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辺境遊戯 第三部
森を歩きながら、タスラムは、ほほほ、と温厚な笑い声を上げていた。 「これでひとまず、魔幻灯との約束は守った。中立の司祭達は、特に奴にちょっかいをかけることはないだろう」 「はい。……あとは、魔幻灯のほうですか」 五番目の司祭、コールンに聞かれ、タスラムは頷いた。 「そうだな。近く、アヴィトが動けるようになるという。もし、あれが動けたら、あれを直接つかわせて、奴と連絡をとってもらおう」 「しかし……」 コールンは、眉をひそめた。 「魔幻灯は、彼を許せるでしょうか。かつて自分を操って親友を殺させようとした男ですよ」 言われて、なぁに、とタスラムは軽く言った。 「アレは、約束は守るよ。強情な分、そういうところはちゃんとしておるはずだ」 タスラムはそういって、例の本性をほんのすこしのぞかせて、温厚な顔に、黒い笑みを浮かべた。 「まァァ、心配せいでもよい。魔幻灯との話は確実についておる。……アレは、そう簡単に嘘はつけんよ。まあ、おぬしは安心して、事の顛末でもエアギア殿に適当な範囲ではなしてきてくれればよい」 「私は別に、二番目殿に逐一報告しているわけではありません」 使い走りみたいないわれ方が気に食わないのか、コールンは不服そうに言った。 「まあ、そう申すでない。……事実、おぬしがあの妖精の側にいれこんでおるのは本当の話だしな」 タスラムは、心底楽しそうに言った。意地の悪いオヤジだ。コールンは、眉をひそめるが、これ以上いうとどんな風にからかわれるかわかったものでない。彼は口を閉ざし、それでは、といった。 「私はこのあたりで失礼させていただきます」 「うむ。それでは、また」 タスラムは軽く手を振り、足を止めたコールンから遠ざかる。コールンも、そこで一礼してから、さっと姿を宙に舞い躍らせてそのまま消えた。 タスラムは、完全にコールンの気配が消えてしまったのを確認しながら、数歩歩き、ふと思い出したように立ち止まった。 「なあ、お若いの」 彼は、背後の木に視線を向けた。 「いつまでついてくる気だ?」 実際、その木々の周辺に気配はなかった。だが、タスラムは自信をもって底を見ていた。 それは、確かに、気配ではないかもしれない。寧ろ、身を隠そうとしている意思をもったものがいる、という感じがするといったほうが近い。だが、タスラムはそこに誰がいるのか、確信を持っていった。 「今度はだんまりかね」 まったく、と、息を継ぎながらタスラムは言った。 「そうやってかくれんぼするのがおぬしの趣味かね。そういえば、小童の時から袋の中に忍び込んだりして、人間にさらわれそうになったりしておったな、おぬしは」 かすかに、タスラムの視線を浴びた木の枝が揺れた。ざわり、と小さく音の立つそれに、彼は笑いかけた。 「ほほほ、おぬしが来たということは、向こうにも動きがあるということかの?」 「ああ、もう仕方ないなあ」 とうとう観念したのか、葉の生い茂る枝の中から、苦笑気味の声が聞こえた。 「仕方ないなあ。……あんたを謀ろうなんて、オレが間違ってたよ」 ざあっと木の葉を散らしながら、さかさまになったまま、男がひょいと顔を覗かせる。先ほどまで足を乗せていた枝にひっかかって、そのままぶら下がっているらしい。男の風貌がどうあれ、ここでそんな真似ができるのは、同族にほかならない。 タスラムは、その、若干それでもまだ幼さを残す狼人を見上げ、にこりとした。 「いいや、かくれんぼとしては、結構いい線いっていたと思うがね。私が鬼だったらみつけられなかったかもしれないが、残念ながら、私はお前さんを探す必要も、お前さんをおびえる必要もないのでね。逆に目に付いただけのことさ……」 タスラムは、にやりとした。 「意識している者なら、逆にお前さんの存在にはきづかんだろうて。いやなかなか、いい線いっているよ。ただ、まだ甘いな」 タスラムがそう声をかけると、木の上の男は苦笑したらしかった。 「さすがに、あんたをごまかすのは無理か。オレが甘く見てたよ」 そういうと、狼人の男は、屈託なく笑い、そのまま、大柄の体をくるりと一回転させて、地面の上に降り立った。 派手な色の帯が、風に煽られてたなびくのが、妙に鮮やかで綺麗に見えた。辺境のものは、色に魔術的な意味を持たせるのも好きだ。