、人間の世界のため。これを使うべき狼人への友情のため。それとも、彼らによって守られる自分の愛する人のため。
(でも)
 ファルケンは、急に不安な気分になった。なぜか心がかき乱されるような気分だ。
(……どれもが違う気がする)
 その原因はわからないが、ファルケンは、ふと、フォーンアクスがこれをもちたがらない理由の一端をつかんだ気がした。
 ちらりと、剣についている宝玉が光った。ファルケンは、目をしばたかせて、それを見やる。
 一瞬、意識がふわりと遠のくような感覚がし、宝玉の光が二重に見えた。めまいのように、くらりとゆれる世界は、もとより歪んでいるのにもっと歪んで見えていた。
 そんな彼の耳に、突然空気を切り裂く音が聞こえたのは、その直後のことだ。
(いけない!)
 ファルケンは、狼人特有の敏捷さで身を翻す。判断は遅れたはずだったが、彼らの動きも反応も早い。飛んできた何かは、普通の人間なら、当たっていて当然のはずだった。それは確実に首を狙ったものだ。それが細い短剣であることをファルケンは、目の端で見た。
「誰だ!」
 ファルケンは叫びながら、持っていた剣を引いた。突然、哄笑が沸き起こった。その姿が、虹色の闇の中からどろりと現れた。
「よく避けたな」
 その声にびくりとする。姿を見るのが恐かったが、見ないわけにもいかない。絶句したファルケンが凝視する先で、それは形を作っていた。
「狼人はさすがに反応が早い。見くびっていたぜ」
「……な、何で……!」 
 ファルケンは、思わず声を上げた。
「あんたがこんなところにいるわけがない! こんなことをするはずがない!」
「なんだ、その言いようは」
 彼は、いつものような顔で笑った。
「つれねえことをいうな。……オレが偽者だとでも思っているのか?」
 細くて鋭い目に、皮肉っぽくわらった口。それが彼と同じ発音で同じ言い方で、彼と同じ身なりと外見で明らかに彼のように振舞うのが、ファルケンには恐かった。
 ここに、彼が来たということが、どういうことであるのか、ファルケンにはわかっていたのだ。つまり、ここに来た相手が、フォーンアクスがいっていた試練の相手だということを。
「名前だっていえるぜ、”ファルケン”」
 レックハルドの姿をしたものは、唇を引きつらせて笑った。
「……お前には死んでもらわなければいけねえんだよ」
 全身に悪寒が走った。
 ――どうして、そんな笑い方で同じ声色でそんなことを言うんだ!
(に、偽者だ)
 ファルケンは、そう言い聞かせた。
(偽者に決まってる!)
 けれど、レックハルドは、ここに引き込まれていなくなったのだった。ここにいる彼が本物でないという証拠はなかった。
 それに、大体、ひとつはっきりしていることがある。妖魔の影は確かに見えるが、目の前のレックハルドは、不定形の妖魔が姿を変えて彼に化けているわけではない。つまり、そこに実体がある。
「どうしたんだ? ……見分けがつかないのか?」
 レックハルドの姿をしたものは、嘲笑を浮かべた。
「さて、オレは、お前の予想通り、偽者かね。もしかしたら、ここにきてイカレちまった本人かもしれねえし、妖魔かもしれねえし、もしかしたら妖魔に体をのっとられたお友達かもしれねえな。さて、どれが正解だろうな」
「う、うるさい」
 誘惑するような声色に、ファルケンは否定の声を上げるが、その声は弱かった。
「おまえ自身、やはり、見分けがついてないな? オレに強くいえないのは、そのせいだろう?」
 彼は、にやりとする。
「まあ、確かなのは、どういう方向であれ、失敗するとホンモノさんも死ぬってことだがなあ!」
「だ、黙れ! 黙れ!」
 ファルケンは、そう叫んだが、心の動揺は抑えきれなかった。剣を持った手が震えているのは、遠めからでもわかる。かたかた音が鳴っていた。
「う、嘘だ……」
 ファルケンは、呆然と呟いた。
 妖魔が言ったのが、信憑性を帯びてきていた。つまり、この妖魔、いいや、妖魔かどうかわからないが、すくなくとも、目の前の人物は、レックハルドではあるのだ。操られているのか、それとも、本当に発狂したのか、どれかはわからないが、レックハルドには間違いない。
 それに気づいたとき、ファルケンから、ほんの少し残っていた戦意が消え、すぐに恐怖に変わった。
『やめてくれ……。そんなことは……』
 思わず、辺境古代語(クーティス)で呟きがもれる。
 まさか、師匠が止めたのは、こうなることを予想していたからだろうか。そうだとしたら、レックハルドを助ける方法などあるのか。
「さあて、時間がもったいないし、そろそろ始めるか?」
 「レックハルド」は、そんなファルケンを無視するかのように楽しそうに言った。
