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辺境遊戯 第三部 


時空幻想-9


 いやな沈黙が場を満たしていた。
 森の中にいても、仕方のないことはすぐにわかったので、ファルケンは、師匠とビュルガーとともに、「離れ島」についていた。離れ島は、時空のゆがみさえ見つければ、彼らのように能力を持つものなら、どこからでも行くことができる。
 紫色に歪んだ空が、この世ならぬ風景を描きながら遠ざかる。ここにあるすべては作り物の幻だ。大昔、ここにたどり着いた狼人の魔術師が、あまりにここが殺風景なのを憂慮して、ここをそれなりに住みやすくしたという話である。そうでもしなければ、正気を保っていられなくなる場所であるからだ。
 離れ島のふわふわした、独特の空気に包まれながら、ファルケンは師のハラールと向かう形になっていた。側では、ビュルガーが不安そうにそわそわとしている。
 その向こうでは、すでに離れ島にやってきて休んでいたらしい、メルキリアとツァイザーが立っていた。ハラールを探していた彼らは、その姿を見ると少々安堵したようだが、それどころでないファルケンの様子にしばらく事の成り行きを見守っていた。
「行くのか、ファルケン」
「それしか方法がないよ」
 横で黙っていたビュルガーにそう答え、ファルケンは彼に背を向けようとしたが、すぐに、それを声が追ってきた。
「彼を追ってはいけない」
 穏やかな声は師のものである。一度立ち止まり、ファルケンはハラールを振り返った。
「彼は闇にとらわれたのだ。時の狭間にいるはずなのだよ。だから、彼を追うと、君は間違いなく出会ってしまう」
 ハラールは、心配そうに言った。
「出会ってしまったら、どうなるというのですか?」
 ファルケンはそうたずね返す。
「もしかしたら、君はあの剣を使えるようになるかもしれない。フォーンアクスが、あの剣を使うには、狭間で封印をとけばいいといっていた。しかし、それは危険すぎるんだよ」
「……どうしてですか?」
「いっただろう。試練とは、常に過酷なものなんだよ。君がどうなるか、私には保証できない。君が死ねば、彼はどうなるか、前のことでわかっているはずだろう?」
 ハラールは、なんとなくいたわるような口調で言った。だが、それが何を意味するのかも、彼はわかっているのだろう。
「それは……」
 ファルケンは、唇を噛んでから言った。
「それでも、レックを今見殺しにするよりはマシです」
「でも、ちょっと待ちな」
 茨のメルキリアが、少年のような鋭い瞳を瞬かせて、ふと話に入ってきた。この、男装の妖精は、華奢な腕を組んだままはっきりと告げた。
「あんたの今の状態じゃ、無理かもしれないよ。……相手が誰だか、あんたはわかっていないんだろうけど……」
 メルキリアは、改めて言い直す。
「ああいうのは、厄介すぎる。……本当の妖魔の祓い方もわかっていないのに、手を出すと、あんた自身が危険なんだよ。そんなので行っても、役に立たないかもしれないじゃないか。使い方を覚えてすぐに助けにいこうなんて、付け焼刃もいいところさ」
「そ、それは……わかっているけれど、でも、オレは……!」
 ファルケンが何か言い募ろうとしたとき、いきなり、素っ頓狂な声が響き渡った。しかも、向こうに仮の休憩小屋としてたてている掘っ立て小屋のほうからだ。
「あーっ! 俺が溜め込んでおいた干し肉がなくなってるー! 食べたのツァイザーだろ!」
 その声に、メルキリアが眉をひそめる。
「狐のフォーンアクスだな。さっきまでいなかったのに」
 ぽつりと、今までずっと黙っていたツァイザーが口を開いた。
「いつも、とんでもない場面に飛び込んでくるな」
「なんでえ、シカトしやがってよ!」
 ツァイザーの小声ぐらいでは、聞こえなかったのだろう。フォーンアクスは、そう大声に言いながら、小屋の方から姿を現した。
 相変わらずの、ばさばさの長髪と、大きいが鋭い瞳。狼人として精悍なほうにはいる顔つきは、ファルケンのそれとよく似通っていた。ただ、どちらかというと、大人しい印象もあるファルケンとは違い、フォーンアクスは一目で乱暴者だとわかる荒々しい顔つきをしている。ただ、彼の場合、その乱暴さは実に単純なものだから、妙に憎めない印象もあるのは確かである。
