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辺境遊戯 第三部 


時空幻想-6


 彼女には不思議な力があった。
 だから、彼女は、いくさ場に立つことになったといっても、過言ではない。自身の武芸の腕も相当なものだったのだが、それだけで、彼女がとりたてて特別だったわけではない。まるで戦場を駆け巡る女神のように、そんな風に彼女を扱うように周りがなったのは、ただ外見や実力だけではなかった。
 長い髪の毛をたなびかせ、彼女はちょうど立ち上がったところだった。
「そろそろお時間でございます」
 天幕の外に控えている男の声に、彼女は剣を帯びながら答えた。  
「わかりました。いきます」
 その声は、とても可愛らしいものでもあるが、爽快さを伴うような凛々しさを含んでいた。マントをひらめかせながら外に出る彼女の様子は、少年兵を連想させるところもある。
 そんな彼女の後ろにつき従う兵士は、何故か戦場の只中なのに、落ち着いた様子をみせていた。一見、空気が強張っているような場面なのに、そこには独特の安堵感があった。
 それが、彼女の力の一つといえるかもしれない。彼女の周りにいれば、何故かホッと安堵するのだ。
 顔立ちはかわいらしいし、服装さえ変えていれば戦士にはとてもみえない娘だったが、彼女には、何故か狼の気配がした。妖精というほど優美で魔術的な存在ではない。どこか狼人と共通した穏やかな中に潜む、荒々しく凛々しい野生を感じさせるところがあったのかもしれない。
 それに、彼女の優しさとあいまって、独特の安堵感を生み出していたのだろうか。
「あら?」
 彼女は、ふと首をかしげた。地面に違和感を感じたのか、そこで立ち止まり、軽くつま先で前の地面を確かめる。
「どうなさいましたか?」
 男達のひとりが怪訝そうに言った。彼女は顔を上げていった。
「なぜかしら、そこの地面に、何か段差のようなものがあるような気がするの」
 そういわれて、男達は慌てて目の前を確かめるが、彼女のいっているようなものはなかった。
「いえ、我々にはそのようなものは……」
「変だわ」
 女は眉をひそめた。少女の面影をかすかに残した顔に、一抹の不安が覗く。やはり、周りのものが見えないのに、彼女には地面に段差、いや、よく見ると、段差ではない、まるで亀裂のようなものが見えるのだ。いいや、彼女にだって完全には見えていないのだから、普通の人間にはそもそも見分けるのは難しい。
「お疲れなのでしょう? お休みになっては」
「いいえ、……コレは……」
 彼女は、少しだけ考え、それから首を振った。
「いえ、大丈夫です。きっと見間違えなのでしょう」
 そういって、彼女は周りに微笑んでみせる。そうすると、周りも少々安心して、何となく雰囲気が和やかになった。
 けれども、彼女にはわかっていたのだ。その亀裂が何を意味するか。
(サラビリアさまなら、きっとお分かりなのでしょうけれど)
 残念ながら、彼女には、ソレをそれ以上どうにかする力はない。ただ、彼女は、周りの人間がそれに近づかないようにしないとならないと思った。
 ――あれは闇の手が届く場所であるのだ。あそこから、闇にさらわれるものが出ないとも限らない。
 そして、それがとても気になったのだ。あのねじれた亀裂の向こうで、誰かが助けを呼んでいる気がした。それが、なぜか、ひどく気がかりで、後で少し調べなければならないと思った。

  