「ここから逃げることができないのはわかってるだろうな? お前がオレを殺すか、オレがお前を殺すかしないと、終わらないんだ」
「じ、冗談は、もうやめてくれ……。頼むから……! レック……」
 ファルケンが小声で懇願するように呟いたが、彼は冷徹に告げた。すでに右手の指には、短剣が何本も並んでいる。
「さあ、とっとと死んでくれよ、親友」
 その声は、絶望的にレックハルドのものだった。


 
 いきなり、差し出しかけた足が、砂にとられてレックハルドは焦った。ちょうど、きつい傾斜のがけのようになっている坂だ。様子をみてくると先にいったのはよかったが、もはや足をとられて体勢が立て直せる状況ではなかった。
「うおおっ!」
 レックハルドは、慌てて受身をとって、そこに転げた。腰を打ち付けて、そこをなでながらレックハルドは起き上がる。たいした怪我ではないが、痛いことは痛い。
「い、いてて……」
「大丈夫でしたか?」
 上のほうから、メアリーズシェイル=ラグリナが、心配そうな声、といっても、実に無邪気な声でそうきいてくる。
 赤い髪に大きな瞳、少し自分より年上らしいマリスによく似た容貌の女は、先ほど道連れになったばかりだ。
「だ、大丈夫です、大丈夫」
 まさか足を滑らせたなんていえない。レックハルドは、慌てて笑顔を浮かべた。
「私もそちらに参ります」
 メアリズはそういうと、さっとそこから飛び降りて、ちゃんと軽やかにそこに着地する。なぜだろう。その姿に、ファルケンやレナルなどの、狼の香りを感じた。
 正直、自分が転んだがけを女の子にさらりと越されるのは、とても恥ずかしいことのはずだったが、そのせいか、なぜか違和感がわかなかった。この人は自分なんぞより、よほど身体的能力に優れている。それが当たり前だと、無意識に思った。
「でも、ここ、ちょっとさっきの風景と違いますね」
「え、あ、ええと……」
 レックハルドは、はっと我に返った。実は、さっきまでメアリズに見惚れていてそれどころでなかったのだ。風景風景、と、慌てて首をめぐらせて、レックハルドは、驚いた。
「さっきの上は、黒い平坦な砂の世界だったのに、ここの風景は……」
「本当の砂漠みたいだ」
 レックハルドは思わず呟いた。砂は黒いが、ここは少し違う。まばらに草が生えていて、かすかだが薄紅の色のついた小さな花が咲いていた。あの絶望的に何もない世界とは違い、ほんの少しだけ命の暖かさを感じられる場所でもあった。
「不思議ですわ。でも、景色が変わったってことは、きっと、何か違うところに出たってことですね。なにか道が開けてきた気がしますわ」
 メアリズは、そういって明るく笑った。
「あなたのお友達も、こういうところにいるなら、けしてつらいばかりじゃないでしょうし、よかったですわね」
「え、ああ、そうですね」
 レックハルドは慌てて答えた。考え事をしていたので、返事が遅れたのだ。
(本当に……どうしてこんなところにいるんだよ)
 レックハルドは、ため息をつきたい気分だった。
(……あの時、全部昇華されたんじゃなかったのか、お前の怨みも感情も)
 そんなに簡単なものではないのかもしれない。自分だって、過去の感情をひきずったりしているじゃないか。レックハルドは、そうも思いながら、そんなことを考える。
 彼自身は、あれからなにか悟りでも開いたかのように、明るくなって強くなった。けれど、もしかしたら、その代償に追い出したものがあったのかもしれない。
 もしかしたら、レックハルドが、ここにいる「彼」を助ける必要などないのかもしれない。ただのおせっかいかもしれない。しかし、あの時、助けてくれといわれたのも確かだった。レックハルドは、それを見捨てるに忍びなかっただけかもしれない。
「心配なさらないで」
 ふと、メアリズが、レックハルドの心を呼んだかのようにそんなことを言った。
「あなたのお友達は大丈夫だわ」
「あ、ああ。……いえ、すみません。オレは……」
 レックハルドはとっさにそう答えて、慌てて明るい声で言った。
「そ、そうだ。こういうところで、暗い話もなんですよね。あの、何かお話を……」
 といっても、レックハルドに具体的な話があるわけではない。マリス相手にもそうだったが、レックハルドは、何を喋っていいものやらわからなくなり、思いつきで聞いてみる。
「あ、あの、メアリズさんは、どういう食べ物が好きですか?」
「そうですね。甘いものが好きです」
「そ、そうですか。オレはチーズが……」
「ああ、あの溶けかけのところを食べるととてもおいしいですよね」
「そーですよねー」
(オ、オレは何の話をしてるんだ)
 レックハルドは焦る。
(何、こんなアブねえところで、街中でデートみたいな会話してんだよ。どまで馬鹿なんだ?)
