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辺境遊戯 第三部 


時空幻想-1

「外の方がいいだって?」
 癇癪もちのハールシャーにしては、今日は機嫌がよかったのだろうか。こういうあれこれ考えているときに、自分の耳につくような話題があると、大概、癇に触れて例のごとく、「この役立たずの馬鹿野郎。てめえなんざあ、隅であれこれやってやがれ!」などと罵声を浴びせてきたりするものなのであるが、その時のハールシャーは、さして不機嫌そうな声もあげなかった。いや、相手の方の問題かもしれない。
 このとき、作戦を考えている彼の耳にとまった言葉が、もし、部下の年下の青年だったりしたら、その青年は容赦なく彼の溜まったストレス解消のための標的にされていたかもしれなかった。だが、目の前にいるのは、生憎と、人間ではなかったし、部下でもなかった。
 あまり知られていないが、レックハルド=ハールシャーという男は、狼人には妙に弱いのである。優しいというよりは、他人の本心を見抜くのに長け、おまけにふわふわしてつかみ所のない連中の多い狼人に、自分の毒舌が役に立たないことをしっているせいか、相手にしていて大して腹が立たなかったり、立っても気分を押さえられるのだろう。
 そして、目の前にいる銀色の短髪の彼は、見た目ではよくわからないのだが、間違いなく狼人である。すらりと高い背もそうだが、何よりも頬には例のごとく赤い顔料で描いたメルヤーがある。だが、それでも、パッと目で狼人だとわからないのは、よく見ないと瞬きしているかどうかもわからないような、徹底的に無表情な顔立ちのせいかもしれない。無表情というか、ともすれば、ずっと眠たそうな顔をしているのだった。感情表現は割りに豊かな狼人にしては、その無表情さは珍しい。
「外、ってのは、ここ、つまり辺境の外っつーことだよなあ?」
 寝転んでいたハールシャーは、煙管に刻み煙草を詰めてそれを一服やっているようだった。先ほどまで、ややいらつきながら作戦を考えていたハールシャーは、別の男としゃべっていた狼人の話に、珍しく食いついてきたのだ。
 またなにか言われるとマズイ。とばっちりを恐れて、狼人と喋っていたハールシャーよりまだ若い部下は、とっとと逃げてしまったが、ハールシャーも彼も別に気にしなかった。
「我々狼人が外というと、間違いなくそういう意味だと思うのだが」
「んー、ああ、まあ、お前らはそうだろうな」
 ハールシャーはあっさりとうなずく。別に確認するまでもないことだったのだろうか。ハールシャーは、少しうんざりしたような表情を見せたが、すぐに彼は、珍しいものを見るような顔になった。
「しかし、お前はやっぱり見た目通りの変わりもんだな。ホントに外の世界のが、辺境よりいいのかよ?」
 ハールシャーは、煙草をやりながらこちらに目を向けた。言い方こそひどいが、ハールシャーの口調からすると、それは彼を馬鹿にした言葉ではないらしい。本当に馬鹿にしているなら、ハールシャーはもっとひどい言い方をするのである。
「人間の世界なんて醜いばかりでさ、何のいいところもないぜ。オレみたいに自分ばっかりの奴もいて、他人なんか踏み台としか思わねえようなさ。そういうのがまかりとおっちまってるのは、オレをみれば一目瞭然じゃねえか?」
 ふーっと煙をふきつつ、ハールシャーは起き上がった。
「だから、こういう風に世の中がおかしくなっちまうんだろ? 戦争に次ぐ戦争も起こってさあ、大体、オレだって引き起こすのに一役買ってる。違うのかい?」
「そうかもしれないが……」
 彼は、顎に手をやった。
「それでも、私からみれば、人の世界の方が随分いい。辺境には自由も自我もない。自分の好きなことをやることもできない」
「でも、オレみたいな悪党もいねえだろ?」
「そうかもしれない」
 素直にずばりといわれ、ハールシャーは苦笑した。
「言ってくれるな。まあ、いいさ。正面きって言われた方が気が楽だ」
 狼人は、意外にずばりと本音をいうものが多い。しかし、彼は少々特別かもしれない。狼人としても変わっていると思う。狼人にしては、淡々としすぎているのだ。
 無表情といったほうがいい、変わり映えのしない顔をみながら、ハールシャーは、煙管をくわえたまま答えた。
「まあ、でも、お前のいうこともわからねえわけじゃあねえんだがな」
 ちらりと狼人が瞬きをする。今の発言に興味をもったらしいことを横目で確認し、ハールシャーは言った。
「前に、狼人の知り合いがいたんだがな」