「だ、大丈夫ですか、シーティアンマ」
「うーん、ここ二、三日の記憶がないような気がする」
「レックが殴ったりするから……。もっと丁寧に扱ってあげないと」
「……ガラス製品じゃあるめえし、狼人なんて人間が殴ったぐらいでどうかなるもんじゃあねえだろうが」
 レックハルドはそんなことをいいながら、まだやたらと気が抜けるハラールの様子を忌々しげにみやる。
「でも、殴られたおかげで、ようやく色々思い出せた気がするよ。よかった」
「え、二三日前の記憶はなくなったのに?」
 それは、よかったと喜んでいいものだろうか。とりあえず、不幸中の幸い、といえるぐらいではありそうだが。 
「……一回、谷底にでも突き落とした方がいいんじゃないか、こいつ」
「ま、まあまあ」
 未だ機嫌の悪いレックハルドに気を遣いつつ、ファルケンは師匠のほうをみた。
「そ、それじゃあ、オレのことは思い出してくれたんですか?」
「ああ、ファルケンだろう! 元気そうで何より!」
 ハラールは、屈託なく笑って答える。果たして、ファルケンが、この前までなにをやっていたか、覚えているのだろうか。そういう不安が頭をよぎるほどに、何も考えていない笑みだ。
(コイツ、本気で頭の中の花畑が咲き乱れてやがる!)
 演技でここまでできるものはいない。狼人はたいてい厄介な奴しかいないが、これはまた特級で厄介なものを拾ってしまった。
「なんだか謝るタイミングを失ったオレはどうすれば……」
 そんなレックハルドの思いを知っているのかいないのか、なにやら、落ち込んだようにファルケンは呟く。
「いいんじゃねえの。さっき言ったのでわかってるよ、向こうは」
「そ、そういうものかなあ。というより、さっきのことは、レックに殴られて忘れてるんじゃ……。二、三日前まで記憶が飛んでるわけだから」
「それもありそうだが、まあ、もういいんじゃねえの」
 どうせ、謝ったところで、何で謝られているのか理解できるかどうか怪しいものだ。そういわれて、ファルケンは、いくらか安心したのか、気を取り直した。
「あのう、お師匠様。今回、お師匠様を探していたのは、ちょっとわけがあって……」
「あ、そうそう。私もそれを言おうと思っていたのだよ」
「まだ一言もいってないぞ」
「いや、大丈夫。それだけは予想がついたから」
 ハラールは、少しだけまじめな顔になった。
「君の剣のことだろう」
 ファルケンは黙る。それを返事ととって、ハラールは頷いた。
「この前、ツァイザーにも言われてたのを、十日ぶりぐらいに思い出したよ」
「……それでも、十日かよ」
 悪態をつくレックハルドの言葉は聞こえていないのか、うーん、とハラールは深くため息をついた。
「確かに、そう。あの時、私は君にちゃんとその使い方を教えていなかった。シールコルスチェーンは、時間の司でもあるけれど、そもそもの任務は辺境の悪いものを祓うことにあるのだから、それを教えておくのが一番なのだけれどね」
「ソレって何のことだよ?」
 レックハルドが口を挟むと、ハラールは顔をあげた。
「それは剣のことだよ。我々シールコルスチェーンは、ある程度の力をつけると、「離れ島」にある何本かの剣のうち、どれかを持つことになるんだよ」
「剣? 狼人のお前らが?」
 いぶかしげな顔をするレックハルドに、ファルケンが付け加えるように言う。
「ほら、オレ達は、ちょっと辺境の普通の狼人から逸れているし、お師匠様や他の連中は、昔の狼人だしね。今のマザーの子供達じゃないから、それほど火が恐くないんだって聞いたよ」
「なるほど。で、今の連中が嫌いな火で冶金されてるものも平気ってわけかい」
 そう、とハラールが続けた。
「そもそも、シールコルスチェーンは、剣を振らないと話にならないんだよ。邪気や妖魔を祓うには、剣を使うのが一番なんだ。……それも、自分達で作ったものではだめで、あくまで人間が昔作ったものでなければならない。威力が全然違うんだよ」
「なんだ? その離れ小島とやらにあるのは、人間のつくったものなのか?」
「ああ、そうだよ。大昔の人間が、辺境に渡してくれたものだときいている。ああいう技術力は、人間のものでね、それをうまく利用して、邪気を祓うんだ。ほら」
 といって、ハラールは、自分の剣を見せる。ファルケンの背負っている装飾の多いものより、小振りだが、すらりとした刀身と、柄にやはり綺麗で瀟洒な飾りがされていた。