言葉一つ、音一つ、色一つ、それらに意味をつけて考えるのが、案外狼人は好きなのである。彼もそうだったかもしれないが、しかし、その色の選びは普通の狼人は絶対にしないようなものだった。辺境では出せない色は、人間の手がかかっていることを意味する。それどころか、彼の服装自体、狼人としては、異様この上ないものだった。長い上着の裾の刺繍は、間違いなく、辺境の者達のものでない魔術の香りを残したものだったし、そもそも、いくつか吊り下げている金属製の装飾具や武器が、狼人として異様でもあったのだ。 「お仲間はどういっているのかね」 「さあ、まだここにいることは話してないよ。だって、怒られそうだからさ」 「ほう」 狼人は、その割りに悪びれない口調で言った。 「ほら、オレは、『前科者』だから。一々信用がないわけなんだよ」 「なるほど」 タスラムは、面白そうににやりとした。 「それでは、前科者のお前さんがここに現れたのは何か理由があるのかね?」 「……特に理由っていうほどの理由じゃないけども。……ちょっと様子を見にきただけ」 言葉をほんの少し濁す彼をみて、タスラムは、軽く笑った。 「おぬしも心配性というやつだな。そして、相変わらず嘘をつくのが下手だ。あれだけ人間とつきあっているのに、ちっともうまくならないな」 言われて彼は、ほんの少し苦い顔になった。 「あんたも、ずっと油断がならないよな」 「おぬしよりは、ちょいとマシだと思うがな」 そういうタスラムの顔をみると、いつもの、どこかぼんやりした感じのある表情は消えうせている。マシどころか、ひどい大狸だ。 「心配性って、罪になると思うかい?」 なにやら心配になったのか、それとも、ただ聞いて見ただけなのか。彼はそういうことを、少々不安そうに呟いた。タスラムは、にやにやしはじめる。 「ほほほ、なるかもしれんね。だが、裁かれるときは、多分私も裁かれるだろうから、お前さんが私に聞くのはお門違いというものかもしれんがね。なにせ、私も筋金入りの心配性なのだよ」 「オレとはちょっと違うと思うよ」 彼は苦笑し、肩をすくめた。 「ホント、あんたには敵わないなあ」 タスラムは、にっこりと、例の、妙に好々爺ぶった笑みを浮かべる。その底に彼の本性が透けて見えるようになったなら、この食えない男にも大分慣れてきたということになるのだろう。 上着の裾が森の風にゆらりと揺れた。自分から積極的には話さないが、若い狼人は、食わせ者の司祭に嘘をつくつもりや、聞かれたことに黙っているつもりはなかった。この調子では、どうせ感づかれるのも時間の問題だ。 「……そうなんだよ。オレはちょっと心配性すぎるのかもしれないけどさあ」 彼は、もう一度そういって首から下げているものに手をやって笑った。そこに下がっている装飾品も、実に狼人らしからぬ金属だった。 気がつくと、なにか木陰にいるようだった。ハラールは、何故か痛い頭に手をやりながら、うーん、と唸る。銀輪冠のハラール、辺境古代語の発音で、ハラール・ロン・イリーカスというところの彼は、繊細な髪の毛のかかる、いわゆる「銀輪冠」といわれる銀製の額冠を思い出したように確認した。 ああ、そういえば、確かツァイザーと一緒に、ひさびさに街にでてきていたような気がする。ハラールはそう思い出す。 いや、厳密には、行方不明の弟子二人を探しにでたのだったが、結局ツァイザーの料理屋巡りに付き合わされる形になっていた。このところは、ファルケンのこともあったので、「離れ島」に閉じこもり気味だった彼にとって、久々の街の雰囲気はとても新鮮で楽しいものだったので、思わず彼はもともとの目的を忘れてしまっていたのだ。 目には見えないが、それでも、人の声や空気、雰囲気は、やはり閉鎖的で偽物だらけの空間である「離れ島」とは物凄く違う。思わず心も躍ろうというものだ。ついでに、心地よくて、確か、ふらっと木の上で昼寝などをしてすごしたりもしていた気がする。その頃には、ツァイザーは料理屋探しに夢中になって、ハラールのことを置いていってしまっていたのだが、ハラールはそんなことにも気付いていなかった。 ただ、街の中の街路樹で眠ると、住人が驚いてしまうかもしれない。普段突飛なことをやるハラールだが、何故か、このときは人並みに常識観念が働いた。では、眠っても咎められなさそうな辺境にいこう、ということで、確か近くにあった辺境の森の浅いところに入り込んで、その木の上で寝ていたと思ったのだが。 (……もしかして、寝返りを打って転がり落ちたのだろうか) 狼人の身体は丈夫だから、木から落ちた程度ではそんな大怪我はしないので、彼にとってはよかったのだが。それにしても、気をつけないと、とのんびりと思いながら、ハラールは、もう一度眠ってもいいかなあという気になっていた。 なにせ、木陰は気分がいい。涼しくて、ちょっと優しい木漏れ日が降り注いでくれるのだから、睡魔の活動だって活発になろうというものなのだ。 しかし、このときばかりは、ハラールの睡魔には邪魔が入った。なにやら、聞覚えのある、少々緊張した声が走ったのである。 「シ、シーティアンマ!」 ハラールが、うーん、と唸りながら、光を映さない瞳を少しだけ開いて起き上がったのを見て、ファルケンとレックハルドは、彼の覚醒に気付いた。なかなか、目を覚まさない様子なので、シェイザスとダルシュには先に街の中に戻ってもらい、ビュルガーにはハラールのために水を汲んでもらいにいっていたので、今は例のごとく二人でなにやら話をしながら、ちょっと所在なさげに立っていたのだが。ファルケンは、ハラールが目を覚ましたのを知って、少々緊張した面持ちになっていた。 「……お、お目覚めですか、シーティアンマ」 ファルケンは、そう声をかけたのだが、果たしてハラールに聞こえたかどうか。黙っている彼を見ながら、ファルケンは口を引き結んでいた。 だが、彼が何をするつもりなのか、レックハルドには大体わかった。ファルケンは謝るつもりなのだ。結果的にはいい方向に転がったとはいえ、師匠の教えをことごとく破ったのだから、気まずいなどという軽い言葉で済むものではない。けれども、ファルケンは、許される許されないは二の次に、ともあれ、謝らなければならなかった。 ファルケンは、タイミングをはかりそこねるのを恐れながらも、どこかためらいつつ口を開こうとしたが、ハラールのほうが先だった。 「ええと、どなただったかな?」 ハラールは小首をかしげた。 「え?」 「最近、どうも忘れっぽくなってしまって……。うーん、覚えがあるのだが」 別に何の意図もなさげな言い方に、ファルケンは思わず謝罪の言葉が出てこなかった。 「ちょっと待ってくれないかい。すぐに思い出すから」 そういってハラールはにっこりと笑うと、ファルケンの返事を待たずして考え始めた。 (おいおい、……なんか物凄くアレなのがきたじゃねえか) レックハルドは、嫌な予感にひくりと口元を引きつらせた。ビュルガー、ギレスときて、最後にこんなアレな男がでなくてもいいと思う。最近、本当にろくな人外と会っていないレックハルドだった。 それにしても、このハラールの態度だが、これが、わざとファルケンを無視しているなら、まだわかる。勝手な行動をとった弟子に対して、皮肉な態度を取っていると思えばいいのだが、その様子を見ながらレックハルドはあっけにとられた。当のハラールには、少しのとげとげした様子もないし、よそよそしさもない。ただ、本気で困惑したような表情を浮かべて、真剣に考え込んでいる様は、何となく短気なレックハルドの癇癪に触れるところがあった。 (コイツ、本気でわかってねえんじゃ……) 「シ、シーティアンマ……あの……」 異変に気付き、ファルケンがハラールの様子を見たのだが、彼はきょとんとしているばかりだ。相変わらず光を映さない師の目だったが、今までも姿を見てファルケンを認識していたわけではない。 「ええと、ええと、どなただったかな。声は聞いたこともあるし、以前会ったような気がするんだけれども、ええと……」 「あのう」 「シーティアンマと呼んでいるということは、君、私の弟子かなにかなのかな?」 「おい、ファルケン」 レックハルドは小声でファルケンを招きよせる。 「な、何だよ。今、取り込み中なのに」 「いいから」 ハラールはどうせ一人で考え込んでいて、まるで相手してくれないので、仕方なくファルケンはそろそろとレックハルドのほうに歩み寄る。 「一体何だよ?」 「アイツ、一発殴っていいか」 「……だめに決まってるだろ。お師匠様なんだから」 いきなり物騒なことを訊くレックハルドに、ファルケンは困惑気味の顔になる。相棒のなにやら温和な返事に、レックハルドは冷たく吐き捨てる。 「まどろっこしい。時間与えても、どーせ名前なんてでてきそうにねえんだから、お前が名前いっちまえ」 「そ、そんな、むちゃくちゃあんまりな言い方じゃないか、それ。