 見上げる先は、まばゆく青い空である。ちょっと湿っぽい話をしているにもかかわらず、気候の方はまったく雰囲気に合わせてくれる気配はなさそうだ。煙草の煙が空に吸い込まれるのをみながら、ハールシャーは続けた。
「そいつを見ていて思ったことはあるんだよ。辺境ってのは、平気で誰かを犠牲にできるもんなんだなあってさ。生贄をつくっても、大きなものを守るためなら、あきれるほど非情になれるんだよなァ」
 狼人も妖精も、と、ハールシャーは、ため息にのせて呟く。
「どっちも優しいイキモノだと思うんだけどな」
 彼は、黙って頷いた。優しいが、彼らは集団で生きるものなのである。彼らにとっては辺境の秩序が最大の関心事であり、それ以外のことはどうでもいいのだ。個々人は、ただ、辺境の秩序を守るためだけに存在する歯車のひとつなのである。
 そして、歯車でいられなくなったものたちが、逸脱して外の世界あぶれる。いい方向にあぶれるものもいれば、悪い方向にあぶれるものもいる。結局外にでた彼には、辺境は伝統としきたりで縛られた窮屈な場所でしかないのである。
 だが、ハールシャーは、苦笑気味になった。
「でも、裏がないだけオレには、お前らのやり方のほうがよく見えるかもしれねえな。オレたちなら、生贄をつくって、それをわざと英雄に仕立てて、周りの士気を鼓舞する道具につかったりしてさ、死んでからも利用することを考える。いいや、オレは、そういう役どころなんだよ。昔も今も。判断基準は、使えるか、使え、ねえか」
 ハールシャーは、そういいながら立ち上がった。煙管の中身をおとしながら、彼は目の前に広がる不毛の大地に目をやった。乾燥した湿り気のない風が、砂を運んで衣服を汚す。砂を払うためか、ハールシャーはマントをはたいた。
「お前らはさすがにそういう事にはしねえだろ? もしかしたら、オレがなんのかんのと連中のために働くのは、そういうのが気にいったからかもなあ」
 レックハルド=ハールシャーは、彼のほうに視線を投げてから、皮肉っぽく笑った。
「ほらよ、わかるだろ? 誰にだって、人の庭って、結構うらやましく見えるもんだからよ」
「それはわかるような気がするな」
「でも、そう思うって事は、結局オレ達は住む世界が実は違うんだろうな」
 そういわれて、狼人は少しだけ目を見開いたようだったが、そのことにハールシャーは気付いていないだろう。
「ハールシャー様!」
 若い部下の声がきこえ、ハールシャーは、不機嫌そうに顔をしかめた。
「チッ、また面倒ごとか?」
「いえ。マイディーンサイラス殿がお呼びです」
「え、ああ、わかった。……すぐ行くと言っといてくれ」
 さすがにマイディーンサイラスといわれると、ハールシャーも仕方がない。長い名前から、サイラスの通称で呼ばれる将軍は、例のメアリーズシェイルの父親に当たるのだ。
 ツァイザーがそれに気付いていった。
「義父(オヤジ)殿の呼び出しか」
「まあな、作戦会議かなにかだろ。ああ、そういえば……さっきの話は、でも、オレにするより、あの将軍殿にしてやったほうがよかったかもな。……なにせ、あのオヤジ殿は半分狼だから、オレよりお前の話がわかるんじゃねえか? ちょっとノリがよすぎるけどな」
 狼人は総じて陽気なものである。人間以上にさわぐので、特にかれらの集団と付き合うには体力がいるものだ。半分狼人のマイディーンサイラスも、間違いなく狼の血族であるし、彼の部下は全員が狼人なので、正直婿である彼がその中にいくだけで、お祭り騒ぎになりかねない。
「あ、そうそう。さっきいったことで、勘違いするなよ」
 ふと、ハールシャーが思い出したように声をかけてきたので、彼はきょとんとした。
「住む世界が違っても、別に協力ができねえというわけじゃあねえ。お互いに理解が必要だってことだよ」
「そのあたりは理解している」
「ああそう、理解しているとは恐れ入ったね」
 相変わらず、初対面の人間がきいたら、妙に冷たく感じる口調でそういうと、ハールシャーは苦笑して、そのままふらふらと向こうの方に歩いていってしまった。
 狼人はそれを見送ったまま、しばらくそこに佇んでいた。特別な役割を背負った身の上の彼には、何となくハールシャーのいった言葉が、妙に救いになったような気がした。

 時の守り、俗にシールコルスチェーンといわれる狼人や妖精は、常に境界のライン上に立つものであるのである。だから、彼らはどの世界にも、絶対に属することはできない存在でもある。

 それは、どの時代のシールコルスチェーンも同じであり、彼らがその宿命を負う時に、最初に覚悟する永遠の孤独でもある。





 辺境近くにある小さな町。いわゆる宿場町というもので、中心街にはそれなりに食堂や宿や雑貨屋が軒を連ねている。派手ではないが、人通りはそれほど少ないわけではない。