 そのフォーンアクス、狐のフォーンアクスは、実にわかりやすい表情をうかべたまま、ツァイザーのほうにやってきた。
「オレ様が集めて隠しておいたアレ、食ったのお前だろ、ツァイザー」
 そう決め付けてくるフォーンアクスだが、ツァイザーは冷静である。ゆったりと首を振った。 
「失礼な。私ではないぞ。自分で食べたのを忘れたのではないのか」
「そんなわけねーだろ。オレは記憶力がむちゃくちゃいいんだぞ! 千年前のことだって、覚えてらあ!」
「三日前の晩御飯がなんだったか覚えているか?」
 ツァイザーに無表情にきかれて、フォーンアクスは、うっと詰まる。
「う、うるせえっ! よ、よ、余計なことは覚えてねーんだよ!」
 あー、畜生、細かいことばっかり言いやがって! フォーンアクスは、そう続けてぶつぶついいながら、改めて気づいたようにあたりを見回した。
 あたりには、メルキリアからハラールにビュルガーまでいる。だが、その表情が、一様に明るくないので、フォーンアクスはきょとんとした。
「なんでえ、みんな集まったと思ったら、シケた顔しやがってさー。なんでえ、辛気くせえな。ファルケンでも死んだのかよ」
 そんなとんでもないことを言い出すフォーンアクスに、メルキリアが慌てていった。
「当人がいる前で、そういうこというんじゃないよ!」
「はあ、当人? ん?」
 フォーンアクスは、ちょっと目を細め、ようやく奥にいるファルケンを見つけた。
「アレ、なんだよ、お前、生きてたのか?」
「あのねえ、フォーンアクス、そういう言い方は……」
 メルキリアにとめられたが、フォーンアクスといえば、平気そうに続ける。
「今頃になって、自分の無力さを痛感して、封印のどうこうってんじゃねえだろうな。今から時の狭間で修行だーとかそういう」
「それもあるのだが、……彼の友達が妖魔に巻き込まれて狭間に姿を消してしまったんだ。それを探して、おまけに助けるには、今の力では不十分だからね」
 ハラールが、そう補足すると、フォーンアクスは、なるほどなーと、金色なのでさほど目立たないあごの無精ひげをなでやった。
「まあ、どっちにしろ、そういう気持ちで「狭間」にはいりゃー、その封印も解けちまうようにしてるから、それはいいんだろうけどよ」
フォーンアクスは、遠慮なくずばりと言った。
「いっとくが、今度死んだら終わりだからなー。あん時は、呪いがかかってたから運良く助かったようなもんなんだぜ。色々偶然が重なって助かっただけなんだ。今度もそうやっていけると思ってたら大間違いだぜ」
 フォーンアクスは、そういって例の無遠慮な言い方を続けた。
「わかってんのか。今度は、ハラールだって助けられねえんだぜ。オレはぜってえ助けねえし。てめーの力だけでどうにかなるって、相変わらず思い上がりじゃねえの? その友達とやらが、うまいことこっちの近くにでてきたら助けてやるとかどうなんだよ。まあ、普通の人間は大概いかれちまうけどな」
「フォーンアクス! そんな言い方ないだろ」
 さすがに、メルキリアがもう一度止めに入る。
 ファルケンは、というと、フォーンアクスのほうを見たまま、さきほどからだんまりだ。服装とヒゲが変わったぐらいで、一見した感じ、フォーンアクスには、昔と差がないような気がしていた。
「あんた、ファルケンだって大変な……」
「わかってるよ」
 メルキリアの声とファルケンの呟きは同時だった。
「別にオレだって都合よくどうにかなるとか、そういう風には思ってないよ。……あのときだって、今だって」
 ファルケンは、臆せずフォーンアクスのほうを見ていった。さすがにフォーンアクスも、む、と彼の方に目をやる。
「でも、見殺しにはできないだろ! ここや、あそこは、人間にはいけない場所なんだってこと、あんただってわかってるんじゃないか! オレだって、あんなふうにおかしくなったのに、普通の人間がまともでいられるわけがないってことぐらい!」
 ファルケンは、声を高めた。