それにさあ、いきなりっていうのは勇気が……。あと、あの雰囲気で、思い出させるの中断なんてできないよ」 「それは、な」 レックハルドは、さすがにそこで言葉を止めた。大体、レックハルドも、あの手の性格はある意味ではちょっと苦手なのだ。割って入りにくくて、ペースに踊らされるので、正直、話をつけにくいのである。ある意味ではマリスと同じなのだ。 「あ、なんだ。もうお目覚めになってるじゃないか」 水を汲みにいっていたらしいビュルガーが、ひょっこりと森の中から現れる。人見知りの激しいビュルガーだが、さすがにレックハルドとダルシュぐらいなら慣れると大丈夫なのか、以前のように不審な挙動はとっていなかった。 いや、たとえ、そこで彼が不審な行動をとっても、彼らの中心でもっとも不審に悩んでいる男が一人いるのだから、この際、気にならないにきまっているのだ。そして、ビュルガーも、どうやらその事情に気付いたらしかった。 「……あのう、シーティアンマ」 ビュルガーが声をかけると、はっと彼は顔を上げた。 「おや、君は……」 そこで初めて、ハラールは満面に笑みを浮かべていった。 「そうか、君はカルルスだったね! 久しぶりだね!」 「シ、シーティアンマ、残念ながらオレはビュルガーです」 さすがに付き合いの長いビュルガーには慣れた事なのか、彼は水の入った入れ物をため息交じりに投げ出しながら言った。ハラールは名前をきいて、ようやく相手がわかったのか、驚いた顔をした。 「ええっ! ビュルガー! 一ヶ月も行方不明だったビュルガーだね! もしかしてとっくに獣に食われたかと思って心配していたんだ。無事そうでなによりだよ」 「すみません、シーティアンマ。オレがファルケンを探しに出たのは、ほんの一週間前ぐらいのことなんですが」 何かに食われかけていたのは事実だが。いくらシールコルスチェーンの時間の感覚が狂いやすいといってもこれはひどくないだろうか。 「ええ! そうだったかな!」 「そうですよ」 「ということは、そこにいるのは……」 ハッとファルケンが息を呑むが、すぐにハラールは困ったような顔になった。 「ええと、誰だろう。やっぱりわからない……」 「さっき、ビュルガーの奴が名前出してたじゃねえか」 とうとう黙っていられなくなったレックハルドが、あきれたように呟いた。それで、ハラールはようやくレックハルドの存在に気付いたのか、驚愕しながら、彼の方を見やった。 「やや! そこにも、なにやら人がいるみたいだけれど、どなただろう? どこかで会ったような気がするのだけど」 「……思いっきり初対面じゃねえか」 レックハルドは、遅々として進まない会話に、かなりいらいらしていたらしい。 「あの、レック、一応オレの師匠だから穏便に」 ファルケンがたまりかねて、思わず一言入れる。このレックハルドの反応を見ると、手が出るどころか、そのうち足が出そうである。さすがに、目の前で師匠が蹴り倒されるのを見るのは、弟子としては忍びないものがあるのだ。 「穏便にって、穏便で済むか、この状況」 「まあ、でも穏便に済ませてくれよ」 「一発殴った方が絶対にいいと思うぞ、頭のねじのためにも。お前もそう思うだろ」 「そんな……ま、まあ、時々には、本気で一度殴られたぐらいのほうがいいのかも……とか思わないでもないけど……」 レックハルドに詰め寄られて、ファルケンは思わず本音がぽろりと出てしまう。 「で、でも、いくらなんでも、思い出させるために殴りつけるなんて、ほら、乱暴だし、人間としてどうなのかなあと」 「狼人としても人間としても、すでにどうかなぐらい博打で狂ったり、色々乱暴なことしてたお前にいわれたくねえ」 レックハルドがそういい捨てた時、いきなり、ハラールが声を上げた。 「あ! わかった! どこかで会ったことがあったと思ったら、そういえば、私が食べ物に釣られてさらわれたときに、助けてくれた……」 「だーっ! テメエはしばらく黙ってろ!」 「あっ、ちょっと、レック!」 ファルケンの制止は見事に空をきり、レックハルドは振り返りざま、いつも持ち歩いている帳簿を斜めに投げつけていた。何かの発見に明るくなるハラールの顔に、それは綺麗にぶち当たって、ハラールと一緒に地面に転がっていった。 一覧 戻る 次へ このページにしおりを挟む 背景:NOION様からお借りしました。 |