 人々は辺境に触れることを好まないが、地形的な理由もあって街道は辺境を臨む形で作られていることが多い。思えば、旅人の多くは、そこから見る辺境の風景を恐れながらも愛しているのかもしれない。歩くほどに変わり行く風景を見ながら歩く旅人の多くは、何故か辺境を見やりながら歩くものが多い。旅慣れたものの中には、辺境の浅い場所を通って街道をショートカットするものもいるほどである。
 辺境を恐れながらも、この近くにある町も、それとなく辺境を望むように作られていた。その様子を見ると、何故かほっと安堵するような気持ちになることがある。
 少年のようないでたちに、頭から布をかぶったメルキリアは、その町を歩いていた。 人間の街を歩くときは、それでも多少は気をつけなければならない。妖精は狼人と違って、人間とは確実に違う外見上の特徴がある。長い耳を見られたら、一悶着起こしてしまうのは避けられない。
 だから、彼女はそれに随分気をくばりながら、ゆっくりと道をあるいていた。そして、一件の食堂の看板をみて、足を止める。ちらりと中をのぞきやり、彼女は目当ての男がそこにいるのにきづいてはいっていった。
 目当ての男、といっても、別に何の色っぽい事情もない。ただ、単に一週間ほど連絡がとれなくなった彼に会って連絡をとらねばならなくなったからさがしにきただけである。
 その男は、とろりとしたあんかけのかかった卵料理を目の前に、無表情な顔を向けていた。その様子だけ見ても、頭が痛くなりそうだが、男はじつにのんびりとしていた。彼女に気がついても、手を軽くあげただけでまた卵料理に戻る。
「あのねえ。挨拶はそれだけかい?」
 メルキリアは、ため息をついて、男のテーブルの反対側の椅子にどっかと座った。
「ツァイザー。何やってるんだい」
「見てわからないのか。私は、今、羊肉と季節の野菜の卵とじあんかけを食べているのだが」
「そうじゃなくて、どうして、街の定食屋で卵料理とにらめっこしているのか、ってきいてるんだよ」
「ああ、そういうことか」
 あきれるメルキリアとは対照的に、むしろしれっとしている程の態度でツァイザーは答える。狼人は髪の毛を長くすることが多い。それは魔術と関係することも多いからかもしれないし、昔からの風習でもある。ファルケンのように、外見がどうたらといっているやからもいるが、それにしても、実際は髪の毛を切るのは、辺境の森に対して不義理、という意識が働くせいもあるのだろう。
 ということで、ツァイザーのような完全に短い髪の毛をしている狼人は珍しい。おまけに、彼は緑がかった銀髪なので、ちょっと見た限りでは、さほど狼人に見えない。そういう事情も手伝ってか、ツァイザーが定食屋で何をがっつこうが、あまり違和感がないのだった。あるいは、ファルケンなどよりも、よほど違和感なく溶け込んでいるのかもしれない。
「私の趣味は食べ歩きだと昔から言っているだろう。どうせ、暇だから〜とおもって、しばらく街に逗留しつつ、この街の定食屋を全部制覇しようと思っていたのだ」
「しなくていいよ。今は忙しいんだから。こっちの事情もあるんだ」
 メルキリアは眉をひそめた。
「忙しいといっても、所詮、我々は直接的に手を下すのはいけない。大体、こういうのは、その時代の若いものにやらせるのが一番いいのだ」
「それはわかってるよ。だから、あとは、ハラールとかファルケンがどうにかやればいいんだけど」
 メルキリアは、さらに眉をひそめた。
「そのハラールがいないんだよ」
「ハラールが?」
「そう。この前から行方不明なのさ。だから、あたしがこうやって訪ね歩いてるんじゃないか」
「ああ、そういうことか」
 ぽん、とツァイザーは手を打った。
「それなら、大丈夫だ。ハラールは、私とともにこの街にきていたぞ」
「ええっ! だったら先にそういいなよ!」
 さすがにメルキリアも腹をたてて声を荒げるが、ツァイザーにはさして効果はないらしい。相変わらず食事を続けつつ、彼は言った。
「いや、奴は魔幻灯が心配だというのでな。それで探しにきたのだがなあ」
「全く、あんたと喋っていると、自然と頭に血が上るよ」
 それは悪いことをした。と、ツァイザーは言ったが、その言葉は全く悪びれてはいないらしい。メルキリアは、ため息をついて反対側の席に座った。ハラールが無事なのなら、とりあえず目的は果たしたし、水の一杯でものみたいところである。
 ため息をつき、メルキリアは声を潜めた。
「そういえば、ちょっと辺境の奥を探って司祭の会話を盗み聞きしてきたんだけれど。司祭のうち、何人か、妙に不穏な動きをしているようだね。一人消えた奴もいるみたいだし」