「これが私のものだね。ファルケンのものもそうだけれども、こういうのは、昔人間が我々に使うようにくれたものなんだ。離れ小島にはそれが数本あって、自分に合うものを直感で選ぶ。そして、それが我々の剣になるというわけさ」
「なるほどねえ」
「けれども、こういう剣は、人間がわざわざ我々のために作ってくれた剣だから、ただの剣じゃない。人間の中でも名工といわれる人たちが作っているから、思いもかけない魔力が宿っていることがあるんだよ。そういうのを使って戦うわけなんだけれども……」
 ハラールは、眉を少しひそめた。
「それだけに、私達みたいな力の強いものが使うと、それに振り回されて自滅することがあるんだ。……だから、ファルケンには、剣の本当の力を引き出して戦う方法は教えていない」
 ハラールは、光をうつさない目を瞬かせた。
「あのときの君は、憎悪にとらわれていたから、もしそうなるとどうなるかわからなかったからね」
「それは、わかっています」
 ファルケンは、そういって少し俯きながら頷き、すぐに顔を上げた。
「でも、今のままだと、森を歩いていて出くわす強力な妖魔の相手もできないかもしれないんです。……今なら、どうですか?」
 この前もシャザーンに逃げられているファルケンには、力を求める理由は十分にある。たとえ、辺境の戦いに加わらないとしても、レックハルドが妖魔に目をつけられているようだから、彼を助ける上でも、そのくらいの力は必要だった。
 ――いいや、それよりも。
 ファルケンは、思い出して眉をひそめた。
 それを聞かなければならなり理由は、もう一つあったのだ。あの時、三番目の司祭に言われた言葉が、ずっとひっかかっているのだ。
 もし、剣の正しい使い方を覚えなければ、レックハルドを手にかけることになるかもしれない。
 あの老獪な司祭が笑いながらそういった言葉は、たちの悪い冗談のようにも聞こえたけれど、けしてそれだけではなかった。彼には何らかの確信があるように思えて仕方がなかったのだ。
 それは、誰にも言ってはいないが、彼にとって一番の理由になっていた。
「そうだね。今の君ならできるのかもしれない」
 少しの沈黙の後、ハラールは言った。
「だけれども、君の剣は、ちょっと難しいな。私はその剣が抜けなかったものだから、あまりよく使い方をしらないんだ。それについてはフォーンアクスに聞いて欲しい。私は、最初それを選ぼうとしたんだけれども、ちょっと恐くなってすぐにやめてしまったんだ。フォーンアクスなら、きっと知っているよ。使っていたからね」
「何でだ?」
 レックハルドが興味をそそられたのか、ふと口を挟む。
「……それは、握った途端、発狂しそうになったからだよ」
「えっ、なんだよ?」
 思わぬ言葉がでてきて、驚くレックハルドにハラールは言った。
「その剣を握ると、何か空恐ろしい感じがしてね。こう、ふわっと意識が飛びそうな感じがしたんだ。そのまま、ふらふらと外に出て行って剣を振るいたくなるような、そういう嫌な感覚――。ファルケンが平気で使っているから、気のせいだと思ったけれど、やっぱり気のせいではなかったんだよ」
「気のせいでなかった、って、どういう意味ですか?」
 ファルケンがそうきくと、ハラールは頷いた。
「ああ。その剣は、封印されていると聞いた。ちゃんとした使い方をするなら、それを解いて使わなければならないんだけれども、……その剣には妙な曰くがあるみたいだ。握ったものの理性を飛ばす力があったというんだね。呪いみたいな、そんな力が……」
 ハラールはため息をついた。
「ファルケンが何も気付かなかったのは、君が魔術が苦手なことがひとつ。封印されているものだから、人によってはその影響に気付かないものもいるんだ。もう一つは、あのときの君に、それを感づく余裕がなかったからだろう」
「そ、それじゃあ、これを使うのは……」
「そうだね。とても危険が伴う。……果たしてどうなるか、私にはちょっと予測ができないんだ。だから今まで勧めなかったわかるね?」
 ハラールは、そういってファルケンのほうに顔を向ける。ファルケンは何かいいかけて黙り込んだ。その顔には、多少の覚悟のようなものが滲んでいた。レックハルドは、ちらりとそれを見やって、何か思案するように顎に手をやった。




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