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辺境遊戯 第三部
いつもどおりの森の様子である。レナルなどに聞いたところによると、局地的に、狼人が暴れているところもあるというが、彼らが通っている場所は、基本的にレナルの縄張り内であることもあって、随分と平和であった。おまけにここは辺境の入り口付近だから、街からも比較的近い。そのあたりなら、危険な目にあうことも少ないのだった。 そんな中、進められている話には、どうも暗雲がたちこめているようだった。 「えーっ、お師匠様がどこにいったかわからない?」 ビュルガーから報告を聞いて、ファルケンが青ざめた顔になった。 あれから、しばらく街で遊びつつ商売をしていた二人だったが、そうもばかりしていられない事情もある。結局は森に一旦戻り、様子を探ってみることにもしていたのだが、そんな矢先、真っ先に慌ててファルケンのところに駆け寄ってきたのがビュルガーだった。 ビュルガーは、師匠にファルケンの無事を報告しようとしていたらしいのだが、報告云々の前に、師匠がどこにいるのかわからず、あちこち探し回ったようだった。そもそも、狼人が森でとどまっていられるのは、集団で行動をしているからという部分が大きい。そうでなければ、好奇心の強い狼人はてんでばらばらに色んなところに行きたがる。集団でいなければならない縛りのない狼人は、あっちこっちに好き勝手足を広げるので、行動範囲が驚くほど広くなるものである。カルヴァネス中心で行動しているファルケンでも、東から西まで気の向くまま歩き回ったぐらいであるし、そういった連中はほかにも山ほどいるのである。 しかし、彼らの師匠であるハラールは、そんなに行動範囲が広いほうではない。そもそも、感覚が優れているとはいえ、目の見えない彼は、用もないのに遠出はしないはずだ。 ただ、好奇心が強くて、何となくふらふらする狼人の悪い癖をばっちり引き継いでいる彼が、近くの場所を散歩するということはよくある。その道でなにかあったのだろうか。 「ど、どうも、こっちには来ていたみたいなんだけどな。メルキア姐さんに聞いても、どこにいったかわかんないとか、そういう話みたいだ」 「……まさか」 ファルケンがポツリと呟く。 「……辺境の森にふらっと一人で入ってたりしないよな」 「……否定できないから、焦ってるんだろ」 ビュルガーが、そういうものだから、ファルケンの顔はますます青ざめた。 「へ、辺境の森なんか、一人でうろうろしちゃ駄目だよ。あのシーティアンマが! そんなことしたら、森の有象無象に絶対食べられる!」 ファルケンにそういわれて、すでに自分でもそう考えていたのだろう。ビュルガーは、途端頭を抱えた。 「うわああ、ど、どうしよう! オレがすぐに戻らなかったから! さっさと戻っておけば、こんなことには……!」 「そ、そんな! それより、オレが行方くらましたりしたから悪いんだよ!」 ビュルガーは自分をさがしにきたのだから、そもそも原因は自分にあるわけである。ファルケンも、触発されたのか、妙に焦りはじめた。 「このまま、お師匠様が見つからなかったらどうしよう!」 「わああ、もう駄目だー!」 「オレのせいだ、どうしようー!」 「だーッ、うるせえ! 真昼間から何泣き喚いてんだ、お前らは!」 いきなり怒鳴り声が飛んできた。ファルケンとビュルガーは、ハッと顔を上げる。 「繋がれた犬みてえにぎゃんぎゃんうるせえんだよ。人の昼寝の邪魔しやがって!」 木の根っこ当たりを枕に、昼寝でもしていたらしい。レックハルドが不機嫌に起き上がってきた。寝起きのせいなのか、いつも以上に目つきが悪いレックハルドににらまれて、ビュルガーの方があきらかにびくりとした。だが、そんなことは知ったことではないらしい。レックハルドは、不機嫌にそのまま続けた。 「大体、用があるからとかいって、定期的に辺境にひっぱりやがって! こっちはお前らのせいで、商売あがったりなんだよ。夢の中ぐらい、気楽に商売させて……」 「レックー! どうしよう!」 「うおっ!」 いきなり、ファルケンが飛び込んできて胸倉をつかんで持ち上げたので、レックハルドは焦った。レックハルドが割りと長身だからといっても、相手はファルケンだ。