「ほほう」
 ツァイザーの態度に、メルキリアは業を煮やす。
「ほほうじゃないだろ。でも、司祭はなかなか動かないみたいだね。一人消えたってことは、死んでるかもしれないってのにさ。やっぱり、自浄作用を期待するのは無駄かい?」
「自浄作用? そういうものを期待していたのか?」
「まあ、一応ね」
 メルキリアは、そういって片ひざを足の上においてその上に頬杖をつく。ふうむ、とツァイザーは唸った。
「まあ、仕方がないだろう。司祭はなかなか動かないものだ。いや、大体、組織を組んでしまうと動けなけなくなるものだ」
 ツァイザーの訳知り風なものいいが気にかかったのか、メルキリアは、ちらりと彼のほうを見上げる。
「連中だけが悪いというのも、少々かわいそうだと思うぞ。まあ、お前やフォーンアクスから見れば、保身のためのごたごただと思われても仕方がないが」
「なんだい。妙に知っている口をきくんだね?」
「まあ、身内みたいなもんだからな」
「身内だって?」
 ツァイザーは、食事を口に運ぶのを一旦とめて、メルキリアのほうを見た。
「お前は知らなかったか? 私が、昔、司祭の筆頭格をつとめていたのを」
「ええ? そうだったのかい? そいつは初耳だよ?」
 メルキリアは、少しだけ大声になった。実際、その話ははじめてきくものであったし、大体、シールコルスチェーンみたいな役柄についている人間が、司祭をやっていたというのは珍しい。メルキリアも司祭崩れなところはあるのだが、まさか、司祭の、それも最上位である一番目の司祭をつとめていたとは思わなかった。
「まあ、大昔、ちょっとの間のことだしな」
「でも、一番目の司祭ってことは、それだけ力的に認められてたってことだろ?」
「うーむ、しかし、力的云々でいうならば、私より強いのはごろごろいるとおもうがな」
 フォーンアクスとか、お前とか、とさりげなく指をさしてくるのを振り払い、メルキリアは言った。
「しかし、司祭なんて結構いいご身分じゃあないのかい。正直、こういう辺境のものとしても、半分外界にはみ出したような生き方よりは気楽だと思うんだがね」
 シールコルスチェーンは、時間の守りである。それだけでも普通の生き物から逸脱する存在になってしまっているのだ。辺境の守りという立場を守りながら生きる司祭とは比べ物にならないほどに、孤独を味わうこともある。境界の外に出てしまったものは、もはや人間の世界にも辺境の世界にも、実は属することはできない。そんな悩みを抱えること自体が無駄な存在なのである。
「なんでやめちまったんだい?」
「一言で言うと退屈だったから」
 ツァイザーは、悪びれもせずに言う。
「私は人間の世界が好きだったからかな。森の中でぼんやりすごすのは性にあわない。美食家の私は、人の世界の料理のほうが好きだし」
「その理由だけかい?」
「司祭になると少なくとも、表立って人間の味方ができないしな。別に私はそれほど辺境にいれこんでいるわけでもないからな。ああいう立場はどうも苦手だ」
 ツァイザーは、卵料理をひときれ切って口の中に投げ込んだ。
「まあ、でも、それだけこちらの世界がよく見える、ということは、私は所詮、辺境のものだということなのかもしれないが。隣の芝は常に青く見えるものだからな。……人間からみれば、辺境の方がよほどいいと言うかもしれない。いいや、そういう風にいう奴も実際にいた」
 ツァイザーは息をついたが、それがため息かどうかはよくわからなかった。もしかしたら、うまい食事に対する嘆息だったのかもしれない。ツァイザーだけは、表情がどうも読めないし、その考えもよくわからない。
「ところで、ハラールはこの街のどこにいるんだい?」
 メルキリアは、ふと思い出してそうきいた。ハラールはうっかりしているので、こうしている間に危険な目にあっていたら大変である。
「その辺を歩いていなかったか?」
「その辺って……。ちょい待ち」
 メルキリアは、あることに気付いてやや顔を引きつらせた。ツァイザーは、しばらくこの街に逗留して、などといっていた。ツァイザーは、狼人らしく時間の感覚が少々おかしい。普通の人間や、忙しくしているメルキリアとは、明らかに時間の感覚が違う。
「あんたが最後にハラールを見たのはいつ?」
「ああ? ええと、三日以上は前に、その辺を歩いているのをみたのが最後かもしれないが?」
 メルキリアは、ツァイザーの話などにまともにのったことを後悔した。 




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