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辺境遊戯 第三部 


時空幻想-4




『アヴィトがいなくなった』
『十一番目がいない』
『呼び出しても来ないとは如何したのか』
 森の中を、木の葉の葉擦れのような音が飛び交う。風の音にまぎれながらも、確実に、「彼ら」の中では通じているその音は、どこか不安な響きを得ていた。
 姿がはっきりと見えないものもいるが、確かにかれらはここに集っていた。木の枝や、葉の間や茂みの中に。まぎれるようにしながらも、彼らはそこに会していたのである。
 司祭。辺境の呼び方では、スーシャー、であるが、彼らはこうして肉声で話さないことがよくある。魔力を使い、声を風にのせて彼らのそれぞれに運ばせるのである。その方が、彼らにとっては意見の交換がしやすいこともあるし、連帯感も深まる。また、うまくやれば、仲間内での秘密が守られやすいということもある為ではあるらしい。
 だが、そういう面もある一方、司祭が肉声を使わないのは、そういう慣習になっているからでもある。もはや儀礼的な意味のほうが強いのだった。
 そのため、その裏をかいて三番目の司祭タスラムなどは、ひっそりと策略を図るときには、それらと直接的に肉声で話すのである。司祭は肉声で話さないという常識が通用しているものなので、かえって、そちらの方が周りの司祭に気付かれないのだった。
『一体、これはどういうことだろうか』
 司祭たちはざわついていた。その場に、最高の司祭である、一番目のギルベイスの姿は見当たらなかった。また、二番目の司祭である、あのガラス細工のような繊細な顔立ちの妖精エアギアも見当たらない。そこにいる司祭の最高位は三番目の司祭のタスラムであった。
 司祭は時折、こうして集まって会議のようなことをするが、一番目や二番目のような上位の者は、出て欲しいと要請されることがあったり、彼ら本人が出ようと思わなければ来ないこともある。だから、彼らがいないのは、別段おかしなことではなかった。
 つまり、この場には、十二人の司祭のうち、一番、二番、十一番がかけていた。
 今回、久しぶりに彼らが騒いでいるのは、消えた十一番目の司祭アヴィトである。以前、タスラムに魔幻灯を消しに行かなければ、と噛み付いたことを覚えている司祭も多い。あれを境に、アヴィトは姿を消していた。
 それに、魔幻灯のファルケンの存在を絡めて考えないはずはない。
 実際は、アヴィトはファルケンに返り討ちにされたことにより、長い間憑いていた憑き物が落ちて、今は静養をかねて身を隠していた。いや、厳密にはタスラムがそうさせたのである。それを知っているのは、タスラム自身と、五番目の司祭コールンだけであった。
 だが、二人ともそんなことは言わない。
『魔幻灯がやはり、アヴィトを殺してしまったのではないか』
 司祭の一人がそう騒ぎ出した。
『あれが現世に戻ってきたということは、もはや呪いも解けているだろう。我々の力が及ばないのだからそうに違いない』
『しかし、何故現世に戻ってきたのであろうか』
『やはり、あれは妖魔としての力を得たのではないだろうか』
 一人が不安そうに言った。
『憎しみは、もっとも簡単に強大化しやすい力であるのだから。そうかもしれない』
『だとすれば、魔幻灯は、一体次に何をするだろう』
『我々を殺すのか、それとも、森を壊すのか』
 司祭たちの不安は、そのざわざわした話声の印象からも伝わる。
(タスラム様はどうされるのだろうか)
 五番目の司祭は、そんな話し声の中、考えていた。タスラムが全部裏で手を引いていることしか自分は知らない。しかも、口止めされているのだから、ここで話すわけにもいかない。肝心のタスラムはというと、まったく知らん顔をしていた。そもそも、アヴィトを隠したのは、タスラム自身な筈である。一番事情を知っているくせに、平然とした顔のまま話を聞いていた。
『まぁ、待て、皆のもの』
 ようやく、タスラムは、そう口を開いた。
『こうして不安がっても始まらぬ。また、ここのところ、一番目殿も二番目殿もこのことに関して、何も意見を述べられておらぬ。それを考慮すると、この一件は、もうしばらく様子を見た方がよい。騒ぐのは、時期尚早である』