「確かにオレがどうかなれば、レックだって危ないのはわかってる。でも、今このままでも充分危ないのもわかってる。今殺すのも、後で殺すのも結局一緒かもしれないけど、それでも、可能性の高い方に賭けるしかないんだ! やらないよりは、やった方がましだっていうのは、アンタの口癖だったよな、フォーンアクス!」 
 ファルケンはそう噛み付くようにいって、フォーンアクスをにらみつける。感情がたかぶっているわりに、碧色の瞳は揺れず、まっすぐに彼を見ていた。その瞳には曇りがない分、妙な気迫が感じられるようだった。
 彼よりまだ背の高いフォーンアクスは、しばらくファルケンを見ていたが、そのうちにやりとした。
「へえ、ちょっとはマシな面するようになったじゃねえか」
 フォーンアクスは、組んでいた腕をはずして、腰に手を回した。
「暗い顔して、殺す殺すとか言ってたときのてめえより随分マシだよ。まあいいぜ。好きにしな。そういう面してるなら、死んでもちゃんと成仏できそうだしな」
 ファルケンは、一度瞬き、フォーンアクスの真意を探ってみる。今まで決して、彼はその方法について一言も教えてくれなかった。聞いても、頭から相手にしてくれなかったことが多かった。フォーンアクスは、だが、そんなファルケンを見るでもなく、あくまで彼らしく一方的に話をはじめた。
「封印なんて大げさなものじゃねえ。本人が使おうと思えば、簡単に解けるもんだ。ただ、ハザマでないと解けないように、オレがしてただけのことだぜ。単なる解除の呪文をとなえりゃーいいだけだ」
 それで、と、彼はファルケンのほうに向き直る。
「お前の場合、そこに入ったら『向こうさん』からやってくると思うけどな。……でも、そいつがどういうのかはわかんねえ。オレとお前とは違うからな。オレと同じものが湧くとはおもえねえし。ただ、そこでそれと戦って勝てばお前の勝ち。それに勝った時点で、あの剣の使い方なんて自然とわかってるぜ」
「わかった」
 ファルケンは、どこか安堵したような顔になり、うなずいた。
「それで、使い方を覚えれば、どうにかなるかもしれないな。すぐに助けにいけるのかも」
「楽天的だな。まー、いいや。いくからには戻ってこいよ。正直、オレは厄介だからたすけねーからな」
「わかってるよ」
 冷たいフォーンアクスの言いように、ファルケンは、力強くうなずくと、彼らに背を向けた。
「それじゃあ、オレは行って来ます」
 ハラールに、そう声をかける。
「気をつけておくれ、ファルケン」
ハラールは不安そうだったが、特にそれ以上引き止める様子もない。ビュルガーが、心配そうに後ろから眺めているのがわかった。
「大丈夫です。行って来ます」
 そういい、ファルケンは、思い出したようにフォーンアクスのほうを振り返った。フォーンアクスは、というと、再び干し肉のことを思い出したらしく、メルキリアとツァイザーに、あれはあそこにあったのに、お前達が食べたんじゃねえのか、と詰め寄っているところだった。
「フォーンアクス」
 呼ばれて、面倒そうに彼はファルケンのほうを見る。
「なんでえ。何か文句でもあるのかよ」
 いや、と、ファルケンは首を振った。
「恩に着るよ、ありがとう!」
 いきなり礼を言われるとは思っていなかったらしい。フォーンアクスは、きょとんとした。ファルケンは、今度は振り向きもせず、そのまま駆けていった。五十メートルも行かないうちに、彼の姿はふわりと紫色の空間に消えていく。一見岩があるように見えるのだが、それは幻のようだった。
 すっかり、ファルケンが見えなくなってから、フォーンアクスは、ようやく目をしばたかせた。
「あれ? なんか、変じゃなかったか?」
「なにが?」
 干し肉のことはわすれたらしい。だったらありがたいとばかりに、メルキリアは、淡白に答えた。フォーンアクスは、それどころでないらしく、なにやら考え込むようにしながら訊いた。
「なあさあ、アイツ、あーいう素直な奴だったか?」
「どうもそうだったらしいんだよ」
「へえ〜、なんだ。随分変わったな」
 そう呟き、フォーンアクスは、小首をかしげて唸った。
