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辺境遊戯 第三部 


竜間問答-30

 
 
 林に近いところまで行き、ギレスはレックハルドたちと距離をとってから足を止めた。
「オレに話したいことって何?」
「うむ、そのことであるが……」
 ギレスが話そうとしたとき、いきなり、ファルケンが、あ、と声をあげた。
「それはともかく、あんた、町に行ってたんだよなあ。街は、で、どうだったんだ?」
 いきなり話しかけられ、ふとギレスは思わずのってしまう。
「うむ。人の生態が知れて非常に興味深い……ではない!」
「じゃあ、何の話だよ? そういえば、竜はどうなったんだ? あれから、どこかに飛んでいくのを見た奴もいたんだけど」
 自分の話を展開しようとしたものの、ファルケンにさらりとかわされて、ギレスはむっとしたが、その話もしなければならない。こほん、と咳をしてギレスは言い直す。
「連中なら来ないだろう」
「来ないって?」
「締め上げてこの件に関わらないように暗示をかけてやった。あそこまですれば、私の眷属である限り、よほどの力でないと動かないだろう」
 ギレスは、自信ありげに言う。
「ということは、あれはもうこっちを襲ってこないってことかい?」
「今のところはな」
 ギレスは、やれやれとため息をつく。
「あれ、そういえば、ずっとあんたがしゃべってるけどダルシュは?」
「一番最後の魔術の衝撃で気絶してしまったのだ。おかげで、最終的に連中を押さえ込んだのは私だ。全く、なれないうちに無茶をやるとは、一体どういう神経を……。まあ、予想以上の能力があったのは確かであるが。ともあれ、しばらく、寝込んでいるようだから、私がその間代わりに出ているのだ」
「なるほど。竜っていうのは、力がむちゃくちゃだもんな」
「何がむちゃくちゃだ」
 ギレスの声がひときわ不機嫌になった。
「私はそれより、貴様に不満がある! どういうことだ、これは!」
「これは、って何のこと?」
「このダルシュとかいう青年のことだ! 貴様、私が探してくれといった男と違うではないか!」
「ええ、そうなのか?」
 ファルケンは、きょとんとして顎に指をおきながら、なにやら思い出している様子である。
「えーっと、条件なんだっけ」
「私はー、マジメで強くて、竜の血が入っていて、それでもって正義感が強く、心優しく、冷静で礼節をわきまえた若い男を捜してほしいといったはずだが!」
「あ! それそれ!」
 なにやらえらい剣幕のギレスだが、ファルケンは平気で手を打っている。
「じゃあ間違いない! マジメで強くて、竜の血が入ってて、それでもって正義感の強い男だろ?」
「心優しいと冷静で礼節をわきまえている、が抜けておるわ!」
「え、それぐらい些細じゃないか」
 ファルケンは、どうでもよさげにそういったが、ギレスの方はおさまらない。
「問題の中心だ! ……私がー、今まで黙って状況を見てきたのは、ああいう乱暴な男に軽々しく力を渡してはならんからだ」
「まー、ちょっと乱暴だけど、でも、ほら、もっとひどいのがいたから大丈夫」
「あのシールコルスチェーンの狼のことか! アレよりひどいのがいるなら見てみたいぞ」
 ファルケンが言っているのは、例のフォーンアクスというシールコルスチェーンの狼人のことである。物忘れがひどいギレスが、初対面から忘れられなかったほど、彼は恐ろしい乱暴ものである。狼人は基本的に大人しいのだが、妖魔でもないくせに、あそこまで暴れる男は、彼の長い歴史の中でもそういない存在である。
 ふと何かに気付いて、ギレスは眉をひそめた。
「そういえば、貴様、顔立ちが奴にそっくりだな。まさか、血縁でもあるのではないか?」
「狼人には、血縁関係なんて滅多にないし、あいつには子供がいないはずだけど? それに、オレは、あいつとはあんまり似てないと思う」
 さすがにフォーンアクスと一緒にされるのは嫌なのか、ちょっとだけ不機嫌になってファルケンはそういった。
「……なんというか、根本に流れるものがちょっと似ている気がするが。……むう、まあ、それはいい。だがとにかく、条件が合わない以上、これ以上、手を貸すのは危険だと思うのだ」
「え! ソレって、ダルシュは駄目ってことか?」
 ファルケンは、慌てた。
「で、でも、ほら、ダルシュは思ったより強かったとか、さっきいってたじゃないか!」
「強さが問題ではない! 戦いも力も、全て精神的なものを基点とするのだ」