あっという間に足が浮いて吊り上げられた状態になってしまう。 「ちょ、ちょっと待て! 足が! 足が!」 ファルケンは、全く話を聞いていない様子で、なにやらべらべらと話しかける。どうしようもないこの状況だ。そういう場合、レックハルドに頼るのが一番安全なことを知っているファルケンだが、若干混乱しているので、レックハルドの事情など知らず、ただ一方的に話し続けている。 「レック、レックどうしよう! なんかとんでもないことになった!」 「おおお、お前がとんでもない……! ば、馬鹿野郎! 落ち着け! 首が絞まる! 息ができねえ!」 「え? 首?」 そういって、ファルケンはレックハルドの足元をのぞきやる。見事に宙に浮いていた。 「ああ、悪い悪い」 パッといきなり手を離したので、レックハルドは地面に腰から叩きつけられた。 「いきなり離すな!」 「あ、ごめんごめん。慌ててたものだから」 思わず苦笑を浮かべる彼の顔には、別に故意でやったらしい形跡はない。そういわれると、どうも絡みようがないのでレックハルドは不機嫌に口を尖らせた。 「お前って奴はいつもそれで済まそうとする」 狼人を相手にするといつもこれだ。やれやれとため息をつきながら、レックハルドはその場に胡坐をかいた。 「あのなあ、お師匠様ってのは、狼人なんだろ。大丈夫じゃねえの? そもそも、お前がお師匠様とかいってんだろ。だったら大丈夫じゃねえのかよ」 「それがだなあ」 ファルケンは、ため息をついてそこに座り込んだ。 「お師匠様は、確かにオレのお師匠様なんだけど、ちょっと不安が色々あるというか」 「お師匠様を不安に思うって、爺さんなのか?」 レックハルドは顎をなでやりながら訊く。 「う、うーん、年齢はそこそこいってるけど、爺さんてわけじゃないんだよ。ただ、ちょっと」 ファルケンは、例の色の薄いあごひげをすきながらなにやら考える。 「ちょっと? 不安とかちょっとって何なんだよ」 レックハルドは、ファルケンの妙に遠まわしな言い方に、多少、例の短気が顔を覗かせたらしい。はっきり言え、と言いたげな顔になった彼に、ファルケンは、多少困惑気味に言った。 「なんというか、危なっかしいんだよ。ほっとくと、辺境狼の餌食になったりしかねないし」 「は? だって、お前、妖魔を相手にして大丈夫な人なんだろ」 妖魔を相手に出来るものが、狼に食われるなんて訊いたこともない。レックハルドが、怪訝そうにしているとファルケンはさらに付け加えた。 「レック。獣と妖魔は違うんだよ。ほら、気配自体がぜんぜん違うし。生きてるものとただの精神体みたいなもんだし」 「ま、そ、そういわれるとそうだけどよ。でも、だからって……」 ファルケンは、何故か小声になってぽつりと言った。 「お師匠様は、生まれつき、妖魔とかそういう気配には鋭いんだって。鋭いし、神経を使っている間は、周りで何か起こっていてもすぐ気付く人なんだ。それは、妖魔の気配だけに鋭いんじゃなくて、人間とか動物の気配にも」 「普通に感覚の鋭い奴じゃねえか、そいつは」 だったら、何が問題なんだ。レックハルドがそんな顔をしていると、ファルケンはまだ小声のまま言った。 「神経を張り巡らせている間っていっただろ? ……つまり、神経つかってなくて、普段ぼーっとしているときは、何が近づいてきてもぜんぜん気付かないんだよ。後ろから、殺気むき出しにした虎が近づいてきていても、わかんないというか。ほら、人間だったら、まだ妖魔と共通するような、くらーい情念があったりするけれど、ケモノにはぜんぜんないから」 「え?」 レックハルドは、膝にひじをついていたのだが、思わずがたりと姿勢を崩しそうになった。 「ちょっと、待て。それは……」 ファルケンは、どこか遠いところを見るような目になった。 「そうなんだ。要するに、お師匠様はケモノとかそれっぽいものの気配はよくわかんないから、正直、大蛇に絞め殺されそうになっても、実際絞められるまで巻かれていることに気付かないような……」 「それに付け加えて、人間や狼人には、基本的に騙されるし、辺境外に出ててもぜんぜん安心できないんだよな」 ビュルガーが、ため息混じりに話しに入ってきた。 「そういえば、この前、危うく馬車にひかれそうになってるのもみたし」 「ちょ、ちょっと待て」 レックハルドは、さすがに事情がわかったようだ。 