 ざわり、と司祭たちがどよめいた。
『……アヴィトのことであるが、その所在は、今は調べるに及ばないであろう。司祭が失踪することは、さほど珍しいことにあらず。もしかしたら、自らの過ちに気付いて、少々、こもっているのかもしれぬ。……したがって、あれの生死がはっきりするまで、当面十一番目には、いまのままアヴィトを置くことにしておこう。……コレについて語るのは、先ほどもいったように時期尚早である』
 何を白々しいことを。
 コールンは、思わず眉をひそめる。それに気付いたのか、タスラムはちらりとコールンをみやり、うっすらと微笑んだ。他人から見れば好々爺の微笑みに見えるかもしれないが、事情を知るコールンには、その内の腹黒さが透けて見えるような黒い笑みだ。
『また、例の魔幻灯のことであるが、あれについても、騒ぎ立てせぬ方がよかろう。罰は生きているものに対して与えられたものである。つまり、死者に与えるものではない。その上、魔幻灯がもう一度現世に戻ってきたというのであれば、それは転生に準じたものとみなすべきである。すでに罰は下されてたものとなり、あれの罪は清算されたものとなる……。たとえ、あれが起こしたことによって辺境の状態が変わらなくても、もはやあれの罪を問うことはできまい』
『しかし……』
『しかし、三番目どの』
 不安そうな声が入る。
『あれが戻ってきたということは、あれが魔物になって戻ってきたということではないのですか』
『……あれが恐ろしい力を振るうのを見たものもおりますし』
『それについては、さらに難しい問題ではある』
 タスラムは、彼らの不安を押さえ込むようにそうはっきりとした口調で言った。
『確かに、魔幻灯が妖魔のごとき力を使ったという話は聞く。だが、それも不確定だ。今はそれを語る時期ではない。あれが味方かどうかも、これから詮議すればよいことである』
(うまくごまかしたな)
 コールンは、舌を巻いた。
 さすがにここで目だってファルケンをかばうことはできない。一番目の司祭が、彼に対して強硬なのは目に見えているので、それに一方的に異を唱えれば、周りの司祭が不信感を抱いて当然だからだ。だが、妖魔といってしまえば、ファルケンに司祭が刺客をさしむけるだろう。だから、タスラムは、どちらの立場からでも、ファルケンをうまく泳がせておけるような言い方をしているのに違いない。
『だが、どちらにしろ、魔幻灯は以前と違って、もはや我々の手に負えない。アヴィトがどうなったかは知らぬが、もし魔幻灯にやられたのであれば、あれの力はもはや我々をも凌駕するかも知れぬということである。あれが魔に染まっていても、そうでなくても、我々は安易に手を出すべきではない。下手をすれば、我々自身の身を滅ぼすであろう』
 タスラムは、そこでなにやら薄い笑みを浮かべた。
『そもそも、本人は望みもしていなかったあれの力を目覚めさせたのは我々だ。……しばし、あれをほうっておいて、それで我々に危害が及んだというのならば、まさに因果応報というべきものだ……』
 周りの司祭たちは、しんと静まり返っている。タスラムは、それをまとめるように言った。
『だが、アレはすぐには行動には出ないだろう。ともあれ、我々には、他の仕事がある。今、辺境で起きている異変は、一つではない。それらを対策してから、魔幻灯にかかればよい。……私の意見に異を唱えるものはいるか?』
『いえ』
『三番目どのがそうおっしゃられるのであれば……』
『しばらくであれば、状況を見守った方がいいと思われます』
 少々、自信なさげではあるが、冷静さを取り戻した声が、そう飛び込んできた。タスラムは、ほんの少しだけにやりとして頷いた。
『では、今日のところはこれで……。くれぐれも、一時の感情に先走った行動は控えるように!』
 タスラムがそういうと、司祭たちのざわめきのような声は遠ざかっていった。同時に、ひとりひとり、司祭たちの気配が消えていき、最後にタスラムとコールンだけが取り残されていた。 




 シェイザスは、ざっと、道具を置くとファルケンのほうを見上げた。占い師特有、というわけではないが、神秘的でなぞめいたまなざしが、ファルケンの碧色の目に向かう。シェイザスのような瞳のものに正面から見られると、男は大体視線をはずすものだが、どこか世俗場慣れしたファルケンは、別に視線をはずすことはなかった。