「あー、ちょっと、言い過ぎたかな……。なんか、凹んでるのわかるし、ちょっと罪悪感かんじるなー。ああいう奴なら、もうちょっと優しくいってやりゃーよかったなー。だって、前みたいに、生意気なこと言うと思ったから……」
 フォーンアクスは、本当に彼としては珍しく、そんなことを言った。ハラールのように常時大人しければ、散々ひどいことをいえるのだが、フォーンアクスは意外性と変化に弱い。思わぬファルケンの態度の変化のせいか、珍しくちょっとは反省したようだった。
「それにしても、よく行かせる気になったね」
 メルキリアが、ぽつりと言った。
「アレ、あんたが使ってた剣でしょう。あんたがあれに封印して、しかも、手放してるっていうのは、よっぽど危ないからだろ? 今まで、ファルケンにその使い方すら教えてやらなかったのは、あいつがどうなるかわかってたからだろ?」
「そりゃ、まあ。アブねえっつーとアブねえよ。オレなんか、アレ使ったとき、最初三日間ぐらい記憶飛んでたし」
 フォーンアクスは、頭をかきやりながらそんなことをいった。
「でも、まあ、本人がああいうし、……それに、結構大丈夫そうな感じがしたから、まあいっかなと」
「へえ」
 メルキリアは、そうそっけなく答えたが、フォーンアクスの意中はわかっていた。フォーンアクスは、ファルケンを信用したのだろう。こういう奴なので素直に言わないが、彼は彼なりにファルケンを認めたのだ。フォーンアクスは、めったに他人を認めないので、よっぽどのことだったに違いない。
「あ、でも、オレがあれをもちたくねーのは、そういう理由からじゃねえよ。アブねえからもたないんじゃないぜ。勘違いするなよな」
 フォーンアクスは口を尖らせるように言った。
「へえ、じゃあ、どうしてもたないんだよ?」
 メルキリアに聞かれて、うーん、と彼はうなった。
「ありゃ、友達の形見なんだもんよ。オレだってできるなら持ちたいとは思うんだけど……」
 そういってから、フォーンアクスは、一瞬だけ、らしくもなくまじめな顔になった。
「あれはオレにとっちゃ、裏切られた痛え思い出のシロモノだからよ」
 意外なことを聞いた。他の面々がどうだったのかはしらないが、初耳だったビュルガーは、彼の顔をのぞきやるが、フォーンアクスの顔色からは、それについての思い出がどういうものなのか、うかがうことはできなかった。もしかしたら、そのときに見ていたら沈痛な顔でもしていたかもしれないが、フォーンアクスの興味は、一瞬で別のところに移っていたらしいのだ。
「あ、そういや、さっき、レックとかいってたよな?」
「え、ああ、そうだったね」
「レックって、もしかして、レックハルドって言う名前の略か?」
「よく知っているんだね。フォーンアクス」
 いきなり口をはさんできたハラールが、珍しいこともあるものだ、という顔をしたので、なんとなくその意を汲み取ったのか、フォーンアクスはハラールの額をドンと突く。
「わーっ、お師匠様!」
「知り合いにいたから、思い出しただけだ」
 そのままひっくり返るハラールにビュルガーが慌てて駆け寄るが、フォーンアクスはまったくの無視だ。まるで、ハラールなどいなかったかのような扱いである。
「レックハルドってえのは、一応は懐かしい名前なんだよなー。久々に思い出したぜ。そういえば、あいつもレックとか呼ばれてたよなあ」
 フォーンアクスは、思い出したように呟いた。
「すげえむかつくいやな奴だけど……」
 フォーンアクスは、眉根を寄せて、首を軽くかしげた。
「まさか、アイツじゃねえだろうな。……まさか、とは、思うけど、あいつが『あのとき』の約束を守ってるとか、そういう話は……」
 少しだけ考え込んで、すぐにフォーンアクスは手を打った。一転、からっとした顔になった彼は、能天気な声で言った。 
「ま〜、あんな血も涙もないような、どケチの細目冷血漢にかぎってそんなわけないか! わははは、オレの勘違いだなッ!」
 フォーンアクスは明るく笑い飛ばし、すっかりとそのことを忘れたようだった。ただ、なにやら事情を知っているのか、ツァイザーだけが何か感慨にふけるような顔をしただけである。
 




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