「そんなにアレな人なのか、お前らのお師匠様は!」 まあな、とばかりに同時に頷く二人を見ながら、レックハルドは、何となく気が遠くなるようだった。 「ええと、薬草と間違えて毒草飲んで痺れてたり」 「昼寝をしていたら、木の枝の一番高いところから落ちそうになったり」 「説教を始めて、途中で沈黙したら、突然喋る内容が変わったり」 「大体そんな感じだな」 ファルケンとビュルガーが交互にはなして、うなずく。レックハルドは、思わず脱力しそうになった。 「なんだろうな。人としてっつーか、動物としてっつーか……、根本的なところが駄目じゃねえのか、それ」 「だから、心配してるんだよ! きっと、オレ達がギレスに会っている間になんかまた何か……」 ファルケンはそういってため息を深々とついて、再び不安そうな顔をレックハルドに向ける。 「お師匠様、大丈夫だと思う?」 「……ど、どうなんだろうな。それは」 レックハルドは、思わず目をそらす。そこで、安全だと同意するには、妙に抵抗があった。 「そんな、レック。不安をあおるようなこといわないでくれよ」 「とはいえなあ、不安を煽る要素しかないっつーんだから仕方ねえ」 レックハルドはため息をつき、うーむと唸る。 「なんか、こう、連絡取る方法はねえのかよ。待ち合わせ場所とか」 「待ち合わせっていうか、いわゆる、シールコルスチェーンだけがいける溜まり場はあるんだよ。でも、そこにいなかったから、大騒ぎしているわけで。連絡を取る手段はあるようなないような……」 ファルケンは、少し首をかしげるようにしていった。 「連絡をとるっていうか、……勘? なんか集まっていそうだな、と思ったら大体集まってたりするし。あと、感覚の鋭い人が、連絡してまわってるとかそんなの。でも、お師匠様は、気を抜いているときは、存在感というかが、あまり感じられない人だから、正直どこにいるのか、オレはわからないし、ビュルガーでも多分わからない」 レックハルドは、頭を抱えた。 「……見事に打つ手なしじゃねえか」 「そうなんだよ」 「そうなんだよ、じゃねえ」 レックハルドは、やれやれと肩をすくめ、少し考えた。そして、少々眉をひそめつつ、ぽつりと言う。 「こうなったら、ちょっとコワイがアレに聞いてみるか? どうせ、まだここから近くの街をうろついてるだろうしさ」 「アレ?」 ファルケンは、そう聞き返す。レックハルドは頷いた。 「そう、アレ。……でも、お前、お前らの問題なんだから、なんか高価そうな飾りもんかなんか、そういう貢物はお前らが出せよ。オレは、びた一文ださねえぞ」 レックハルドは、そういいつつも、あまり気が進まないらしい。ケチのレックハルドは、物を出すのを嫌がるものだが、だが、この感じはそれだけでもないようだ。妙におびえるようなそぶりも見せている彼に、ファルケンはようやく事情がわかった。 「あ、なるほど。シェイザスだな」 「そうだよ。……オレは、ああいう女はちと苦手なんだ」 レックハルドはため息をついた。 「こう、なあ、なんかああいう底から恐怖があがってくるような腹黒い美人ってーのはさあ。おまけに、ガメツイし、ちょっとした布の傷をことさら強調しやがるし」 レックハルドは顎をなでやりながら、もう一度ため息をついた。 「でも、アイツに聞くのが一番いいだろ。この際」 「それはそうだなあ。じゃあ、そうしてみようか」 商売だと、たいていの女性には、適当におべっか使ったりしてかわしてしまうレックハルドだが、そんな彼でもシェイザスは苦手らしい。緊張して、思わず行動が怪しくなってしまうマリスの場合とはまた違い、シェイザスと向かい合っているときのレックハルドは、何となく顔が不自然な引きつり方をしていることが多いのだ。ヒュルカで盗賊をやっていた現役時代に、遊び人の噂があったレックハルドの割には、何故かシェイザスには弱いらしい。 ファルケンは、レックハルドの妙なしょげ返り具合に思わず口元がゆるんでいたらしい。にやにやしているのを見られたのか、レックハルドがこちらを急ににらんできたので、ファルケンは慌てて笑いを収めた。 一覧 戻る 次へ このページにしおりを挟む 背景:NOION様からお借りしました。 |