「待ち人来る、といったところかしら」
 シェイザスに言われて、ファルケンは腕組みをした。
「来るってどこからだろう?」
「そこまではわからないわ。でも、その、あなたのお師匠様という人は、無事だかどうだかはわからないけれど、近くにいるし、必ずそちらからあなたのところに来る」
「うーん、含みがありすぎてちょっと怖いんだけどなあ」
 ファルケンは苦笑した。
「なあ、レック、どうだと思う?」
「オレにそこで聞くか?」
 レックハルドは、横目でファルケンを見やる。
「あのなあ、わかるもんならとっくに助言してやってるだろ」
「いや、でも、一応きいてみたらいいかなと思ってさ。何か新しい案でも出るかもしれないし」
「出たらとっくに言ってやってるよ。そのお師匠さんってのは、そのうち、ふらっと湧くんじゃねえか」
 レックハルドが適当なことをいうと、ファルケンは苦い笑みを浮かべる。
「ふらっと湧くって、そんなボウフラみたいな言い方……」
「お前だって、師匠に大概いってるじゃねえか」
 大体、ボウフラなんて言い出したのは、ファルケンのほうだ。レックハルドは不満げな顔をした。正直、彼の方がよほどのことを言っている気がする。
 と、目の前のシェイザスが、「あ」と声をあげた。
「何か違うのが湧いたわ」
 そういう彼女の視線をたどって、レックハルドとファルケンは背後に目を向けた。ちょうど、赤いマントをまとった男がふらふらとこちらに歩いて着ている様子である。何か重い荷物でも引きずっているのか、片手を後ろに伸ばしている。
 ダルシュは、ギレスに憑かれるようになってから、出そうと思えば、人間どころでない力を発揮できるようになっていた。何をひきずっているのか知らないが、今のダルシュにはそれも簡単な事であっただろう。
 そんなダルシュの腰には、真っ黒な鞘に収められた、その柄まで漆黒の剣が収められている。柄のあたりの細工の細やかさは、その剣が名剣であることだけでなく、なにか魔術めいた力を感じさせるほどだった。それもそのはずだ。この剣には、竜王のギレスが憑いているのである。
「ダルシュ……かな、どっちだと思う?」
 近づいてくる人影を見つつ、ファルケンが言った。
「さー、どっちだろうな、ありゃ」
「……最近、ちょっと油断すると、ギレスが入ってたりするから、私でもわからないわよ」
 シェイザスがそんなことを言う。
「な、なんだ、なんだ、お前ら!」
 近づいてきたダルシュは、三者三様の、しかし、妙に疑るような視線にさらされてぎくりとしたように、そこに立ち止まった。
「な、なんだ! い、言いたいことがあったらはっきり言え」
「いや、ダルシュとギレスと、今どっちが喋ってるのかなあとおもっただけ」
 ダルシュの言葉を受けて、無心にファルケンが言った。 
「どっちって、見てわかるだろ! オレとアイツの区別ぐらいすぐつけてくれよ!」
 ダルシュが憮然と答える。自分では、明らかにギレスとは印象が違うと確信している彼だけに、一緒にされたのは少々腹が立つのだ。
「あ、ダルシュのほうだ」
「まったく、ずーっとのっとられてりゃーいいのによ」
 レックハルドが冷たく口を挟んだ。
「ボケの竜王の方がお前よりまだましだね」
「何だァ!」
「まあまあまあ。ほら、本人も一応いるわけだし」
 いきり立つ二人をなだめつつ、ファルケンはちらりとダルシュの腰の剣を見やった。と、いきなり、ダルシュの顔の表情が一変した。
「き、貴様、商人! 今何といった! 人間風情が、私を何だと思っておるのか!」
 明らかにダルシュの声ではない、低い男性の声がダルシュの口から響き渡る。
「うわっ、いきなりだとびっくりするな!」
 レックハルドが思わず不気味そうに身を引いた時、ふと妙に威厳のある雰囲気になっていたダルシュは、元の若者のダルシュに戻った。
「アンタは、用のないときは勝手に出るなっつってんだろうが! このわからずや!」
 ダルシュは、剣をつかむといきなりそう文句を言った。
『な、何を言う。私が侮辱されているのに! 出るなとはどういう意味だ?』
「まあまあ、そっちも喧嘩しないで」