 よく考えると、これから先に何も希望的なものは待っていないわけだ。ファルケンは来ない、おまけに「あいつ」がいるはずで、このメアリズだって本当は味方かどうだか。魔物に誘惑されているのだとしたらどうしよう。
「どうかなさりました?」
「あ! いえっ! 何でも」
 大きな瞳で覗き込んでくるメアリズに、レックハルドは慌てて首を振った。
「で、でも、こうして見ると、殺風景なだけでもなさそうですね、ここは」
「ええ。そうみたいですね。何か、お弁当でもあったらよかったですね」
「そ、そうですねー!」
 もう馬鹿でも何でもいい。レックハルドは、一時の幸せに浸る気になった。それに大体。
 レックハルドは、彼女の顔を覗き見て、思わずほっと息をついてしまうのだ。
 ちょっとだけ雰囲気は違うけれど、それでも、彼女はまるでマリスだ。彼女と一緒にいると安心する。いつか、ファルケンがそんなことを言っていたが、確かにそうだと思う。
(もし、この人が魔物だったとしても……)
 自分より、少し年上に見える女性の、透明なガラスのような瞳を見やりながら、レックハルドは思う。
(もし、それを見抜けなくても、それは仕方がないことだ)
 そのときはあきらめよう。そういう風な気分になってしまった自分が馬鹿なのだから。
 本当にマリスだけは駄目だ。あの人だけは、特別だった。
 レックハルドはため息をつく。本当に、マリスに会うまで、自分はこんな風に意気地のない男だと思わなかった。それまで、レックハルドは、女に対して、どこまでも優しく、そして徹底的に冷たくなれる男だった。遊んで一週間で捨てたというのは周りの誇張だが、そういううわさがたってもしかたのないことをしていたのは確かだ。口先だけなら、どんな口説き文句をいうことだってできたし、逆に切り捨てるのも簡単だった。なぜなら、そこに心からの感情がないから。
 だが、マリスだけは駄目だ。あの瞳に見られると、何も返せなくなってしまう。冷たい言葉など、かけられるわけがないし、逆に甘くくどくこともできない。ただ、彼女の話をきいて、うなずく以外できなくなる。本当は、遠くから見ているだけで十分だった。見ているだけでも。
 マリスと会ったことで、必要以上に大人すぎたレックハルドは、ただの十八の青年に戻ったのかもしれない。それが彼をファルケンを含めて、辺境にかかわらせた大きな原因だったのかもしれない。
(街のごみためで死ぬか、奴隷になって酷使されて死ぬより悪い状況にはならないよな)
 レックハルドは苦笑した。マリスと会わなければ、自分は最低な人間のまま、最低な死に方をしただろう。今の状態は、そこから比べるとひどく贅沢なのだ。ファルケンは、ちょっと困った奴だが、結局のところ自分を理解してくれるし、マリスもちょっと恋愛成就には程遠いけれども、傍で笑ってくれる。
 だから、そういう自分になれた要因になったマリスを疑うことだけはしたくなかった。レックハルドは、覚悟を決めた。
「あら!」
 ふと、明るく声が飛ぶ。
「あんなところに、何かみえますわね。オアシスかしら?」
 突然メアリズの声がした。彼女は一向に魔物になる気配もない。大人びているくせに、思わずどきりとするほど無邪気な笑みを浮かべるままだ。メアリズの指し示す方向には、確かに、オアシスといってもいい、緑の濃い場所があった。ここにきて木を見たのは初めてだ。
 しかし、ここは変な場所だった。先ほどまでオアシスなんて見当たらなかったのに、急に出現したようだ。
「いってみますか? 何かあるかもしれません」
 メアリズは、首をかしげる。
「そうですね。じゃあ、いってみましょう」
 レックハルドは、そう答えると、メアリズに先駆けて足を進めた。
 




一覧 戻る 次へ


このページにしおりを挟む 背景:NOION様からお借りしました。