「いや、でも、結構心優しい所もあるんだよ。ちょっと、無茶するのは、多分、まだ若いからだと思うんだよなあ。駄目か?」
 慌ててフォローに入ってくるファルケンだが、ギレスは腕組みをしたまま、つんとしている。
「乱暴さがそれを上回った時点でもう駄目だ!」
「そんなあ」
「駄目だ。仕方がないから、しばらく協力して、私は洞窟に戻って……」
「ちょ、ちょっと、ソレは困るよ。ダルシュだって、いきなり、そんなんだと……」
 憤慨しながらずんずん歩いていくギレスを、なだめようと追いかけようとしたとき、ファルケンは前方から来る人影に気付いて足を止めた。
「ダルシュ!」
 そう声を上げた娘は、ちょっととまどってから言い直す。 
「と、思ったけど、あなた……。まさか、この前の?」
「あああっ! シェイザス……」
 これはまずいところを見られたかもしれない。ファルケンは、少々顔をこわばらせた。シェイザスは事情を知らないはずだ。おまけに、ギレスがダルシュにずっと協力してくれるならいいのだが、こうやって断られた後で、ということになるとシェイザスにも何をいわれるかわかったものではない。
 ややびくびくしながら状況を見守っていると、ふとギレスの方がシェイザスに目を向けた。一体何をみているのかと思ったが、その前にシェイザスの追及の声が飛ぶ。
「これ、どういうこと? まさか、あなたが何か知っているのではないでしょうね?」
「い、いや、その、何というか、オレは、その……」
 矛先をファルケンに変えて、時にはなまめかしくも思えるほどの瞳で彼をにらむ。にらまれて青ざめた顔のファルケンは、こわばった笑みを浮かべるだけである。レックハルドがいたらいたらで、うまく説明してくれたかもしれないのだが、レックハルドはこういうときはマリスにかかりきりなのだから仕方がない。
「いや、あの、……説明すると、つまり、ダルシュが……」
「……美しい」
 険悪な雰囲気の中ぽつりと呟いた言葉に、ファルケンもシェイザスも、ダルシュの形をしたものの方を見る。ギレスは、シェイザスを見ながら嘆息をついていたのだ。
「この世界にもかような美しき女性(にょしょう)がおったとは……」
 なにやら大げさな動作を取りながら、ギレスは顎をなでやる。
「そういえば、そこな娘は、この前街で会った娘か? ……これほどの美しき娘であったとは……。まだ人の世も捨てたものではないな」
 状況を無視した彼の発言に、シェイザスはややあきれながらファルケンにひそひそ声で訊いた。
「やっぱり……ダルシュじゃないわね。とうとう、何か憑いたのかしら。何か、えらく時代錯誤なのが憑いたわね」
「……シェイザス。一応、このひと、いや、人じゃないから、人っていっちゃだめなのかもしれないけど、竜の……」
 シェイザスは最後まで説明は聞かずに、柳眉をひそめていった。
「何が入っているかわからないけど、ちょっとこのままじゃ困るわ。あなた、どうにかできるんじゃないの? 元のダルシュにもどして頂戴」
「いや、追い出すとかはちょっと難しいような……。あ、それに、そこまでしなくてはいけないほど、悪いものじゃないし」
 追い出したら追い出したらで、協力してくれないだろう。ファルケンは、慌ててシェイザスに事情を説明しようとしたのだが。急に、ギレスが、例の妙に格式ばった口調でいった。
「よかろう。このギレス。汝らに手を貸してやることにしよう」
「ええっ! なんでいきなり?」
 唐突な態度の変更にファルケンが、声をあげるが、ギレスは顔色を変えない。
「うむ。まあ、多少問題はあるのだが、私がいなければ、この娘も困ることであろう」
「困らないわよ」
「乱暴なところは、時間をかけて説教して矯正すればよいわけであり、今すぐ見捨てるほどの状況でもなさそうである」
 シェイザスの鋭い声を聞き流しているのか、それとも最初からきいていないのか、ギレスはべらべらとそう話す。
「というわけで、しばらく、手を貸してやることにしよう」
「そ、そうか。それはよかったような……」
 何となく動機が不純な気もするが、ともあれ、ギレスが協力してくれるのはよかった。だが、後ろにいるシェイザスには、どうやって説明しよう。ギレスに説明させてもぐだぐだになるのは目に見えている。
(やっぱり、……レックに頼もう)
 さらりと他力本願に切り替えて、ファルケンは目の前の、まだ何となく妙な緊迫感のある事態からひと時逃れることにした。