 見かねたのか、ファルケンが仲裁に入ってきた。といっても、レックハルドとダルシュのように人間同士なら間に入ればいいのだが、ダルシュとダルシュが腰に下げている剣の喧嘩なので仲裁も妙にしにくい。
「まあ、でも、二人とも相性悪くなさそうでよかった」
「そうだな。反応が同時ってあたりも、ものすごく相性いいよな」
 ファルケンの言葉に便乗しながら、レックハルドがせせら笑う。
「何だ! その言い方は!」
『貴様! やはり私のことなど尊敬しておらんな!』
 どうもレックハルドが口を挟むと、ろくなことにならない。ファルケンはわざと遊んでいる様子のレックハルドに軽く視線を送るが、彼の方は知らぬ顔である。ファルケンはため息をついた。
 と、ふと、レックハルドは、何かを思い出したように訊いた。人の話に便乗して状況を悪化させるのもうまいが、話をころっと変えるのも、妙にうまいレックハルドである。
「そういや、何引きずってるんだ」
「ん、ああ、こいつは……」
 いきなりの質問に、先ほどの怒りをわすれて、ダルシュは今まで引きずってきたらしいものを見やった。なにやら布が見えていたが、近くで見るとどうやら人間らしい。
「酔っ払いか?」
「というより、行き倒れに近いんだがな」
 ダルシュは、あいている手で髪の毛をかきやった。
「なんか、森の中にいたら、木の上から茂みに落ちたらしいんだよ。で、しかたねえから連れてきたんだ」
「行き倒れねえ? 猟師とかなんかかなあ」
 ファルケンがそう問い返し、ふとその行き倒れらしき人を見やった。と、その人間を見た時、ファルケンの顔が固まった。
「ん? どうした? 知り合いか」
 レックハルドは、ファルケンの様子を見て、続いて人間を覗き込む。なにやら繊細な顔立ちの、ほっそりとした人間がそこで気を失っていた。顔立ちだけではいまいち判定できないのだか、恐らく男だ。というのも、背が結構高いからである。同じく繊細な絹糸のような髪の毛は、色が薄い。
(狼人じゃねえの?)
 どちらかというとそういう顔立ちだ。レックハルドは、ふとそう思い、ファルケンに意見をきこうとして口を開きかけたが、その前にファルケンのほうが何かを言った。
「シーティアンマだ……」
 ぽつりとファルケンは呟いた。その辺境古代語(クーティス)はきいたことがよくあったが、一瞬レックハルドは意味を取りかねた。
「は? なんだ、そりゃ」
「お師匠様(シーティアンマ)だよ」
 ファルケンはぎこちない表情をしながら、振り返った。その顔には、かなり困惑気味な色が乗っている。その上に、どうしたらいいのかわからないので、とりあえず笑ってみた、というのがぴったりな乾いた苦い笑みが浮かんでいる。
「……ちょ、ちょっと待て。ものっすごい嫌な予感がするぞ。まさか……」
 シーティアンマという言葉の意味を思い出してなお、レックハルドは、思わずそういった。いや、この際、なるべくそうであってほしくない。ビュルガーだけでも大概厄介なのに、また厄介なのが増えると思うと頭が痛いのだ。
 だが、ファルケンの口は、レックハルドがききたくない事実を告げた。
「あの、レック、これ、オレが探してたお師匠様なんだけど……。いや、あの……」
「もういい、もういい皆まで言うな!」
 レックハルドはそういいやって、盛大にため息をついた。
(なんか、いやぁな予感はしてたんだよな)
 でも、ここまでアレなお師匠様だと思わなかった。いくら弟子どもにああいわれていても、仮にも師匠と名がつくのだから、それなりだろうと思っていたのに。よりによって、木から落ちて気絶中のところを、ダルシュにひきずられて登場しなくてもいいだろう。
「……ファルケン。このまま、コイツとビュルガー置いてかえらねえか」
「レック。そ、そういうわけにはいかないだろ」
 ファルケンは、一応そういうが、なにやら気まずそうだ。レックハルドは、逃げ出したい気持ちになりながら、困惑気味に、まだ気絶しているお師匠様とやらをみた。気絶しているというよりは、なぜかのん気に幸せそうに眠っているような気がするのはどうしてだろうか。
(これで、本気で昼寝中とかだったら、絶対一発殴る)
 レックハルドは、ひそかにそう決意した。




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