 ギレスがどうやら外に出たらしい。それに感づきながら、サライは辺境の森を見回りに出かけていた。近頃、辺境の内部では、状況の変遷が激しい。森が急激に枯れてぽっかりと丸く穴があいたようになっている場所もある。狼人の様子もなにやら落ち着きがないし、確かにざわめきのようなものを感じることもあるのである。
 見守ることしかしないサライだが、見守る、ということもまた大切なことだ。彼には、ここで起こることの全てを見届ける義務がある。それが監視人としての役目でもある。
 昔、あるひとが、この美しき世界を見届け、守ろうとして、監視人になったという。それがやがて、マザーや辺境と結びついていき、現在では狼人からも竜からも一目おかれる存在になっていた。
 だからこそ、見ているだけの彼にも、それなりの責任というものがあるのである。
 先日、ギレスが出て行った場所周辺を歩きながら、サライはおかしなところがないか、一通り見て回っていた。監視人たる彼には、そう簡単に近寄るものはおらず、まして飛び掛ってくるものもいない。もっとも、飛び掛ってきても、簡単に相手を負かすことはできるのであるが。
 よって、サライは、辺境の中でめったに誰かと出くわすことはない。自分で会いにきたり、向こう側が会いに来るのでなければ、会うということはないのだが――、その日だけは違ったようだ。
 目の前に、ローブをきた狼人が歩いていたのである。雰囲気もそうであるし、メルヤーのつけかたが違う。間違いなく司祭の一人だ。少々構えたサライだが、相手はよくみると司祭の中でも三番目の司祭である。三番目、は、中立の立場を崩さない大人しい狼人だ。サライも今まで会ったことがあるし、その考え方には一番目などのような危険さはない。
 適当に挨拶して帰ろう、そう思っていたサライだが、何故か、すれ違う前に違和感を感じた。その感覚は、非常に懐かしく、サライの忘れ去ったはるか昔の記憶を思い出させるものであった。
 声には出さず、口で何事かつぶやいたサライは、思わずその場にひざまずいていた。
「ああ、こんにちは。監視人殿」
 動揺して、体が少し震えているサライに、平気な口調でタスラムはそう呼びかけてきた。
「見回りですかな? ご苦労です」
「な、何をおっしゃられるのか……。こんなところにいらしたのですか?」
 慌てたように言うサライに、タスラムはわからないといった顔をした。
「ああ、私がこの辺りきたのは、竜が暴れていた時の事情をしりたかったからでしてな。監視人殿も同じでしょうか?」
 何をぬけぬけといっているのだろう。サライは、更に言った。
「ごまかされても無駄です。……あなたがどういうお方か私は知っている」
 ひざまずくサライにちらりと目をやり、タスラムは声をあげて笑った。
「おや、監視人殿。何のことだろうか?」
 平気な様子でそう笑うタスラムからは、先ほどの感覚が薄れていた。だが、さきほどは、確かに感じたのだ。「アレ」の力の残りのようなものが、彼の気配に含まれていることを。
「おや、これはどうなされたのかな? 監視人殿が、たかが辺境の守である司祭ごときに頭を下げる義理があろうか。何を勘違いされているのかは知らぬが、私はそなたが思っている人間とは別のものだよ」
「また、そのようなことをおっしゃられる……。もしかして、数千年、あなたは、隠れていらしたのですか!」
 サライは、柄になく感情的になっていた。
「お答えください! 私を試しておられるのですか!」
 タスラムは、やや困惑気味に首をかしげた後、眉をひそめながら答えた。
「おや、コレは異なことをおっしゃるのだな。残念ながら、私は貴公よりもずっと年下だし、ましてや今のシールコルスチェーンよりも年下だ。調べればすぐにわかることだろう。だから、人違いだよ」
 ははは、と軽く笑い、タスラムはふらりと歩き出した。
「ほっほっほ。人違いだよ。人違い」
 手を振り、タスラムは笑いながら通る。先ほど感じた予感のようなものが、何故か薄らいでいった気がした。サライは、眉をひそめる。
(勘違い……なのか?)
 先ほど感じた胸騒ぎは、何故か今は静まり返っている。
 第一、サライがタスラムに会ったのはコレが初めてではなかった。今まで幾度となく会ったけれど、その時は、ただの狼人だな、と思っただけだった。では、一瞬だけ感じた雰囲気は、果たしてなんだったのだろう。疲れてもいたのだろうか。
「それでは、私はこれで失礼するよ」
 軽く笑ってタスラムは手を上げた。
 サライは無言でタスラムを送る。勘違いであるかどうかも、いまいち確信がもてなかった。
 だが、今更彼が現われるとも思えなかった。なぜなら、あの男は、気の遠くなるような昔、目の前で消えたし、そもそも、狼人の姿をしている時点でおかしい。
 サライは、なんともいえない気分のまま、タスラムがふわりと消えてしまうのを見ていた。



「いやいや、少々羽目をはずしたな」
 サライから随分とはなれてから、タスラムは、苦笑気味に呟いた。
「竜王が暴れるものだから、つい血が騒いでしまった。そのおかげで、かすかにのこった力の残滓に気付いたのかな?」
 そういいながらも、妙に彼は楽しげだった。
「だが、どちらにしろ、私の口車に乗せられるようでは、お前達、本当にかわっていないよ。ほっほっほ」
 軽やかにいって空を見上げる彼の目の色は、やはり、どこか普通の狼人と違う。
「おぬしもだよ……まだまだ甘いのう。マキシーンのお坊ちゃん」




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